きんいろなみだ

大森静佳

春秋座舞台での能「道成寺」

2016年02月09日 | 能・能面
1月30日(土)京都造形芸術大学内の「京都芸術劇場春秋座」で、能の大曲「道成寺」を観てきました。

【道成寺 赤頭】
シテ    観世銕之丞
ワキ    宝生欣哉
ワキツレ  大日方寛
      御厨誠吾
アイ    野村萬斎
      高野和憲
大鼓    亀井広忠
小鼓    大倉源次郎
笛     藤田六郎兵衛
大鼓    前川光範
地頭   片山九郎右衛門
企画・監修  渡邊守章

こうして振り返ると、ひとつの奇跡のような錚々たる顔ぶれです。
「道成寺」をライブで観たのは今回が初めて。
数年前に手に入れたDVD「道成寺」(紀伊国屋書店)を軽く復習してから行く。
このDVD、観世流・観世清和、梅若流・梅若六郎、喜多流・塩津哲生の三氏による三者三様の「道成寺」(いずれも平成12年収録)が収められた豪華版で、それぞれの流派によって衣装や「鐘入り」のやり方がまったく違うのが面白くて、つい何度も観てしまう。

さてこの日の「道成寺」は、通常の能舞台ではなく春秋座の歌舞伎用の舞台で演じられました。四本の柱を立てて能舞台風にしつらえ、背景にはスクリーン数枚。歌舞伎の花道もそのまま残してシテの入退場で使用する、という実験的な試みです。
能舞台より天井が高いので、あの巨大な鐘を吊るし、下げ、降ろすという一連の作業(すべて観客の前で行われる)がかなり大変そうに見えました。

何といっても一番衝撃を受けたのは、前シテ・白拍子による「乱拍子」。
映像で観たときは、ここは場面が長いし動きがほとんどないのでちょっと退屈で、鐘入り以降のアクロバティックな後半のほうが面白かったのですが。やっぱり生で観ると違います。
白拍子の胸元には、はやくも蛇体の兆しのような、鱗模様の衣装がきらきらしています。
烏帽子の鋭い影が、壁に大きく映って揺れるのも新鮮でした。

「乱拍子」というのは、小鼓に合わせて舞われる、特別な足遣いの舞です。舞とは言っても、ほとんど静止していて、ときどき小鼓の音に合わせて、シテの片足だけがパタッと動くだけ。息遣いと舞台の気配だけで、どうして小鼓とシテの息が合うのか。本当に不思議。

この日の乱拍子、白い足袋が生き物のようでした。
まったく別の能「隅田川」のシテについてですが、芥川龍之介がこんなことを言っていたのを思い出す。

殊に白足袋を穿いた足は如何にも微妙に動いてゐた。あの足だけは今思ひ出しても、確かに気味の悪い代物である。僕は実際あの足へさはつてみたい欲望を感じた。(中略)どうもあの足は平凡なる肉体の一部と云ふ気はしない。必ず足の裏の皺の間に細い眼か何かついてゐさうである。―随筆「金春会の隅田川」

まさに!!その通りでした。

乱拍子の後は、いよいよクライマックス。観世流のあまり派手ではない鐘入りから、やがて鐘が上がってその中から後シテの蛇体が登場。その間、花道で繰り広げられたアイの能力たちによる押し問答、コミカルで観客も大爆笑でした。シテの装束替えのための時間を稼いでいたのか、たっぷりとアドリブに近いようなやり取りがあって、野村萬斎さんの声と存在感が生きていました。

後シテの蛇は、燃えるような赤頭をふり乱し、衣装は上が銀の鱗箔、下が緋色の長袴。嫉妬と執心の権化です。
鐘入り以降はどちらかと言うとあっさりめの演出。ただ、「鱗落とし」と「柱巻き」の場面での、柱の使い方が通常の能舞台とは違う。歌舞伎舞台に柱のオブジェを立てただけという舞台で、目付柱の周りが360度使えることを生かしていて面白かったです。
つまり、ぐるぐるっと身体をこすりつけながら、柱の周りを何周もまわる。のたうつ。通常の能舞台では半周しかできないので、あとは柱の影から身を乗り出すようにして恨めしさを表現するのですが、今回は柱に巻き付き放題。とぐろを巻く、本物の蛇のようでした。

照明も、ひかえめでありながら絶妙な効果。ラストはうっすらと青みがかって、蛇体の蒼ざめた心を表していたようにも思います。
それと、シテの入退場に花道が使われたこと。これがとてもよかったです。近いので迫力があるのはもちろんですが、観客席の奥から出てきて、また観客席の後ろへ消えてゆく。そうなると、不思議なことに自分の心のなかから出てきて、また心に戻ってゆく蛇のように思えて、悲しい親しみが湧きました。

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