ちょっと文章や詩がうまく書けない時期が続いてて、自分としては困っているからリハビリがてらコラムめいたブログを書いていこうと思う。幸い、地球儀のHPからここへはなかなかたどり着けないし、プッシュしていく予定もないので今のうちにバレないように書いていく。だんだんと言葉というツールで宇宙と繋がっていってしまうような「あっち側の感性」を取り戻して行きたい。今一度、独りよがりな言葉からはじめるよ。当たり障りのないところから。推敲はほとんどせずに投げっぱなしパイルドライバーでいく予定。そんな技あるんか。とりあえず文字数を稼ぐことが目的。みたいな。
オリトスと不思議な世界、はこのワールドでぼくが未だに不思議に思うことを取り上げてみる。シリーズ化していこうと思ってるけど責任は持てない。責任というものも不思議だからのちのち取り上げてみたい。
今回はタイミングの話。
タイミングというものがよくわからない。
特に、「お風呂に入るタイミング」というのがよくわからない。家に帰ってすぐなのか眠る前なのか、ご飯のあとなのかご飯の前なのか。そしてまたご飯を食べるタイミングもわからない。お腹がすいた時にたべるのか、毎日同じ時間に食べるのか。風呂の前後ではどうか。
もしぼくが新郎だとして妻に「お風呂にする?ご飯にする?それとも私?」と聞かれたらその時々でそれぞれの応えをするだろうけれど、そのすべてはなんとなく導かれていて、心のなかでは(よくわからない)と思っているだろう。カオスだ。
心身ともに疲れていたり、垢のようなものを感じていても、それが即風呂に入ることにはなかなかつながらない。疲れも垢も時間の経過とともに蓄積されていく一方だからだ。
どこか「ここ!」というポイントがあって、それは必要性と効果の高い一点で、そういうときが「風呂に入るタイミング」なのだと思ってしまう。空腹についてもそうだ。お腹が空いたからご飯を食べるというけれど、ご飯を食べなければお腹は空き続けるのだ。
そういうわけで、すべての事柄は夏休みの宿題のようで、ぼくの毎日は一日という区切りのなかでなんとなくぎりぎりに、タイミングを逸して過ぎていく。
「恋愛はタイミングやで!」とか「出会いはタイミングやからなあー」とかいう物言いを時々聞いたりするし、自分もまた言ったりする。なんとなくこっちのほうが生活のなかでの事柄よりもしっくりくる感じがある。
人とのかかわりのなかで「今・ここ」という一点は確かに存在すると思う。また戦いのなかで「いざ鎌倉」とか「ここが天王山」みたいなことは往々にしてあり得ると思う。
必要と効果の高いポイントが存在することが信じられる。
タイミングを逸していれば、自分の未熟さを見つめればよい気がする。
しかしこと生活のこととなるとそうはいかない。ぼくは家で裸足なのだけど、「靴下を履くタイミング」はいつか。靴を履く前であることは確かだけど、ズボンを穿く前か後か。そういうことはよくわからない。
とても急いでいる朝、靴下を履くタイミングを逸して裸足に靴で、電車のなかで靴下を履いたことがある。
生活のなかでは「今・ここ」というのが存在しないか、限りなく薄くまでぼかされているように思う。もしくは「今・ここ」というのが存在しないすべてが生活と呼ばれているのかもしれない。
「この人とはもう二度と会えないかもしれないなー」とか「今言わなきゃ絶対後悔する」みたいなことが時々ある。そのときは「今・ここ」をつかもうと最大限努力する。またつかみ損ねると反省する。
数年前、自分に必要な情報があらかじめわかる時期があった。本の背表紙が光って見えるような感覚で、その本を手に取れば、自分の感覚を推し進めるためのことや、疑問や悩みに対するヒントが書かれてあった。(さいきんはあまりない)
「今・ここ」が存在しない生活は、うすのろでぎくしゃくとした感じに進んでいく。
上手に豊かに生活している人というのはすごい。何を考えているのだろうか。ぼくには存在が認識できない「今・ここ」を捉え続けているのだろうか。
きっとたぶん「習慣化」という答えが返ってきそうな気がする。習慣というものは恐ろしい。ただ、それはなんとなくわかる。わかるが、わからないことも多い。
習慣化するにあたってのスタートはいつか。それはまさに今、ここなのだと思う。それはわかる。それが出来ないのは怠惰と断罪しても良い。
でも、今布団から起き上がる、そのことと習慣はまた別で、毎日三食食べることと、それをそれぞれいつ食べるかはまたまた別の問題だ。
21時に夕飯、そんな風に決めているのだろうか。21時に夕飯にしてしまったら、あの映画のリバイバル放映のレイトショーを見逃してしまう。それでは柳沢教授になってしまうのだ。彼はとても魅力的なのだけれど。
習慣はそれよりもっと大事な「今・ここ」と時々衝突をする。
なんかいい感じに生活できているひとは、なんかいい感じに生活する感性を持ち合わせているか、はぐくんでいるとしか思えない。そしてそのはぐくみかたがいまいちよくわからない。
なんかいい感じに生活できている人を今頭のなかで思い浮かべたら常に笑顔なのだけれど、その笑顔は自分と異なったルールを持つ種のような怖さを秘めている。