おはようございます。原田武夫です。
今朝方、東洋経済オンラインに新しいコラムをアップして頂きました。
実は・・・飛騨高山に執着しておりまして、最近。。。「釣り」ではありませんよ(笑) 金融との関係なのです。
「???」と思われた方は是非ご一読を。そして、大きく波打ち始めている我が国の地方、中央、そして世界を感じて下さい。
「いいね!」も忘れずに。。。宜しくお願い致します!
http://toyokeizai.net/articles/-/23109
https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/563666557037903?stream_ref=10
「いきなりフランスから連絡があったときには、まったく気づきませんでした。まさかあれほどのランクの人物が、たった独りでこんな山奥までやって来るなどと、まったく想像していませんでしたので」
今年(2013年)秋、私はわが国の内外においてさまざまな場所に足を延ばしては、大勢の人たちと情報を交換してきた。その中で最も印象深かったことがひとつある。「合掌造り」で知られる白川郷の近くにある観光地・飛騨高山でのことだ。
飛騨高山で「社長」がもらった、謎のメール
このとき、私は彼の地で活躍するなじみの若き経済人と、老舗の料亭「精進料理 角正」で会食していた。この方は「飛騨高山から世界へ」を合言葉に、単なる町おこしを超えたグローバルビジネスをそこから構築すべく奮闘されている。その仲間の輪は着実に広がっており、このときも「男2人で食事するのも何ですから」と、彼の地で新しい観光ビジネスに取り組んでいる、ある会社の社長をご紹介くださった。
「その人物」はかつて、世界的な監査法人系コンサルティングファームの最前線で働いていた。だが、連日連夜にわたる激務の中、ふとそうした人生に疑問を抱き、自らの意思で退職。その後、世界一周の「放浪の旅」を経て、深い山間にあるこの飛騨高山にたどり着いたのだという。
わが国では多くの観光地が、「利便性」の下に画一化されてきた。飛騨高山もその波に飲み込まれそうになってきたわけであるが、この方の発想は真逆である点に特徴がある。あえて使い勝手の悪い「古民家」を修復し、そこに都会からお客様をお迎えして、同時に昼間は地場の地形を最大限に利用したトレッキングやサイクリングなどのツアーを提供している。最初に話を聞いたときには「ビジネスとして成り立っているのか」と疑問に思ったが、実際に来て見ると千客万来。大勢の客人を迎え、てんてこ舞いの日々を送っている様子。
そんな中、いきなりフランスから1通のメールが飛び込んできたのだという。「ヒダ・タカヤマで一人旅をしたいのだが。アナタの会社で全部アレンジしてくれるか」。入力された情報を見ると、パリに住む初老の女性。「さしずめ日本かぶれのフランス人女性だろう」と軽く請け負ったのだという。
そして当日。1週間ほどの滞在であったが、最初にアレンジしておいた旅館で、女性からは大声でクレームがあったのだという。旅館の社長は「これくらい我慢できないのか……」と思いつつ、現場でグレードアップに応じると、途端に満面の笑み。その後は特段の問題もなく、女性は飛騨高山の街並みとその周辺にあるものをくまなく熱心に見て、富山へと抜けて行ったのだという。
数カ月後、同じ女性から突然連絡が
そして数カ月後――この女性からまたメールが突然あった。「アナタにお礼がしたいので、ぜひ一度、パリにある私の家にいらっしゃい」とメッセージには書かれていたのだという。
折しもこのとき、社長は別の用向きで欧州訪問をする予定であった。「まぁついでだからいいか」とこれまた軽く請け負い、指定されたパリの住所へと向かった。
ところが、である。指定された住所へと向かうと、それはパリの中でもセーヌ川を挟んでエッフェル塔が真正面に見える超高級アパルトマンの一室だったのだという。厳重なセキュリティを解いて部屋へと通してもらうと、巨大な部屋に明らかに高価そうな家具が並べられていた。
「いったい、どんな話が飛び出してくるのか」
ソファに座りながら緊張して待っていると、あのときとは打って変わって「貴婦人」の装いをした女性が出てきたのだという。「あのときはどうもありがとう。本当に楽しかったわ」と言い、これまたいかにも高級そうなピスタチオを出してくれた彼女とは、その後、小1時間ほど雑談をしただけであった。社長はますます「???」と首をひねってしまったというわけなのである。
帰国した社長は、フランスの事情に詳しい友人にこの不思議な体験を話し、「あれはいったい何だったのか」とメールで尋ねてみた。するとこの友人からはものすごい勢いで返事が返ってきたのだ。
「お前知らないで会ったのか? その女性は、フランス金融界屈指の銀行で頭取を務める人物の夫人だぞ」
これを聞いた社長が、腰を抜かすほど驚いたのは言うまでもない。だが、どうしても納得がいかなかったのが「なぜよりによって飛騨高山へ」ということだったのだという。この女性は確かにわが国へはやって来たが、ピン・ポイントで「飛騨高山」だけを見て帰ったのである。「なぜ、欧州財界の大物の夫人がお付きも連れずにこんな山奥に……」。社長の脳裏では謎が謎を呼ぶだけであった。
それから約半年。私と出会うまでに社長は実に大勢の「外国からの不思議な訪問客」を飛騨高山で迎えてきたのだという。たいていの場合、素性がまったくわからないものの、カネ払いのよい人物ばかりだ。同時に、決まって「何か」を飛騨高山で探している様子であった。
だが決してそれをアテンドする社長に語ることはなく、くまなく歩き回り、最後は得心しかたのように満足した様子で帰っていく――。「彼ら、いったい何しに来ているのでしょうか。どう思われますか、原田さん」。これが、社長があの夜の宴で発した疑問だった。
私は直感的にこう答えた。
「ひょっとして彼ら外国人の富裕層たちは、“東洋のスイス”を探しに来ているということはありませんか。社会的に見てランクの高い人物がわざわざやって来る以上、大切な資産管理と関連があるとみるのが適当だと思います」
私がこう答えたのには理由がある。飛騨高山は乗鞍岳を筆頭とした高い山々に囲まれており、アクセスが限られている。その一方で「スーパーカミオカンデ」で知られる旧神岡鉱山がすぐ傍らにある。そして南は名古屋から太平洋へ、北は富山から日本海、さらにはユーラシア大陸へと連なる道のりの真ん中にある。
実はこの状況は金融立国として知られる「スイス」と似通っている。欧州を東西南北に分けたとき、その真ん中に位置しているのがスイスだ。そして何よりも山がちであり、そこに財宝を隠すことのできる天然の要塞を見つけ、金庫を造ることはそう難しくはない場所、それがスイスなのである。
そうした私の直感的な分析を聞いた社長と宴のホストである経済人は、共に膝をたたいて口々にこう言った。
「なるほど、それで合点が行きました。続々と来る外国人たちは、話を聞くと、どうもその多くがユダヤ系であるようなのです。教えてくれはしませんが、何かの話を聞きつけてこの飛騨高山まで来ているとしか思えない。私たち日本人にはうかがい知れないストーリーです。そう考えてみると、“東洋のスイス”の候補地として、わざわざこの山奥まで来たとしても不思議ではありませんね」。
これを聞いて私は「そうであるならば、まずはパリの貴婦人にあらためて連絡をとり、『そういうことなのですか』と尋ねてみるのがいい。もし『そうだ』との答えを得たらば、彼らがつくる前に地場の方々が今はやりの『国家戦略特区』を利用して、金融特区をつくってしまえばいいのではないか」と答えた。何も、地の利の果実を、彼らにだけ取られる必要はまったくないのだ。飛騨高山はわが国であり、わが国を仕切るのは私たち日本人なのであるから。
「なるほど。では早速、動いてみることにしましょう」と、根っからの熱血である社長はそう答え、翌日から動き始めたという。(このあと、驚天動地の結論が待っている下へ続く。(→下を読む)
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