国立劇場3ヶ月連続公演『元禄忠臣蔵』、その第2部、本日千秋楽。
「伏見撞木町」「御浜御殿綱豊卿」「南部坂雪の別れ」の3本。
切腹や討入りなどの事実の再現ではなく、大石内蔵助と周囲の人物の内面のドラマを、廓ありの、徳川家のお浜遊びありのという変化に富んだ設定の中で活き活きと描きだした3篇。前後(先月と来月)の重厚な史劇とは別の趣を持っている。
今月の大石内蔵助役は坂田藤十郎。
「伏見撞木町」は28年ぶりの上演とのこと。もちろん私も初めて見る。藤十郎と秀太郎が絡むとたちまち新歌舞伎とは思えぬ上方風の濃厚さが出て、すぐに引きこまれた。亀鶴の不破数右衛門が上出来。内蔵助に「おっかない人」と言わしめるものがあった。立派になったなあ。それと愛之助の主税も良い。ともに成長株だ。
「御浜御殿綱豊卿」、これは頻繁に上演される。私も数々の舞台を見てきた。最も印象に残っているのは、昭和62年4月歌舞伎座での孝夫(今の仁左衛門)と富十郎の丁々発止、火花飛び散るような凄まじいセリフの応酬。今回は綱豊卿が梅玉、助右衛門が翫雀。配役を見たときに、なんだ翫雀かぁ・・・と少しがっかりしたのだが、正直すまんかった、これが望外の上出来。智太郎時代に時折見せていたような体当たり的熱演で、それが空回りせず、常に状況を全身全霊で受けとめている感じがする。変に田舎者くささを小器用に表現しようとしていない点が良い。本来助右衛門は頭の回転が速い者だと思う。
その翫雀を受ける梅玉がまた、良い。以前見たときより格段に大きい。一挙手一投足、間の取り方、綱豊その人を見事に現す。「対決」は劇的効果のためであり、そこに見え隠れする「真情」にこそ心打たれるのだ。
「南部坂雪の別れ」は、私は19年ぶり2度目。歌右衛門の瑤泉院を見たのだ。昭和62年では上演された泉岳寺境内が今回はカット。そのせいもあるのかどうか、何となく討入りへの「つなぎ」の場のような印象を抱いてしまった。意表をつくドラマティックな展開は無い。時蔵の瑤泉院は数奇な女性の雰囲気を上手く出し、藤十郎も幕切れの芝居が大きく、大歌舞伎を見た気分にはなったが。
シリーズ中、やはり「御浜御殿綱豊卿」は屈指の傑作である、と再認識。
camera: Fuji NATURA BLACK F1.9 film: Agfa OPTIMA PRESTIGE400
主税:なら、今日さえ面白おかしければ、明日の大事を忘れても、差し支えはござりませぬか。
内蔵助:馬鹿め! 明日の大事があるゆえに、今日飲む酒がうまいのじゃ。そちには、その心がわからぬか。ええ少し、銭費(つこ)うて来い。
>配役を見たときに、なんだ翫雀かぁ・・・
お気持ちよくわかります!もういいお年なのにもうちょっと
頑張ってほしいな~といつも思っていたものですから!
でも良かったのですね!偉大な父を持つとつらいところですね!
瑤泉院が歌右衛門さんですか。すごい(笑)。