レモラ 日本版

弱主体性

引用: 小島信夫

2013-09-22 | 引用
#130922kojimanobuo

 それなら1000万もの人達が、なぜ俳句に親しんでいるのであろうか。また一方において望むと望まぬとにかかわらず、晩年に近づくと、現在においても小説家達の多くが俳句的心境の作風になる傾向があるのは、どうしてなのだろうか。
 私が無用ともいえることを、しゃべっているのは、たぶん日本人とは何であるかというようなことを考え始めているからで、これが私の心身両面の衰弱をあらわすのなら、衰弱によって何故そうなるのか。
 私は従来、心境的になることを嫌い、また心境的とはいわぬまでも、俳句の世界が思い浮かぶような文章を書くことを避けてきた。気を許すとそうなることがあるからだ。現在もその願いに変化はない。だから、さきほど「俳句的心境」といったが、私はもっとほかの言い方をすべきだった。私はいわゆる隠者的になるのを嫌っている。唐突だが、早い話、眼の前にある樹木群は、決して隠者的であるわけではない。樹木としてそこにあるだけである。ところが、よく見ると下草が生えているし、花も咲いている。風が吹いている。「風が吹いている」というと、そのことが意味をもちすぎるきらいがある。「風が吹いている」ことも、一つの現象であるということだ。昆虫も鳥も動物もいる。そして人間が住居を作って生活している。人間は永遠に生臭いが、生臭いのは人間にかぎらないのに、人間を生臭いとしているのは何故か。
 このように、隠者もカッコでくくり、「隠者」とし、風が吹いているのも、「風が吹いている」と括弧でくくり、人間は生臭いも「人間は生臭い」と括弧でくくる必要があると私は感じている。私は俳句的世界というのも、ノンキに悦んでいるのではなくて、忽ち括弧にかこってしまいたい気がする。
(「原石鼎」p7-8)

 どの小説家も、こういう内容を扱おうとしたとはいえない。その(漱石の)人物たちがほかの小説家と較べて生き生きとした会話を行なうのは、彼ら自身はそうと気づかないままに、新しい時代の動きの中での意義づけを背負ってしゃべっているからである。つまり、それは彼等が外国文化の模倣の中でしゃべっているということになっている。作者が外国文化の模倣をしているように見えるが、ほんとうは、人物たちが模倣文化の中で行きているというふうにいうべきである。といっても作者もまた模倣文化の中で行きている一人である。例外であり得るはずがない。そして私自身も言い忘れるところだったけれども、日本の風物の中で歩いたり行動したり、しゃべったりしているということが、重要なのであろう。幸福というべきか、不幸というべきか分からないが、生き延びるためにいやおうなく、外国文化に染まりながらも同時に一向に変ることのないものを背負い、その中で暮らしている。このことと対話しているのは作者自身である。
 そういう動きつづける日本独特な変化の中で、理想というものは、軽々しく口に出していうことはできないが、それはあるにはあると、作者は思った。人物としての理想像は見出し得ないとしても、分散して時々、所々にあらわれる可能性はある。すくなくともヒントとして見えるかもしれない、と。
 彼(漱石)は生涯にわたって自分の口から度々、理想を口にしているけれども、じっさいに理想的な人物というものは、結局書かなかったといってもいい。像としてはなかったのであろう。
(P13-14)

 写生主義が心境小説にはよく似合うということの見本でもある。彼(虚子)はこのあとの長い後半生のあいだに、折りを見て小説を書いているが、私の知るかぎり心境小説ではない。そうではなくて、蕪村の俳句の世界を思わせる。甘くて快く官能的で印象的で、そしてモダーンである。漱石の俳句を見ても、彼の小説のことはほとんど分らない。たぶん漢詩を見ても小説のことは分らない。ところが虚子の場合は、その俳句と小説は、何から何まで類似している。小説であるから、人間は出てくるが、人間と人間、虚子のような人間とそのほかの人間との間柄が、その俳句世界の、虚子と人間、虚子と自然の間柄とそっくりそのままで、その間然するところのなさに、読者は一種陶然とさせられるであろう。
(P24-25)