長篠落武者日記

長篠の落武者となった城オタクによるブログです。

お白石持ち

2013年08月11日 | 日記
義母の家が三重で神社をやっている関係で、伊勢神宮式年遷宮行事の一つ「お白石持ち」に参加してきました。

伊勢神宮の本殿地内に敷く石を御奉献する行事。石の入った樽を運び、最後は白布に石を包み、それを持って置いて来る、という行事です。なにせ、魂が入れば天皇陛下も入れない、という神域に魂が入る前ということで、我々のような一般人(かつ仏教徒)ですら入ることができる、という貴重な行事です。ありがとう神仏混交。

今回を逃せば20年後。
ありがたい話なので行って参りました。

5年位前にも「御木曳き」という行事に参加しています。
これは神宮社殿に利用する木を同じように曳いて御奉納する行事です。
御木曳きは外宮。お白石持ちは内宮。

期せずして、両宮への奉献に参加することができました。

前回の御木曳きのときは、我々の組は高齢者が多く、えらい時間がかかった記憶があります。当時はまだ、娘息子はおらず、夫婦で参加。
今回は、前回よりも暑い時期。まして38度を越えることが予想されるだけに、熱中症の心配がありました。

今回のお白石持ちは朝一番の組で8時スタート。
朝4時おきで5時に集合。すでに気温は29度。
このままいけば、どうなることやら、と、心配になる。

御木曳きのときと同じ白装束に身を包み、前回と違うのは白い帽子が支給されたこと。
直射日光による熱射病を防ぐためと思われます。
その上から日の丸鉢巻を巻く!

※恒例の目伏せ付き。

「まるで宗教だな。」
って、宗教そのものです。

と、いう会話は以前の御木曳きの時。

前回の御木曳きのときは、奉曳車のすぐ前で、スピーカーからガンガンと「エンヤー、エンヤー」と流れてきて耳が痛かったですが、今回は先頭。

逆に奉曳車が全く見えず・・・。


実際に曳いていたのは、コレです。

※写真撮っておいてよかった・・・。

さて、綱が前まで届きました。
まるで濡れた消防のホースのようで、重いため一度おろすとあげるのが大変なためか「持ってくれ持ってくれ、降ろすな、降ろすな。」と指示が。

※皆で持てば軽い。一人じゃとても持てないでしょうが。

さて、色々と説明がありまして、長くなる。
結構年配(65以上?)の方が多くて、暑くなって熱射病が怖いのと、綱持って立ってるのが辛いので「早くしてくれ。」という声がさざなみのように広がる。

多分、私の見渡す限り、自分は若い方から数えたほうが早いと思われます。

いよいよスタート。
予定より10分くらい早く始まりました。

『軽っ!』
というのが最初の感想。

前回の御木曳きの時は、なかなか前に進まない、という感じだったんですが、今回は「あれ、誰か勝手に引っぱってる?」という感じ。軽い。車の近くと遠くの違いなのか、それとも、石と木の重さの違いなのか。
願いが叶うときは石が軽くなる、とかいう昔話を思いだしながら、自分に都合の良いように解釈をする。

沿道の人もお茶などで供応してくれます。
途中、休憩時に伊勢音頭などの披露もある。

※御木曳きのときにも見ました。地元のボランティアの方のようです。

で、40分くらいも歩いたでしょうか。
もう、ゴール。

※ゴール地点で縄を巻き取ってます。この最初の頃に歪むと巻取りが大変なんでしょうね。新城市勤労青少年ホーム軽運動場のカーペットを思い出しました。(めちゃくちゃ内輪ネタですいません。)

『え?もう?』
と、いうのが最後の感想。

前回の御木曳きの時は、炎天下の中『エンヤー、エンヤー』と掛け声は響くものの、全然進まず掛け声をかけている人が「もっと引っぱってください!」と言っていた位。1時間半は引っぱったと思います。引っぱると言うか、結局立ち続けになるのでくたびれる。
今回は疲労が少ない。

先頭を歩いていたので、早かったのでしょう。

御木曳きと違い、お白石持ちはここから更に行事があります。

それは、まだ魂の入っていない新本殿に石を奉納しに行く、というもの。

これがすごいのが、御神体を移し終えると、この場所には天皇陛下ですら入れなくなるのです。
まだ、魂が入る前の作業工程としてならば、人夫として入ることが可能、ということ。

御垣内参拝でも近寄れない場所に入れる、というのは、お白石持ち行事の大きな特徴です。
石を運び終えると、そのまま宇治橋を渡り内宮へ。


そして、石を包む綺麗な白布を頂き、そして、石をいただきます。

※若者には大きめの石をくれます。笑。

石を持ちつつ、いよいよ新本殿へ。

※写真撮影の限界。ここからは携帯も電源を切ります。

なんだかよくわからないまま、石を持って中へ進みます。
隣に現在の本殿があるのですが、茅葺屋根の痩せ具合を見ると、20年の間にこんなに変わるのか、と、驚きです。新社殿の萱は堂々と膨らみ、綺麗に刈りそろえられていました。
そして、なにより、総檜造の社殿は黄金色に輝いています。

実際にみると、その威容は相当な迫力を持って迫り来て、静かに主の到着を待っていました。

『マンガ日本の歴史で見た、卑弥呼とかが住んでる建物そっくり。』などと思う。

ところが、一体、どこへ石を置けば良いのかわからない。このまま更に奥があるのかどうかわからず、まごついていると、
「ここ、ここが本殿。」
と、誰かが言い出し、
「おお、ここで石を置かねば外でてまう。」
と、皆がめいめい置く。

やはり、一番本殿に近いところに置きたくなるのが人情。
そのままで出てしまい、戻った人もいるそうです。

「欲が深すぎると、そうなる。」
と、誰かが本殿敷地を出た後つぶやいて、一同爆笑。

それもきっと良い思い出になるのでしょう。
今までのお白石持ちでも、きっと同じような人がいたんじゃないかと思います。笑。

ちなみに、このお白石持ちは、どうやら今回から本当の神領民以外に開放されたとか。

妻の従兄の禰宜さんと話していましたが、20年ごとに建て替えるのは、若返るという意味もあり、国家の若返りも祈念しているそうです。そして、20年ごとに建て替えることで、連綿と古代より同じ形式のものを受け継ぎ、残し続ける、という発想だそうです。
石造りの建物が残り続け、木造のわが国の建物は残らない、と、常々残念に思っていたのですが、木造建築は、人の手を介在することで、常に新しい形で継承し続けることができる、という発想があったことに、大変な驚きを覚えました。

要は、人手と維持費がかかるのですが、同じ形式で残せば永代残る、という発想ですね。

だからこそ、前例踏襲ということが大変重視されるそうです。そして、その発想が役所には残っているのではないか、というのは禰宜さんの見解。納得。

人手と維持費がかかる、ということは、日本に余裕がないとできない。
そういえば、戦国時代は式年遷宮ができてなかった、という話を思い出す。
実際、wikiで調べると1462年の次は1563年。100年も間が空いています。

今回の式年遷宮が550億という巨費がかかりながらも、挙行できたのは、まだ日本に体力がある、ということなのでしょうか。

「昔は国家神道だったので、国が面倒を見てくれたのですが、今は民間で調達をしないといけない。」
とのこと。

伊勢神宮が注目を浴びることで、皆が興味を持ち、それこそ「ええじゃないか」的に人が参加して継続してければ言うことは無いです。20年後の平成45年の式年遷宮がどうなるのか、気になるところです。

さて、伊勢神宮が注目を浴びるきっかけを作った「おかげ横丁」を作った赤福へ。

お茶と3つで280円位だったかと。
アンコがこれでもか、と、乗っかっています。餅が柔らかく食べやすいのが作りたての特権かと。

折角来たのだから、と、さらに「へんば餅」の店へ行く。
ここで馬を返して、ここからは歩いて伊勢に参拝しに行く場所にあったから「へんば(返馬)餅」と言うそうです。そして、地元以外ではあまり知られていないのですが、ここの餅のうまさは絶品。きづけば10個くらい、あっという間です。

で、へんば屋まで足をのばし、20個土産に購入して、2個をその場で食べる自分用に。

相変わらずうまい。140円でお茶はセルフで飲めます。
ちょっと内宮から離れてますけど、お勧めです。

そして、止まらなくなり、豚捨へ。

ミンチカツとコロッケを購入して貪り食う。
朝早く、そんなに喰わなかったので腹が減ってたのです。

そして、大量に食った後、バスに戻ると、11:30出発と聞いているのに9:45で既にほとんど揃っている。
どうやら、出発時刻が早まったようです。高齢者が多いので早めに終わりたかったようです。
皆さん、荷物が重いので荷物を置きにバスに戻った際に時間変更の連絡を受けたのですが、私のように荷物を持って移動した人間は時間変更をきいていなかった。そのため、責任者が一人残り、1名を待ちうけ、他の人はバスで次の会場へ移動しました。。。

外宮へ行き参拝をしたかったのですが、ここも時間を短縮されてしまい、せんぐう館を見るので時間を使い果たす。

なかなか良かったです。

こまかい仕事をしているさまを見ることができます。
BSの番組を見ているよう。

外宮の回りにも最近おかげ横丁的なものができた、と、聞いていたので、本当は見たかったのですが、その時間がない。まぁ、次回のお楽しみということで。

その後、昼飯を食べる場所が神社の近くで確保できなかったことから、なんと、伊勢安土桃山文化村で昼食を食べることに。


その昔、「伊勢戦国時代村」と名乗っていたあれです。
ニャンまげなるゆるキャラ的なものがいて、「来て、ちょんまげ~」のCMで有名なあそこです。
まさか、こんな形でいくことになるとは・・・。
これも、お伊勢さまのお導きかもしれない。

もう、とにかく道の看板から突っ込みどころ満載。
「安土桃山文化村」
なのに、花魁の絵が。

花魁は江戸文化じゃないのか・・・。
そして、忍者関係のものがめちゃくちゃ多い。
安土桃山文化って忍者と花魁でまとめていいのか、いや、よくないだろう、と、思うが、まぁ、そんな指摘をしてもしかたないし。しかし、来場者は「おお、これが安土桃山文化か」と思われると「いや、違うだろ。」と言ってあげたくもなる。

中にはかなり係りの人がいます。
広いため、客が目立たず、係りの人がめだってました。これだけの人件費を賄い、かつ、広大な敷地の維持をするには、あの入場料はやむを得んな、と、思ってしまう。

中では、ちょくちょく有料施設がありまして、特に気になったのがコレ。


あ、安土城じゃないですか!?
しかも、結構頑張って復元したようです。

が、伊勢に安土。
たぶん、これがあるから安土桃山文化村、という名前にしたのでしょう。が、中はほとんど忍者アトラクションと花魁。このミスマッチさが、いにしえの栄華を誇り多数の建物がありながらも、あまり使われていない感じになっている現在の状況とあいまって、物悲しさを醸し出していました。

※出演者が2名なんでしょうか・・・。

ちなみに、安土城の入場料は

『500両!』

1両10万で換算しても、5億円!

ちなみに、園内で通用する通貨の単位だったので、現在の日本円に換算すると500円のようです。
よかった。なら、まだ500文くらいの方が現実味がある気がします。

そして、黄金の像があるので、ひょっとして秀吉か?!と、駆け寄る。


なぜか、天神様・・・。
菅原道真公でした。

なぜ、なぜ?

天神様は平安時代だよね?ここって安土桃山文化村なんだよね?と、我が目を疑いました。
しかも、なぜ黄金?

きっと、この施設を計画したとき、計画した人は楽しかったんだろうなぁ、と、しみじみ思いました。
『維持し続けることの難しさ』を感じ、式年遷宮のことを思い出しました。

安土桃山文化村。
このカオスな世界、私は嫌いじゃない。
頑張って欲しい、そう願わずにはいられませんでした。


※頑張れにゃんまげ公。

そして、前回の御木曳き同様、へんば餅明和町店に立ち寄る。


前回は、それこそ取り付け騒ぎのように、万札を握り締めたじさま達が「こっちに10個入り10箱くれ!」「こっちは15箱!」と大騒ぎになり、店の人が「まだありますから!」と一括していましたが、一向に騒ぎが収まる気配がない。

そんな昭和の金融恐慌みたいな映像が頭に焼き付いていたのですが、今回は足が痛くて御木曳きのとき歩けなかったのに、猛スピードで店に向かったような老人もおらず、皆、節度ある行動で並んで買っていました。

少々残念でしたが・・・。

私も追加で20個。計40個も購入しましたが、家に変えると妻の姉一家も来ており、あっという間になくなる。

恐るべしへんば餅。

お白石持ちも次は20年後。
20年後も健康で参加できることを願っております。

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