本番が終わりました。昨日は入部香代子さんの「語る会」があって、障害者解放運動の旧知の人たちと旧交を温めました。ここでも金太郎飴の井上さんが活躍していました。
今日の私は腰痛もあって起きられず、久しぶりに昼まで寝転んでいました。ずいぶんと楽になりましたので、手術がまた先延ばしになりそうです。それにしても、現役の人は今日もお仕事。ゆっくりと余韻に浸ることもできず、大変ですねえ。本番も体調不良を抱えながら劇団員の誰にも知らせず、オリンピック選手顔負けのメンバーもいました。
今回もまた熊本・東京・滋賀・奈良の遠方から足を運んでくださった方々もいらっしゃいます。天候に恵まれ、交通にも異常がなくてよかったです。さて、そんな観客の皆様に満足いただける舞台に仕上がっていたでしょうか?辛口批評も含めて、例によっていただいた感想をご紹介してまいります。お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました!
〇いつも通り、見ていて何回か涙が出ました。特に、場面転換の、ハープでしたか、あの音楽がよかったです。
内容は、欲張り過ぎとも思える、「介護老人施設の、日常(の問題)」、「昔、原発を拒否した町の話」、「現在的な、原発行政の罪業・悪行」、「高齢者の「恋愛」の問題」、「痴呆症の問題」、「恋人を、先の大戦の軍隊に取られ、失った、高齢女性の話」、「フクシマから逃れてくるも、そこへは帰れない女性」、「フクシマが原因で、一家離れ離れになった家族」、「フクシマを見て、そこを助けようと決心する若者の話」、「ゲイの、候補者の話」(笑)、そして、「故郷を失うということの話」。
まあ、話は錯綜していましたが、それも仕方がない、世界が錯綜しているのだから、ということですね。一方、観客・聴衆への、インパクトの面から言うと、現在騒がれている、「明日、ママがいない」の観点から言えば、つまり、内的なお粗末さ・酷さを隠すための、アメリカニズム的「口当たりの良さ」が、あらゆる面で要請され、例の、人気の(笑)、「永遠のゼロ」に、タバコを吸うシーンがあったのへ、苦情があったと聞いては、そう、この種の「お上品さ・優等生を強いること」の害悪を感じずにはいられません。そう、だから今日の舞台の、施設職員による、老人男女入所者間の「恋愛沙汰」を「サカナにした」話し方は、「お上品さを強いる人間たち」には、どう聞こえるか、興味深い問題ではあります。