先日スターバックスのケースの話を書いた。繰り返すが一般的にアメリカで飲むコーヒーは不味い。町中のレストランやカフェで飲むコーヒーは味と香りが驚くほど無い。もしかしたら東海岸や西海岸の大都市なんかでは美味しいカフェがあるのかもしれないが、たとえばスタバの本拠地シアトルでさえそうしたカフェの存在が珍しいようなので、こんな風に決めつけるのもあながち無茶ではなさそうだ。
ではアメリカのコーヒーが不味い理由はいったい何か、先日のエントリにさっそく質問をいただいたので、当のケース(HBSの"Howard Schultz and Starbucks Coffee Company")に書かれていた理由をご紹介したい。ケースはCopyrightの規定が非常に厳しいので、私が意訳(超訳か?)します。
北アメリカにコーヒーが齎されたのは1600年代初頭だそうである。1670年頃までにはビールに代わってコーヒーがニューヨーク市民の朝食時の飲み物になっていた(それまでがビールだったのがすごい)。17世紀末にはボストンやニューヨークといった植民都市にコーヒーハウスが現れる。ただしこれらの都市に住む人々は、まだコーヒーよりも紅茶を好んでいたらしい(まあイギリス出身の人々ですからね)。だがこの習慣を変える決定的な事件が1773年に起こる。「ボストン茶会事件」である(そういや昔世界史で習ったなあ。懐かしや)。植民地を搾取する本国イギリスの政策に反発する形で、紅茶の不買運動が植民地アメリカに広がっていく。アメリカにおけるコーヒーの消費はその後ゆっくりと、だが着実に増えていった。19世紀半ばの南北戦争においてコーヒーは兵士たちの重要な食料のひとつだった。そして南北戦争後、コーヒーの値段は劇的に下がり、1870年には水とコーヒーがアメリカにおけるもっともポピュラーな(ノンアルコールの)飲料になっていた。
ん。あれ。いかん。えらい昔の話から書いてしまった。これではいつになってもアメリカのコーヒーが不味い理由にたどりつかんぞ。ちょっと端折って一気に第二次大戦後までいきます。
1946年の段階で、アメリカ人は平均して1年間に約40ガロン(約150リットル)のコーヒーを消費している。50年代、60年代にはニューヨークやサンフランシスコのカフェは、作家やミュージシャンや画家たちが頻繁に出入りし、カフェ自身が(パリのカフェがそうであったように)社会的、文化的イコンとなる。
一方で60年代半ばにはスーパーマーケットがコーヒー豆の販売チャネルとして圧倒的なシェアを占めるようになっていた。スーパーの売り場争い(お客さんのよく目につく場所の取りあい)が激化するにつれて、小さな企業は撤退したり、Nestle、General Foods、Hills Brothers、Standard Brandsといった少数の大企業に統合されていく。これらビッグ・プレイヤーがマーケットシェアの拡大を目指してとった戦略はクーポンや割引等を利用した徹底的な価格競争であった。価格競争に伴って、これまた徹底して低コスト化を模索する。各社とも味は落ちるが値段が安いコーヒー豆をブレンドし始め、そしてその比率はどんどん高まっていった。インスタントコーヒー用の豆もどんどん粗悪なものに入れ替わっていく。
こうしたコーヒーの質の低下により、戦後の大多数のアメリカ人は本来のコーヒー豆の味を知らないで育つことになる。なぜなら彼らは普通スーパーマーケットでしかコーヒーを買わないからだ。彼らはエスプレッソを飲んだこともないし、コーヒーを挽くこともないし、そもそもそんなことをしようと思ったこともなかった。
こういうアメリカのコーヒー業界の状況を見たハワード・シュルツさんが、「これはイケる!」と思って作ったのがスターバックス(といっても実は創始者ではないんですが)なんだそうである。で、ここからケースそのものは本題に入るわけですが、それは省略。機会があったらぜひ読んでみてください。実に面白いケースです。
しかし企業の競争が消費者の舌の質まで下げてしまうってのが恐ろしいですね。1950年代に、サンフランシスコでコーヒーの輸入業者をしていたアルフレッド・ピートという人が、アメリカにおけるコーヒーの惨状を見てこう嘆いたそうな。
「なぜ世界で一番裕福な国に住んでいて、こんなにひどい質のコーヒーを飲んでいるか私にはまったく理解できない」。いやはや。
ではアメリカのコーヒーが不味い理由はいったい何か、先日のエントリにさっそく質問をいただいたので、当のケース(HBSの"Howard Schultz and Starbucks Coffee Company")に書かれていた理由をご紹介したい。ケースはCopyrightの規定が非常に厳しいので、私が意訳(超訳か?)します。
北アメリカにコーヒーが齎されたのは1600年代初頭だそうである。1670年頃までにはビールに代わってコーヒーがニューヨーク市民の朝食時の飲み物になっていた(それまでがビールだったのがすごい)。17世紀末にはボストンやニューヨークといった植民都市にコーヒーハウスが現れる。ただしこれらの都市に住む人々は、まだコーヒーよりも紅茶を好んでいたらしい(まあイギリス出身の人々ですからね)。だがこの習慣を変える決定的な事件が1773年に起こる。「ボストン茶会事件」である(そういや昔世界史で習ったなあ。懐かしや)。植民地を搾取する本国イギリスの政策に反発する形で、紅茶の不買運動が植民地アメリカに広がっていく。アメリカにおけるコーヒーの消費はその後ゆっくりと、だが着実に増えていった。19世紀半ばの南北戦争においてコーヒーは兵士たちの重要な食料のひとつだった。そして南北戦争後、コーヒーの値段は劇的に下がり、1870年には水とコーヒーがアメリカにおけるもっともポピュラーな(ノンアルコールの)飲料になっていた。
ん。あれ。いかん。えらい昔の話から書いてしまった。これではいつになってもアメリカのコーヒーが不味い理由にたどりつかんぞ。ちょっと端折って一気に第二次大戦後までいきます。
1946年の段階で、アメリカ人は平均して1年間に約40ガロン(約150リットル)のコーヒーを消費している。50年代、60年代にはニューヨークやサンフランシスコのカフェは、作家やミュージシャンや画家たちが頻繁に出入りし、カフェ自身が(パリのカフェがそうであったように)社会的、文化的イコンとなる。
一方で60年代半ばにはスーパーマーケットがコーヒー豆の販売チャネルとして圧倒的なシェアを占めるようになっていた。スーパーの売り場争い(お客さんのよく目につく場所の取りあい)が激化するにつれて、小さな企業は撤退したり、Nestle、General Foods、Hills Brothers、Standard Brandsといった少数の大企業に統合されていく。これらビッグ・プレイヤーがマーケットシェアの拡大を目指してとった戦略はクーポンや割引等を利用した徹底的な価格競争であった。価格競争に伴って、これまた徹底して低コスト化を模索する。各社とも味は落ちるが値段が安いコーヒー豆をブレンドし始め、そしてその比率はどんどん高まっていった。インスタントコーヒー用の豆もどんどん粗悪なものに入れ替わっていく。
こうしたコーヒーの質の低下により、戦後の大多数のアメリカ人は本来のコーヒー豆の味を知らないで育つことになる。なぜなら彼らは普通スーパーマーケットでしかコーヒーを買わないからだ。彼らはエスプレッソを飲んだこともないし、コーヒーを挽くこともないし、そもそもそんなことをしようと思ったこともなかった。
こういうアメリカのコーヒー業界の状況を見たハワード・シュルツさんが、「これはイケる!」と思って作ったのがスターバックス(といっても実は創始者ではないんですが)なんだそうである。で、ここからケースそのものは本題に入るわけですが、それは省略。機会があったらぜひ読んでみてください。実に面白いケースです。
しかし企業の競争が消費者の舌の質まで下げてしまうってのが恐ろしいですね。1950年代に、サンフランシスコでコーヒーの輸入業者をしていたアルフレッド・ピートという人が、アメリカにおけるコーヒーの惨状を見てこう嘆いたそうな。
「なぜ世界で一番裕福な国に住んでいて、こんなにひどい質のコーヒーを飲んでいるか私にはまったく理解できない」。いやはや。
私は元来紅茶派で、コーヒーはほとんど飲んでいなかったのですが、アメリカに住むようになってから徐々にではありますがコーヒーを飲むようになりました。
が、おっしゃるとおりアメリカのコーヒーを飲んで「美味しい」と思ったことは一度もありません。
以前日本で大のコーヒー党の知人が淹れてくれた中米産のコーヒーをいただいたときは「おぉ、なんてコクがあるんだ」と感心したものですが、正直言いましてアメリカで飲むコーヒーは村上春樹が言うところの「泥水のような味」にしか感じられません。
デカフなぞ論外ですね。
スターバックスがこっちで受ける理由がよくわかります。他に強力なライバルがそんなに見当たらないですもんね(美味しい喫茶店とか)。ま。それって中西部だけなのかもしれませんけど。
デカフェはダメですね。っちゅーかそれって「牛丼の牛肉抜き」とか「あんぱんのアンコ抜き」みたいなもんじゃないのかと思うのですが。
#ブログ拝見しました。アメリカに住んでらっしゃるんですね。
マンハッタンの場合、当時において例外であったのは、グリニッジ・ビレッジにあった、カフェ・フィガロ等のイタリア系カフェ。あのあたりは、本格的なエスプレッソとか飲めたのですが、いわゆる、マニア・アイテムという感じだったのでしょうね。
それにしても、ハーバードのケースの産業解説。香り高いですね。
ハーバードのケース、このスターバックスに限らず、企業のバックグラウンドから業界全体の歴史や現状まで、過不足なく(というか過剰気味?)網羅されていて読み物として非常によくできていると思います。教科書を読むよりもずっと楽しいですね。