ピー子の気持ち

脳脊髄液減少症患者の女子大生です。

お久しぶりです!

2010-08-31 17:35:11 | ごちゃまぜ
お久しぶりです。ピー子です


すっごく放置してましたねすいません


夏休みに入ってからは、川端文部大臣に会いに行ったり


旅行に行けたりと、それなりに楽しめました


結構調子は良かったんですけど一昨日から、なぜか絶不調です


実際には、今日が一番調子が悪いです


色んな症状をだいぶ軽くした、治療前のような感じです。


フラーっとしてます


頭痛とかは、あんまり無いんですけどね。


明日から学校なんですけど、大丈夫かな~



28日から昨日まで、ピー子姉が帰って来ていました


そしてピー子姉と、小学校4年生から行っていなかった


カラオケに行きました~


最初はなんか恥ずかしいんですけど、


2人ともストレス溜まってるからか(笑)曲を入れまくってました


ピー子姉も、ピー子も他の人と行くと歌えないんです。


だから2人で行って歌ってきました


カラオケは、ピー子姉が前から行きたいと言っていたので


目標が果たせたようで良かったです


ピー子も楽しかったし、これからピー子姉が帰ってきたら


カラオケに必ず行くことになりそうです…



28日に法事があったんですけど、


その時にいとこの赤ちゃんが来てて、すっごくかわいかったんですよ


腕とかムチムチで、顔もプクプクでず~っと触ってしまいました。


子供のうるさい声は苦手ですが、その子はずっと寝てて静かだったので大丈夫でした


どっちかというと、他のいとこの方がうるさかった…かも



法事に行ったときに、親戚のおねえさんに


ハル2 哲学する犬からの伝言』という本を貰いました


まさか2が出ているとは思っていなかったんですが、嬉しかったです


2は有名な人の言った言葉などが入っていて、


前よりも考えさせられる本ですね。ありがとう~


では、さっそく『生きて遊んで』というページから


「私の一生で仕事をした日は、1日もなかった。


私にとっては、すべてが面白い遊びだったのだ。」


●トーマス・エジソン


一生の間に3000あまりの発明品と1000以上もの特許品を


この世に生み出したエジソン。


80歳になっても5時間しか寝ずに、


1日19時間研究所に閉じこもって過ごしたという彼は、


いつまでもこのまま生きていたいと、死ぬ前日まで話していたそうです。


研究することをこのうえなく楽しんでいたからです。


遊んでいると考えてください。本とともに、時間とともに。


遊びだと考えてください。宿題も、仕事も。


遊びで会うと思ってください。職場の上司にも、取引先にも。


遊ぶためにこの世に生まれたと思ってください。


今のこの瞬間も、生きて、遊んで。


今日1日あなたはどんなふうに遊びましたか?


…ベッドで1日寝てました


まあそんな日もあっても良いですよね


仕事を遊びだと考えるって、素敵なことだけど実際には難しいですよね


でも、何かに行き詰った時に『遊び』だと思えたら楽かもしれませんね



話は変わりますが、最近ピー子は大福にハマってるんです


何でかというと、鍼のO先生に貰った大福がおいしすぎて


元から好きだったんですが、大福好きに火がつきました



餅の部分が柔らかくて、餡も美味しくて何個でも食べれちゃいます。


はぁぁ~、太りそうです。食欲の秋もやってきますしね~


ダイエットをしないといけませんね


では、ピー子が旅行先で撮った景色とともにさようなら~



ちょっと気取って撮りました

愛すべき姉

2010-08-06 16:40:01 | ごちゃまぜ
こんにちは、ピー子です


まず一言…『暑すぎる!!』


お付き合いいただきまして、ありがとうございます


なんですか、この暑さはこれが温暖化というやつですか


温暖化の原因の1つはエアコンというのもあるんですけど


エアコンつけないと、倒れちゃいますよね


悪循環ですね~


夜もなかなか涼しくならないし、熱帯夜ってやつですか…


ピー子は、背中に氷まくらを入れて寝たりしてます。


みなさんも、暑さには気を付けてくださいね




8月2日はピー子兄の誕生日でした


19歳になったそうです 早いっすな~


ピー子の中では、まだ高3でピー子兄のイメージは止まってるんで


19歳とか言われると、ビックリしますよ


というか、自分が10月で16歳っていうのもビックリなんですけど…


そして、来月はピー子パパの誕生日です


さらに次の月はピー子の誕生日


さらにさらに次の月は、ピー子姉の誕生日なんですね~


おせつさんと、ピー子兄の誕生日プレゼントを買いに行った時に


『ついにこの季節が来てしまったか…』って言ってました。


8・9・10・11と毎月誕生日が続くので、moneyが~


しかもクリスマスもあるし、大人はお正月もありますからね


年取りたくないな~~



さて、今日の本題『愛すべき姉』ですが、


その名の通り、ピー子姉特集をしちゃいたいと思います


なぜかというと、昨日ピー子姉と電話をして思いついたからなんですね


毎日この暑い中、子どもと遊ぶって想像以上に大変ですよね


プールにも毎日入ってるらしくて楽しいけど疲れると言ってます


電話の声も小さくて、全然聞こえないんですね~


でも話してると相変わらずだな~、とも思いますね。


昨日なんて、話してたらいきなり『坂東英二』って言ってくるんですよ


『はっ?何??』って言ったら、また『坂東英二』って言ってくるから


『ものまねしろって事?』って言ったら、『そう…。』だって


電話越しでしてあげましたよ、坂東英二の真似(笑)


久しぶりにしたから、迫力のない坂東さんでしたけどね


ピー子がものまねするなんて、ピー子姉の前だけだからレアなんですよ


そんなピー子姉は、8月の28日から少し帰ってくるそうなんですけど


帰ってくる理由が、親戚みんなが集まる法事があるんですね。


それで、ピー子が『ピー子姉いないと、法事の時ピー子1人になるな~』って言ったら


合わせて帰ってきてくれるそうです


なんて優しい姉なのかしら


正直、病気になる前はピー子姉の事『レベル低いな~』とか


思ってた、超生意気な妹なんですが


病気になって色んな相談とかしてるうちに


『ピー子姉のレベルが低いんじゃなくて、ピー子のレベルに合わせてくれてるんだ


ということが分かり、レベルが低いなんて思ってた自分が恥ずかしかったです


本当に、ピー子姉がいたからピー子は孤独じゃなかったんだな~


優しい姉をもって、ピー子は幸せ者ですね


姉だけじゃなく、家族全員優しくて愛情たっぷりですね


病気にならなかったら、馬鹿なピー子は気付かなかったかもしれない


また1つ病気になって良かったと思える事が出来たかな


ピー子姉は9月に、お友達と韓国旅行に行くそうです


青春してますね~。飛行機乗れないピー子の分まで楽しんでおくれ~


もちろんお土産は…期待してるよ


実は、今回のブログは、ピー子姉に『私の事書いてよ~』って


昨日の電話で言われたので書いたんですね~。


ピー子姉の指示9割と、ピー子の意思1割ってところですかね


でも、書いた内容はピー子が考えた事なので(当たり前)本音ですよ~


これを読んだピー子姉は、今頃号泣してるかな…フッフッフ


えっ?泣く要素がないって


そんな人は、もう一度読み返すといいでしょう


泣く要素なんて1%もないからね


むしろこれで泣けた人は、優しすぎますね



話は変わりますが、ピー子最近スクワットを始めました~


前から、何かしないとと思ってたんですが


なかなか実行力がないもので、やっと始められました


今は1日20回だけですがやってます


それでも、全然動いてなかったピー子にとっては大変で、


スクワットをやるごとに筋肉痛がひどくなってます


その内、腕立て伏せとか腹筋とかしたいですね


腹筋はちょっと怖いけど、やらなきゃ分からないんでね。


成果が出るといいな~。出たら皆さんに報告します


(要らないとか言わないで~


まだまだ暑い夏ですが、頑張って乗り切りましょう~



では、ハルの時間です!今日は『ぼくはいつもここに立っているのに』です。


夏、ひまわりが咲いていた場所に、


いまは雪だるまが立っています。


また夏が来れば、雪だるまが立っていたところに


背の高いひまわりが咲き、


冬がくれば、またひまわりが咲いていたところに


背の低い雪だるまが立つでしょう。


ひまわりが「溶けた」ところに、雪だるまが「咲く」のです。



それでは、今日はこれからおせつ師匠の下で


筑前煮を作ってきます



では、さらば

講習会その3

2010-08-01 11:02:20 | 気持ち
講習会その2の続きです

10月になると、お母さんの知り合い(さくらさん)がこの病気じゃない?

と脳脊髄液減少症のDVDと冊子を持ってきてくれました。

すぐに見てみましたが、自分はこの病気ではないと思いました。

DVDに映ってる子たち程症状は無かったし、髄液が漏れてるなんてすごい病気だとは思わなかったからです。

でも、お母さんは一度診察を受けようと東京の山王病院に私を連れていきました。

そこで縦切りのMRIを撮ったら『脳脊髄液減少症の可能性があります。詳しい検査は入院して行います。』と言われて、

お母さんはすぐに『はい、お願いします』と答えたんですが、

そんな病気じゃない、どうせまた異状なしって言われるだけと思っていた私は

『何でそんな検査しないといけないの!!』とお母さんに怒っていましたが、

今となっては、お母さんの行動力に感謝です。

入院して検査をしてみると、『髄液が漏れています。脳脊髄液減少症です』と言われ、

ビックリしたのと同時に嬉しかったのを覚えています。

自分の言ってたことは嘘じゃなかったんだ、って思ってやっと気持ちが楽になりました。

あの時さくらさんが病気を知らせてくれなかったら、

私は今でも一人孤独に学校も行けずベッドの上で症状に耐えていたと思います。

治療後は、先生には2週間で動いていいですよと言われましたが、

お母さんたちに言われ1ヶ月は徹底してゆっくり慎重に動いていました。

そして、もう学校に行っていいよと言われましたが、

1年近く学校を休んでいたので学校に行く勇気が出なくて学校に行けずにいたら、

校長先生から電話が掛ってきました。

内容は『もう不登校じゃないんだから学校においで』という事でした。

校長先生は私を励ますために電話をくれたのですが、その時の私は『自分は最初から不登校なんかじゃない!』といって大泣きしました。

今思えば笑える話ですが、学校に行けなかった期間についた傷は意外と深かったんだなと思いました。

校長先生は、この病気に対してすごく理解をしてくれている人だったので

本当に励ますつもりがあんなことになってすごくびっくりしたと思います。

でも、私は『もう学校には行かない』と言って学校への気持ちがなくなってしまいました。

私の患者友達にも、学校の先生に言われたひと言ですごく体調が悪くなった子がいるので、

この病気の子と接するときは言葉選びは慎重にしてあげてください。


今思えば、校長先生の言葉で学校に行けなかった期間がちょうど良い療養期間だったのかな?と思います。

学校に行けなくなった事で、学校に行くという普通のことがどれだけすごいか分かりました。

朝から学校に行って、朝練をして授業を受けてまた部活をする。

みんなに合わせて行動する、当たり前だけど自分に何か欠けてるとすごく難しい事なんだと分かりました。

私はこの病気をいろんな人に知ってほしいですが、特に知ってほしいのは

・医者、医者は知ってほしいというよりも知ってないといけないと思います。

次に学校の先生、学校の先生がこの病気を知ってたら、私みたいな子は少なくなると思います。

最後にこの病気の人が身近にいる人。

大変だね、で済ますのではなく病気を理解してあげてほしい。

一人でも多くの人が知っていれば、この病気は発見早期治療ができれば治る可能性も高いので、ぜひ色んな人に広めてほしいです。

私は、学校に行けなかった期間に思ったことがあります。

私は中学生だったのに、医者がこの病気を知らないせいで義務教育が受けれませんでした。

今も学校に行けず悩んでいる人がたくさんいます。

何のための義務教育なのか分かりません。こんな状況はおかしいと思います。

今、私は特別支援学校に通っていますが、最初は病気の子にも着いていけないくらいだるくて辛かったです。

今は、毎日無理はしていますが少しずつ休みながら勉強にもなんとかついていってます。

中1の終わりから中3までまったく勉強が出来なかったので、今でも抜けている部分はありますが頑張れています。

正直、1日でも学校を休むと置いていかれるんじゃないかと不安です。

でも、先生たちも理解をしてくれているので、少し安心して休む事が出来ます。

わたしは元は健康な学生だったので、病気になってからの支援の少なさに驚きました。

健康な子だけが充実した学生生活を送るのではなく、

病気の私たちにも充実した学生生活の支援をしてもらいたいと思っています。

みなさんに、脳脊髄液減少症の事を少しでも多くの人に伝えてもらえたらいいなと思います。

以上です前に国会に行ったときに読んだ文章と似てます。

長いのに読んでくれてありがとうございました

以上、今日は目がかゆくて仕方ないピー子でした

講習会その2

2010-08-01 10:42:20 | 気持ち
講習会の時に話した内容です

こんにちは、ピー子です。私は今特別支援学校の高等部1年生です。

私は中学1年生の時に脳脊髄液減少症になりました。

症状が出始めたのは、中1の1月からです。

原因は、ハッキリとは判りませんが、ちょうどその頃階段から落ちて腰を強打したり、

百日咳になって毎日咳をしていたのでそういうのが重なって発症したのかなと思います。

毎日、頭痛・吐き気やめまい、耳鳴りなどその他にもたくさんの症状がありました。

最初のころは学校にも頑張っていっていましたが、

だんだん学校に行くと頭がボーっとして先生の話も理解できなくなって、

友達が話しかけてくれても何を言ってるのかよく分かりませんでした。

そして、1日学校に行っていると帰ってきてから症状がひどくなり

その後1週間はベッドから動くのもやっとで学校は休みがちになりました。

でも、小さい時からやっていた剣道は体調が良ければ、

多少無理をしてでも道場に行ってやっていました。

今思うと、剣道をするたびに髄液がどんどん漏れていってたんだなと思います。

学校には行けなくなって、毎日起き上がると立ちくらみがして目の前が真っ暗になりました。

そして、立ちくらみが治まると頭痛・吐き気・耳鳴りが出てきてお母さんに『頭が痛いから、学校休む。』と言うと、

呆れたような目で見られ『また学校行かないの?』と言われ、

自分では正直に言ってるのに信じてもらえないんだとショックを受けました。


吐き気がありご飯もほとんど食べれなくて、毎日布団にくるまっているだけの生活でした。

テレビを見ると酔って気持ち悪くなり、本を読む事くらいしか出来ませんでした。

本も読んでいると、文字が浮き出て見えて内容は頭に入らず、ただひたすら文字を追っているだけでした。

正直、調子の悪かった時のことは、あまり記憶にありません。

でもいろんな病院に行って、いろんな検査をしても毎回『異状なしです』と言われ、

自分は正直に症状を言っているのに嘘をついているかのように医者にはさとされて、医者も信用できないし病院に行くのが大嫌いになりました。

学校に行けないことで、外出するのも遊んでると思われるんじゃないかと思って近所には絶対に行きませんでした。

最低車で30分以上離れていないと、外出しませんでした。

友達や友達の親に見られたらどうしようと考えていました。

そのうち病院くらいしか外出しなくなりました。



病院ではいろんな診断をされました。

・起立性調節障害(大人で言う自律神経失調症)

・慢性疲労症候群

・うつ病と言われました。

そして、うつ病と言われた病院では目の前で『うつ病です』と言われ

ショックというよりは、これがうつ病なんだ、と思いました。

その病院では、抗うつ剤を出されて飲んでいましたが、

前よりも病状が悪化していき、お母さんが言うには『全然笑わなくなってたよ』

と言われて自分ではそんなつもりはなかったのでビックリしました。

でも、その病院ではカウンセリングを受けていて

カウンセラーさんとの相性が良かったため通っていました。

私は保育士になるという夢がありましたが、病気になって聴覚過敏で子供の声が苦手になり

諦めていたところだったので、カウンセラーという仕事にすごく興味が出て

今の夢はカウンセラーになって、私と同じような子供たちの悩みを聞いてあげれたらいいなと思っています。

その頃には、私も2年生になっていました。

学校には始業式の日など、最初は頑張っていったんですが、結局3日くらいしか行けなかったです。

同じ学校の制服を着てる子をみると、『なんであの子が学校に行けるのに、自分はいけないんだろう』とすごく思いました。

剣道も、その頃には全然できなくなっていて、

お母さんが『剣道部の子が活躍してるみたいだよ』なんて言ってくると、

すごくイライラして八つ当たりしていました。

自分の好きなものを、すべていきなり取り上げられた気分で悔しくて本当につらかったです。

周りの人は、私のことを『不登校のひきこもり』だと思っていたと思いますが、

私は学校に行きたくなかったんじゃなくて、行けなかったのに理解してもらえず、

会った人は『大丈夫だよ』と言ってくれましたが、目を見れば呆れているのがよく分かりました。

毎日症状に耐えているうちに、頭が痛いのも気持ちが悪いのも慣れと言ったら変だけど、

だんだん当たり前になってきたので病名が分かる前に辛かったのは症状ではなくて、

周りに理解してもらえない精神的な面でした。

読みづらくてすいません
長いので、講習会その3に行きたいと思います。