東京オペラシティへ。東京シティ・フィルの定期演奏会。鈴木雅明指揮。
鈴木雅明といえば即ちBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)、いわばオーセンティックなバッハ演奏の総本山であるからして、モダン・オーケストラを振る機会は珍しい。日頃ディスクやコンサートを通じてBCJの演奏に親しんでいる私としても、これは楽しみな公演なり。
<モーツァルトへの道>と題されたプログラム。( )は作曲年代。
テレマン:組曲「悲喜劇」TWV55:D22(1763?)
ハイドン:交響曲第44番ホ短調「悲しみ」(1771?)
C.Ph.E.バッハ:シンフォニア ロ短調 Wq.182-5(1773)
モーツァルト:交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」(1788)
面白い曲目だ。すべて18世紀の曲。テレマンとモーツァルトとはひと時代ほど離れた人物のような感覚があるが、年表を見ると、実は本日演奏されるその2人の曲の作曲年代は25年しか離れていないのだ(テレマンが長命だったわけだ)。エマヌエル・バッハ(J.S.バッハの次男)とハイドンにしても、同時期の作品であることを意識して聴くような体験はちょっと新鮮。
演奏は、古楽奏法をベースにモダン・オケの良さも活かしていくという、その点は予想どおりではあったが、思いのほか多様多彩な表現が繰り出され、たっぷり楽しめた。単にバロックだから古典派だからという時代区分だけで演奏様式が使い分けされるのではなく、その作曲家の、その曲の、個性と魅力を十全に現出させるための設計と技法。古楽奏法に不慣れなはずの楽団もかなり健闘したと思う。特に弦は。アーティキュレーションは徹底して細かく仕込まれたんだろうな。木管やホルンはちょっとおとなしかったような(モダン楽器使用ゆえの、音色音量のバランスを崩さぬための処置なのかもしれぬが)。ティンパニが大活躍、実に表情豊か(ティンパニはピリオド楽器使用だった感じ。私の座席からは姿が見えなかったのだが)。
きびきびとしたテレマン、柔らかさや膨らみを出しつつ終楽章ではパッションの強さも見せたハイドン、調和美を志向して見事に決まったエマヌエル・バッハ。感心しつつ感銘受けつつそれらを楽しんだ。
最後の「ジュピター」が凄まじい熱演。それまでのある種知的な楽しみ方をどっかにぶっ飛ばしてしまうような、とてつもなく巨大な物が立ちはだかってきた感じ。冒頭のC音の叩きつけはいかにも古楽的で、いわば看板みたいなものだが、すぐに多彩で個性的な表現が随所に現れ出す。緩徐楽章ではふっとロマン的表情も見せ、終楽章では例のテーマをがつんと前面に打ち出し立体感を強く出した。古楽的なノン・ヴィブラートや強弱の対比を土台にしながらも、とにかく大きく熱く、切り込み鋭く、強い推進力をもって曲が進む。ただ闇雲に速くて豪快な演奏ではなく、一音一音の意味がしっかり生かされた精細な演奏でもある。完璧ではなかったにせよオケもよくついてきた。日頃バッハの教会カンタータ・シリーズ等でのスタティックなたたずまいとはうって変わっての、鈴木雅明氏の情熱性が噴出、大爆発した感じであり、こっちも興奮した。
今まで生で聴いた「ジュピター」の中では今日のが最高!と断言しちゃおう。
camera: Kyocera T-PROOF film: Agfa VISTA400
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