暢気亭日乗

気儘な年金暮らしの日乗と懐かしい思い出や品物、食べ物、遊び等々。
日頃の感想や随筆など。

「貸本屋」

2013年12月01日 11時45分01秒 | 懐かしの漫画
私が育った大阪府下M市の自宅近くの「貸本屋N書房」では漫画本を毎日のように借りた。
単行本や月刊誌が一泊二日で10円、別冊付録の合本が5円でした・・・

其の頃は「貸本屋」専門の「版元」が有り一般の書店には流通しない「貸本漫画」が沢山有りました。
貸本専門の「版元」は東京と大阪に有りました。
なかでも大阪の「日の丸文庫」を覚えている。

「水島新司」の「番頭はんと丁稚ドン」(TV喜劇の人気番組)を読んだ覚えが有る。
「前谷惟光」の「ロボット三等兵」や「火星の八ちゃん」「落語漫画」などのフアンでした。
「小島剛夕」が連載していた「怪談」はシリーズで何冊も有った。
「白土三平」の「忍者武芸帳」や「サスケ」もよく読んだ。
「長谷川町子」の「サザエさん」「似た者一家」もよく借りた。
「手塚治虫」の「鉄腕アトム」「横山光輝」の「鉄人28号」「武内つなよし」の「赤胴鈴之助」「少年ジェット」
「桑田次郎」の「まぼろし探偵」「月光仮面」「河島光広」の「ビリーパック」などはハードカバーでしっかりした
製本の「貸本」でした。
「水木茂」の「墓場鬼太郎」や「河童の三平」もよく借りた。
「水木茂」が編集していた「少年戦記」などの戦記物や戦争物も好きでした。

「劇画集団」の「街」や「摩天楼」など分厚いハードボイルドもよく借りた。

「月刊漫画誌」も借りたけれど「漫画週刊誌」は未だ発刊されていない頃です。
サイクルが1ヶ月単位ののんびりしていた頃の話です。

「貸本漫画」はやがて「紙芝居」のように終焉を迎え壊滅する。
「紙芝居作者」~「貸本漫画作家」~「漫画家」へと不死鳥のように変身を遂げた「水木茂」の大フアンです。

「週刊少年サンデー」

2013年11月23日 09時17分02秒 | 懐かしの漫画
昭和34年4月に「小学館」から「週刊少年サンデー」が創刊された。
「週刊少年マガジン」に遅れる事1ヶ月での慌ただしさです。
表紙は読売巨人軍の人気者「長嶋茂雄」だった。

「寺田ヒロオ」の「スポーツマン金太郎」を覚えています。
「赤塚不二夫」の「おそ松くん」が大人気になりました。
「藤子不二雄」の「海の皇子」も地味でしたが連載されています。
「手塚治虫」の「ゼロマン」も人気がありました。
「横山光輝」の「伊賀の影丸」も連載される。

月刊漫画誌の時代は終焉を迎え週刊漫画誌の時代と成ります。
此処から先の漫画にはあまり懐かしさを感じません。
他にも貸本漫画の時代も有りましたがまた別の機会に書きます。

「週刊少年マガジン」

2013年11月15日 10時00分18秒 | 懐かしの漫画
昭和34年3月に「講談社」から「週刊少年マガジン」が創刊されました。
たしか定価は30円だった記憶が有ります。
表紙は当時人気の「朝潮太郎関」でした。
日本で初めての「週刊漫画誌」の誕生です。
それまで主流だった「 月刊漫画誌」から「週刊漫画誌」へのエポックメーカーが「週刊少年マガジン」でした。

「ちばてつや」の「ちかいの魔球」を思い出しました。
「石森章太郎」の「怪傑ハリマオ」は人気が出て昭和35年4月からTVドラマ(実写)で放映されます。
主題歌は「真っ赤な~太陽~燃えている~」でした。
東南アジアのマレー半島が舞台なのにオール国内ロケです。
それでもTVに夢中でした。

「桑田次郎」の「8マン」も人気が出てTVアニメにも成りますが「伊賀の影丸」同様其の頃には興味が他に移り
漫画もTVも見ていません。
「婦人画報社」の「メンズクラブ」を毎月購読し、お小使いは「VAN」や「Levis」の衣服に消えました。
いまだにアメリカンティストのファッションが大好きなのは此の頃から継続中です。

「少年画報」

2013年11月07日 09時31分34秒 | 懐かしの漫画
「冒険活劇文庫」が「少年画報」に改題され版元も「少年画報社」に改組される。
私は人気漫画が目白押しの「少年画報」も良く読みました。

昭和29年に連載が始まった「福井英一」の「赤胴鈴之助」は作者の急死により「竹内つなよし」にバトンタッチされる。
最初は「竹内つなよし」の画に戸惑ったがやがて大人気となった。
「赤胴鈴之助」は昭和32年1月にはラジオでも放送され、10月にはTVでも放映が始まる。
「剣~を取っては~日本~いちの~」の主題歌が日本全国で大流行した。
「福井英一氏」の御冥福を祈ります。

「桑田次郎」の「少年探偵王 まぼろし探偵」も人気があった。
「河島光広」の「ビリーパック」、「堀江卓」の「天馬天平」も読んだ記憶がある。

「手塚治虫」の「スーパー太平記」は少し変わったSF物で好きでした。
時間旅行社の夫婦がタイムマシンの故障で幼児を江戸時代に置き去りにする。
其の子供が成長し奉公先で苦労して酒樽や丸木で戦車のような物を作り怪物と戦う。
そんなストーリーだったと思います。

昭和38年には「少年画報」は廃刊になり「週刊少年キング」に変身する。
これが月刊少年漫画誌の終焉の時代でした・・・

そして週刊漫画誌の時代の到来です。

「ぼくら」

2013年10月30日 07時58分35秒 | 懐かしの漫画
講談社から発行されていた「ぼくら」も読みました。
「高野よしてる」の「木刀くん」を覚えています。

昭和34年2月から連載が始まった「武内つなよし」の「少年ジェット」は大人気に成りました。
「少年ジェット」こと「北村健」は「愛犬シェーン」と共に怪事件を解決します。
武器は「ミラクルボイス(ウ~ヤ~タ~の掛け声で波動が出る)」と「スーパーコルト(殺傷能力は無いスタンガン様の拳銃)」
と「スクーター(富士重工のラビット号?)」だった。
昭和34年3月からTVドラマ(実写)でも放映され日本中に大流行します。
主題歌は「勇気だ~力だ~誰にも負けない~この意気だ~」でした。
「まぼろし探偵」の黄色いマフラーに対抗してか「少年ジェット」は白いマフラーです。
TVはモノクロの時代ですが漫画の印刷で色は解りました。
「少年ジェット」の真似をして自転車に嫌がる犬を無理やり引っ張って転倒し大怪我をした子供もいます。(私では有りません)

少年と言っても子供が公道を「オートバイ(バイク)」や「スクーター」を運転して何のお咎めも受けないのは不思議・・・

「伊藤章夫」の「狼少年ケン」も昭和38年11月から「TVアニメ」として放映され人気が有りました。
しかし我々団塊の世代は漫画やアニメは卒業して模型や他の趣味に移っていたので漫画誌もTVアニメも見ては居ません。

成人してからあの頃の漫画誌が懐かしくて古書店や古書市を訪ね探しましたが有りませんでした。
偶に有れば馬鹿げた高価格でとても手が出ません。
それでも何冊かは泣き泣き手に入れました。
「ブリキ玩具」の「鉄人28号」や「鉄腕アトム」「少年ジェット」「まぼろし探偵」なども6桁の価格が付いています。
懐かし物が高価で取引されるのは少々異状でまるで以前の土地バブルの様な気がするのは否めない・・・