■ホータンというオアシスの町
ホータンは、タクラマカン砂漠の南、クンルン山脈の北麓に位置する南疆オアシスの町だ。
古代から東西を結ぶシルクロード「西域南道」沿いのオアシスとして栄え、
ホータン王国などのオアシス都市王国によって統治されていた。
かつては仏教が盛んで、天竺(インド)から戻った玄奘三蔵やその他著名な中国僧が訪れるなど仏教国として繁栄したが、
11世紀以降、トュルク(トルコ)系イスラム国のカラハン朝がこの地を支配して以降、トュルク化、イスラム化して現在に至る。
ホータンの住民のほとんどはウイグル人。
ウルムチ、カシュガルなど新疆ウイグル自治区のその他の都市と比べてもウイグル人比率はとても高い。
南疆の町はまだまだ古いシルクロードの素朴な雰囲気を残している。
しかし、都市の発展の波はホータンにも押し寄せていて、のどかな南疆の町も変わりつつある。
さて、ホータンには有名な特産品が二つある。
それは、玉(ぎょく)と絨毯(じゅうたん)だ。
ホータンの町の中心近くには、クンルン山脈の雪解け水に源を発するユルンカシュ河(ホータン河)が流れている。
この河はタクラマカン砂漠を縦断しているが、川の水は雪解け水が流れる夏場しかない。
このホータン河ではヒスイの一種である「玉(ぎょく)」が採れる。
ホータンの玉の歴史は古く、シルクロードの名前の由来となった「絹(シルク)」よりも早く、4000~5000年前から玉の道を作り出し、
中央アジア、イラン、アラブ、さらにはヨーロッパまで運ばれて重宝された。
中国人はヒスイが大好きで、今でも中国各地でホータンの玉が売られており人気を集めている。
ホータンの町中には、『和田玉』(←「わだたま」ではなく「ホータンぎょく」)とデカデカと書かれた看板を
至るところで目にすることが出来る。
ホータンの町歩き初日は、そんなホータンの特産品である「玉」探しと、もう一つの特産品「絨毯」の工場へ行ってみることにした。
■ホータンの玉「和田玉」探し
まずは和田玉探しにユルンカシュ河へと向かう。
ユルンカシュ河はホータンの町の中心から東へ数km離れたところを流れている。
町の中心からは市バスに乗って向かった。
が、乗ったバスはユルンカシュ河のだいぶ手前で終点となってしまい、仕方なくそこから歩いて向かう。
強い日差しの中、埃っぽい通り沿いをしばらく歩く。
町の中心部から少し離れた場所は、昔ながらなのウイグル人住居が並び、ロバ車がゆったりと走っていく一方、
自動車やバイクの交通量も多い。
汗だくになりながら、やっとユルンカシュ河へ到着。
河には町の中心から延びる道路の橋が架かっている。
かなり川幅が広い。
しかし河を流れる水の量はあまり多くないようだ。川の流れはゆったりしている。
さて、さっそく橋を降りて河原を歩いてみた。
河原は丸い石ころが無数にころがっている。まあ日本に流れる川の景色となんら変わるところは無い。
パッと見て、当たり前だけど玉らしきものは見当たらない。
河原のところどころで男たちが固まってしゃがみこんでいる。
どうやら玉を捜しているようだ。
近くで集まって玉を探している男たちがいた。
「玉は採れる?」
その男たちにちょっと声を掛けてみた。
男たちは笑顔で頭を横に振る。
真剣に探しているようには見えなかった。
暇つぶしと、見つかればラッキー!ぐらいのノリで仲間が集まっておしゃべりしながら玉を探しているといった感じだ。
河で泳ぐ若者たち。楽しそうやなー。
それをうらやましそうに眺める女性。
女性は男たちと同じように服脱いでパンツで泳ぐなんてことはできないからね。ましてやイスラム教徒なら。
若者たちが泳いでいるすぐ横で洗車してる…。
そんなことで、河原をふらふら歩いて玉探しの真似事をしただけで終わった。
河原から再び橋へ上り、橋を渡って川の向こう側へ。
河のすぐそばでは、玉を扱う市場があった。
そこには、目の前の河で採れたばかり?のたくさんの玉が並んでいた。
入口辺りで男たちが集まっていて、何やら言い合いをしてるように見える。
男たちの手には石…、いや、玉が握られていた。
どうやら玉の売買の交渉が行われているようだ。
河原で値打ちモノの玉を見つけたりしたら、そりゃかなりの額で売れるのだろう。
一攫千金を目指して、この日も河原でせっせと玉探しに励む男たち。
しかし、どう見ても石と玉の境目がよく分からん…。
玉を買い付けに来た中国人らが真剣に品定めをしていたが、はっきり言ってこの白い石ころの価値をまったく理解していない僕は、
先ほど見た河のころがっている石ころとどこが違うのか、この玉のどこが良いのか、結局最後までさっぱり分からないままだった。。
■絨毯工場を訪問
玉と並び、ホータンの特産品である絨毯。
ホータン郊外にある絨毯工場では、一般者でも工場の中に入って見学ができるということで、その工場を訪問してみることに。
ユルンカシュ河から工場までは地図上では近くに見えたが、歩くと意外と遠かった。
ジリジリと照りつける太陽の下を歩き、時折通っていく大型トラックの巻き上げる砂埃を全身に浴びながら、やっとのことで絨毯工場へ到着。
工場の入口には守衛さんその他誰もいない。。
勝手に入っていいものか不安になるが、とりあえず敷地の中へ入ってみた。
工場の敷地無いは緑が多く植えられていて、静かな落ち着いた雰囲気。
入口からまっすぐ進むと、右手に大きな建物があり、ここが絨毯を織っている場所らしい。
自分以外に見学者はいないようで、しかも見学手順もよく分からない。
建物に入ろうとしたとき工場で働いているウイグル人女性とすれ違うが、とくに呼び止められもせず中に入っていけた。
建物の中へ入ると、大きな絨毯がたくさん吊るされていて、たくさんのウイグル人女性たちが作業をしていた。
白い縦糸が上から吊るされていて、その下に様々な色の糸も吊るされている。
その吊るされた糸の下に、一列4~5人のウイグル人女性が横一列に座って、ひたすら糸を織り込んでいる。
一枚の絨毯はとても大きい。
手作業でこの大きな絨毯を織り込んでいくのは途方も無い作業に思える。
それでも、ウイグル人女性たちは、黙々と、そしてテキパキとすばやく作業を進めている。
この工場で働いている人は、ほとんどが女性。
時折、女性同士談笑しながら、楽しそうに働いているようだ。
日本でもよく見る、主婦のパートさんたちが集まって作業している感じかな。
みんなものすごく作業が速い。
白い糸に色の付いた糸を絡めてから、先の曲がったナイフで切るという作業を素早くひたすら続けている。
出来上がった絨毯。
様々な色の糸が入り組んだ複雑な模様が特徴だ。
僕のような部外者が勝手に入っていって、作業しているすぐそばで写真をパシャパシャ撮っていても、
誰も気にしているそぶりは無い。。
散乱している様々な色の糸。細かい作業であることを物語っている。
よく、こういう工芸品類の工場見学というと、見学後にその出来上がった工芸品類を売りつけられるというようなことがあるのだけど、
ここは誰も僕を気に留めることも無く、もちろん絨毯を売りつけようなどと言い寄ってくる人もいない。
静かに、そしてじっくりと、ホータンの特産品である絨毯が作られている様を見学することができた。
ウイグルの町々のバザールでよく目にする絨毯が、どのように作られているかを間近で見ることができて貴重な体験だった。
ひと通り見学をした後、絨毯工場を離れホータン中心部へと歩いて戻った。
■ホータンのバザールエリアで夕食
町の中心部へ戻ったころ、ホータンのバザールエリアは夕方の買い物客や夕食を屋台で食べる人たちでごった返していた。
シルクロードのどの町でも、バザールエリアは活気があってイイ。
太陽も沈んで、シルクロードの町に涼やかな風が吹いてきて気持ちが良い。
涼しい風が吹くと共に町が活気に溢れてくる夜8~9時ごろ。
シルクロードで僕が一番好きな時間帯だ。
山積みされたスイカ。シルクロードは豊富な雪解け水のおかげで果物が豊富だ。
一軒の屋台のポロ屋さんで夕食を食べた。
ポロは、ウイグルの代表的な料理の一つで、お米を羊肉やニンジンなどの具とともに出汁で炊いたピラフに似たお米料理。
大きな羊肉が上に載せられ、ボリュームたっぷりでかなりお腹いっぱいになった。
シルクロードといえば乾燥した砂漠というイメージが強いけども、新疆ではじつはお米もたくさん作られていて、
豊富に水を蓄えた田んぼを目にすることがある。
ホータンへ向かうバスから、一面に広がる緑の田んぼの景色が見えた。
しかし、その田んぼのすぐ近くには乾燥した砂漠が広がっている。
「田んぼ」と「砂漠」のコラボレーションという、日本ではまず見ることができない不思議な景色だった。
食事後、辺りを散策しながら、賑やかな夜のホータンのバザールを満喫した。
翌日は日曜日。
新疆最大規模を誇るホータンの日曜バザールを訪れます。
(つづく)
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ホータンは、タクラマカン砂漠の南、クンルン山脈の北麓に位置する南疆オアシスの町だ。
古代から東西を結ぶシルクロード「西域南道」沿いのオアシスとして栄え、
ホータン王国などのオアシス都市王国によって統治されていた。
かつては仏教が盛んで、天竺(インド)から戻った玄奘三蔵やその他著名な中国僧が訪れるなど仏教国として繁栄したが、
11世紀以降、トュルク(トルコ)系イスラム国のカラハン朝がこの地を支配して以降、トュルク化、イスラム化して現在に至る。
ホータンの住民のほとんどはウイグル人。
ウルムチ、カシュガルなど新疆ウイグル自治区のその他の都市と比べてもウイグル人比率はとても高い。
南疆の町はまだまだ古いシルクロードの素朴な雰囲気を残している。
しかし、都市の発展の波はホータンにも押し寄せていて、のどかな南疆の町も変わりつつある。
さて、ホータンには有名な特産品が二つある。
それは、玉(ぎょく)と絨毯(じゅうたん)だ。
ホータンの町の中心近くには、クンルン山脈の雪解け水に源を発するユルンカシュ河(ホータン河)が流れている。
この河はタクラマカン砂漠を縦断しているが、川の水は雪解け水が流れる夏場しかない。
このホータン河ではヒスイの一種である「玉(ぎょく)」が採れる。
ホータンの玉の歴史は古く、シルクロードの名前の由来となった「絹(シルク)」よりも早く、4000~5000年前から玉の道を作り出し、
中央アジア、イラン、アラブ、さらにはヨーロッパまで運ばれて重宝された。
中国人はヒスイが大好きで、今でも中国各地でホータンの玉が売られており人気を集めている。
ホータンの町中には、『和田玉』(←「わだたま」ではなく「ホータンぎょく」)とデカデカと書かれた看板を
至るところで目にすることが出来る。
ホータンの町歩き初日は、そんなホータンの特産品である「玉」探しと、もう一つの特産品「絨毯」の工場へ行ってみることにした。
■ホータンの玉「和田玉」探し
まずは和田玉探しにユルンカシュ河へと向かう。
ユルンカシュ河はホータンの町の中心から東へ数km離れたところを流れている。
町の中心からは市バスに乗って向かった。
が、乗ったバスはユルンカシュ河のだいぶ手前で終点となってしまい、仕方なくそこから歩いて向かう。
強い日差しの中、埃っぽい通り沿いをしばらく歩く。
町の中心部から少し離れた場所は、昔ながらなのウイグル人住居が並び、ロバ車がゆったりと走っていく一方、
自動車やバイクの交通量も多い。
汗だくになりながら、やっとユルンカシュ河へ到着。
河には町の中心から延びる道路の橋が架かっている。
かなり川幅が広い。
しかし河を流れる水の量はあまり多くないようだ。川の流れはゆったりしている。
さて、さっそく橋を降りて河原を歩いてみた。
河原は丸い石ころが無数にころがっている。まあ日本に流れる川の景色となんら変わるところは無い。
パッと見て、当たり前だけど玉らしきものは見当たらない。
河原のところどころで男たちが固まってしゃがみこんでいる。
どうやら玉を捜しているようだ。
近くで集まって玉を探している男たちがいた。
「玉は採れる?」
その男たちにちょっと声を掛けてみた。
男たちは笑顔で頭を横に振る。
真剣に探しているようには見えなかった。
暇つぶしと、見つかればラッキー!ぐらいのノリで仲間が集まっておしゃべりしながら玉を探しているといった感じだ。
河で泳ぐ若者たち。楽しそうやなー。
それをうらやましそうに眺める女性。
女性は男たちと同じように服脱いでパンツで泳ぐなんてことはできないからね。ましてやイスラム教徒なら。
若者たちが泳いでいるすぐ横で洗車してる…。
そんなことで、河原をふらふら歩いて玉探しの真似事をしただけで終わった。
河原から再び橋へ上り、橋を渡って川の向こう側へ。
河のすぐそばでは、玉を扱う市場があった。
そこには、目の前の河で採れたばかり?のたくさんの玉が並んでいた。
入口辺りで男たちが集まっていて、何やら言い合いをしてるように見える。
男たちの手には石…、いや、玉が握られていた。
どうやら玉の売買の交渉が行われているようだ。
河原で値打ちモノの玉を見つけたりしたら、そりゃかなりの額で売れるのだろう。
一攫千金を目指して、この日も河原でせっせと玉探しに励む男たち。
しかし、どう見ても石と玉の境目がよく分からん…。
玉を買い付けに来た中国人らが真剣に品定めをしていたが、はっきり言ってこの白い石ころの価値をまったく理解していない僕は、
先ほど見た河のころがっている石ころとどこが違うのか、この玉のどこが良いのか、結局最後までさっぱり分からないままだった。。
■絨毯工場を訪問
玉と並び、ホータンの特産品である絨毯。
ホータン郊外にある絨毯工場では、一般者でも工場の中に入って見学ができるということで、その工場を訪問してみることに。
ユルンカシュ河から工場までは地図上では近くに見えたが、歩くと意外と遠かった。
ジリジリと照りつける太陽の下を歩き、時折通っていく大型トラックの巻き上げる砂埃を全身に浴びながら、やっとのことで絨毯工場へ到着。
工場の入口には守衛さんその他誰もいない。。
勝手に入っていいものか不安になるが、とりあえず敷地の中へ入ってみた。
工場の敷地無いは緑が多く植えられていて、静かな落ち着いた雰囲気。
入口からまっすぐ進むと、右手に大きな建物があり、ここが絨毯を織っている場所らしい。
自分以外に見学者はいないようで、しかも見学手順もよく分からない。
建物に入ろうとしたとき工場で働いているウイグル人女性とすれ違うが、とくに呼び止められもせず中に入っていけた。
建物の中へ入ると、大きな絨毯がたくさん吊るされていて、たくさんのウイグル人女性たちが作業をしていた。
白い縦糸が上から吊るされていて、その下に様々な色の糸も吊るされている。
その吊るされた糸の下に、一列4~5人のウイグル人女性が横一列に座って、ひたすら糸を織り込んでいる。
一枚の絨毯はとても大きい。
手作業でこの大きな絨毯を織り込んでいくのは途方も無い作業に思える。
それでも、ウイグル人女性たちは、黙々と、そしてテキパキとすばやく作業を進めている。
この工場で働いている人は、ほとんどが女性。
時折、女性同士談笑しながら、楽しそうに働いているようだ。
日本でもよく見る、主婦のパートさんたちが集まって作業している感じかな。
みんなものすごく作業が速い。
白い糸に色の付いた糸を絡めてから、先の曲がったナイフで切るという作業を素早くひたすら続けている。
出来上がった絨毯。
様々な色の糸が入り組んだ複雑な模様が特徴だ。
僕のような部外者が勝手に入っていって、作業しているすぐそばで写真をパシャパシャ撮っていても、
誰も気にしているそぶりは無い。。
散乱している様々な色の糸。細かい作業であることを物語っている。
よく、こういう工芸品類の工場見学というと、見学後にその出来上がった工芸品類を売りつけられるというようなことがあるのだけど、
ここは誰も僕を気に留めることも無く、もちろん絨毯を売りつけようなどと言い寄ってくる人もいない。
静かに、そしてじっくりと、ホータンの特産品である絨毯が作られている様を見学することができた。
ウイグルの町々のバザールでよく目にする絨毯が、どのように作られているかを間近で見ることができて貴重な体験だった。
ひと通り見学をした後、絨毯工場を離れホータン中心部へと歩いて戻った。
■ホータンのバザールエリアで夕食
町の中心部へ戻ったころ、ホータンのバザールエリアは夕方の買い物客や夕食を屋台で食べる人たちでごった返していた。
シルクロードのどの町でも、バザールエリアは活気があってイイ。
太陽も沈んで、シルクロードの町に涼やかな風が吹いてきて気持ちが良い。
涼しい風が吹くと共に町が活気に溢れてくる夜8~9時ごろ。
シルクロードで僕が一番好きな時間帯だ。
山積みされたスイカ。シルクロードは豊富な雪解け水のおかげで果物が豊富だ。
一軒の屋台のポロ屋さんで夕食を食べた。
ポロは、ウイグルの代表的な料理の一つで、お米を羊肉やニンジンなどの具とともに出汁で炊いたピラフに似たお米料理。
大きな羊肉が上に載せられ、ボリュームたっぷりでかなりお腹いっぱいになった。
シルクロードといえば乾燥した砂漠というイメージが強いけども、新疆ではじつはお米もたくさん作られていて、
豊富に水を蓄えた田んぼを目にすることがある。
ホータンへ向かうバスから、一面に広がる緑の田んぼの景色が見えた。
しかし、その田んぼのすぐ近くには乾燥した砂漠が広がっている。
「田んぼ」と「砂漠」のコラボレーションという、日本ではまず見ることができない不思議な景色だった。
食事後、辺りを散策しながら、賑やかな夜のホータンのバザールを満喫した。
翌日は日曜日。
新疆最大規模を誇るホータンの日曜バザールを訪れます。
(つづく)
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