我が子の通う保育所のブログに、その日の給食で使うたまねぎの皮むきをさせてもらったという記事が出ていた。
小さいうちからそんな生活体験をさせてもらえて、ありがたいなあと思う。
お手伝いって、大人の視点でいうと子どもに「やってもらっている」という感覚になりがちだけど、生活の場を組織する一員(家庭では家族の一員)として「それぞれができることをやることで、家族の役に立ち、生活が成り立っていく」、大人も子どもも対等なことだと思う。ただ、能力には(当たり前だけど)差があるので、それぞれにできるところで。。という意味での対等。
お手伝いをすることで、自分が「いつもやってもらう存在」ではなく「家族の役にたっている」家族の一員としての実感を味わい、自分に対する「有能感」を感じ自信や誇りにつながっていくことが何より大事だと思う。
小さくたって「嬉しいな。助かるよ」というと子どもはとても嬉しそうで誇らしげ
な表情をする。誰かの役にたてている。。とまではいかなくても、喜んでくれることは子どもにとっても嬉しいのだ。「自分も嬉しい、相手も嬉しい」そんな体験を生活の中で、日々積み重ねていきたい。
それに家事に日々当たり前に参加していれば、お手伝いを「やってもらう」ために「お駄賃でつる」なんて妙なことにはならないんじゃないかな。「やらされている」と思うのは「本当は親がやることなのになんで自分が・・」と子どもの方も思うからじゃないかな。と思う。
たまねぎや野菜の皮むきなんて、指先を使う、道具を使う、集中して取り組める、感触や匂いを味わえる。。どんなおもちゃよりも優れた素材とあそび(活動)!!
そういえば育休中は、キャベツの葉をちぎってもらい、スープや炒めものにして食卓に出したりしたっけ・・・
今は時間に追われてしまい、私の気持ちに余裕がなくなっているなあ。
もっと家事に参加させてやろう。食べること大好きな息子だし、他の家事労働は難しいので、食事づくりに参加させてやろう、と気持ち新たにした母である。
小さいうちからそんな生活体験をさせてもらえて、ありがたいなあと思う。
お手伝いって、大人の視点でいうと子どもに「やってもらっている」という感覚になりがちだけど、生活の場を組織する一員(家庭では家族の一員)として「それぞれができることをやることで、家族の役に立ち、生活が成り立っていく」、大人も子どもも対等なことだと思う。ただ、能力には(当たり前だけど)差があるので、それぞれにできるところで。。という意味での対等。
お手伝いをすることで、自分が「いつもやってもらう存在」ではなく「家族の役にたっている」家族の一員としての実感を味わい、自分に対する「有能感」を感じ自信や誇りにつながっていくことが何より大事だと思う。
小さくたって「嬉しいな。助かるよ」というと子どもはとても嬉しそうで誇らしげ
な表情をする。誰かの役にたてている。。とまではいかなくても、喜んでくれることは子どもにとっても嬉しいのだ。「自分も嬉しい、相手も嬉しい」そんな体験を生活の中で、日々積み重ねていきたい。
それに家事に日々当たり前に参加していれば、お手伝いを「やってもらう」ために「お駄賃でつる」なんて妙なことにはならないんじゃないかな。「やらされている」と思うのは「本当は親がやることなのになんで自分が・・」と子どもの方も思うからじゃないかな。と思う。
たまねぎや野菜の皮むきなんて、指先を使う、道具を使う、集中して取り組める、感触や匂いを味わえる。。どんなおもちゃよりも優れた素材とあそび(活動)!!
そういえば育休中は、キャベツの葉をちぎってもらい、スープや炒めものにして食卓に出したりしたっけ・・・
今は時間に追われてしまい、私の気持ちに余裕がなくなっているなあ。
もっと家事に参加させてやろう。食べること大好きな息子だし、他の家事労働は難しいので、食事づくりに参加させてやろう、と気持ち新たにした母である。