今日は1ヵ月ぶりの哲子先生のお稽古の日。
夏休みの間、練習が途切れることのないよう頑張ってきたのですが…
んんん~てんでダメ足元にも及ばず…
譜の通りに手を動かすことはできるのです。一生懸命に。
書道で例えるならば「楷書」。きっちりはねて、きっちりとめて。
ツボを外さないよう、ハジキもちゃんと音がでるよう頑張って。
でもそれでは、四角四面で味わいのない演奏になるのですね。
三絃ならではの魅力は、「行書」或いは「草書」のようなものではないでしょうか。
ふっと軽やかに流れるような音色でありつつも、きかせどころの音は存在感があり、
余韻の美しさに思わず引き込まれるような。
「頑張って弾く」のとは真逆なんですよね。
ガチガチに譜を追うのが精一杯の私には、ほど遠い…
もうこれはひたすらに先生の音色を目指して弾いて弾いて、無意識に手が動くようになるまで積み重ねていくしかないんでしょう。
初段と二段と練習していきましたが、結局初段でできていないことは二段でもダメ、ということもわかりました。
「初段で半年」は、決して大袈裟な言い方ではなくて、それだけの積み重ねがないと先へ進んでも意味がないということですね。
道のりは遠い…でも、『八段』は大好きです。
夏休みの間、練習が途切れることのないよう頑張ってきたのですが…
んんん~てんでダメ足元にも及ばず…
譜の通りに手を動かすことはできるのです。一生懸命に。
書道で例えるならば「楷書」。きっちりはねて、きっちりとめて。
ツボを外さないよう、ハジキもちゃんと音がでるよう頑張って。
でもそれでは、四角四面で味わいのない演奏になるのですね。
三絃ならではの魅力は、「行書」或いは「草書」のようなものではないでしょうか。
ふっと軽やかに流れるような音色でありつつも、きかせどころの音は存在感があり、
余韻の美しさに思わず引き込まれるような。
「頑張って弾く」のとは真逆なんですよね。
ガチガチに譜を追うのが精一杯の私には、ほど遠い…
もうこれはひたすらに先生の音色を目指して弾いて弾いて、無意識に手が動くようになるまで積み重ねていくしかないんでしょう。
初段と二段と練習していきましたが、結局初段でできていないことは二段でもダメ、ということもわかりました。
「初段で半年」は、決して大袈裟な言い方ではなくて、それだけの積み重ねがないと先へ進んでも意味がないということですね。
道のりは遠い…でも、『八段』は大好きです。
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