白洲正子文学逍遥記
「十一面観音巡礼」編
再開-008
円空・木食について-(最終回)
鉈彫り-2
先回は仏像の彫刻技法のひとつである「鉈彫り」ついて、この技法は完成の彫刻技法であり、未完成でそのままになったものではないという論を進めてきた。朝田純一氏の「埃まみれの書棚」にもそのような関係について、「完成論と未完成論」の二論が存在することが述べられている。筆者も完成論の立場をとる。今回はもう少しその理由付けをしてみたい。
鉈彫りと言われる仏像彫刻は東北地方によく見受けられる。何故なのか。このことに関しては様々な専門家の意見がある。完成論・未完成論は先に示した通りである。
日向薬師・顔面の髭の墨書き
この日向薬師をご覧いただきたい。仏像の仏頭の口元の両側に墨で口髭が描かれている。書き立て彫りの 線ではない。此処からわかることはこの仏像は完成品であることになる。仏像は檜や榧(かや)が多いが、鉈彫りは桂が主である。桂は逆目がたたず、丸鑿を使いやすいという利点がある。仏師が鉈彫り像を造ることを予想して、材を選択したのだとされる。
この日向薬師の像の佛頭以下の部分は、仕上げの彫りがなされていない。仏頭だけ完成させて後はほったらかしたということではない。口髭は最後の完成間近に描くものであるから。
* 書きたて彫り 仏像や能面の面打ち技法の一つであるが、材料の木材に墨で予め辺りを付けて、荒彫りを施し、彫ることによって消える線は墨でまた書き加えながら、細部まで彫刻を施す技法である。
未完成論者はこの事が説明できず、経済的な問題を挙げて、途中で中止したと強弁する羽目になる。実際には仏像彫刻造の中には中途で中止したものも多いであろう。
「鉈彫り像の位置づけ」
弘明寺十一面観音
A-論 「久野健」
<鉈彫り像は、藤原時代から鎌倉時代にかけて、東国一体に流行した一様式で、遊行の 僧や仏師などにより 東国に伝えられ、東国人の荒々しい気性から、いっそう鑿痕が誇張されて鉈彫り像は生まれた>
B-論 「中野忠明」
<鉈彫り像を山岳神祇信仰の系譜にある仏像で、鉈彫り仏は立ち木仏の一変形であって、神や仏が神木に宿っておられるお姿を現している。丸鑿の縞目を殊更に誇示する技法は、それが生まの樹木であることを表示するもの楠や杉の巨木を見上げると、巨木の表皮が縞目のような様相を呈している壮観に目を奪われる。これを仏像に刻み、しかもその樹相を如実に表現した ならば、如何に神秘な霊性を顕す。これこそナタボリ仏の本質を語るもの>先般紹介した「立木佛」はその前段階の彫刻形式である。
C-論 「井上 正」
<仏像は、完好な形を表現することが要求されるが、霊木からそこに宿る仏の姿を彫り出すには、朧ろな形象から始まって全容を現す過程を何らかの形で 捉えることが要求された。それは、完成を目前にした未完成のかたちを持って、完成とすることにあった。現仏の表現の一つの定めとして、表現のかたちが絞られていったのが鉈彫り像である>これは「霊木化現佛」という造佛概念である。
霊木化現佛の仏像
鉈彫りは、仏像だけでなく神像彫刻にも例があること、
京都西住寺の宝誌和尚立像のように、
和尚の顔を破って観音が出現するという特異な姿の化現像に も見られる
【西住寺宝誌和尚立像】
D-論 「田中恵」
<東国の鉈彫り像を見るときに感じる意志の強さや、仏像に感じにくいアクの強い霊性は、神と仏の間にある相違を感じ、それを表現しようとした作者とそれを 支持した拝む人の間で生まれたものであろう。 強さを神に求めた東国の風土が、鉈彫りを特に好んだとすることもできよう。鑿痕を残す仕上げ方法は、既に完成未完成の領域を超えて、それが「単なる仏像ではないこと」を示すシンボルとなったことが理解できる。その意味では、現世の利益を表現するために日本で生まれた新しい方法として平安時代の鉈彫りを重視せねばならない>
神像【射水神社男神坐像】
この神像の頭を見ると、コナシから小作りを完了し、これから仕上げ掘りを待つばかりのようにも見ることが出来る。眼も切っていない。通常なればこれから小刀で縮緬彫りりをなして仕上げて、完成に持っていく。しかし鉈彫りはここで終わっている。
大部、十一面観音巡礼から逸脱したが、次回は最後の「熊野詣で」の項に至ろうと思う。
今回は朝田純一氏の「埃まみれの書棚」を底本として書いてみた。氏には感謝いたしたい。
市松人形と答礼人形
今週はお休みします。
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