東京保健生活協同組合 看護部・看護学生室ブログ

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夏の医療講座を開催しました!

2015年09月07日 | 勉強会

こんにちは、東京保健生活協同組合 看護学生室です
今日は、先日8月29日(土)に行われた夏の医療講座のご報告です。


戦後70年特別企画 語り継ぎプロジェクト in 練馬高野台
〜平和の未来を描くのは私たち〜

と題して催され、練馬区にお住いの当生協組合員のみなさんから、ご自身の戦争体験を語っていただきました。
当日は、語り手を含む10人の地域組合員さんをはじめとし、職員、看護学生、高校生ら計20人が参加しました

まずは、映像学習から。
女学生当時「風船爆弾」という兵器の作成にかかわった、小岩昌子さんという方のドキュメンタリー映像です。
(下は風船爆弾の画像です。和紙をこんにゃくのりで張り合わせて作った気球に、爆弾を搭載していました。人の大きさと比べてみると、その巨大さがわかりますね) 

 


15、6歳の女学生が殺人兵器の作成にかかわり、その兵器が遠くアメリカの地で一般市民の命を奪っていたなどという恐ろしいことが、戦時には当たり前のように行われていたのだと思うと胸が痛みます。
戦争で勉強がしたくてもできず、自分は被害者だとばかり思っていたけれど、加害者であったのかもしれない」という小岩さんの言葉が胸に迫りました。

 

そして、語り手の方々からは、

女学生時代の学徒動員(戦時中の労働力不足を補うために、学生や生徒を軍需産業などに携わらせたこと)で、飛行艇をつくる工場で働いていたときの体験や、

軍事教練(学校で学生・生徒を対象に行われた、陸軍将校による軍事に関する訓練)などで日常が戦争に大きく侵食されていた女学校時代の体験、

東京大空襲(1945年3月10日、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な爆撃で約10万人の死者が出た)で逃げ惑い、なんとか家族と再会できたときの体験、

終戦の日に学校で玉音放送を聞いたときの体験……

ご自身にとっては思い出すのも辛いであろう体験談が生々しく語られ、一同は聞き入るばかりでした。

みなさんが共通して仰るのが、戦争当時は自由が無かったということ。
授業をつぶして行われた軍事教練によって学ぶ機会が奪われ、物資の不足でおしゃれをする楽しみが奪われ、徴兵や戦火により語らう家族まで奪われた人が、当時は大勢いました。
そして、「戦争なんてやめてほしい」と言ったり考えたりする自由さえ、その時には奪われてしまっていたのです。

その辛さ、悔しさ、無念さが「二度と戦争を起こしてはいけない」というみなさんの言葉に込められていました。

医療講座に参加した学生たちからは、

「実際に戦争を経験した方々のお話を伺うことが出来てその当時のことを少しでも知ることが出来た(中略)今日のお話を友達や家族に広げて行きたい」
「風船爆弾のことや東京大空襲の実態を初めて知り、今まで聞いたことのない話をきけた」
といった感想が寄せられました


会の締めくくりに、大泉生協病院の岡部医師から総評をいただきました。
「戦争体験というのは、唯一『自分で体験せずに語り継いでいかなくてはならない体験』」なのだと、力強く発言。

今日は、実際に戦争を体験された方々からお話を聞きました。
そして私たちは、自身では決して戦争を経験することなく、戦争の恐ろしさを次の世代に伝えていかなくてはいけません

いま、私たちは戦時中では考えられないほどの自由と権利を手にしています。
それがいかに幸せであるかということ、そして同時に、私たち一人ひとりが 未来の平和への責任を負っているのだということを忘れないようにしたいですね

 

 



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