音楽めも、1960年代生まれの。

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突然知らない人から絡まれるという被害。

2016-05-08 14:02:52 | その他
自分の欲望を他人に押し付ける人、自分の怨みを他人で晴らす人について歩きスマホの「当たり屋」ハラスメントの正体 の続きで。

突然知らない人から絡まれるという被害を受けている
>「突然知らない人から絡まれる」、「『ちょっと絡んだだけじゃん』と思うかもしれないけれど」「みんな『そのぐらいのことで』と思っているけれど、『そのぐらいのこと』だって迷惑だから止めてほしい」。
そうですよね、「突然知らない人から絡まれる」というのは、やっぱり「被害」ですよね。

>「性暴力のことは犯人の持つ欲望をエンターテインメントとして描いたり、復讐のカタルシスを味わうためのものとしてしか描かれていなかった」。でも「被害者目線で描いてくれて本当に良かった」。
本当によかった。 男→女 も 女→男 も 男→男 も 女→女 も一緒ですよね。老若男女問わず(注)、さらに性に関することに限らず、する方の一方的な欲望や復讐のカタルシスを求める行為、される方が拒否していても離れようとしてもそれを無視してつきまとう行為は、「片方向な一方的な求め」だから、あるいは「拒否されているのに求め(てい)る」から、“絡む”という形になるわけだけど、これは迷惑で、立派な「加害」だと自分も思います。

被害者が「言ってはいけないこと」なんじゃないかとか「恥ずかし」くて「誰にも言えない」ということになる社会は 「正しく」 なくて、
「『私は不当なことをされた』と言える」社会が 「正しい ですよね、と自分も思います。

“被害を訴え出ない者も
 被害を忘れなさいと諭す者も
 被害の発生を知らない者も
 現行法の生易しさも
 みんな性犯罪者の味方だ”

共感します。その先何もなくても、「絡まれる」ということ自体が、耐え難い、受け入れられないことです。差別に類するような「酷い」ことには、昔から、それはお前が我慢しろ、と言いのける人が居たわけだけれど。


※迷惑:「《名ノナ・ス自》他人のことで、煩わしくいやな目にあうこと」「ある行為がもとで、他の人が」「不快を感じ」「ること」
※性暴力:性に由来する欲望を、相手の感情・意思・人格を無視して押し付ける行為、無理強いする行為。
※暴力:何かを得るために人を「説得する」魅力・能力・道理が足りていなくて説得できない者が、他人にこれを強制すること。
 ※※何か:注がれる愛情、払われる敬意、向けられる関心、優越、体、物、売り上げ、お金、etc、人が「欲する」もの全般。
※性犯罪者:性に由来する欲望を、相手の感情・意思・人格を無視して押し付ける者、無理強いする者。求められた方が受け入れていれば(嫌がってなければ)、犯罪ではないですよね(むしろ楽しいことかも)。一方的な思いを押し付けられて、受けた方の気持ち・意思が無視されているところが犯罪なわけで。
注:性に関することに限らず、見ず知らずの他人に邪魔をしたり絡んだりすることで満足を得る(=嫉妬や復讐の発露)人っていますよね、男 → 男、女 → 女でも。



人が誰かに“絡む”理由は、要求(願望・欲望)を押し付けている(無理強いしている)、何かの復讐をしている(憂さ晴らしをしている)、嫉妬している(相手に何かをしないではいられない)、等ですが、どれにしても、絡まれた側の「知ったことではない」( ←なんであなたの面倒を見なきゃならないんだ?という気持になる。そういう意味では、ちゃんと自立して欲しい。一人前になって欲しい。他人に迷惑をかけないで欲しい。甘えないで欲しい。と思う)。

人間関係のある者同士の間でなら、嫉妬したりされたりは「当たり前」のことでしょうけれども、見ず知らずの生身の人間へ復讐しないではいられない感情となると、それはもう、ほとんど怨みか呪いに近い感情、あるいは(世の中への=思い通りにならない他人への=自分の希望通りでない自分自身への=「自分が希望する自分>現実の自分」のときに抱く)恨みか呪いそのものなのではないか。

物理的に絡むのではなく、視線で絡みつく人もいますよね。よく、ただ歩いていて、なんでもなく周りを見ながら歩いているとき、案内板などを見て情報を探しているようなとき、その視線の途中または延長線上に居る人が突然、なんで俺を見るのだ?!/なぜ私を見るのよ?!と言い出す、自意識過剰なのか、あるいはそういう瞬間を離さないで掴まえないと見てくれる人がいないからなんじゃないか?あるいは、そうまでしてその相手に固執する、と思わず思ってしまう、そう思わせる執拗さ、執念を感じさせる人がいますが(眼をつぶって歩かなきゃいけないの?と思わせる人。また、劇場で観劇していたら、いくつか前の席の人が、なんでこっちを見るのよ!!と振る舞っているのを目撃したことがありますが、そりゃいくらなんでも道理に無理がある(・・;)。観劇で席に着いたら、前を向いて「見て」いるのは当たり前でしょう)、そういうのと違って、また立場が逆で、表向き力が抜けたような目で、でも目の底には深い恨みを湛えたような目で、じーっとこちらを凝視する人がいますよね。物理的にはなんにもしていなくても、またそこが彼ら/彼女らの「言い訳」になっているのかもしれませんが、見知らぬ人を凝視するというのは、立派な「絡みつき」です。また、先の話の、じーっと見るわけでもないに「なぜ見る?!」と言いがかりをつけ、なんくせをつけるのも。






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