フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

有名になることとプライバシーを守ることの二律背反性

2013年05月31日 09時00分05秒 | 日々の出来事・雑記

 もしお金が欲しければ、何か商品をたくさん売らなくてはならない。その商品を多くの人に買ってもらうには、広くたくさんの人に支持されなくてはならない。
 商品は、リアルな物の場合もあるし、タレントのように美しいイメージや面白さの場合もある。ポイントは、広く知れ渡ることにある。つまり有名になることである。
 有名になり、その存在を広く知らしめるには、テレビに出ることが一番効率がいい。有名になるためにはテレビでどれだけ露出できるかが重要になる。そして、うまくやればバンバン金も入ってくる。
 
 しかし、いいことばかりではない。有名になればなるほど、そのプライバシーは侵害される。有名になることとプライバシーを守ることは両立できない。それは広く知れ渡ることで、皆から少しずつお金を取っているのだから仕方のないことである(タレントのギャラは企業のCM料である。CM料は私たち視聴者が支払っている)。
 ある会社がヒット商品を出して有名になれば、社会的責任が生じ、どのようなことをしているかあれこれ詮索される。有名なタレントの場合、特に説明は不要だろう。

 プライバシーは、自由度の問題である。あまり人に知られていなければ隠れていろんなことができる。
 例えば、矢口真里がもし一般人なら、あれほど不倫が人に知られることはない。しかし、有名人でそのスキャンダルが飯の種になる以上、いずれ誰かが調べ広く皆に知れ渡る。
 テレビにおける有名性は、企業の求めるイメージを演じることによって、はじめて成り立つものである。テレビ番組が企業の資金で制作されている以上、それに反するイメージをもった人は使われない。だから、人々が嫌悪するような行為をするタレントは排除される。企業のイメージをダウンさせるようなタレントには、商品価値はないからだ。
 
 だから、イメージは広くたくさんの人から支持されるような形で作られる。支持されることが金になるからである。
 例えば、AKB48のアイドルが「恋愛を禁止されるのはおかしい」と言ったことについて考えてみよう。
 思うに、恋愛禁止というきまりが先にあるわけではない。人気のあるキャラクターを作る過程で、いろんな男と付き合っている女が支持されるのかどうかが問題になるのである。
 もしファンが処女性を要求しているのなら、それに従うしかない。一般的にアイドルには処女性を求める人が多いのではないだろうか。
 それでも恋愛しセックスもしながらアイドルもやりたいと考えるのなら、バンバン恋愛してみればいいだろう。誰もそれで文句は言わない。もし、それで支持が集まるなら。
 
 有名になることは誰にでもできるわけではなく、特権的なことだ。しかし、厳しい道でもある。ありとあらゆるプライバシーは丸裸にされる。また、誹謗中傷に耐える精神力も必要となる。
 もし、プライバシーを守りながら自由に行動したければ、有名になることは諦めなければならない。

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面白い判決

2013年05月30日 08時49分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 公園で人の頭を殴り傷害事件で現行犯逮捕された男がいる。しかし、熱中症による心神喪失で、無罪判決が出た。 
 人の頭を殴るほどの元気があれば、心身喪失するほどの熱中症とはいえないのではないか。よくわからない。これが許されるのなら、酒に酔って意識がなくなれば責任能力がなくなり何をやっても許されることになる。しかし、飲酒の場合、有名な解釈によって責任能力が認められ犯罪になる。
 この地裁判決はどういうことなんだろう。興味がある。
 ちょっとした事件で裁判していたら、裁判所がいくらあっても足りない。だから、軽微な犯罪は起訴されないのが普通である。これくらいの傷害事件は、加害者が被害者に対しきちんと謝罪してそれなりのお金を支払えばそれで終わりということが多い。それでも起訴されたということは、よっぽど加害者の態度が悪かったのだろうか。
 もしかしたらこの無罪判決は、こんな軽微なくだらない事件を起訴してくるなよという裁判所の遠回しな意思表示かもしれない。あくまで推測だが。

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芸と地位

2013年05月29日 08時58分54秒 | 日々の出来事・雑記

 朝、テレビをつけたら、サンミュージックの相澤会長が亡くなったとのニュースが流れていた。それも結構長く。こんなどうでもいいニュースを何分やってるんだろう。
 しかし、その気になればなんでも考える材料になる。
 例えば、サンミュージックにはいろんな芸能人がいる。その中で、消えてしまう人もいれば、松田聖子のようにしぶとく生き残る芸能人がいる。それってなんだろう。才能か。
 そのことをちょっと文章にしてみよう。
 
ニュースの中で松田聖子が「逢いたい」という歌を歌っているシーンがあった。うまいなぁと思った。デビュー当時と比べて確実にレベルが上がっている。


 一方、酒井法子もテレビに出ていた。確かに綺麗でいい女だ。しかし、彼女程度の綺麗さは芸能界では普通だろう。綺麗さも人の心を動かす。しかし悲しいかな時間が経てば美しさは消耗する。
 
 
 松田聖子と酒井法子の本質的な違いは何なのだろうか。
 そこで芸が好きか地位が好きかの違いなのではないかと仮説を立ててみる。
 地位は、他人からの評価である。他人の評価が地位をつくる。だから、他人がどう思うかが重要である。
 一方、芸は本質的には個人の内面の問題である。自分の中にあるモヤモヤとしたものを掴まえ、それを表現したいという欲求である。表現は内的エネルギーと関係している。エネルギーが強ければ強いほど外に出るものは強烈になる。その表現が人の心を動かせば金も動くから、完全に個人的なものではないかもしれない。しかし、それは結果論である。
 もちろん、その両者が交じり合っているのだと思う。純粋に芸だけ追求している人は少ないし、金と地位だけ欲しくて芸能人になりたい人は成功しない。だから、究極的にどちらかを選べと言われたらどうするかの問題である。
 有名になれば金も地位もついてくる。しかし、それに溺れてしまう人はそこから成長することはない。自分自身を表現し人の心を動かしたいと考える人は、大金を手に入れ芸能界での地位が高くなっても、それに満足することはない。
 この違いは、時間が経つにつれて決定的なものになるだろう。

 また、酒井法子つながりで、押尾学について考えてみる。
 例えば、彼がもう一度芸能界での地位を望んでも、満足するような地位は得られないだろう。覚せい剤だけではなく、セックススキャンダルで人が死んでいるからである。人々はそれを忘れない。
 しかし、表現者、芸術家の道を真摯に目指したらどうなるか。
 私は、人々に評価されないかもしれないが、もしかしたら芸術家として大成する可能性を秘めているのではないかと思っている。
 それは彼の悪さ故である。
 別に優れた芸術家になるために犯罪者になる必要はない。しかし、自分の中にあるドロドロとした醜悪な部分に向き合わなくては、優れた表現はできない。優れた表現には必ず人間臭い部分がある。人間臭さとは醜悪な部分である。
 自分の内面と真摯に向き合い、そのモヤモヤとした部分に光をあて、それを表現し、それに共感する者が一人でもいれば、芸術家としては成功だといえるのではないだろうか。
 そのように自分を鍛錬していけば、死ぬまで終わりはない。 

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最近、泣いたこと

2013年05月28日 08時51分55秒 | 日々の出来事・雑記

 昔はテレビドラマなんかで感動的な話を見たりすると、それがくさい演技でも泣いたりしたものだ。しかし、最近は何を見ても感動することもなくあまり泣かなくなった。
 その理由を考えてみた。
 多分、人間というものを複合的にみる癖がついてしまったのだと思う。ついつい感動的な話の裏の事情を考えてしまうのだ。斜に構えて物事を見てしまうのかもしれない。
 いつの間にかそんな風になってしまった。
 しかし、ちょっと前に何かの番組で、秋川さんが「千の風になって」を歌っていて、それを聴いて泣いてしまった。
 なんだろうこの感じはと、考えている。それは決して悲しい涙ではない。死んでしまって悲しいけれど、死んでも楽しそうにやってるから良かったよ、という感じの涙である。

 そして、この涙を流したあと、俺はまだ大丈夫だ、と思った。俺の中にあたたかいものがあるんだなぁと。
 自分の中に相反する矛盾した二面性(残酷さとあたたかさ)がある。その自分の二面性を知れば知るほど、他人の欠点を許すことができるのだろうと思う。

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DV問題について

2013年05月24日 09時00分55秒 | 社会・政治・思想哲学

 最近、DV夫による暴力事件が何件かあった。DV事件は毎年増加傾向にある。
 男女間の問題はそれぞれ個別的な事情がある。だから、簡単に一般化できない。しかし、確実にいえることは、男が女に暴力を振るったらそれで負けである。
 男性が女性に暴力を振るうのは、女性に対する過度の支配欲・所有欲にある。
 一般的に、男性は所有、女性は関係性といわれる。
 つまり、男は対象物をどう支配するかという点に興味をもつのに対し、女性は対象物とどう関係するのかに興味をもつ。
 これは人間関係にも当てはまる。男性は人を支配したがるのである。しかし、奴隷制度があった時代ならいざしらず、現代において人を所有するという考え方をすれば必ずトラブルが起きる。だから人間関係をうまく継続していくためには、女性的な視点がどうしても必要になる。
 
 愛し合っているうちはいいが、冷めてくると争いが増えるようになる。そうしたら、まずはどう関係性を修復するかを考えるべきである。そして、それができない時は、さっさと別れるほうがいい。
 しかし、支配的な男性と付き合ってしまったら、そう簡単にはいかない。多かれ少なかれ暴力の問題が顕在化する。
 支配は陣取りゲームである。暴力的に奪うか暴力を使って追い出すかである。だから、女性は支配しようとする男性に対しては、男性的な考え方をしなくてはならない。つまり、暴力に対しては暴力で対向するということである。殴られたら金属バットで殴り返すのが正解である。殺されるくらいなら殺せである。
 しかし、力で対抗しようと思っても女性は体力的に負けてしまう。だから、自分の代わりに戦ってくれる男の友人をたくさん作るべきである。
 徹底的に戦わなくては、その不条理な支配から逃れられない。
 
 また、男性にアドバイスする。
 女性と喧嘩が絶えなくなったら有形的な暴力は絶対使ってはいけない。賢い女性は男性に暴力を振るわせるように仕向けるからだ。一回、暴力を振るったら、何回もそのことを言われる。
 女性は間接的な心理戦に長けている。だから、女性の特性を十分研究してその行動を先に読み切ることだ。人間関係の微妙な駆け引きについて男は鈍い。だから、心理戦では女性にいいようにやられてしまう。
 しかし、男は戦うと決めた時からの分析力は長けている。それ故、その気になれば負けない。戦うと決断したら、冷静に相手の行動を分析することだ。
 もっといえば、争いになる前に、女性のしぐさや言動を十分に観察しておくべきである。結局それが、女性に関心を払うことになり二人の関係を良好にする。微妙な心理を読むことで女性のことを深く知ることになるからである。
 
 当たり前だが、喧嘩より末永く仲良く暮らしていくことが望ましい。だから、そうするにはどうしたら良いか考えることが重要だろう。
 私たちはどう知り合うかばかり興味をもち、どう継続するかを考えなさすぎる。

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日本の農業について イスラエルと比較してみる

2013年05月22日 08時58分26秒 | 社会・政治・思想哲学

 安倍総理が経済政策の一環として、農業・農村の所得を倍増する目標を掲げた。これについては「補助金行政の復活だ」などの批判もある。
 しかし、私は世界の人口増加がいまだ続いている現在、食料とエネルギーをどのように確保するのかが、政治家の大きな課題だと考えている。したがって、この政策は必ずしも間違いではない。
 ただ、問題は方法論である。日本はイメージとは逆に農作物に農薬と肥料がたくさん使われている。農薬をたくさん使えば健康的にも問題があるし、肥料を多く使えばコストがかかる。
 日本人は野菜の形状について、潔癖症すぎるのではないだろうか。少しくらい虫に食われていても問題はない。無農薬でかつ虫がつかないようにするには、遺伝子組み換えの種を使うしかない。
 
 私たちが手本とすべきは、イスラエルの農業である。イスラエルの国土面積は世界第152位で狭い。22072平方キロメートルである(ちなみに日本は377930平方キロメートルで62位)。そしてその60%が砂漠である。
 このような過酷な条件で、補助金なしで利益を出せる世界トップの農業生産国となった。食料自給率は93%以上である。水と豊かな土壌に恵まれた日本より圧倒的に効率がいい。
 なぜこのようなことが可能だったのだろうか。それは農業にITを取り入れ、少ない水を効率よく使った結果である。
 これは日本の省エネ技術と通じるところがある。少ないから大切に使うのである。
 
 地球はひとつしかないから、物質的資源には限界がある。中国人ひとりひとりを日本人とおなじ生活レベルにするには、地球三つ必要である。だから、現実に人口が増加する世界で経済成長するためには、1%の人間に富を集中させ格差を拡大するしかない。このような物質的な限界が存在する以上、全員が仲良く手をつないで裕福になることはできない。
 人類が戦争をしないで生き延びるためには、エネルギーに関する技術革新と農業の徹底した効率化が求められる。
 私はエネルギー革命については、日本で起きる可能性が高いと思っている。日本はエネルギーに関する危機意識が高いからである。しかし、農業に関しては、今の飽食状態では難しいだろう。だから、素直に他国から学ぶべきである。

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2013 5月3日~5日 ゴールデンウィークの鳳凰三山

2013年05月16日 08時25分00秒 | 登山

 アップするのが遅くなってしまった。
 天気がよく景色が最高で素晴らしい登山だった。ただ、走りこみが足りず体力的に厳しい登山でもあった。
 天気が良く雲が少ないと放射冷却で朝晩は冷える。ちなみに放射冷却とは地球の熱が宇宙に奪われることである。雲があればそれが布団のようになって熱は奪われない。
 放射冷却ゆえ朝はマイナス15℃くらいに冷え込んだ。久しぶりに寒さで背骨がブルブルと震えた。つまり、死ぬほど寒かったということである。
 疲れと寒さの両方で、下山途中で具合が悪くなった。そして、休み明けもずーっと体調がおかしかった。帰りの温泉で体重を測ったら、75キロくらいあった。多分、過去最高の体重だと思う。筋肉はモリモリしているが、脂肪もたくさんある。体重を落とさなければ、長い距離は歩けない。登山をしたいなら、筋トレはやめて脂肪を燃やす有酸素運動に切り替えなくてはならない。
 今はガンガン走りこみをやっている。それでなんとか体調は回復した。割れた腹筋が戻るまで走りこみをしようと思っている。
 

 

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「何かにハマる」ことの必要性と危険性

2013年05月15日 08時59分21秒 | 身体・健康・筋トレ

 英語に「addictive」(アディクティブ)という言葉がある。日本語にすると常習癖、中毒性、病みつきになる、ハマるなどの意味だろうか。
 アディクティブがひどくなると「dependence」(依存症)になる。
 タバコ、アルコールなどの嗜好品だけではなく、よく売れる優れた商品には必ず中毒性がある。リピーターはその商品にハマッてしまった常習者である。
 この中毒性はドーパミンに関係している。ドーパミンは神経伝達物質である。その役割は人を心地良い気持ちにさせ、行動をうながすことである。気持ちがいいからある行為を繰り返す。
 老化するとこのドーパミンが不足する。すると新しいことに挑戦し、新たなことを習慣化することが無くなる。周囲に対する興味を失い、行動範囲が狭くなる。そして運動量も減って体が動かなくなる。だから、老化したくなかったら何かにハマることが大事になる。
 ただ、思いつくだけでも2つ問題がある。
 1つは、病みつきになるものには何かしら不健全なものが付きまとうことである。人は健全なものにはあまりハマらない。
 もう1つは、ドーパミンはある行動を繰り返し、かつより強いものを求めることである。だから、ハマればハマるほどどんどん強い快楽を求め、依存症になりやすくなる。
 人にものを売り込もうとする人間は、常にこの中毒性の有用性と怖さを自覚しておく必要がある。例えば、麻薬である。麻薬が儲かることは、言うまでもないが、依存症になれば社会問題になる。パチンコなんかもそうだろう。
 人を惹きつけるものは、楽しいが危険なものなのである。
 

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思考停止中に利益を収奪する人々

2013年05月02日 08時51分12秒 | 社会・政治・思想哲学

 東日本大震災で代替エネルギーに注目が集まる中、大規模太陽光発電所(メガソーラー)を展開する中国系を中心とした外資系企業が、東北で土地確保を本格化させている。国が固定価格買い取り制度を開始して「採算ベースに乗った」(資源エネルギー庁)という背景があるが、地元からは「制度を利用して利益をあげたら撤退するのでは」と不安の声もあがる。国はエネルギーセキュリティーの重視を掲げるが、国内メーカーの競争力低下を勘案しないままの門戸開放に疑問符が付いている。(大泉晋之助、渡辺陽子)


 「未利用地の有効活用につながる」。市有地2カ所で中国系企業によるメガソーラー事業が予定される岩手県奥州市では、担当者が参入を歓迎した。場所の一つは、解散手続きをしていた土地開発公社の未利用地約4・3ヘクタール。処分しようとしていたところ落札したのが、メガソーラーを開発し世界で事業展開する中国系企業だった。


MSN産経ニュース引用


 
 安倍首相がロシア、サウジアラビアと外遊している。領土問題などもあるが、実質的には安定的なエネルギー確保を盤石にするためのものである。原子力発電が止められ、安定した電力供給のためには火力発電に頼らざるえず、それには化石燃料が必要となるからだ。
 いわゆる再生可能エネルギーは、一時もてはやされたが、安定的な供給が不可能なためほとんど役に立たない。
 にも関わらず引用したニュースによると、中国系企業がソーラーパネルを設置するため東北の土地確保を本格化させているという。
 それはなぜか。
 
 2012年7月から、国が再生可能エネルギーによる発電の固定買取制度を始めた。興味のある方は資源エネルギー庁の動画をどうぞ。
 買取価格は太陽光・10kw以上で、42円である。これはおおよそドイツの買取価格の倍の値段である。そして最近ドイツは買取価格が高すぎるから値下げを検討しているという。
 買取価格制度の金の流れは一見複雑だが、この高い電力を国民が負担し、太陽光発電をする企業がその利益を受ける。
 簡単にいえば、この買取制度は国民の財産が中国系の太陽光発電企業に流れる富収奪システムといえるだろう。はっきり調べたわけではないが、この中国系の企業に資本を提供しているのは欧米のファンドだろうと推測される。
 また、最近の太陽光パネルのシェアは中国・台湾がトップであり、日本を完全に抜いている。その面でも、日本にはなんのメリットもない。
 この日本の富の収奪システムは、菅内閣の時に決定された。
 東北の震災の時に日本国民はショックをうけて思考が停止してしまった。それ自体は仕方がない。しかし、それに乗じて利益を得ようとする人々がいる。
 もうそろそろ日本人も冷静にいろんなことを判断する時期に来ているのではないだろうか。
 私は原子力の再稼働を支持する。もちろん、安全性は重要だ。しかし、トレードオフである。なんでも100%安全ということはありえないからである。

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