5/8に投稿しました「堆積岩の崖」、
この崖上にあったのが広戸城(現在は私有地、畑)です。
湯川によって浸食された
比高70mの断崖が取り巻く、
台地の先端部に構えられた崖淵城でしたが、
戦国期1555年、年末の餅つきの最中に、武田方の不意打ちにより落城。
時の城主であった武舎加賀守は討死し、
奥方はこの崖から陣傘を広げ飛び降り、
湯川に沈んだと云う、悲しい伝説があります。
近年まで、この地・広戸では「暮れに餅をつくと餅 が血の色で赤くなり、
暮れには餅つきをしなかった」という風習が、
近代まで残っていたそうです
この崖上にあったのが広戸城(現在は私有地、畑)です。
湯川によって浸食された
比高70mの断崖が取り巻く、
台地の先端部に構えられた崖淵城でしたが、
戦国期1555年、年末の餅つきの最中に、武田方の不意打ちにより落城。
時の城主であった武舎加賀守は討死し、
奥方はこの崖から陣傘を広げ飛び降り、
湯川に沈んだと云う、悲しい伝説があります。
近年まで、この地・広戸では「暮れに餅をつくと餅 が血の色で赤くなり、
暮れには餅つきをしなかった」という風習が、
近代まで残っていたそうです