山号を大雲山。
臨済宗妙心寺派の寺院 龍安寺へ行って来ました。
有名な石庭は簡素な、なんか狭い庭です。
白砂を敷き詰め、15個の石を五、二、三、二、三。
庭をどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて
見えないように作られているのだとか。
東洋の「15」という数字は完全を表す数字。
どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて
見えないように作られている庭はつまり「不完全」な庭です。
常に足りないものを見つめる、その解釈は見る人に委ねられているのかもしれませんね。
銭形をしたつくばい(手水鉢)。
中央の水穴を口の字に見立てると「吾れ、唯だ、足ることを知る」と読むことができます。
これは釈迦が説いた「知足の心」を図案化したもので、徳川光圀が寄進したものといわれています。
この手水鉢に込められた「吾唯足るを知る」という意味は
石庭の石を一度に14個しか見ることができないことを不満に思わず
満足する心を持ちなさい、ということらしいです。
方丈内部から立って見ると、15個全ての石を見ることができる地点があるらしいです。
臨済宗妙心寺派の寺院 龍安寺へ行って来ました。
有名な石庭は簡素な、なんか狭い庭です。
白砂を敷き詰め、15個の石を五、二、三、二、三。
庭をどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて
見えないように作られているのだとか。
東洋の「15」という数字は完全を表す数字。
どの角度から眺めても必ず1個の石は隠れて
見えないように作られている庭はつまり「不完全」な庭です。
常に足りないものを見つめる、その解釈は見る人に委ねられているのかもしれませんね。
銭形をしたつくばい(手水鉢)。
中央の水穴を口の字に見立てると「吾れ、唯だ、足ることを知る」と読むことができます。
これは釈迦が説いた「知足の心」を図案化したもので、徳川光圀が寄進したものといわれています。
この手水鉢に込められた「吾唯足るを知る」という意味は
石庭の石を一度に14個しか見ることができないことを不満に思わず
満足する心を持ちなさい、ということらしいです。
方丈内部から立って見ると、15個全ての石を見ることができる地点があるらしいです。