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上海歴史散策(4) -キャセイ・シアター編-

2013年07月07日 19時14分29秒 | -中国-
上海市街地のど真ん中、かつてフランス租界の目抜き通りだったAvenue Joffre(現・淮海中路)と、
Route Mercier(現・茂名南路)が交わる交差点の角に、租界時代に建てられた映画館が今も残る。

その名は、キャセイ・シアター/Cathay Theater(現・国泰電影院)。




キャセイ・シアターは、1932年(昭和7年)の元旦にオープン。
競馬場(現・人民広場)北側に建つグランド・シアター(現・大光明電影院)と並び評される
上海租界が誇る屈指の豪華映画館でした。

キャセイ・シアター前のAvenue Joffre(現・淮海中路)。今も当時の華やかな雰囲気を残している。



上海租界では、欧米映画が流行し早くから映画文化が発展していました。
特に1920年代以降、快楽的・享楽的アメリカ文化が上海に流入するとともに、ハリウッド映画などのアメリカ映画が席巻。
租界にいくつもの映画館がオープンし、多くの観客を集めていました。

また、欧米の映画が上映されるだけでなく、上海租界には多くの映画会社があり、
1930~40年代、中国の映画の90パーセントは上海で作られていたといいます。

そのため上海は、「東洋のハリウッド」とも呼ばれていました。




この当時に書かれた上海租界を舞台にした小説を読むと、映画の話がよく出てきます。

数年前に話題となった日本占領下の上海が舞台の映画『ラスト、コーション』。
その原作者で、自身も上海租界に住んでいた女流作家のアイリーン・チャンは、同じく上海租界を舞台にした
短編小説『愛ゆえに』の冒頭で、租界の映画館をこのように表現しています。

『現代の映画館は、なんと言ってもいちばん大衆化された宮殿だ。総ガラス張り、ベルベット、模造雲母石などから
成り立つ偉大な建築。その映画館は、入り口を入ると床が淡い黄白色だった。まるで黄色いコップが千万倍に拡大
されたかのようで、特にきらきらと光る輝きは、幻想的な美しさと清潔感を与えてくれる。
映画はかなり前から始まっていて、ロビーと通路に人影はなく、ひっそりとしている。
それはまるで皇帝の寵愛を失った妃が住む侘しい宮殿に、遠くの宮殿からの笛や太鼓の音が聞こえてくるという趣だったーー』



今も現役映画館のキャセイ・シアター。



日本の戦前戦後の映画プロデューサー・松崎啓次が日中戦争期に滞在した上海租界を題材にして書いた小説、
『上海人文記』の中にも、松崎とその仲間たちでキャセイ・シアターへ映画を観に行くシーンがあります。

 「ね、映画を観ようよ、『マリー・アントワネット』を。とても良いそうだ。徐小姐、好不好?」
 彼女は「好(ハオ)!」と答えた。
 私(松崎)も言下に答えた。「観よう」
 フランス革命を取り扱った映画で、(天皇制の)日本では到底上映されない映画であった。
 そして、その映画で、ノーマシアラーがカムバックしたと伝えられる名画と、噂が高かった。
 そして、三人はフランス租界のキャセイ・シアターに自動車を走らせたーー

 『マリー・アントワネットは、マリア・テレサの娘にして…』から始まった。
 皇女に生まれた娘の、夢多い日からフランス皇帝の皇后となり、宮廷の裏の闘争の中で妻としての悩み、
 母としての愛、苦悩、そして革命の犠牲になって、しかもギロチンに登るアントワネット。
 私も劉君も呼吸を潜めて、その映画を観ていた。
 ふと気がつくと、横に座った徐小姐の顔に涙が滂沱と流れている。彼女は拭おうともしない。私はそれを不思議に思った。
 泣いている支那の女の顔を初めて見たのだ。それは長い間私の眼底に残って消えなかったーー



夜にライトアップされた租界当時のキャセイ・シアターとAvenue Joffre(現・淮海中路)。



1930年代以降、日中戦争が激化していく中で、武器を使った戦闘のほか、
特に世界各国の機関が集まる上海租界では激しい「文化工作」が行われていました。

その「工作」の主な対象が映画でした。

1930年代後半から太平洋戦争開戦と同時に日本軍が英米仏軍を追い出し上海租界全域を占領する1941年まで、
上海事変で日本軍に占領された上海にあって租界中心の旧イギリス租界とフランス租界だけは、強力な英米仏軍に守られて、
日本軍の影響が及ばない「陸の孤島」として戦争前と変わらず自由と繁栄を謳歌し続けていました。

日本軍が手を出せない租界では、中国国民党政府が主導して反日プロパガンダ映画が次々と作られ、
中国の人たちの反日意識や戦意の高揚を促していました。

日本側もこの状況に黙って手をこまねいていた訳ではなく、上述の松崎らは軍の命を受けて旧イギリス租界に
日中合弁の映画会社を設立し、反蒋介石、大東亜新秩序…などの日本側の主張を織り込んだ映画を上映しました。

こうして映画という文化面でも、上海租界を舞台に日本と中国は激しいプロパガンダ合戦を行っていたのでした。


現在も当時の面影のまま残るキャセイ・シアター。
まさに映画のストーリーのような激動の時代を生き抜き、現役の映画館として人々に映画を楽しませつつも、
今にその歴史を伝えています。




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4 コメント

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娘の留学先 上海へ行って来ました (祥子)
2014-03-30 23:18:45
上の娘の留学先、上海へ、下の娘と行ってきました。
行くにあったて、ざっと、上海の歴史を知っておきたいと、
苦手なPCを駆使して、こちらのブログを見つけ、旅立つ3日前から、(上海歴史散歩1~4)を読み、参考にさせて頂きました。
おかげさまで、あちこちで出会う、歴史を感じさせてくれる建物を、ただ眺めるだけでなく、その積み重ねられた時間の重みを受け取ることができました。
宿泊先のホテルは、偶然にも、キャセイ・シアターのすぐそばで、何度も近くを通る事が出来て、嬉しかったです。
素敵なブログのおかげです。ありがとうございました。
ありがとうございます (new-beatle)
2014-03-31 22:33:50
コメントありがとうございます。
大した内容ではないブログですがお役に立てて良かったです。
最近更新が滞ってますが、上海についてもまた随時記事を載せていきますので
また覗いていただけると嬉しいです。
もう一度上海へ (祥子)
2014-06-26 23:26:14
娘が帰国する前に、もう一度行きたくて、今度は一人で行って来ました。
と、言うのも、かつて日本人租界とよばれたエリア、虹口に、行ってみたかったのです。
でも、娘も、よくわからないと言うので、ガイドブックの虹口の頁にあった、(多倫路文化名人街には、1920年代の街並みを再現した通りがある)をたよりに、雰囲気だけでも感じたくて、行ってみました。
そこの石畳の通りには、まるで昔の床屋さん、だけど、現役バリバリなお店があったり、面白い街並みでした。
二度目だったので、地下鉄乗降にも、ルートにも、すっかり慣れ、一人で、老西門の東台路骨董街や、南京西路の伊勢丹や、向かいの静安別シューにも、行けました。
もう一度行って、今度は、外灘の、歴史的建造物を、ひとつずつ、ゆっくり見て回りたいです。でも、娘は、今度の日曜日に帰国してしまいます。
でも、また行きたいです。
ひとつだけ、質問が。七宝って、テーマパークなんですか?

七宝と虹口 (new-beatle)
2014-06-28 08:08:34
七宝はテーマパークというより、もともと水郷の町だったところを観光地化させたところですね。地下鉄でもいけるので行きやすい水郷だと思います。

虹口は以前記事にも載せてますのでもしよかったら覗いてみてください。
↓↓↓
http://blog.goo.ne.jp/new-beatle1978/e/77cd95f52b85fd9d74009b15c7a2a3da

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