沖縄戦教科書検定の撤回を求める練馬の会

市民の声を文部科学省へ 練馬区議会から、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決」検定撤回を求める意見書の提出を!

文部科学省への要請行動

2009年05月18日 | 集会・イベント報告
4月16日(木)遠方からの参加者も含めて、全日建、全国一般全国協議会、全港湾の多数の組合員の人たちが文部科学省前に集まった。そのうち20人の要請団が文部科学省への要請交渉に入り、他の参加者は文部科学省前で、アピールとチラシ配布を行った。
要請交渉の参加者は、文部科学省教科書科教科書検定専門官(課長補佐)金沢氏ほか1人、要請団側は3単産14人、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック1人、「市民の会」5人の計20人だった。
要請交渉は午前9時40分に始まった。まず実行委員会連名の要請書を「市民の会」柏木さんが代表して提出したあと、全日建の小谷野書記長の司会で始まった。

参加各団体から要請文の補足ということで、「関東ブロック」吉田さん、「市民の会」柏木さん、全日建・長谷川委員長、全国一般全国協議会・遠藤書記長、全港湾・松本書記長の順で、それぞれが取り組んできたこと、「大江・岩波裁判」における司法の判断等に言及し、「検定意見」の白紙撤回を強く求めた。
これに対して、文部科学省側は概略次のように答えた。
・大江・岩波裁判は、「検定意見」のよりどころではない。一つのきっかけにはなったかもしれないが、それがすべてではない。
・軍がすべてを命令してやったということではないということから、断定的な記述は避けるべきではないかということで「意見」をつけた。
・「大江・岩波裁判」の結果に対してどうこういう立場にない。裁判自体は別の問題であり、検定はその結果とは直接に関係ない。
・軍の関与を否定するものではないことは現在も当時と変わらない。研究結果にもとづいて検定し、その時点、その時点で適切に判断している。今後についても、その時点での適切な判断をしていきたい。
・個人としての考えだが、自分も戦争をするような社会はなってほしくない、あってはならないと考えている。平和な世界にしたい。

そのあと、要請団側から主に次のような観点から質問・追及を行い、やりとりした。要請団:「岩波・大江裁判」上告が棄却されたら、その結果に対してどうするのか
文科省仮定の質問に対してどうこういえるものではない。(検定)審議会にかける必要があればその時点で判断することになる。
要請団:「誤解を与える」という見解はどうして出てきたのか。それまでの「検定意見」判断をくつがえすような新しい学説、重要な史実がでてきたのか
文科省:いろいろな研究者の著書があり(「軍命による集団自決」であったのかどうか)必ずしも明瞭ではなかった。(そのため)断定的な記述は避けようという議論が(「検定」)審議会でされた。
要請団:「検定意見」の根拠となったとされた、林博史さんも宮城さんもそのような使われ方をしたことに対して否定したうえで、抗議もされている。「大江・岩波裁判」では、一審・二審とも原告側主張は完全に棄却されている。であるならば、「検定意見」の根拠は何もないではないか。何を根拠に今日に至るも「検定意見」をそのままにしているのか。

その他、要請団から出た意見の概略を紹介する。
・文科省は2007年当時、安倍内閣の「美しい国」路線の先取りをしたに違いないとわれわれは考えている。
新たな証言がたくさん出てきている。文部科学省は一度でもそのような証言を聞いたことがあるのか。(事務方も審議会委員も)直接、証言を聞きに(沖縄に)行くべきだ。
・とくに「大江・岩波裁判」の上告が棄却されたら、文科省は対応を考えるべきだ。
今から検討の準備を進めることを強く求める。
・実質的に何も論議がされていなかったというように検定審議会のあり方にも問題はあるが、そのベースを作るのは事務局であり、文部科学省のあなたたちは事務方なのだから、あなたたちの仕事のやり方が問われている。新しい証言もたくさん出ていることも積極的に踏まえて、歴史事実をもう一度謙虚に見直すべきである。審議会の責任にしてはいけない。
文科省:ご意見として承る。

約50分の要請交渉を終了した要請団は、文部科学省前で待っていた仲間と合流した。参加各団体の代表者から要請交渉の内容の報告が行われ、最後に文部科学省に対して「検定意見」の白紙撤回を求めるシュプレヒコールをぶつけて、要請行動を終了した。

            のんべえH

参議院議員会館で開催した院内集会

2009年05月18日 | 集会・イベント報告
4月16日(木)文部科学省要請に引き続き、12時20分から参議院議員会館第2会議室において検定意見の撤回を求める院内集会を開催した。会場は、遠方からの参加者も含めて約120人が集まり、熱気にあふれていた。
集会に先立ち11時45分から12時20分まで、DVD「沖縄戦は消せない」を上映した。このDVDは、今回の行動の実行委員会の主体である全日建、全国一般全国協議会、全港湾の3労組が、この問題を広く知ってもらおうということで、独自に製作したものである。
12時20分に集会を開始した。

(1)開会あいさつ 
     沖縄戦教科書検定意見の撤回を求める市民の会・東京 柏木美恵子
さん
市民の会は、この検定意見の撤回を求める決議を東京のそれぞれの地域の議会からあげていこうということで、各区議会・市議会に陳情や請願を行った市民の集まりである。しかし、訂正申請によって一定程度記述が回復されたこともあって、運動も停滞してしまっており、どうしたらよいものか悩んでいた。
そんなときに、このDVDを送ってもらい、文部科学省要請や院内集会の計画があることを知り、現場労働の組合の方たちが、このようなDVDを制作してこの問題に取り組んでいることにとても感動し、ぜひ一緒に取り組みたいと思って実行委員会に加わった。
もともと、なぜこのように歴史の事実が捻じ曲げられなければいけないのかという素朴な疑問からスタートし、自分たちの子どもや孫に事実を伝えたいという思いから運動を進めてきた。
昨日の新宿駅前でのチラシ配りでは、「頑張ってください」と声をかけてくれる人や、カンパまでくださる人がいたりしてとても力づけられた。
今回の取り組みをひとつの機会とし、新たな運動を再スタートしたいと思う。

(2)国会議員のあいさつ
●辻元清美
さん 
国会の中と外とが手をつないで取り組む必要がある。議員のあいだでもこのDVDの上映をぜひ取り組んでいきたい。

●糸数慶子さん 
この問題は与党も野党もなく取り組みたいと思っているが、なかなか困難なこともある。そんななかで、このようにサポートしてくれる人たちがいることに、とても感謝する。
あわせて、摩文仁の丘に名前が刻まれていない犠牲者のこと、朝鮮人などアジアの女性たちのこともぜひ忘れないでほしい。自分が国会に送られている意味は、沖縄戦で亡くなられた方たちの命に代わってということだと受け止めている。

●川田龍平さん 
高校時代に習った「朝日訴訟」が、自分が薬害エイズ問題で実名を公表し訴訟をしたきっかけである。そしてそのこととあわせて、初めて沖縄に行ったとき資料館で見た「集団自決」の写真がやはり、この薬害エイズの問題を伝えていくことを決意したきっかけでもある。
本当の事実を継承していくためには、教育の場というのはやはりとても重要だと思う。次の世代に歴史の真実を伝えていかなければいけない。

●山内徳信さん 
本日の外交防衛委員会のことで大変怒っている。28億ドルもの血税を使って米軍を移転してやらなければならないとはどういうことだ。
文部科学省や政府に対しては、修正能力を持ってほしい、間違いを直す能力を持ってほしい、と言っている。

(3)謝花直美さん(沖縄タイムス記者)
渡嘉敷島の北村トミさんから聞いた証言に衝撃を受けた。自分の娘を手りゅう弾による「自決」で失い、自分は生き残ったことについて、亡くなった娘の命を伝えるために生きている、とのことだった。
それでも、まだ検定意見は変わっていない、文部科学省の調査官に一人でもいいから体験者に会って証言を聞いてもらえば違うはずである。
 この問題は、とにかく「忘れないこと」、そして「ずっと続けること」が必要だと思う。

(4)岡本厚さん(岩波書店編集局部長)
検定意見の大きな理由になった大江・岩波裁判は、現在、原告側が上告中。2月に最高裁に送付され、第一小法廷の係属となった。最高裁の結論がいつどのような形で出るかはまだわからない。
この裁判は「名誉棄損」裁判というが、靖国応援団やつくる会などが原告を説得して、原告の名誉ではなく、日本軍の名誉を守りたいということから起こされた裁判である。
大江さんや岩波書店が訴えられているが、実際には、歴史修正主義者と沖縄の体験者・証言者との闘いであったわけで、勝訴できたのは沖縄の人たちの新たな証言が次々と出てくれたことにある。まさに、沖縄の人たちの怒りが、この裁判を勝たせてくれたものだと受けとめている。

・その他、一坪反戦の吉田さん、今年の平和行進に参加する組合員から発言があった。
(5)閉会あいさつ   全港湾 松本書記長
労働組合が、自分たちの目の前の労働条件などの問題だけに入り込み、国民に見えにくい存在になっていたのではないかということから、このような問題にも取り組むことにした。ぜひ、全国で、家庭の中でも、このDVDの上映運動を広げてほしい。
    (午後2時終了)

         のんべえH

新宿駅西口で沖縄戦ビラ撒き行動

2009年04月19日 | 集会・イベント報告
4月15日(水)夜6時半から7時45分まで、新宿駅西口小田急前で、沖縄戦教科書検定の白紙撤回を求めるチラシを撒いた。 2007年3月、軍の命令・強制による沖縄戦「集団自決」の事実が文科省の検定により教科書から消し去られたことが判明した。沖縄の11万人県民集会をはじめ全国から抗議の声が上がり、12月に教科書会社からの訂正申請という形で記述の一部が改善をみた。そして検定修正の理由の1つは「大江岩波裁判」だったが、2008年3月に大阪地裁で元軍人の訴えが棄却された。10月の大阪高裁控訴審でも再び棄却されたが、文科省はもとの検定を撤回しようとはしない

この日のビラは「教科書検定の白紙撤回」を文科省に求めることと、翌16日の参議院院内集会を告知することが目的だった。
全日本港湾労働組合、全日本建設運輸連帯労働組合、全国一般労働組合全国協議会の三労組に市民15人が加わり、総勢30人ほどが歩道のあちこちに立ちビラを撒いた。車道にはピンクの横断幕を張った労組の街宣車が繰り出し、歩道には3人がかりでないと持てない「沖縄戦『集団自決を強いたのは誰か!?」の黄色の大横断幕を掲げた。
この日の昼はポカポカ陽気、夕方になるとさわやかな風がそよぎ新宿西口の雑踏も、春祭りの夜のにぎわいのように感じられた。セカセカ急ぎ足の人は意外に少なく、声かけはしやすい。水曜なのに気分は金曜夕方のようだ。しかしビラの受取は極端に悪い。ビラを受け取るような場所ではないという心のバリアが歩行者にあるかのようだ。携帯電話中の人や友人と話しながら歩いている人は、周囲への意識が飛んでいるので当然受け取らない。また若い人はまず受け取らない。しかし中高年の女性が受け取ってくれないのは想定外だった。その代わり、ジャンパーやTシャツの定年後の高齢男性の受取りが比較的よかった。なかには裏表とも立ち止まってじっくりながめた後「入らない」と返してくれた方がいた。でも激励の声をかけてもらったり、カンパまでしてくれた方もいたようだ。

ていねいに読まれた理由のひとつは、ピンクの桜の花と珊瑚礁の座間味の海の写真が入った、一見観光用のような親しみやすいデザインのチラシだったからだ。撒いた枚数は2時間足らずで1000枚弱になった。
                 多面体

11.12大阪高裁判決報告会

2008年12月10日 | 集会・イベント報告
11月12日(水)夜、「大江・岩波沖縄戦裁判」大阪高裁判決報告会が文京区民センターで開催された(主催:大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会(大阪)、沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会(沖縄) 参加100人)。この高裁判決は、出版差し止めや謝罪広告掲載、慰謝料支払い請求を棄却するだけでなく、表現の自由、民主主義社会の存続の基盤、言論の過程の保障にまで言及するものだった。3月の一審判決に続く完全勝訴である。しかし文科省は確定判決ではないことを理由に、いまだに検定意見を撤回していない。一刻も早い最高裁での判決確定が望まれる。この闘いは続いている。

●弁護団からの報告  近藤卓史弁護士
高裁の口頭弁論は2回だけだったが、その間の進行協議などを通して、小田耕治裁判長は細かいことに気づく非常にていねいな裁判官であることがわかった。フタを開けると判決文は全文289pに及び、目配りの利いたしっかりした判決だった。
一審以降、原告、梅澤・赤松側が提出した新証拠に対する裁判所の評価を、判決要旨の「証拠上の判断」を利用し次のような説明があった。
二審で「本部壕の外で、梅澤隊長が自決してはならないと話すのを聞いた」という宮平秀幸新証言(出廷はしていない)について、1992年にビデオドキュメントで語ったのと内容が異なることなどから「明らかに虚言であると断じざるを得ず」と判決にある。普通「信用できない」と書くところだがそれをはるかに越える表現である。
また一審の最後のほうで出た「援護法適用のために,赤松大尉に依頼して自決命令を出したことにしてもらい,サインなどを得て命令書(?)を摸造した」という照屋昇雄証言について、赤松大尉の生前の手記などと細かく照合し「話の内容は全く信用できず」と評価している。
座間味の助役の弟・宮村幸延が1988年に作成した「集団自決命令は隊長でなく助役が出した」という梅澤隊長あて親書は、宮村自身が「私しが書いた文面でわありません」との証言を残しいていることなどから「評価できない」。「梅澤はこの親書の作成経緯を意識的に隠しているものと考えざるをえない」とした。
これらのことから集団自決については「軍官民共生共死の一体化」の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定でき」ない。しかし「直接的な隊長命令の有無」を断定することはできない。ただ命令が「なかった」と断定しているわけでもない。
沖縄戦大江岩波裁判は、発刊後に新しい資料の出現により真実性等が揺らいだ場合の名誉毀損訴訟である。この判決では、まず真実性の揺らぎはあっても真実でないことが明白とまではいえないこと、そして原告が「別の目的もあった」ことを認めていたため「重大な不利益を受け続けているとは認められない」とした。
出版と名誉毀損の関係の前提となる法律的判断として、新しい資料の出現が直ちにそれだけで違法になるわけではないとしている。「そうでないと結局は言論を委縮させることにつながるおそれがある」からである。さらに「表現の自由、とりわけ公共的事項に関する表現の自由の持つ憲法上の価値の重要性等に鑑み」「事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ(略)そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる」としている。そして「梅澤及び赤松大尉は日本国憲法下における公務員に相当する地位」にあったのでなおさらそのような過程を保障する「必要性が高い」としている。
このように表現の自由、民主主義社会の存続の基盤、言論の過程の保障にまで言及する格調の高い判決であることに注目すべきである。

引き続き、被告・岩波書店の岡本厚さん(訴訟担当)が「判決は、宮平証言を虚言と断じ『これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない』とした。藤岡意見書は妄想に近いものだ。小林よりのり、藤岡信勝、曽野綾子らの歴史観を問うべきである」と語った。

●判決を読んで 中村政則さん(一橋大学名誉教授)
証言重視の判決だった。判決文で座間味、渡嘉敷の集団自決への32軍の関与を示唆している。イギリスのビルマ戦線のオーラルヒストリーにも、大本営の命令で「1発は敵に、1発は自決用」と同じことが出てくる。この問題は、今後沖縄だけでなくアジアの中という視点に広げて研究したほうがよい。
オーラルヒストリーでは、人によっていうことが違うのが普通だ。そこで村全体のなかでその発言はどの位置にあるかコンステレーション(constellation=星座)のなかに位置づけることが重要になる。比較するためには最低3例必要だ。それを宮平証言1つで裁判をひっくり返せると思ったのは愚かである。オーラルヒストリーの方法を使うなら、「もっと勉強して出直してこい」といいたい
歴史学では、A説とB説の両説があるときそれをアウフヘーベンしてC説が生まれる、その後20-30年の間に新証拠などが発見されD説になるというのが普通だ。そして少し違うa説、b説、c説が数多く乱立するのは戦国時代で学問の低迷期を意味する。高裁判決の「新しい資料が発見されたから書籍出版が違法になるとういうことなら言論を委縮されることになる」という部分は学問の自由に関係することで、重要な指摘である。
なお原告は最高裁への上告理由を「名誉毀損の判断がこれまでの最高裁判決と異なる」としている。これに対し理論武装すべきである。

●大阪から 平井美津子さん(大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会)
2005年10月、修学旅行の引率で沖縄にいき、元ひめゆり学徒隊の宮城喜久子さんから「ただガマや平和の礎(いしじ)をみるだけでは沖縄をわかったことにはならない」といわれた。そこで06年4月の修学旅行に向けて準備や学習を始めた。
3月の地裁判決に続き、10月の高裁判決でも旗出しをした。3月は春休みの間なのでまだ年休を取りやすかった。しかし10月はちょうど京都への遠足当日に当たったので校長に「一生に一度の大切なこと」といって午後半休を取らせてもらった。同僚も気持ちよく送り出してくれ、クラスの生徒も「いい子にしている」「ガンバってきてな!」と手を振ってくれた。また卒業生から「先生おめでとう。やっとここまで時代が動いた。教科書に真実が書かれる日がまたきた」という手紙が届いた。

●今後の取り組みについて  石山久男さん(沖縄戦首都圏の会・呼びかけ人) 
文科省は「確定判決ではないから」と言ってまだ教科書の記述を変えない。彼らは地裁判決が出る前に検定意見を出したにもかかわらずそう言う。そこで最高裁へ「直ちに上告人らの請求を棄却し、第二審判決を維持されるよう」求める要請書を提出する。地裁・高裁に提出した2万筆を上回る多数の署名をお願いしたい。要請書の「直ちに棄却」という文言はこうした意味を込めている。
また検定意見はまだ厳然として存在している。教科書の書き換えという点では、彼らは成功している。この高裁判決を踏まえ、文科省への検定意見撤回要請行動を起こす。
また教科書会社が再訂正申請を提出しない。自由な言論を守ろうとする姿勢が見られない。再訂正申請を出せば文科省は受け付けないとは言えないだろう。
そして、わたしたちの学習を進め、より多くの人にこの問題を知らせることも続けたい。

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「大江・岩波沖縄戦裁判」大阪高裁報告

2008年12月08日 | Weblog
 10月31日、「大江・岩波沖縄戦裁判」の大阪高裁判決がありました。
 この訴訟は、沖縄戦当時、慶良間列島座間味島の戦隊長だった元陸軍少佐と、同渡嘉敷島の戦隊長の弟が、米軍の上陸に際して起きた住民の「集団自決」(強制集団死)について自分(と自分の兄)は「命令」していないのに「命令」したと書かれ、名誉を毀損されたと起こしたもので、今年3月の大阪地裁で原告側敗訴の控訴審です。
 地裁判決当日にも大阪に行きましたが傍聴券の抽選ははずれ。今回も300名ほどの傍聴希望者が並び、予想どおりはずれでした。
 地裁判決を覆すようなものが原告側から何も出ないどころか、「新証言」として提出された「村長から口止めされた」という宮平氏の証言は、「被告」側の弁護士から、その時村長はすでに亡くなっていたと論破されています。一審判決が高裁でひっくり返されるはずはないとは思っていましたが、裁判長の口から判決が言い渡されるまでは、やはり一抹の不安もありました。
 午後2時の開廷。
 練馬で結果を待つ仲間に送るべく携帯電話をカメラモードにモタモタと設定していると、平井さんが「控訴棄却!」の紙を持って飛び出ていらっしゃいました。

「やったー!」 当然の結果とは言えやっぱりうれしい。琉球新報の知り合いの記者の方に、「良かったですね!」と話しかけると、「うれしいです。ありがとうございました。」と言われました。地域で取り組んだ小さな集会や昨年12月の文科省要請&文科省前宣伝行動など彼がいつも取材に来てくれたことが思い出されて、思わず涙ぐんでしまいました。
 その後18時から報告集会があり、判決要旨が出されました。
【判断の大要】には「座間味島及び渡嘉敷島の集団自決については、『軍官民共生共死の一体化』の大方針の下で日本軍がこれに深く関わっていることは否定できず、これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る。」とし、地裁判決同様、「控訴人梅澤及び赤松大尉自身が直接住民に対してこれを命令したという事実(最も狭い意味での直接的な隊長命令-控訴人らのいう『無慈悲隊長直接命令説』)に限れば、その有無を本件証拠上断定することはでき」ないとしながらも、<太平洋戦争及び沖縄ノートが出版のころは>「梅澤命令説及び赤松命令説は学会の通説ともいえる状況にあった。」「『沖縄ノート』の記述が意見ないし公正なる論評の域を逸脱したとは認められない。」とありました。
 また【証拠上の判断】においては、梅澤が本部壕で自決してはならないと厳命し、村長が忠魂碑前で住民に解散を命じたのを聞いたとする宮平新証言について「明らかに虚言であると断じざるを得ず、これを無批判に採用し評価する意見書、報道、雑誌論考等関連証拠も含めて到底採用できない」としました。この中にある意見書とは藤岡信勝が裁判所に対して出した実にいいかげんでひどい文章で、高裁のこの判断を読んだ時は本当に胸のすく思いでした。
 さらに「被告」側弁護人が最終準備書面で展開した、公表されている書籍の出版等差止めに関する基準について判決は厳しい要件を示しました。そして表現の自由に対して「公共の利害に深く関わる事柄については、本来、事実についてその時点の資料に基づくある主張がなされ、それに対して別の資料や論拠に基づき批判がなされ、更にそこで深められた論点について新たな資料が探索されて再批判が繰り返されるなどして、その時代の大方の意見が形成され、さらにその大方の意見自体が時代を超えて再批判されてゆくというような過程をたどるものであり、そのような過程を保障することこそが民主主義社会の存続の基盤をなすものといえる。(中略) 仮に後の資料からみて誤りとみなされる主張も、言論の場において無価値なものであるとはいえず、これに対する寛容さこそが、自由な言論の発展を保障するものといえる。」という判断は、素人の私にも感動的なものでした。
 
 今回の裁判は原告の自らの名誉が毀損されたという怒りから始まったものではなく、「新しい歴史教科書をつくる会」や「自由主義史観研究会」などの歴史修正主義グループとその思想を奉じる弁護士たちによって、日本軍(皇軍)の名誉回復や「集団自決」住民自らが国に殉じようとした「清い死」であるという思想を日本社会に押し付けようとする、非常に政治的なものでした。けれども、地裁判決は重たい事実を抱えて生きてきた沖縄の人たちの証言を具体性、迫真性、信用性があると認定し、今回の高裁判決もまた、上述したように原告側が作り出した「証言」を「虚言」として退け、かつ言論の自由について真摯な判断を示したことに感銘を受けました。
 
 かつての安倍政権はこの裁判を理由として、高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)記述から軍による強制を削除させました。現在、一定の記述の回復はなされたものの、検定意見はいまだそのままに残っています。原告側は最高裁に上告しましたが、私たちは上告の棄却を求めると同時に、もう一度沖縄の人たちとともに、さらにさらに輪を広げ、文科省・国に検定意見の撤回の声をあげなくてはならないと改めて思いました。
            LOL