■俳句掲示板より
http://www.suien.ne.jp/0001/off/index2.html#2
□人生を積極的に肯定する情熱
投稿者:信之
投稿日:06月12日(金)04時30分23秒
インターネットの世界では、生身の人間の積極的な出会いが重要な鍵となります。オフライン東京吟行の朝に新宿のホテルで読んだ日経新聞(6月7日)の記事を思い出しました。歌手小室等のコラムです。現代音楽の作曲家である武満徹に学んだことを書いていました。武満徹が師事した清瀬保二は、旧制松山高校(現在愛媛大学)の出身で、俳人西垣脩も同じ旧制松高の出身です。東京吟行の翌日は、西垣脩先生のご長男西垣通先生(東大教授・情報学)の研究室を吟行仲間とお訪ねしました。
歌手小室等は、武満徹の(忘れることはない)言葉を紹介する。
「人生を積極的に肯定する情熱がない限り、歌は生まれないだろうと思う」
俳句も同じである。
「人生を積極的に肯定する情熱がない限り、俳句は生まれないだろうと思う」
梅雨の光り一本のわが万年筆 信之
▼日経新聞(1998年6月7日)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/0009/simbun/kiyose.jpg
■清瀬保二(きよせ やすじ)
清瀬保二の「日本祭礼舞曲」は、1981年に京都大学の福井謙一博士がフロンティア電子理論でノーベル賞を受賞した時、授賞式で流された。清瀬保二の作品の殆どを、レコードだが、勤務先の愛媛大学の近くにあった喫茶店「ムンダナ」で聴いた。「ムンダナ」では、私たちの現代詩の仲間で詩の朗読会を定期的に開催した。
□越智誠(松山在住)による清瀬保二紹介
現代日本の音楽同好会・代表
愛媛作曲協議会会員
▼清瀬さんのこと
http://homepage2.nifty.com/hayakoma/sakkyokuka/kiyose.htm
▼「清瀬保二・生誕九十年」に寄せて
http://homepage2.nifty.com/hayakoma/hyouronn/kiyose.html
※越智誠氏に依頼されて生誕九十年に協力。
■武満徹(たけみつ とおる)
1930-1996。東京生れ。清瀬保二に作曲を師事。1951年、湯浅譲二や秋山邦晴らと芸術グループ〈実験工房〉を結成。1957年、東京交響楽団の委嘱で『弦楽のためのレクイエム』を作曲、以後、『テクステュアズ』『地平線のドーリア』『ノヴェンバー・ステップス』『遠い呼び声の彼方へ!』など次々に名作を発表。『砂の女』など映画音楽も精力的に手がけ、著書も多い。尾高賞、芸術院賞ほか、外国の賞も多数受賞し、20世紀を代表する作曲家と目されている。(ウェブサイトより)
■武満徹は、私(高橋信之)の1歳上で、昭和9年から昭和12年までの幼児期を共に大連で育った。
□武満 徹 年譜
1930(昭和5年)
10月8日、東京で生まれる。生後1カ月、父の勤務先の大連(現・旅大)にわたる。
1937(昭和12年)7歳
小学校入学のため、単身帰国。本郷の富士前小学校に入学
□高橋信之 年譜
1931(昭和6年)
5月28日、大阪で生まれる。
1933春(昭和9年)2歳
父の勤務先の大連(現・旅大)にわたる。
1947(昭和22年)
終戦によって、愛媛県大洲市に引き揚げ、旧制大洲中学3年に転校。
□小室等の著書
岩波新書 人生を肯定するもの、それが音楽
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0404/sin_k172.html
http://www.suien.ne.jp/0001/off/index2.html#2
□人生を積極的に肯定する情熱
投稿者:信之
投稿日:06月12日(金)04時30分23秒
インターネットの世界では、生身の人間の積極的な出会いが重要な鍵となります。オフライン東京吟行の朝に新宿のホテルで読んだ日経新聞(6月7日)の記事を思い出しました。歌手小室等のコラムです。現代音楽の作曲家である武満徹に学んだことを書いていました。武満徹が師事した清瀬保二は、旧制松山高校(現在愛媛大学)の出身で、俳人西垣脩も同じ旧制松高の出身です。東京吟行の翌日は、西垣脩先生のご長男西垣通先生(東大教授・情報学)の研究室を吟行仲間とお訪ねしました。
歌手小室等は、武満徹の(忘れることはない)言葉を紹介する。
「人生を積極的に肯定する情熱がない限り、歌は生まれないだろうと思う」
俳句も同じである。
「人生を積極的に肯定する情熱がない限り、俳句は生まれないだろうと思う」
梅雨の光り一本のわが万年筆 信之
▼日経新聞(1998年6月7日)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/0009/simbun/kiyose.jpg
■清瀬保二(きよせ やすじ)
清瀬保二の「日本祭礼舞曲」は、1981年に京都大学の福井謙一博士がフロンティア電子理論でノーベル賞を受賞した時、授賞式で流された。清瀬保二の作品の殆どを、レコードだが、勤務先の愛媛大学の近くにあった喫茶店「ムンダナ」で聴いた。「ムンダナ」では、私たちの現代詩の仲間で詩の朗読会を定期的に開催した。
□越智誠(松山在住)による清瀬保二紹介
現代日本の音楽同好会・代表
愛媛作曲協議会会員
▼清瀬さんのこと
http://homepage2.nifty.com/hayakoma/sakkyokuka/kiyose.htm
▼「清瀬保二・生誕九十年」に寄せて
http://homepage2.nifty.com/hayakoma/hyouronn/kiyose.html
※越智誠氏に依頼されて生誕九十年に協力。
■武満徹(たけみつ とおる)
1930-1996。東京生れ。清瀬保二に作曲を師事。1951年、湯浅譲二や秋山邦晴らと芸術グループ〈実験工房〉を結成。1957年、東京交響楽団の委嘱で『弦楽のためのレクイエム』を作曲、以後、『テクステュアズ』『地平線のドーリア』『ノヴェンバー・ステップス』『遠い呼び声の彼方へ!』など次々に名作を発表。『砂の女』など映画音楽も精力的に手がけ、著書も多い。尾高賞、芸術院賞ほか、外国の賞も多数受賞し、20世紀を代表する作曲家と目されている。(ウェブサイトより)
■武満徹は、私(高橋信之)の1歳上で、昭和9年から昭和12年までの幼児期を共に大連で育った。
□武満 徹 年譜
1930(昭和5年)
10月8日、東京で生まれる。生後1カ月、父の勤務先の大連(現・旅大)にわたる。
1937(昭和12年)7歳
小学校入学のため、単身帰国。本郷の富士前小学校に入学
□高橋信之 年譜
1931(昭和6年)
5月28日、大阪で生まれる。
1933春(昭和9年)2歳
父の勤務先の大連(現・旅大)にわたる。
1947(昭和22年)
終戦によって、愛媛県大洲市に引き揚げ、旧制大洲中学3年に転校。
□小室等の著書
岩波新書 人生を肯定するもの、それが音楽
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0404/sin_k172.html
●東京・上野公園吟行(1998/6/7)
①越子・順子・稲子・桜子・栄一・良一(左より/信之撮影)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607a.jpg
②稲子・信之(左より/上野西洋美術館前)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607b.jpg
③琴・信之(真ん中/山手線車中)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607c.jpg
[報告]http://www.suien.ne.jp/0001/off/index2.html#2
①越子・順子・稲子・桜子・栄一・良一(左より/信之撮影)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607a.jpg
②稲子・信之(左より/上野西洋美術館前)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607b.jpg
③琴・信之(真ん中/山手線車中)
http://5.pro.tok2.com/~suien1/off/98/t980607c.jpg
[報告]http://www.suien.ne.jp/0001/off/index2.html#2