以前 散歩中 今まで畑だったところにダンプが入り、整地されていた。昔の瓦屋根の大きな農家も壊されていた。地主さんが売って、ここに5件家が建つという。
数日前 そこを通ると、発掘をしていた。大鳳寺跡ということで、かまど跡とツボが出土していた。
宇治では家を建てる時、持ち主さんもちで、発掘費用をださねばならない。この時も業者の人が早く埋め立てたいといっていた。月曜日らしい。
で、昨日の大雨の後の今日、行っってみましたよ。手前にある2つがかまど。
なにを炊いたのでしょうね。ずーっと奥は 厳島神社や宮林家。東側はここまであったそうです。
北側にある竹林、ここに本堂があったらしい。
資料
宇治市菟道の白鳳時代(七世紀末―八世紀初頭)の寺院「大鳳(だいほう)寺跡」
周辺の菟道遺跡から、同寺の僧堂か倉庫と見られる建物跡が見つかり、寺域が西へ三十五メートル広がることが分かった。従来、百十二メートル四方と見られていた寺域は、付属施設を含めると、東西が百四十五メートルに及ぶことになる。大鳳寺は、金堂や塔の伽藍(がらん)があった大寺院で、資料館は「古代寺院で、伽藍外に付属施設が見つかった例はあまりない」としている。
建物跡は南北十一メートル、東西六メートル規模の掘立柱建物一棟。直径約三十センチの柱穴七つが、大鳳寺の塀があったと見られる地点の西約七メートルから出土した。屋根は、伝統的な切妻造りだったと推定される。
建物跡からは、大鳳寺が存続した時期と同時期の土器が出土。軒丸瓦も、同寺と同じ形式の川原寺式で、同寺の付属施設と断定した。
大鳳寺は一九七一年以来、七回の発掘調査で、白鳳時代に創建され、平安時代初頭まで存在し、中央西に金堂、東に塔を配置する奈良・法起寺式の伽藍配置だったことがわかっている。
犬との散歩もたのしいものです。ちなみに、ハリーが大好きな公園は。イノシシに荒らされ、雨でぼこぼこでした。
行きたくない発掘跡まで行かされ公園では遊んでもらえず不満げのハリーでした。
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数日前 そこを通ると、発掘をしていた。大鳳寺跡ということで、かまど跡とツボが出土していた。
宇治では家を建てる時、持ち主さんもちで、発掘費用をださねばならない。この時も業者の人が早く埋め立てたいといっていた。月曜日らしい。
で、昨日の大雨の後の今日、行っってみましたよ。手前にある2つがかまど。
なにを炊いたのでしょうね。ずーっと奥は 厳島神社や宮林家。東側はここまであったそうです。
北側にある竹林、ここに本堂があったらしい。
資料
宇治市菟道の白鳳時代(七世紀末―八世紀初頭)の寺院「大鳳(だいほう)寺跡」
周辺の菟道遺跡から、同寺の僧堂か倉庫と見られる建物跡が見つかり、寺域が西へ三十五メートル広がることが分かった。従来、百十二メートル四方と見られていた寺域は、付属施設を含めると、東西が百四十五メートルに及ぶことになる。大鳳寺は、金堂や塔の伽藍(がらん)があった大寺院で、資料館は「古代寺院で、伽藍外に付属施設が見つかった例はあまりない」としている。
建物跡は南北十一メートル、東西六メートル規模の掘立柱建物一棟。直径約三十センチの柱穴七つが、大鳳寺の塀があったと見られる地点の西約七メートルから出土した。屋根は、伝統的な切妻造りだったと推定される。
建物跡からは、大鳳寺が存続した時期と同時期の土器が出土。軒丸瓦も、同寺と同じ形式の川原寺式で、同寺の付属施設と断定した。
大鳳寺は一九七一年以来、七回の発掘調査で、白鳳時代に創建され、平安時代初頭まで存在し、中央西に金堂、東に塔を配置する奈良・法起寺式の伽藍配置だったことがわかっている。
犬との散歩もたのしいものです。ちなみに、ハリーが大好きな公園は。イノシシに荒らされ、雨でぼこぼこでした。
行きたくない発掘跡まで行かされ公園では遊んでもらえず不満げのハリーでした。
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京都や奈良は こんな場所が多いのでしょうね。
これは発掘調査が終わるまで 建てれませんね。
中断してしまうこともあります。
そちらとは違って、大した物ではないと
思いますが。。
イノシシが出るの?
ちょっと怖いですね~。。
ハリーちゃん、遊べなくて残念でした。
応援シマス♪
早々に埋め戻しするそうです。もったいない・・・。
イノシシ、鹿、さるいるんですよ。かわいいですけれど。
その通りです。でも、宇治市がもっと考えてくれたら。
奈良は、どこもかしこも掘ったらでてくるので、もっと大変とのことでした。
田畑も発掘がはじまると地主さんは大変です。
ご訪問ありがとうございました。