早稲田に多浪しました--元浪人による受験体験記です。

二浪計画で早稲田に受かるはずが――予想外の「三浪へ」。
現実は甘くないっすね。

私の受験結果について

2005年12月17日 | はじめに―「早稲田」
 それから時は流れた。私は受験を終えるまで、三年という長い月日を数えなければならなかった。つまり「三浪」だ。結果は、どうだったか。

 「早稲田大学第二文学部 合格」

 これが結果だ。
 第一志望であった第一文学部には結局、入れなかったわけだが、この結果には非常に満足した。
 もちろん、世間的に見てこれが果たして誇れる結果なのかといわれると、必ずしもそういうわけではない。第二文学部は第一文学部に落ちた者が行く、掃きだめのようなイメージがあったし、また夜学だということも第二文学部の学生にとっては大きな劣等感の原因にもなっている。

 が、この合格通知を受け取ったとき、素直に嬉しかったことを思い出す。変な例えになるが、第一文学部が「金メダル」だとすれば、第二文学部は「銅メダル」ぐらいの位置であろう。「金メダルを目指して頑張ったっスポーツ選手が、銅メダルを獲得したときの気持ちは、或いはこんなものかもしれないな」と、爽やかな気持ちになったものだ。本当に、本当に、大満足で、その感情には一点の曇りもなかった。

 ドラマのように、合格通知を受け取って飛び上がる、とか、街中を駆けてゆく、といった行動に出ることもなく、何となく外に出て、空気を吸った、というような喜びの表し方であった。本当に嬉しいときは、それを残ることなく味わいたい一心から、大げさな動作をしている暇などないものである。

 さて、私は以上のような結果で受験を終えた、ひとりの人間である。これを見て、これから先、読む価値があるかもしれないし、ないかも知れないが、少なくとも、こういう人間が、こういう形で受験を終えた、という経緯は、何らかの参考になるであろうと信じている。現在私は、早稲田の二文を卒業して数年が経過し、かつて受験したことなどすっかり忘れ、浮き世の雑事に追われる日々を過ごしているのだが、これから受験を控えている方々に対する愛着から、というか、応援したい一心で、拙文を書き続けていこうと思っている次第である。