”疑義により対象に変質が起こり、疑義自体にも変質が起こる。理念的に片づけられたものが、事実世界では片づけられない。こりずに卒業する連中がいるかとおもうと、こりずに入学する連中がいるのは学校と教会だけだ。認識の全体的な地平が、政治的教会と学校を結ぶ水準線におかれるかぎり、
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@greenminkuma :卒業する認識を阻止することも、入学する認識を阻止することもできない。けれども世界の生存する生活地平は、学校とも教会ともかかわりのないところで展開される。”(吉本隆明『世界認識の方法』「註1へのノート」1980年)
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「フロイトによれば、ユーモアとは、超自我が苦境におかれた無力な自我に「そんなことは何でもないよ」と励ますもの/子供の超自我は親そのものではなく、親の超自我を規範として形成される」 / “超自我と文化=文明化の問題 - 柄谷行人” htn.to/njmbWf
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