小田の橋 の東側には名前が書いてないが
西側に渡ると、右側に 「小田橋」↓
左側に↓「おだのはし」と書いてあります。
注↑ (前の右側の白い建物の場所に 本居宣長が養子に来ていた(紙商人の今井田家に19~21歳まで)。おそらく 若い彼は、毎日窓から 小田の橋を渡る 大勢の参拝客を見て何かを考えていたのだろう だんだん神宮に興味がわき いつのまにか 国学者になったのかもしれない)
さて、
近くの他の橋を調べてみたが 小田の橋のように、一方の側にしか名前が書かれてないような橋はなかった。
考えられるのは、「外宮先祭」 で、個人の参拝も、外宮を先に御参りする慣わしがあるとされ、なんでも、内宮←外宮を重視し、内宮→外宮は参道では帰る方向になる。
橋も 内宮←外宮 には、橋の名前を載せる が 内宮→外宮 には 名前を書く必要がない
だから、その方向には 道路沿いでも、案内板も裏になり何も書かれてない
わけである。
でも そこまでするか?
工事の時 取り付けを、間違えたのでしょう。
真相は
「小田の橋」と書かねばいけないところを
「小田橋」としてしまって、「おだばし」としか読めないから
「おだのはし」を同じ側にもってきた。
と、思いながら、
ぼやっと となり下流の橋 のすのこ橋 や錦水橋を見ていました。
あれ?
どう見ても、橋の長さが違う
この三本では、
錦水橋が一番長く、小田の橋、スノコ橋がいちばん短い。
ん?
川の幅はまったく同じなのに どうしてなのか?