東日本大震災復興支援市民活動ネットワーク宮城(代表:阿部 寛行)

※H27年4月を持ちまして本活動は(社)Kotネットワーク本吉に引継ぎました。本ブログは4年間の活動の記録です。

【振り返り】3/27-30のボランティア体験

2015年03月31日 | ボランティア活動報告
ネットワーク事務局です

3/27-29にボランティアとして参加した八田さんより振り返りが届きましたのでご紹介いたします。

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参加したイベントのスケジュールについて
3/27 大洗高校マーチングバンド部復興支援コンサート
3/28 わかめボランティア
3/28 はまなす仮設住宅―阿部さんありがとう交流会
3/29 わかめボランティア~語り部ガイドの同行(写真撮影のため)
3/29 小泉地区仮設住宅―阿部さんありがとう交流会

○感想
1.減災学習を学ぶ
テレビ映像や伝聞ではなかなか思っても感じ入ることが少なく、行動に結びつかないことが多いですが、津波が変えていった地形や建物の実物を目の当たりにして実際に罹災または、その場に立ち会った語り部からの言葉が一番身に染み入ってきます。特に語り部ガイドを通じて強く感じました。
現状の「防災」は「災害を想定して『被害を防ぐため』建造物を作りマニュアルを作るもの」ということが良くも悪くも理解できました。被害を防ぐためだけのものでは「想定外」のことには対応できません。もちろん、より想定を厳密にして想定外を想定内にしていくということも重要ですが、どれだけ厳密にしても想定外は起きる可能性があります。「防災」の建造物やマニュアルに頼り切りになってしまうと想定外には悲惨な結果が待っています。
「防ぐ」から「減らす」へ意識を変え、モノ(マニュアル)だけではなく人の行動から変えていくことが必要で、モノを信じ切るのではなく、いかに被害を減らすかを第一に考え、行動を変えていくことが必要だと感じました。

2.地元との交流
開催したイベント等では記録係としての役目多かったため、多くの時間を割くことはできませんでしたが、行く先々で皆さんのほうから話しかけてくださることもあって、お話しすることができました。
単なる「志援」のボランティアだけではなく、体験として「いもまき」や「わかめボランティア」の作業の中で色々教えていただく中で会話ができたりとそういったきっかけが沢山仕掛けられているのが非常に良かった。
たとえば、わかめをめかぶも含めて全体を見ることができる上に漁師さんでしかなかなか味わえない(新鮮でないと食べられない)ところを教えてもらえたり、そこからきっかけにお互いの会話をできたりと、非常に交流しやすい雰囲気を感じました。
ネットワーク宮城の活動全体を通して、特にガイドコースについては今後のコースづくり次第では、ボランティアの域を超えて、旅行ツアーのようにグリーンツーリズムとして一つの地域の事業にできる可能性を大いに秘めていると思う。

3.感想
今まで仙台にいながら、なかなか被災地を実際訪れる機会もなく被災地の現状を考えられる機会もありませんでした。単に表面的に被災地をまわること、支援すること、助けることだけでは得られない被災地と絆を結べるきっかけがちゃんと用意周到に練りこまれた活動で、今回はとっても良い機会でした。
巷でどこもかしこも復興、復興とは言っていても「復興とはどうなることが復興なのか?」というのは、深く考えていくと実を言えば分っていなかったということに気付きました。
実際に地域に分け入ってみないと、目に見えて、人が亡くなり、建物が壊れる以上に災害で失われるもというのがわからない。そこから建物だけを直すことだけが復興なのか、遺族を励ますことだけが復興なのか。その中には経済的にも人間関係(縁や絆)など計り知れないものが沢山失われている、その一端を見ることができました。
そして失われたものを元に戻すのが復興ではないのだと感じました。失ったところから、何かしらを新しく「創る」ことをしていかないといけないのではと。亡くなった人は生き返らないし、思い入れのあるモノは、失って新しいモノに替わっても思い入れの部分は戻ってきません。
地域に分け入って新しい絆を繋いでいくこと、まずはそれが復興の第一歩と感じました。


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【振り返り】3/28-29 仮設住宅「ありがとう交流会」

2015年03月31日 | ボランティア活動報告
ネットワーク事務局です。

3/28,29の両日に行われた仮設住宅(小泉中学校・はまなす)での
ありがとう交流会の準備のため本吉に来られたボランティアの井谷さんより
2日間の感想が届きましたのでご紹介いたします。

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○2日間早朝にわかめそぎ体験させていただきました
早朝いい天気で、漁港の入江には穏やかな海が広がっていました。
その漁港は被災しました。復旧していない砂利の道路や柵のない水路が目立ちます。
このような環境の状態では、心の復旧もないのではないか…と思いました。

○ありがとう交流会
はまなす仮設住宅のみなさまと交流させていただきました。
一人ひとりの自己紹介とそれぞれの思いを話しました。
私には知らない事がたくさんあると思いました。心に刻みつけなければならないと思いました。
一緒にごはんをいただきました。煮物、ばっけのてんぷら、お赤飯…本当に美味しかったです。
ありがとうございました。

○その他
自分自身の準備不足。ボランティアとは一体なにか。反省点がたくさんある。
しかし、それでもあの場に関わる事ができてよかったと思う。
大切な人と共に時間を過ごせる事の幸せを感じるから。
想いをカタチにできるような人になりたい。

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(記事作成:八田)

【ご報告】3/29阿部さんありがとう交流会(小泉地区仮設住宅)

2015年03月30日 | ボランティア活動報告
ネットワーク事務局です。

3/29小泉地区仮設住宅にて開催いたしました交流会についてご報告です。

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前日のはまなす仮設住宅に続き、小泉地区仮設住宅にて「阿部さんありがとう交流会」を開催いたしました。
今回も、前準備はボランティア側として井谷さんが中心となって仮設住宅の町内会長さんや数々の活動にご協力いただいた皆様と一緒になって計画しました。
当初の予定ではお昼の食事も兼ねた会の予定でしたが、ボランティア側の都合により昼食を含めない午後からの開始となるも、準備期間の限られる中で町内会長様のお声掛けや開始前のご案内、仮設1軒1軒を早朝にわかめボランティアで頂いた、わかめ・めかぶを配りながらのお声掛けも行いましたが、何より阿部代表が小泉地区にたどり着いて以来深く関わってきた場所なだけに、仮設住宅の皆様だけで20名以上がお越しくださる大きな会となりました。

会の次第は以下の通り
1.自治会長ご挨拶
2.ボランティア自己紹介
3.ゲーム(野菜ビンゴ大会)
4.ネットワーク宮城活動の経緯
5.ネットワーク宮城代表挨拶
6.さいごに

前半は、野菜ビンゴ大会(景品はボランティアによる「肩もみ」)で会の雰囲気を盛り上げることで参加者のみなさんの緊張感などをほぐし、後半へとつなげました。

後半は、まず阿部代表がスキーの選手時代から大けがの体験からボランティアやNPOの活動を始めるに至った動機、そして震災後、仙台から小泉地区に至るまでの経緯、そしてネットワーク宮城の活動の開始に至る経緯をお話ししました。

このお話の中では、この4年間深く交流してきた仮設住宅の自治会の皆様も今まで聞いたことのなかった、今までの生い立ちとその中の経験から震災ボランティアを立ち上げることとなった動機、そして震災後、仙台から小泉地区に至るまでの道半ばで出会った目を覆うようなエピソードも語られ、阿部代表も仮設住宅の皆様も感極まる一幕もありました。また仮設住宅の皆様の中からも震災後の状況や最初に阿部代表が小泉地区に到着した時の思い出話などで語らいの場ができ、大いにもりあがりました。

そして、阿部代表から挨拶として、はまなす仮設住宅での交流会と同じく、小泉地区を離れ、南三陸のホテル観洋内に拠点を構え本吉も含めた語り部ツアーやグリーンツーリズムの活動に広げていくということを仮設住宅町内会の皆様にご報告し、「「お別れ」ではなく「新たな関係のスタート」として「ありがとう交流会」を区切りにしたい」「自然学校やネットワークの阿部ではなく一個人の阿部としてこれからも皆様と関わっていきたい」というメッセージをお伝えしました。

最後に、今まで参加した運営ボランティアを代表して井谷より花環を、自治会を代表して自治会長様より花束が阿部代表に送られ、参加された住民の皆様一人一人と握手とお互いの感謝の言葉を交わしあい、交流会は盛会のうちに幕を閉じました。

全体を通して、阿部代表と仮設住宅の皆様で交わされた会話すべてに、単に支援する側、される側の単純な関係ではなく、関わるボランティアを含めて一つ一つ絆を結んでいった重みを感じました。その絆の中からそれぞれの復興、その先のグリーンツーリズムや語り部ツアーのように新しく地域を創成していく活動が積み重なった実りのあった4年間であったのだと言葉の端々から伝わってきました。

阿部代表が小泉を去るという寂しさなども感じる一幕もありましたが「外から来た人間だけれども、よそ者ではなく小泉の人間と言ってくださいますか」との代表の言葉に仮設住宅の皆さんが盛大な拍手で応えたのを見るに、これは終わりではなく、新たな関係、それもより良い今後へのスタートを切ったのだと確信できる会となりました。

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(記事作成:八田)

【ご報告】3/28阿部さんありがとう交流会(はまなす仮設住宅)

2015年03月30日 | ボランティア活動報告
ネットワーク事務局です。

3/28はまなす仮設住宅にて開催した交流会につきましてご報告致します。

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3月で小泉自然学校校長及びネットワーク宮城代表を退かれる阿部代表への感謝を込め、ボランティアと仮設住宅の皆様で今までを振り返りつつ阿部代表やここまでの活動でご協力いただいた皆様への感謝しあい、次へとつなぐ交流会を開催しました。

前準備では、今までの阿部代表が中心になって計画したイベントとは異なり、ボランティア側として井谷さんが中心となって仮設住宅の町内会長さんや数々の活動にご協力いただいた皆様と一緒になって計画しました。
当日はボランティア・阿部代表も含め20名が集まり、仮設住宅町内会の皆様からは地域の食材をふんだんに使った煮物などを持ち寄り、以前に活動の中でご協力いただいたグループも駆けつけ、マジックショーとシャンソンミニライブもあり、お食事あり、ショーあり、歌あり、そして語り合う交流会となりました。

町内会の皆様との語り合いの中では、震災直後の状況から、阿部代表が小泉地区で活動を始め拠点を構えていった経緯、仮設住宅が設置される経緯やネットワークの活動での対立から打ち解けていった過程、そして様々な支援をいただいた全国の団体や人の思い出で話は盛り上がりました。

そして阿部代表から挨拶として、今回、小泉地区を離れることにはなるものの南三陸のホテル観洋内に拠点を構え本吉も含めた語り部ツアーやグリーンツーリズムの活動に広げていくということを仮設住宅町内会の皆様にご報告し、「「お別れ」ではなく「新たな関係のスタート」として「ありがとう交流会」を区切りにしたい」「自然学校やネットワークの阿部ではなく一個人の阿部としてこれからも皆様と関わっていきたい」というメッセージをお伝えしました。

最後に阿部代表と仮設住宅の皆様が握手と感謝の言葉をお互いに交しあいながら盛会のうちに終了となりました。

会の中で、阿部代表の「復興支援でボランティアさんが来て色々な交流が生まれても去ってしまった時の悲しさ、心に空白ができるような瞬間が生まれてしまう。それを埋めるために、ボランティアが終わった後の交流や、短い期間で新たなボランティアとの交流ができるように絶え間なく活動をし、ボランティアを集めてきた」はとても印象的で、もちろんボランティアにかかわる人にもそれぞれの人生があって一時でしか関われないことも多いけれども、ボランティアではなくても顔をあわせるだけ、顔を合わせられなくても手紙や、遠くからできるちょっとしたことでも繋がること、そういった小さなものでも絆を結ぶことが罹災した人を支えることになるのだと言葉から感じられました。実際にボランティアを終えてからも支援のために食材の支援やメッセージなども多く集会所の中にはあります。

「ありがとう交流会」は阿部代表と、はまなす仮設住宅の皆様との新たな関係のスタートを切ることができる会となり、また参加したボランティアにとっては、罹災した地域の住民の中に入って、どう復興するか、さらにはどう新たな生活や地域を創成してゆくかをこれまでの振り返りの中から学んでゆける機会となりました。

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(記事作成:八田)

【ご報告】大洗高校マーテチングバンドコンサート会場ボランティア

2015年03月27日 | ボランティア活動報告
ネットワーク事務局です。

3月27日、本吉総合体育館にて開催された
「大洗高等学校マーテチングバンドコンサート」(大洗高等学校主催)
の会場設営、運営等に2名がボランティアとして参加いたしました。

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震災後から3回目となる茨城県立大洗高等学校マーチングバンドの復興支援コンサートが開催され、阿部代表と共に会場の運営手伝いのためボランティア2名参加しました。
・入場・退場の補助
・入場者数のカウント
・コンサートの記録用の写真撮影
・会場撤収の補助
高校の主催ということで、会場の準備から高校生や先生が入り準備がすすめられたが、本吉総合体育館側の関係者として上記の会場の諸作業をお手伝いしながら、コンサートを視聴しました。

茨城県立大洗高等学校はマーチングバンドが盛んで全国大会で中編成の部にて全国2位に選ばれるほどの実力校です。大洗高等学校も茨城県の被災地にありながらも南三陸から本吉にかけて3か所横断で復興支援コンサートを開催し、震災後からこれまで3年続けて開催してきました。今年はマーチングバンド部員とコンサートの会場運営として生徒、先生あわせて73人の大人数での移動でした。
司会者が「1年生2年生主体でまだ実力不足ですが」と謙遜するも、実力もあって、さらに今回参加したいという希望の部員全員を連れてこられなかったというくらい演奏を届ける意志を持って遠方よりいらっしゃっただけあり会場は大盛況のコンサートとなりました。

コンサート終盤に「回を重ねるにつれて、毎年見に来てくださる地域のみなさんからお声掛けをいただける喜びが広がっているのを感じていてまた行きたいと皆思っている。また次に、これからも生徒がどんどん変わっていっても、ぜひコンサートで地域のみなさんにお会いしていきたい。」と司会者からの感想があったのは印象的でした。

もちろん被災地へ、よい音楽を届ける、愉しみを届ける、ということも一つの支援たけれども、頻繁とはいわず年に一回でも音楽ではなくても地域の人と交わる、交流する、顔を合わせる声を掛け合う、ということも支援のカタチとして外せないことなんだ、とその言葉に感じました。
ボランティアとして参加させていただいた私たちにとっては、コンサートをお手伝いできた事もさることながら、こういった「復興支援」とは何かをコンサートの中から見出す場面に出会えた有意義な機会でした。

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(記事作成:八田)