Ninbuのスマホで撮った花だって美しい!

サイクリング・テニス・散歩等の道すがら、公園・野原・湖畔・川辺等で見つけた美しい花をスマホで撮っています。

東の鎌倉散歩(武者小路実篤邸)

2017-07-19 | 日記
大正時代,志賀直哉,武者小路実篤,「民芸」運動の指導者,柳宗悦……
白樺派と呼ばれる文人達に共通の土地、我孫子が北の鎌倉と呼ばれた時代がありました。
文学散歩と自然観察を兼ねて、文人たちゆかりの史跡を訪ねてみました。

旧武者小路実篤邸は、JR我孫子駅から徒歩20分ほどの船戸地区にあります。
武者小路実篤は、白樺派の創始者で、大正5年(1916年)~7年(1918年)に我孫子に居住しました。
志賀直哉や柳宋悦などと交流、ここで「大和武尊」「AとB」などを執筆しました。


武者小路実篤邸案内板
旧武者小路邸はこの真中の道をまっすぐ行ったところにあります。
このあたりは金塚古墳があり発掘調査が行われました。


入り口案内板
船戸の森の中を5分ほど進むと入口看板が見えます。


船戸の森
森の中の坂を登りきったところに旧武者小路邸があります。


喫茶店案内板
旧武者小路邸の手前の森の中に喫茶店があります。
森の中で飲むコーヒーも美味しそうです。


入り口とその横にある石碑


旧武者小路邸門(邸内は公開されていません)
1700坪もあるこの広大な屋敷のある場所は、我孫子市内でもまださほど開発が進んでいないところです。
手賀沼側にはほとんど建物もなく、当時の面影を残しているといえるでしょう。


入り口脇にある説明書き。写真には白樺派の主だった顔が見られます。


邸内の様子
入り口から見ると広大な庭が見えてきます。
武者小路実篤は「新しき村」の建設を唱え、その発会式はこの邸内で開かれました。
庭園は当時をしのばせ、四季を問わず美しさを保っています。