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エルダーフラワーの実が色づきはじめた。

2017年07月22日 | 生存記録2017

ベランダの鉢植えのセイヨウニワトコ、咲いたのが今年はじめてだったのでエルダーフラワーコーディアルは来年挑戦することにして、摘まずにしていた。
実がたくさんついて、色がついてきました。
枯れたのかと思ってドキドキしていたけど、熟しはじめてきた変化だった。
完熟させないと毒があるそうなので、完熟待ち。
あとどのぐらいだろう。
野鳥との戦いになるのか。
鳥に勝ちたいが、完熟してないとお腹を壊す。
エルダーベリーを見るのがはじめてなので見極めが難しい。
ジャムにしてみたいなー。
鳥は目利き。
あっという間に食べられてしまうかもしれないから、写真撮っておく。
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ヤングアダルトとはなにか (2ページ目)

2017年07月21日 | ヤングアダルトとはなにか

ヤングアダルトとはなにか1ページ目のつづきです。

  1. はじめに 1ページ 
  2. ヤングアダルトという言葉について 1ページ 7/8更新
  3. 歴史・時代背景について アメリカ・イギリス・日本 1ページ 7/9更新
  4. 図書館の状況 このページ 7/21 一部更新中
  5. 出版社の状況
  6. 作者の意識・読者の意識
  7. 戦時下の読書について
  8. 選書について
  9. ヤングアダルトに携わる人へ  

   参考文献・資料

 

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4、図書館の状況

 図書館のヤングアダルトの状況を考える前に、まず日本の図書館の制度について説明します。(詳しく知りたい方は根拠法を検索してご確認ください。) 地域や団体のボランティアによる図書の貸し出し活動を、利用者は図書館と捉えている場合もあるので、それも含めて広めに説明します。

ここでは、(a図書館の種類、(b)公共図書館の本の分類、(c)公共図書館のヤングアダルトコーナーとヤングアダルトサービス、(d)学校図書館、(e)地域文庫について触れたいと思います。

(a図書館の種類。

1)国立国会図書館。国立国際子ども図書館など。(国会図書館法に基づく)

国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される
第二十二条  おおむね十八歳以下の者が主たる利用者として想定される図書及びその他の図書館資料に関する図書館奉仕を国際的な連携の下に行う支部図書館として、国際子ども図書館を置く。

2)図書館。(図書館法に基づく)

図書館法は、日本国憲法の精神にのっとり教育基本法があり、教育基本法の精神にのっとり社会教育法があり、社会教育法の精神にのっとり図書館法があります。

a)地方公共団体の条例で定められる公立の公共図書館。都道府県立図書館。区市町村立図書館。利用は無料。

b)私立図書館。 国及び地方公共団体は、私立図書館の事業の干渉や補助金の交付はしない。必要な物資の確保についての援助は可。利用料を有料にできる。
第二十九条 図書館と同種の施設は、何人もこれを設置することができる。
財団法人東京子ども図書館など、企業やNPO法人による私設専門図書館があります。

3)小・中・高校の学校の設備としての図書館。(学校図書館法に基づく)
学校の中にあるのは学校図書館です。図書室と呼ばれることが多いですが、一部屋だけでも学校図書館です。

4)国立大学の附属図書館(国立学校設置法)。私立学校法には附属図書館の設置に関する文言がないため、私立大学図書館には根拠となる法がない。しかし平成22年に文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会「学術情報基盤作業部会大学図書館の整備について(審議のまとめ)」などで大学図書館に対する言及がある。私立大学図書館協会などがあります。

5)博物館法、美術館法などの社会教育法の精神に基づいた研究資料や関連書籍のライブラリー、社会教育法第五章公民館の事業としての図書や資料の貸し出しサービス、それぞれの根拠法を持った専門研究機関の図書資料室や図書コーナー。

6) 地域文庫や家庭文庫と呼ばれる個人やボランティアグループが地域の子どもに開放する図書コーナー。病院内の患者図書室など。設置者が図書館と称していないもの。。

 

続く 

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5、出版社の状況

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6、作者の意識・読者の意識

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7、戦時下の読書について

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8、選書について

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9、ヤングアダルトに携わる人へ。

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ヤングアダルトとはなにか 

2017年07月21日 | ヤングアダルトとはなにか
  1. はじめに
  2. ヤングアダルトという言葉について  7/8更新
  3. 歴史・時代背景について アメリカ・イギリス・日本 7/9更新
  4. 図書館の状況 7/21 一部更新
  5. 出版社の状況
  6. 作者の意識・読者の意識
  7. 戦時下の読書について
  8. 選書について
  9. ヤングアダルトに携わる人へ  

   参考文献・資料


1、はじめに

YA、ヤングアダルト小説、ヤングアダルト文学、呼び方はいろいろありますが、ヤングアダルトについておやっと思う曖昧な情報がTwitterなどで飛び交っているのを見かけるので、単行本デビューの2009年からYA作家を自称している梨屋アリエがこれまで調べてきたものと経験したことをもとに、少しブログに書いておきます。これは2014年に公開したものの修正版です。いずれは無料の電子書籍にします。

参考文献は最後に示します。YAについてあちこちに書かれている情報をひとまとめにしたいと考え、資料をうつしている箇所があります。後日、引用等の整理をさせていただきます。

※いったんブログに書いた文章がパソコンの不調ですぱっと消えてしまったため、くじけました。少しづつ更新します。途中まででごめんなさい。



 

2、ヤングアダルトという言葉について

ヤングアダルトという言葉は、日本で突然できたものではありません。

アメリカで使われ始めた言葉です。
young Adult 「若い大人」という意味です。
もう子どもではないと自認しはじめていても社会からは大人とは認められない、そんな十代の若い人たちを指すための言葉です。

「大きい子ども」ではなく、「少年少女」でもなく、「ティーン」でもなく、「若い大人」なのです。読者を「大人」の一員として扱っている。これは重要なことです。

そして「若い大人」は、はっきりくっきり大人を自覚し、自己像を確立した「ベテランの大人」とも違うということです。

さて、アダルトという言葉をみてポルノを連想し、ドキドキする人や嫌悪感を持つ人がいるようですが、ヤングアダルトにポルノの意味は含まれていません。誤解しないでくださいね。「若い大人」ですから、性の問題が描かれることはありますが、ポルノではありません。

ヤングアダルトという言葉のアダルトが恥ずかしいので言いかえろと主張する人がいるのですが、アダルトは大人と言う意味で恥ずかしい言葉ではありません。公共の乗り物の料金表示でも入館料でも大人は英語でAdultって書いてありますよ。ですから、いわゆるアダルトビデオのほうをポルノビデオとはっきり言うべきではないでしょうか。すべてのアダルトがポルノを見たいわけではありません。大人にとっても失礼な話です。

ヤングアダルトをYAと表記するのは、アメリカでもそのように使われているのですが、アダルトという言葉にドキドキする人がいるため、わざとヤングアダルトとカタカナを使わない、配慮の意味もあります。二文字ですむからとか、かっこいいから、という理由もあります。

YAは、ワイエーと読みます。ヤーではありません。

 

誤解と言えば、

学校の先生の中に誤解をされているかたが多いのですが、ヤングアダルトは中学生向けという意味はありません。

「高校生だからヤングアダルトは読ませない」とおっしゃっている高校の先生や「うちは学力が高い中学だからヤングアダルトは読ませない」とおっしゃっている私立中学の先生にお会いしたことがあり、誤解されているなあと感じます。

ヤングアダルトは、むしろ、義務教育を卒業した年齢の若い人に読んでもらうために、アメリカの高校の先生が工夫して読んでほしい本のブックリストを作ったことが始まりなのです。

特定の内容やジャンルやレーベルを指すものではなく、図書館や学校教育の現場から「若い人に本を」という思いで出てきた言葉です。(詳しくは後述します。)

 

ヤングアダルトの読者対象を12歳から19歳、13歳から18歳など、年齢で表記される機会が現在は増えていますが、これは対象をわかりやすくするためのおおよそのものです。現在は中学生や高校生の時期を指すために使われることが多いので、その国の教育制度によって年齢にずれがあります。ヤングアダルトを思春期の文学としてとらえる場合、思春期の前期が始まる年齢を含める場合があるので、第二次性徴が始まる小学高学年を含めるケースもあります。わたしとしては、小学校の図書館に売るためにヤングアダルトの年齢を下げることには憂いを持っております。児童文学には小学高学年向けと言うグレードがあるのですが、少子化の影響か「小学高学年向け」とヤングアダルトが同じもののように大ざっぱに扱われてきています。(小学生には大人と言うより「子ども」としてのプライドがあると思うんです。小6は「最高学年」と言われて子どもの代表みたいな感覚がありそうだな、と。中学生から少し大人という感覚なのではないかと。もちろん人それぞれですが……)

しかし、文学は、学力や年齢で読むものではありません。ひとりの人格をもって生きてきた読者が、それまでに培われた知見や想像力を足掛かりとして読むのです。

〇歳になったらヤングアダルトを読ませる、〇歳になったらヤングアダルトを読ませない、と誰かが決めるものではありません。「若い大人」であれば、なにを読むか、だれの意見を参考にするかは本人が決めることです。

 

ヤングアダルトの説明をすると、「でも、12歳は子どもだよ」と笑う大人がいます。その時わたしはその人のことを「なんて理解力の低い大人だろう」と思います。でもその人本人に「自分は理解力が低い大人だ」という自認はないでしょう。他人を評価・批判することはだれにもできますが、「自認」は他人が勝手にするものではありません。

そして若い大人の自認も、「子どもではない」「大人でもない」「もう大人だ」「自分はなんなんだろう」と日々揺れ動くことはあるでしょう。だからこそ、「若い」大人、ヤングアダルトなのです。

さて、

好きな本に、ヤングアダルトという枠組みをつけられることに反発を感じる読者もいるかもしれません。

でも、ちょっと考えてみて下さい。幼児向けの本を、幼児以外の人が読んではいけないという決まりはありません。とはいえ、幼児向けの本を心底楽しめるのは、幼児とそれを読み聞かせている大人だろうと思います。だれにでも問題なく読める本だとしても、読者にとって、どう読むか、その読書からなにを得るかは違うのです。

一般の文芸に関しても、限られた読者にしか楽しめないような小説はあります。装丁やレーベル名やジャンル表記を手掛かりとして、「こういう人には楽しめるよ」と言う暗黙の了解を発信しているわけですが、それを楽しめない読者が読んではいけないわけではありません。

本の読者の対象とは、そういうゆるやかな枠組みだと思います。

若い大人の読者に向けて作られた本、若い大人の読者に読んでほしい本の目印として、ヤングアダルトという言葉があるだけです。読者を区別する目的で使っているわけではありません。

ご参考に (同ブログ内の記事)

YAの自己意識について。「あなたの心の大人の割合はどれくらい?」調査

ライトノベルとヤングアダルトの違いについて

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 3、歴史・時代背景について アメリカ・イギリス・日本

ところで「若者」という層が、いつから現れたのかご存知ですか?
若い人は昔からいつの時代も存在していましたが、学校教育や労働の環境が整うまでは、小さい子どもか大人かの大ざっぱな分類しかありませんでした。
かつて、子どもは重要な労働力でした。10歳にもなれば大人に混じって、見習いとして働いていました。日本では元服は満15歳で、それでもう成人とおなじです。「15で姐やは嫁に行き」と「赤とんぼ」の歌詞にあるように、現代の10代の若者のような暮らし方はしていませんでした。(現在は機械や家電がやることも人力ですから、仕事はいくらでもあったのです)
特権階級や限られた富裕層でなければ、ほとんどの人は大人でもなく子どもでもない時間を持つ暇はなかったのです。子どもたちが教育を受ける権利を得て、政治や経済が安定して社会の意識が成熟するまでは、10代は大人になる前の子どもとして守られませんでした。現在も、国や地域によっては教育を受ける機会がない子どもがいますね。

世界史的な流れで言うと、産業革命以降、炭鉱や工場などの労働者が出現し、いわゆる中間層が生まれました。劣悪な労働環境に置かれる人がないように法律で規制されるようになります。小さい子どもを働かせることも禁止されるようになりました。若い人は良い働き手でありましたが、社会が発展し経済成長するなかで仕事の内容が単純労働から変化していき、子どもへの教育の必要性が高まったのです。仕事をするためには文字が読めなくてはなりません。良き有権者となるためには知識を持ち賢い選択をしなければなりません。
ヤングアダルトと呼ばれる作品が出現したのには、若い人の存在が労働者から教育を受けている人に変わったことが大きかったのです。人は制度化された教育を長く受けるようになり、大人の労働者や家事従事者になるまでに猶予期間が出てきたわけです。医療や技術の発展などにより人口も増え、若い人は「学生」や「生徒」となり、ヤング層として、はっきりと塊となって出現したわけです。

青年期というものへ関心が向けられるようになりました。1904年 アメリカの心理学者スタンレー・ホールは「思春期」(アドレセンス)の若者の存在を主張し、子どもと大人の中間にいる若者群を心理学的に明確にしました。
社会的地位の変化のほか、生理的な変化についても「若者」の像が明らかになっていったのです。

ではヤングアダルトに話を戻します。

まずアメリカの経過を見てみます。

アメリカでは1918年までに各州で就学義務の立法化が進みました。義務教育の年限は、多くは8歳から16歳までとしていますが、細かくみると、50州のうち、16歳までが30州、17歳までが9州、18歳までが11州とされています。義務教育完了年齢を過ぎれば中退してもかまわないそうです。(参考文献を元に書いているので、現在は変化しているかもしれません)

経済不況で失業したり、法律の整備で労働者ではなくなった子どもや若者が学校で教育を受けるようになり、たくさんの「高校生」が出現しました。激増したわけです。

急激な生徒数の増加は学校の負担となりました。そのため各地の公共図書館に、若者向け図書館サービスの要望が高まったわけです。

特に、高校の図書館司書メイベル・ウィリアムズは、10代へのサービスの必要性を発言していました。高校生に本の真価に気付いてほしいと考えていました。ニューヨーク公共図書館担当者アン・キャロル・ムーアはウィリアムズに公共図書館で働くようにすすめました。そして、ウィリアムズは協力活動担当者として任命され、ここから学校や高校通学年齢の若者への公共図書館サービスが拡大することになります。

ちなみに、1919年、アメリカの出版社マクミラン社が「世界で初めて」児童書部門を設立したと言われています。世界で初めての児童書編集者は、ルイズ・シーマン・ベクテル。
子どもが読める本は出版されていたはずですが「児童書」という枠組みができたということでしょう。

1920年ごろ、アメリカの公立図書館が教師や保護者向けに十代のためのbookリストを作成しました。すでにある本の中から十代のためになる本をリスト化したのです。これが図書館のヤングアダルト向けサービスのはじまりと言われています。

その対象は16歳から19歳で、その多くは雇用されていた若者でした。しかし経済不況で失業し、働く場所がないので学校に通うようになったのです。

でも、まだはっきりとヤングアダルトという言葉が使われていたわけではありません。1930年にYoung Peopleと呼ぶことに決めた図書館がありましたが、統一されていなかったようです。

1940年ごろ、その年齢層はIntermediates(中間の) 、Junior Adults、Young People、Youth 、Teenage、そしてYoung Adultなどと呼ばれていたそうです。Young Adult とすると名称が統一されたのは1960年でした。

1957年に、YALSAアメリカヤングアダルト図書館サービス協会が設立しました。これは1941年に設立していたアメリカ児童図書館サービス協会からYA部門が分割されたものです。

YALSAでは対象年齢を「12歳から18歳までのティーン」と明記しています。

アメリカの図書館の協会では、児童や成人を対象にした活動と同じように、ティーンエイジャーの活動も専門的なサービスとして組織することを推奨しています。

(なんだよ、梨屋はヤングアダルトは年齢じゃないって書いてたくせに、本家のアメリカの図書館は年齢で区切ってるじゃないかって思った方、おっしゃる通りです。この件に関しては後述します)

 

ヤングアダルト小説の先駆けとなったのは1951年に発表されたサリンジャーのThe Catcher in the Rye「ライ麦畑でつかまえて」(邦題多数あり)と書かれている本が多いです。

刊行当時は非常に「新しい」青春小説でした。それまでの小説とは違い、リアルなわたしたちのことが書いてある、と読者は感じ、多くの人に支持されたよう。主人公は17歳で、放校になっていて、鬱々としていて、なのに女の子とデートして……、あまりお手本にしたくないタイプのお友だちです。教育的、道徳的ではないわけです。

たいへんな人気作となりましたが、「ライ麦畑」は長い間図書館の検閲焚書リストに入っていました。1960年代、反共産主義時代とよばれるころは、図書館のヤングアダルトが検閲・焚書されていたのです。

サリンジャーのThe Catcher in the Ryeが図書館のブックリストに入ったのは、刊行から15年後の1966年だそうです。ヤングアダルト図書館サービスが、常にヤングアダルトの当事者のためのサービスであるとは限らない、ということでしょう。

サリンジャーが活躍したころ、他にも反社会的な若い主人公の小説が発表されるようになりました。

1960年代、アメリカの人々は様々な社会問題にさらされていました。とくに、貧困の再発現、家庭崩壊、子どものいる家庭の問題の深刻化などが起きていました。資本主義社会には、システムとして貧困が組み込まれています。それは個人の問題ではなく、社会そのものの問題なのです。移民や戦争、それに起因する孤児の問題から、離婚や再婚、暴力の問題などは、子どもや若者の生活にも影響を及ぼします。

小説の中に、

  • 複雑な家庭関係に由来する非行・犯罪等子どもの反社会問題行動。
  • 離婚に起因するひとり親の貧困。
  • 虐待。
  • ドラッグ・アルコール依存症

が描かれていくことになります。

このような社会問題を扱った「新しい」感覚の若い人向けの本が出版されていきました。新しい小説の中では、色々な人間の姿が描かれていくようになったのです。

昔ブームになった青春ドラマにあるような豊かで華々しいハイスクールライフとはちょっとイメージが違いますね。

文学は日々変化していくものです。人気作や人気作家も次々と入れ替わっていきます。教育を目的にしたYAもあれば、社会や人間の闇をうつすYAもあれば、エンターテイメントを楽しむYAもあります。ピクチャーブックも人気です。先人たちの努力や失敗があり、いまの若い人たちは、様々な読書を体験できるようになりました。また、ヤングアダルトの必要性を理解できる大人も増えてきたのだと思います。ヤングアダルト小説がベストセラーになるなどして、ヤングアダルト小説は子どもより大人の読者のほうが読んでいるという調査の記事が2016年にはありました。

近年では、世界で1億部を突破したステファニー・メイヤー著の『トワイライト』(The Twilight Saga)ブーム以降、読者層が広がり商業的な注目も集めるようになり、ヤングアダルト小説の映画化などがとても活発になりました。

 

 次にイギリスです。

イギリスをはじめヨーロッパでは、ヤングアダルトよりも「youth」「youth book」と表現されています。

図書館の青少年サービスがはやくから行われていたのはイギリスで、1862年のマンチェスター図書館に青少年を対象としたサービスの実施例があるそうです。しかし、一般的な若い人が現在のように利用していたとは言えないでしょう。

イギリスは産業革命を世界で一番先に成し遂げた国ですから、急速な社会構造の変化による暗い部分も真っ先に経験していました。扶養者のいない子どもは労働を強制され、特に19世紀を挟む時期には児童労働者を大量に出現させました。その悲惨さをみたロバート・オーウェンという工場経営者は、人間にとって必要なのは教育であるとし、1816年に工場に「性格形成学院」という幼児施設を併設して教育に力を注いだそうです。が、制度としては1833年の工場法でようやく「9歳未満の児童の雇用制限、労働時間制限」が規定されました。制限だけで禁止ではないのです。いまの感覚で考えるとゾッとします。読書どころではありません。

一方で、労働者階級が増大したことで公民権、市民権、社会権が確立され、言論・集会の自由や出版の自由など基本的人権の根幹となる部分が権利として継承されました。初等教育に当たるものを国民だれでも受けられるべきという義務教育の考え方が生まれて、1870年に初等教育法が成立し環境が整えられることになります。1889年には児童虐待防止保護法ができました。

イギリスの貧民法は教区ごとの税制度で行われていたため教区間格差がおこり、格差是正を念頭にした制限的な改正(改悪)がおこなわれたことにより保護されない人が街にあふれました。そのため篤志家や社会事業家の民間の活動が活発になりました。

そのような背景があるためか、市民社会が発達したイギリスには、読書に限らず地域社会の責任あるメンバーとなるように自治体や民間団体の協力を元にした「ユース・サービス」(ユース・ワーク)という教育や福祉の枠を越えた青少年の総合的支援活動がありました。

時間が前後しますが、1933年の児童少年法で、少年は17歳未満とされました。このときに「教育を受けることを最優先」として雇用制限を設けることになりました。逆にそれまで10歳から17歳未満にも労働が優先されていたということでもあります。イギリスですべての子どもが中等教育(義務教育5歳から16歳まで)まで受けられるようになったのは1944年でした。 

この流れをみると、1862年のマンチェスター図書館の青少年を対象としたサービスの実施例は、地域差があるにしても、学習環境の恵まれた青少年なのだろうと思われます。
青少年サービスの実施の記録はアメリカより先ですが、イギリスで若者向けの図書館サービスが検討されたのは、1961年の英国図書館協会での、ユース・サービス小委員会でした。

その後、若年労働市場の状況が悪化、若年失業率が急増により、2001年からコネクションズ・サービスと呼ばれるものになり、図書館のかかわり方は不明なのですが、13歳から19歳までのすべての若者を対象とするサービスとして関係機関と連携した支援体制があるそうです。当時の教育雇用技能省内に設置されているので、目的は就労支援やニート対策のよう。実はそれから省庁名が二度変わり、現在は教育省。政権交代で組織が変化しているので、詳しくは直接英国政府のサイトをご確認ください……。とりあえず、イギリスでは、教育機関側からのアプローチ以外で、若い人のサポートをするという土壌があるようです。

英国図書館・情報専門家協会CILIPの若者層への取り組みについても、公式サイトに書いてあると思いますので英語が得意な方、教えてください。イギリスを出してきたのは国によって取り組み方が違うよと言う話がしたかっただけです、詳しくなくてすみません。

民間では、1926年に英国の図書利用促進のための慈善基金団体ブックトラストが設立しました。元は国民書物連The National Book Leagueで、こちらは出版業界が中心になっています。

1935年にイギリスのアレン・レーン社がペンギン・ブックスという図書館向けの装丁ではないぺーパーバッグを低価格で刊行しはじめました。児童向けのものを中心にしたパフィン・ブックスにはヤングアダルト小説も含まれています。日本語に翻訳されたYA作品がたくさんあります。

本の話をしてませんね。イギリスは良質の児童文学や幻想文学がたくさんあり、独特な作風の作品が読み継がれているという印象です。児童なのか若者なのかファンタジーなのか冒険ものなのか怪奇小説なのかミステリなのか、読む人にとってもいろんなジャンル分けができそうです。作品によってはYAでいいんじゃないかと思うものはたくさんあります。ある本でメアリー・シェリーの怪奇小説「フランケンシュタイン」はヤングアダルトであるという主張を見かけたことがあり、なんかもう、好きな解釈をしたらいいじゃんという気分に。

リアリズム作品で暗いものもあり、メルヴィン・バージェス著の『ダンデライオン』が14歳のパンクの少女が家出してドラッグ漬けになって壊れていく若者像を描いている。アン・ファイン『チューリップ・タッチ』は虐待や放火など。問題作もイギリスで読まれています。

これでイギリスのYAが変わったという本を思い出したら追加で書きますが、『ハリーポッター』の出現は大きかったと思います。ハリーポッターは「ハリーポッター」で、あまりYAとして扱われていませんが、若者というより児童と一般の読者の枠を超えました。児童書やユースでなく、オールエイジという考え方が生まれました。

 

次は、日本です。

宮沢賢治は1924年の「注文の多い料理店」のまえがきに、「この童話集の一列は実に作者の心象スケッチの一部である。それは少年少女期の終わりごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。」と書いています。

アドレッセンス中葉、つまり思春期の半ばと賢治さんはおっしゃっている。当時、ヤングアダルトという言葉は使われていませんでしたが、賢治さんはそういった年齢の読者を想定して書いていたことがわかります。このことから、宮沢賢治は日本の元祖ヤングアダルトだ! と主張する方がいます。

それはさておき。

 

イギリスの例を出したので日本の子どもの制度の経過も。

日本でも、子どもは労働者として扱われました。

1886年「学校令」で尋常小学校4年間は義務化となりましたが授業料がかかったため完全実施とはならなかったようです。

1911年「工場法」で12歳未満の者の使用禁止。15歳未満の者の10時間労働と深夜労働の禁止。これはつまり12、13、14歳の日中の労働は9時間までOKと言うことで、1947年の労働基準法まで改正されませんでした。戦時中は国民は総動員ですし、読書が制限されていきました(後述します)。

戦争後、1947年に6歳から15歳までの9年間を義務教育期間と定められました。

高度成長期前期には中卒就職者が「金の卵」と呼ばれていました。高校の進学率50パーセントを越えたのは1954年。90パーセントを越えたのは1974年です。中卒高卒者の東京への集団就職列車は1975年までありました。

 

で、まず公共図書館サービスの話です。

1930年代に東京市立図書館館頭がアメリカの「中間書集」を紹介していますが、日本の図書館には根づきませんでした。
1951年にハナ・ハントが図書館指導者講習でヤングアダルトサービス論の講義を行いましたが、やはり根付かなかったそうです。
1968年の司書講習に「青少年の読書と資料」というのが見られますが、その後改正されて1996年に「児童サービス論」という必修科目になりました。

日本図書館協会では、ヤングアダルトサービスは現在も「児童サービス」の一部としています。十代を「若い大人」と表現して組織を独立させているアメリカの図書館とずいぶん違いますね。日本では子ども扱いなのです。
さらに、日本図書館協会の本では対象を13歳から18歳、日本図書館情報学会では、おおむね12歳から18歳までの青年期利用者としています。
日本では「青少年」という言葉をよく使いますが、「児童サービス」の一部とされてしまう「青少年サービス」の実体は、児童と兼任の担当者が置かれるケースが多いため、大きい子なんだから我慢しなさいという感じになっていることも。まずは絵本や幼年向け、余裕があったら小学高学年となるので、中高生まで意識を向ける余力がありません。また近年の指定管理制度などで雇用状況が変化し、プロ司書、プロ図書館員が育ちにくくなっているように感じています。

日本で最初の公立図書館のヤングアダルトサービスは1974年。大阪市立中央図書館「あっぷるコーナー」開設です。(のちに「ヤングコーナー」へ)
1980年代以降、団塊ジュニア世代の成長に合わせて、ヤングアダルト、ヤング、ジュニア、中・高校生、ティーンズなどの名称でコーナー設置が各地で広がりました。しかしコーナーが廃止されているところもあります。サービス名は統一されていません。

日本の図書館にアメリカのヤングアダルトサービスやイギリスのユースサービスの切実さが感じられないのは、経済成長後も安定していた時期が長く、若年層の失業者が街にあふれて社会問題化しなかったことがあるでしょう。(アメリカやイギリスのように移民を受け入れていないので、ニューカマーの失業問題もありません。海外からの就労者やその子どもはたくさんいるはずですが……)。

読書推進活動は民間の力や学校教育のなかで広がっていきました。

日本の制度では、児童が教育を受ける権利は、学校教育を受けることとして考えられています。国の制度で認められた「学校」以外で子どもが学ぶことも教育であると認められたのは2016年の教育機会均等法ができてからでした。1953年の学校図書館法に、学校には学校図書館の設置義務があると書かれています。就学児童や高校生の対応は学校図書館に任せ、公共サービスとしての児童図書は就学前の子どもという意識があったのかもしれません。

全国学校図書館協議会の働きかけにより、1997年に議員立法により学校図書館法が改正されました。その後、2015年にも改正され、司書教諭のほかに「学校に専ら学校図書館の職務に従事する学校司書を置くように努めなければならない」と「国、地方公共団体は、学校司書の資質向上を図るため、研修などの実施を行うよう努めなければならない」という文言が入りました。その後も「学校図書館の整備充実に関する調査研究協力者会議」などが文科省に設けられ、学校図書館の整備が進んでいます。
しかし、中学までの義務養育は市町村、高校は都道府県の教育委員会の管轄になるため、地域によっては中学・高校の司書の交流がなく、学校図書館においても縦割りが起きています。
さらに、学校図書館は学校教育の中の組織であり、授業との連携やサポートを子どもに対して一律にする役割が強くなります。

学校教育外や個人のニーズに沿えるヤングアダルトサービスは公共図書館がカバーしてほしいところですが、予算の削減などで公共図書館の職員が学校図書館に派遣され、公共サービスと学校の役割の区別が失われていく恐れがあります。学校図書館を利用する人はその学校に所属している子どもです。学校に所属していない人にもヤングアダルトサービスにアクセスできる環境を残してほしいです。ヤングアダルトについて研究したり理解を深めたい人は地域にいるわけですし、懐かしい本を読みたくなる時はだれにもあるでしょう。ヤングアダルトサービスを学校教育のなかに閉じ込めてしまうことは、地域の人からその必要性が見えにくくなることになり、ヤングアダルトサービスにとってプラスにはならないでしょう。

子どもの貧困対策やいじめや自殺防止対策として教育分野と福祉分野の連携が持たれ始めていますが、公共図書館のヤングアダルトサービスが若い人の読書推進だけでなく、若者の自立・就労支援、居場所、児童の権利にある意見表明の場など、総括的な公共支援サービスのなかに加わってほしいと思います。

1979年、出版社があつまって、「ヤングアダルト出版会」が設立されました。(後述します)
1983年に集英社文庫から翻訳出版されたヒントンの『非行少年』(1968)のカバーの袖には「YA Young Adult Literatureの略。若者が直面するさまざまな問題をテーマに描かれたヴィヴィッドな現代アメリカ青春文学の総称」と書かれていたそうです。
朝日新聞の日曜版に「ヤングアダルト招待席」コーナーができたのは1987年になります。このコーナーでヤングアダルトという言葉を多くの人が知るようになりました。

第二次ベビーブームの団塊ジュニア世代の成長に合わせて、子どもや若い人に向けた様々な商品が生まれ消費されていきました。1980年代になるとティーン読者をターゲットにしたイラスト付きの文庫レーベルがたくさん刊行されました。これはその後ライトノベルと呼ばれるものとして定着していきます。マンガも市民権を得、図書館に所蔵されるものが出てきました。

若い作家を輩出した一般文芸書のなかにも手に取りやすい作品が増え、児童以外の読者を意識した児童文学のボーダーレス化も進みました。

その頃日本で社会問題化したものは、校内暴力や荒れる学校、家庭内暴力、暴走族でした。そのような文学作品や平和教育としての戦争児童文学が書かれる一方で、エンターテイメント化も進んで分化していきました。時代が進むにつれてサブカルチャーやオタク文化も徐々に受け入れられ、携帯小説ブームや二次創作、ボカロ小説など、若い読者の読書のすそ野を広げています。メディアミックスも盛んで、ゲーム・アニメ・マンガ等から小説化されたり、小説から別のメディアで作品化されたりしています。

出版社がヤングアダルトやYAという言葉を用いたシリーズを作り、出版されるようにもなりました。しかし対象年齢には小学高学年に向けられたものから高校生以上の理解を必要とするものまで、ばらつきがあります。小説以外のものにもつけられています。

 


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4、図書館の状況

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5、出版社の状況

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6、作者の意識・読者の意識

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7、戦時下の読書について

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8、選書について

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9、ヤングアダルトに携わる人へ。

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ヤングアダルト小説から見た国立国際子ども図書館の怠慢

2017年07月19日 | ヤングアダルトとはなにか

「ヤングアダルトとはなにか」の続きを書こうとして調べているうちに、「国立国際子ども図書館」のサイトを見て、納得いかない思いを抱いたので、別に書くことにします。

国際子ども図書館は、国立国会図書館法にのっとって設置されています。

第二十二条  おおむね十八歳以下の者が主たる利用者として想定される図書及びその他の図書館資料に関する図書館奉仕を国際的な連携の下に行う支部図書館として、国際子ども図書館を置く。

子どもの定義は根拠法によって年齢が違います。例えば、「児童」という言葉は教育分野では小中学生のことをさしますが、福祉分野では18歳未満をさします。
国立国会図書館法では国際子ども図書館は「おおむね十八歳以下の者」への図書館奉仕と、わざわざ書いてくれている。これはわかりやすい。

これなら児童書として刊行されているYAの文学も入りますよね。
と思ってどこに書かれているのか探してみたけど、なかなか出てこない。

中学生・高校生を想定した部屋があり、
「調べものの部屋は、中学生・高校生のための資料室です。」と書かれているものの、ここにあるのは調べ物やレポート作成のためのノンフィクションが中心だそうです。

子どものページで「やんぐあだると」で検索したら、三冊だけが表示されました。
『児童図書館サービスのためのガイドライン』 IFLA児童・ヤングアダルト図書館分科会 編著,国立国会図書館国際子ども図書館 訳,国立国会図書館国際子ども図書館 編 (2007)
『星条旗よ永遠なれ』 アヴィ 作,唐沢則幸 訳 (1996)
『エイズとSTD(性感染症)』 北沢杏子 著,井上正治 絵 (1992)

はじめに出てきた
「児童・ヤングアダルト図書館分 科会の常任委員会が作成」した『児童図書館サービスのためのガイドライン』
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_998480_po_2007ifla-large.pdf?contentNo=1
これは、公共図書館における児童サービスの指針を示したものです。
そこには、

   第2節 子どもの要求に応える  国連の「児童の権利に関する条約」は、 ・年齢 ・人種 ・性別 ・宗教・国・文化などの背景 ・言語 ・社会的地位 ・個人的な技能や能力 のいずれにも関わりなく、どの子どもも平等に、その潜在能 力を充分に伸ばし、情報や資料を自由に入手し、さまざまな プログラムに参加する権利を有するとうたっています。

という言葉が書かれています。年齢に関係なく「どの子どもも」
しかしページをめくっていくと、

   サービス対象  児童図書館が、個人またはグループとして対象にするのは 以下の人々です。 ・乳幼児 ・未就学児 ・13 歳以下の学童 ・特別な支援を必要とする子どもたち ・両親およびその他の家族 ・保育者 ・その他、子ども・本・メディアに関わる仕事をしている大人

サービス対象は13 歳以下の学童のようです。
これでは14歳から法律にあった「おおむね18歳未満」の子どもが抜けています。ウソツキ。
これはIFLAが作ったものだからね。ヤングアダルトサービスに関しては別のガイドラインがあるってことだよねと思って探したのですが、国際子ども図書館のサイトでは見つけられませんでした。
YA向け図書館サービスのガイドラインは2008年に改訂版がでて、某公共図書館のサイトで公開されていますが、国際子ども図書館のサイトにはその案内がありません
おおむね十八歳以下の者って書いてあるのに、14歳、15歳、16歳、17歳へのこのお国の図書館の冷遇ぶりはなんだ。
とおもって、「国立国会図書館」のほうで検索したら、関連書籍がたくさん出てきた。YAは「国立国会図書館」の検索で調べよう!!! って書いてくれたらいいのに!!!!
しかし。そこで一件落着ではありません。
国立国会図書館を利用できる人は「満18歳以上」なのです。「お子様を同伴しての入館はできません。」
国立国会図書館のサイトによると
「満 18 歳未満の方は、多くの場合、お近くの公共図書館や学校図書館で目的を達することができると考えられ」るからで、「まずはお近くの公共図書館や学校図書館にご相談ください。」ということでした。
「調査研究のために、国立国会図書館にしかない資料を利用する必要があると認められる場合」にだけ申請すれば使えるということです。
まあね、税金で買った貴重な資料ですからね、うかうか子どもになんか触られたくないですよね。ってことです。18歳未満の子どもが国立国会図書館にしかない資料で調査研究をするということが日常的にはないのだとは思いますけど。
もちろん、各図書館の役割分担は必要で、利便や効率のためにも大切なことと思います。でも、でも、ちょっとショックです。
小学生までの絵本や児童文学は、国際子ども図書館でだれでも閲覧できるのに、調べ学習でないYA小説は国会図書館のほうの所蔵になるので18歳未満はここしかないという特別な理由と申請手続きがないと利用できないわけです。
18歳以上の人なら地元の図書館にある本だとしても利用できるのに。それがちょっともやもやします。子どもはダメというのなら、子どもの図書館がしっかりカバーするべきではないですか。
14歳、15歳、16歳、17歳だって、国際子ども図書館の利用者であるはずなのに、なぜ読み物が小学生向け中心なのか。(YAも置いてあるよって言う人がいると思うんだけど、ムカついているのは次のことがあるからです)

前☆置☆き☆長☆い☆


国際子ども図書館のサイトにヤングアダルトについて言及しているところはないかと探しました。
すると。
http://www.kodomo.go.jp/jcl/index.html
「日本の子どもの文学 国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」第6章「21世紀の子どもの本 その2 児童文学」のなかに『2 <YA(ヤングアダルト)>の波・加速するナンセンス』というものと「コラム」がありました。
これは、国際子ども図書館3階 本のミュージアムにて2011年2月19日(土)~2015年10月31日(土)の展示「日本の子どもの文学 −国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」のうちの、2014年12月2日(火)~2015年10月31日(土)の期間にその2(児童文学)として展示されたものをもとにして、サイトで公開されています。展示会全体の監修者として御尽力をいただいたのは宮川健郎氏だそうです。

該当部分を引用します。
http://www.kodomo.go.jp/jcl/section6/literature.html
【2 <YA(ヤングアダルト)>の波・加速するナンセンス
現代児童文学は、散文的なことばによって、「戦争」を描き、戦争を引き起こすこともある「社会」を描きました。子どもたちから遠ざけられていたテーマ(「性」や「死」や「家庭崩壊」など)を、むしろ人間の本質にかかわることとして積極的に描きはじめたのは、1970年代の後半です。少なくともテーマの面では、「児童文学」は、「文学」とかわらないものになっていきました。
様々な主題を深めることになった現代児童文学の読者層は、中高校生へと広がり、大人の読者たちも呼び込まれてきます。ここに、YA(ヤングアダルト)という領域が形成されました。YA=若者の文学への発展は、児童文学の豊穣ともいえます。同時に、児童文学の本来の読者を小学生と考えるならば、作家たちの関心がYAへと向かった状況は、児童文学の空洞化ととらえることもできます。
ここには、小学2~3年生までの読者を対象とする幼年文学の新しい収穫も紹介しています。】


最後の一文はYAについてでなく、「加速するナンセンス」の方の説明のようですが、読んだときは意味がわかりませんでした。
ちなみにここに書かれた「現代児童文学」とは1959年から始まった「新しい」児童文学のことです。児童文学研究の文脈では1959年以降が「現代児童文学」です。

そして、わたしは
「児童文学の本来の読者を小学生と考えるならば、作家たちの関心がYAへと向かった状況は、児童文学の空洞化ととらえることもできます。」という言葉が、非常に気に入りません。
そのまえに「児童文学の豊穣ともいえます」って書いてあっても、空洞化ととらえるって視点が。
1959年代の現代児童文学を書いていた作家の関心がYAへと向かったのでしょうか?
「1959年代の現代児童文学」とは違う文脈でYA作品や新しい作家が出てきたのではないでしょうか?
だいたい、1959年を知ってる児童文学の人たちって、YAのことを児童文学だと思ってないくせに、YAができたから児童文学が空洞化したって、なんなん!?
わたしはこの説明が、とても一方的なものにしか思えません。
国会図書館の利用制限などに現れているように、それまでの子どもの読書や教育に関わる大人が(社会が)、戦後の混乱期を過ぎてもヤングアダルト層を見ていなかっただけ、中高生はもう子どもじゃないと言いながら大人の扱いもしないで無視してきただけなのです。それがいまも、続いてしまっているということ。
法律では「おおむね18歳未満まで」を対象とした子ども図書館なのに、そこにいる子どもの本を語る側が、小学生までが児童文学だという思いでいる。では、中学・高校、いわゆる「学校」に行っていない10代の子どもたちは、大人と同じ文学だけでいいということでしょうか。じっさいは、ヤングアダルト向けの作品が読まれているというのに。まだその感覚でいいの?
児童の権利条約が採択されても、国の対応は遅れているのです。


コラムも引用します。
http://www.kodomo.go.jp/jcl/section6/literature.html
【コラム <YA(ヤングアダルト)>の波
森絵都や佐藤多佳子らは、児童文学の世界で書きはじめた作家ですが、やがて、大人の小説も書くようになります。<YA(ヤングアダルト)>に大人の読者たちが呼び込まれたのと交差するように、作家たちも、大人の文学へと「越境」していったのです。児童文学/文学のボーダレスともいえる状況のなかで、児童文学とは何かという問題も問われつづけています。】


そしてこの文の下に代表的なYA作品のつもりのようですが、本が7冊紹介されています。
それが何故か、全部、講談社の本なのです。(書名の前の番号は展示の際につけられたものかと思います。)

6-2-11 Dive!! 1(前宙返り3回半抱え型) 森絵都 著 講談社 2000(平成12)
6-2-12 楽園のつくりかた 笹生陽子 著 講談社 2002(平成14)
6-2-13 妖怪アパートの幽雅な日常 1 香月日輪 [著] 講談社 2003(平成15)(YA!entertainment)
6-2-14 一瞬の風になれ 第1部(イチニツイテ)佐藤多佳子 著 講談社 2006(平成18)
6-2-15 園芸少年 魚住直子 著 講談社 2009(平成21)
6-2-16 皿と紙ひこうき 石井睦美 著 講談社 2010(平成22)
6-2-17 鉄のしぶきがはねる まはら三桃 著 講談社 2011(平成23)

あらすじを見るとすべて高校生が主人公の本です。児童文学コーナーに置かれたハードカバーのYAがお好きな方がみればどれも読んだことがある本でしょうし、なるほどYAだとおもう選書だと思います。
でも、佐藤多佳子氏の『一瞬の風になれ』は児童書ではなく、一般文芸書として出版された本でした。
まず、全部が講談社だというのもものすごく気になるのですが、「1959年代の現代児童文学」を熱く語って「児童文学の本来の読者を小学生」とか言って空洞化だと嘆いておられたのであれば、児童書として出版された本の中から選ぶべきでないのか? 児童文学評論をするかたが一般文芸で発表された作品もYAと捉えるのであれば、それは児童文学の空洞化ではなく、YAが生まれたことで児童文学に一般文芸が添加された、児童文学が一般文芸を取り込んだと捉えるほうが自然ではないでしょうか。
こういうブレが、字が読めるなら早く大人の文学を読め、YAなんて必要ないという差別的な視線のようにわたしには感じるのです。

国際子ども図書館が、YAの定義をどうとらえているのかがわかりません。
「おおむね18歳未満まで」と規定されているのですから、YAにも積極的にかかわりを持ってほしいと思います。
ほかの図書館の団体と分業するのであれば、一言、案内があってもいいと思います。(公共図書館や学校図書館が熱心に取り組んでいるのは存じております。)
中高生や若い人の読書活動の推進をすすめるのであれば、YAも必要です。
いつまで黙殺を続けるのでしょう。
忙しい、予算がない、人がいないなど理由はあると思いますけど、18歳までのこどもの図書館である以上、いつまでもYAに消極的なのは怠慢だと思います。



追記(7/20)

梨屋アリエの本が置いてなくてブログで騒いでいると思っている人から、ちゃんと置いてあるよ、検索の仕方が悪いんじゃないのという指摘があるという親切な伝聞があったので
自分の本が置いてないから怠慢だと怒っているのではありません!! と書いておきます。

小さい子どものお話の本から大人が読む一般文芸書のあいだに、いまはヤングアダルト小説という若い人向けの文学があるよということを、示していないのが怠慢だと言いたいのです。
国際子ども図書館にはYA小説が置いてありますが、それについての説明がサイトではされていません。
読み物は小学生向けまでで、中高生向けは調べ学習の本としての利用で書かれています。「おおむね18歳」までの子どもを対象とする図書館であれば、中高生向けの読み物についても言及するべきではないでしょうか。ホームページを見た感じではYAというものがまるで存在しないかのようですし、やっとYAについて書かれているページがあったと思えば、崇高な児童文学を空洞化させた悪者みたいに書いてある。まるでYAを読んでもらいたくないみたい。
国際子ども図書館は、一部の有名な児童文学者の意見だけで運営されているのでしょうか?
YA小説YA文学は国会図書館法の序文に書かれている「日本の民主化と世界平和とに寄与」していない悪書なんでしょうか。調べ学習の本だけを推奨すれば10代の読書のバランスがとれるのでしょうか? 10代が物語を読むことにも大切な意味、必要があるのではないでしょうか。しかし、国際子ども図書館からYAのための小説や文学が見えてこないのです。
だから、怠慢だと書きました。

 

追記(7/21)

児童文学の書き手が一般書に流れたから児童文学の活気がなくなったのだ的な批判は2000年代の前半くらいにあったものだと記憶している(ごめん、いま手元に資料がない)。新しい流れがわからない当時の児童文学者が嘆いていたのはいいとして、でも、いまは2017年でしょ? なんでまだその感覚なの? つーことです。いまさら某先生を批判したいわけではありません。当時の批評をそのまま載せていることを怠慢だと言いたい。

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昔、『夏の階段』で書いた件。THE FAMILY WAY / Seem — スマホでできる、精子セルフチェック —

2017年07月17日 | 生存記録2017
『夏の階段』という連作短編集(ポプラ社)が、現在品切れ重版未定なんだけど、
そのなかの『月の望潮(もちしお)』という短編は、福田君という高校生男子が語りてです。
そこに登場する親友の河野君。
生物部の入部動機が「顕微鏡で自分の精子を見てみたい」というものです。
小説のこの言葉を読んだある読者様が、そんなやつがいるのかよという反応をネットでされていたことがあったのですが、じつはこれ、実際に「見たい」と思って顕微鏡を買っていた男性の話を作者が小耳にしたことがあるから書いたのでした。読み方は自由ですが、それを一刀両断するんだなー、と作者としては苦笑い。性の悩みは奥が深いのです。

さて、生物部に入ってこそこそ顕微鏡を使わなくても、そのために顕微鏡を買わなくても、スマホが普及したいま、男性が自分の精子を好きな場所で見れる時代になっていました。
不安な気持ちでいる男性は、病院に行く前にセルフチェックができるし、パートナーに必要以上の負担をさせずに済みます。精子の話なんてブログにのせて梨屋さんてエッチと思う人がいるかもしれないけど、不妊に限らず性の悩みは奥が深いので、こういうものがあることが若い人にも一般の大人の人にも知られて欲しいと思ってCM動画を紹介します。

THE FAMILY WAY / Seem — スマホでできる、精子セルフチェック —






ちなみに、8月上旬発売の『恋する熱気球』にも、精子に関する短編が出てきます。どう読まれるかなあ……。
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横浜市緑区中山の文教堂書店様にサイン本を。

2017年07月14日 | 生存記録2017

『きみのためにはだれも泣かない』重版になりました。ありがとうございます~。

読書会のチラシを置いてくださる文教堂書店中山とうきゅう店様に、文庫の『スノウ・ティアーズ』と『きみのためにはだれも泣かない』のサイン本を一冊ずつ置いていただくことになりました。

横浜市緑区の中山駅のそばです。お近くの方、サイン本を見に行ってください。とうきゅうのフロアの一部の書店さんですが、児童書やYAコーナーのほかラノベやマンガ、学参図書なども限られたスペースに担当者さまの選りすぐりで置いてあります。

1ヶ月経ってもサイン本が売れてなかったら書店さんに申し訳ないから、そのときは変装して買いに行くよ。

 
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12歳から19歳までの読書会8月5日午後新宿にて。テーマ『僕は上手にしゃべれない』椎野直弥著

2017年07月13日 | YA読書クラブのお知らせ

 

12歳から19歳までの、10代の本好きさんのためのYA読書クラブ、スタートは2009年8月29日でした! 始めたころ、12歳だった参加者さんは大学生になってもう成人! 

連続して参加してくれた人、とびとびに参加してくれた人、ずっと行きたいと思っていたけど学校の用事で来れなくて夏休みにだけ参加できた人、参加者さんも色々です。

今回もまた新しいメンバーさんと出会えますように。

はがきサイズのチラシを書店や図書館、学校に置いていただけないでしょうか? OKのご担当のかた、10~20部くらいの少数ですがお送りさせていただきますのでご連絡ください。交通機関の接続がよいので、これまで東京都以外でも栃木県、茨城県、埼玉県、神奈川県から参加してくださった中高生もいらっしゃいます。会場が新宿区ですので、通えそうな範囲で、告知のご協力をお願いいたします。主力メンバーが卒業してしまったため、新メンバーさん大募集です!!! 12歳から19歳までの人なら小学生でも大学生でもOKですよ。

 



第31回YA読者トーク会のご案内

日 時 2017年8月5日(土)午後3時30分~5時30分

会 場 株式会社ポプラ社 絵本ルーム

  東京都新宿区大京町22-1HAKUYOHビル→地図
   東京メトロ丸の内線「四谷三丁目駅」1番出口から徒歩8分。
   東京メトロ丸の内線「新宿御苑駅」2番出口から徒歩8分。
   JR総武線「千駄ヶ谷駅」から徒歩15分。

資 格 12歳から19歳の、読書が好きな人!
      大人は参加できません。ごめんなさい。
     (大人は世話人とボランティア)

参加費 無料です。

当日までに準備してほしいこと

 今回のテーマの作品
『僕は上手にしゃべれない』椎野直弥著 (ポプラ社)
を、読んできてね。

あなたのおすすめの本
 あなたの好きな本、ほかの人にすすめたい本を一冊から二冊、持ってきてね。本の内容を短く説明できるように考えておいてください。小説やノンフィクション、詩などから選んでね。

参加希望の人は、事前の申し込みが必要です。定員は15名程度。先着順です。
中学生以下の人は、保護者の承諾が必要です。
お申し込みは、本人またはご家族のメールアドレスからお送りください。

お申し込みは、Eメールで。お申込みの締め切りは8月2日です。
「YA読書クラブ」参加希望と明記し、参加者氏名(ふりがな)、年齢、電話番号、当日の緊急連絡先、 中学生以下の場合は保護者名と参加の承諾をお書き添え下さい。

YA読書クラブ世話人からの「当日ご案内」の送信をもって、お申し込みが完了となります。

協力・ポプラ社、YARC

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ライトノベルとヤングアダルトの違いについて

2017年07月09日 | ヤングアダルトとはなにか

YAとライトノベルの違いが分からないと混乱されている若い人がいるので説明させていただきます。(※これは2014年に書いたブログ記事をまとめ直したものです)

ヤングアダルトのなかにラノベが入っている場合と、大人向けのラノベがあると思うのです。つまり違うのもあれば共通するのもある。なぜなら、YAは広い意味では「若い大人向け」であり、文学も学術書も含まれるからです。
ラノベの場合、特定の文庫レーベル(◯◯文庫とか)で出版されたものとか、イラストのついたエンタメの作風の小説をさすことが多いということ。もちろん文学的なラノベがあるのは知っていますが、その場合特定のレーベルから出ていますよね。

YA、若い大人というのは、自己自認なので、実年齢は関係ないのです。元祖アメリカのYAは、わざとティーンという言葉を使わないようにして、高校生に本をすすめようとした学校の先生がはじめたこと。ヤングアダルトという言葉は、学校や図書館から若い人の読書を推進する教育的なニーズで広まったのです。アメリカでできて、その言葉が日本にも入ってきました。
ライトノベルは出版業界など商業的なほうで広まった言葉で、日本でできた言葉です。
ライトノベルと言われる前は少女小説や青春小説、ジュブナイルSF、ジュニア小説(←児童文学に非ず)くらいしか呼び方がなかったのです。
なぜなら、昔の子どもで読書する子は、字が読めるようになったら子どもの本からいきなり大人の本を読んでいたから。中高生向けの本がなかったから。
第二次ベビーブームの前後、子どもの増加にあわせるように若い人向けの商品が本に限らずたくさん生まれてきたのです。(私の子ども時代にコバルト文庫やスニーカー文庫が出現した時、まだライトノベルという言葉はありませんでした。)

YAというものを出版するとき、明確なルールはありません。
一般書が存在し、その中に児童書として手続きして出版された本があるのです。ふたつの分け方だけなのです。
だから、一般文芸のYAもあるし、児童書のYAもあります。書かれているものがほとんど同じような対象に向けた内容であったとしても、書店や図書館では、一般文芸の本は一般の棚に、児童書は児童書の棚に分けられてしまいます。特に図書館では、分けて置く分類になっているからです。(垣根を越えたYAコーナーがある図書館は、とても熱心な担当者のいる図書館です。)
ライトノベルは、一般書籍の文庫の扱いになっています。
ハードカバーの児童書として出版されたYAも、文庫化するときには一般書扱いのYAになることが多いです。文庫はたいてい一般書なのです。
ところが「児童文庫」の場合は、どんなにラノベっぽくても小難しそうでも、児童書の扱いです。
YAとして出版されていてもこれってYAなのかなと疑いたくなる本はあります。逆に、見た目も内容も子ども向けなのに児童書ではなく一般書として出版される本もあります。

カテゴリーの問題は難しく、
余談になりますが、早川文庫のレイ・ブラッドベリ作品は、わたしが10代の時は白い背表紙、ファンタジー(というかSFでない本が白かった)として扱われていました。私は当時ファンタジーが苦手でしたが、ブラッドベリが読みたくてそれを買っていたのです。我が本棚の唯一の白背表紙。
が、今は堂々たるSFカラーのくすんだ水色の背表紙です。いつのまにか変わっていて、書店で観たとき知らないうちに自分はパラレルワールドに来ているのかと思いました。
あれはSFじゃないって10代のころに読んだSFの本には書いてあったのに。
仲間に入れたとしても「異色SF」扱いだったのに。
まあそんなふうに、時とともに評価が変わることがあるのです。

作家志望の若い方、ラノベかYAか悩むよりも、あなたが書きたい作品を、表現したいことを、思いっきり書いてほしいです。
ラノベ文庫の人気作が一般文芸のハードカバーになることも増えてきました。一般文芸で認められた作品が新装丁で児童書YAや児童文庫になることもあります。
世の中は変わっていきます。
これからの新しいジャンルやカテゴリーを作る最初の作品を、あなたが書いてください。書いていいんですよ。

ヤングアダルトとはなにかという記事を書きました。
興味ある人は、こっちもみてね。
http://blog.goo.ne.jp/nashiya_arie/e/f8d2297f456bcd74a652ddaaea6988b6



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YAの自己意識について。「あなたの心の大人の割合はどれくらい?」調査

2017年07月08日 | ヤングアダルトとはなにか

「自分は大人か?」という自己意識について、実際にみんながどのように考えているのかを調べてみた。
※これは2015年にブログに書いた記事をまとめ直したものです。

ご縁があって、中学校で講演をすることになった時、生徒さんたちにアンケートをとることにしました。
発端は、児童文学作家として、YA作家としての興味です。個人的なもので、社会学的な調査ではありません。


 


「あなたの年齢」の部分を精神年齢と勘違いして書く人が多かったので、あとからは実年齢、と修正しました。


東京都内の中学校の1年から3年まで全校生徒に回答してもらったもののなかから特徴的なものを。

縞々。下から染めてあるもの。斜め上から染めてあるもの。中心から染めてあるもの。なにかがいるもの。心の中になにかがいるというのは、面白いと思います。ふざけているというよりは、コントロールできない気持ちを表しているようで反抗期というか思春期らしい感覚だなーと私は感じました。
さて、ここで注目してほしいのは、中心から染めているものです。
中学生は、ハートの真ん中が大人だと思っている子が、わりといたんですよ。

中学生と比較したいと思い、同じ時期に、わたしが授業をしている大学の学生にも協力してもらいました。
大学2年生以上が履修できるクラスです。なので19歳以上の学生で、12月の調査ということもあり割合としては20歳以上が多数です。

横から染めてあるもの。下から染めてあるもの。特徴的だなと思ったのは、輪郭から染めてあるもの。
この2014年の秋学期のクラスでは、ハートの中心を染めた学生は一人もいませんでした。ハートの外側から大人になっているというイメージなのかな。中心にはまだ子どもの心が残っているよ、ということなのかなと思います。
そして、先の中学校では、輪郭から染めた子がいなかったんです。これ、すごく面白いなあと思いました。
中学生は中心が大人だと思っていて、大学生になると中心は子どもだと思っている人が多い?
そんな仮説を立てました。

さて。仮説を立てて気を良くしたわたしは、別の中学校にもアンケートをお願いしました。

今度の学校は大規模校だったため、全校ではなく三年生の3クラスのみ。
なかなかユニークな塗り方がありました。特徴的なのはホルスタインのようなまだら模様。これはいいなあ。綺麗に染まっていくんじゃなくて、まだらに大人の心になっていく感じ、わかります。素晴らしい。
そして、中心から染めたハートもありました。

ふむふむ、中学生ならではですね。
と、満足しながら回収された用紙をめくっていったら……

輪郭から染めたハート。中心が子どもですよという、大学生だけに見られたと思っていたものが大阪の中学生から検出。わたしの仮説が覆された瞬間でした。
中学生だからと言って、中心が大人だと思っている子ばかりではない。

しかしですね。中学生と大学生を比較するには、大学生のサンプル数が極端に少なすぎなのです。
なので、2015年の春学期、梨屋クラスを受講した別の大学生に、同じアンケートを取ることにしました。

ほうら、やっぱり大学生は輪郭から染めてるよ。と思っていたら、中心を染めている学生、発見。中学生だけの特徴じゃなかったんだ。だよね。そういうもんだよね。
年齢別に、人の内面を単純に分けられるものじゃないよね。それにさ、
「大人の心」ってなんなの?
全員が同じものを思い浮かべて「大人の心」だと思っているわけじゃないのですよ。

大人ってなんだろう?
小さい子がイメージする「大人」
中学生が考えている「大人」
成人した大学生が考えている「大人」
ベテランの大人が考えている「大人」
これって、「大人」という言葉で表現されるけれど、ずいぶんちがった大人なのではないかな。

たとえば、すっごく大まかに分けると、
・人の模範・理想の姿としての「大人」。
・硬直し面白味のない姿としての「大人」。
・20歳以上の人を表す法律上の大人。
この三つだけでも、違う大人になるとおもうの。

それに、年齢が若い子どものうちは、早く一人前に扱われたいという気持ちが強いだろうし、子どもっぽい子にたいして、批判的に思うこともあるでしょう。早く大人になっているほうがすごいと思っている。しかしその「大人」がどういう意味の大人なのかは別として。

「子どもの心」は、大人に必要? 不必要?
大人になればなるほど、良い意味でも悪い意味でも、子どもの心を残して持っていたいと思うんじゃないかと、わたしは思っています。

いつのことだか忘れたけれど、「大人には子どもの心なんてない」、と断言している子どもを見たことがあります。
大人になったら子どもの心なんて失くしてしまう、と思っているのは、大人が自分たちとは異質な存在にしか見えていない子どものうちだからなんじゃないかな。
大人は自分に都合のいいように「忘れる」ということはあるけれど、子どもの心を全部失っているわけではないと思う。きっかけさえあれば、思い出せるものだと思う。

さて。
ハートに記入してもらったときの結果はこれだけですが、同じアンケートには、数字を記入する欄もありました。
次は、そちらの話をしたいと思います。

その2へ  /  ヤングアダルトとはなにかのページへ

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YAの自己意識について。「あなたの心の大人の割合はどれくらい?」調査 その2

2017年07月08日 | ヤングアダルトとはなにか

数字編です。
大人の心の割合を集計してみました。
中学生による自己意識の自己申告です。   その1にもどる


100%以上の値を書き込んだ中学生がいました。こういうのみると、嬉しくなってしまいます。
自分には1ミリたりとも子どもの心なんて残ってない、もう10000%大人ですから!!  みたいな。
中学生、さすがです。いいなあ、この万能感。
一方で、0%と書く子も見受けられました。
一番多かったのが50%代の数字を書いた人たち。
大阪の中学生のほうも集計してみると、

やはりこちらも一番多いのは50%代。そして、100%以上と答えた子がいました。もちろん0%も。
中学生、おもしろい。そして、大人扱いをするか子ども扱いをするかって、個人差が大きくて、なかなか難しいですね。
これまでの数値を集計してみます。 中学生と大学生の分母を合わせて割合でみると、 こんな感じです。 濃い色が中学生。淡い色が大学生。

ピークの位置がちがう。大学生の30%台が二倍になっているけれど、分布はそんなに違ってない。ただ、90%代と100%以上と考えている大学生はいない。これは特長になるのかしら。たまたまなのかしら。

これを大人で調べたら、どうなるのだろう。

わたしがこのアンケートに答えるとしたら、ハートの塗り絵は、きっとまだらなシミのように塗ると思う。そして、割合としては20%か、30%かな……。だって、全部が全部大人の心になりたいとは全く思ってないし。大人にならなきゃ恥ずかしいとか、子どもの心を失いたくないとか、いろいろ考えていた時期はあるけれど。最近は、大人の心か子どもの心かなんかじゃない、どっちが多いか少ないかじゃなくて、大人だろうと子どもだろうと、わたしの心は、わたしの心なんだ、わたしの心が、わたしの心なんだ、と言い切れそうな気がします。もっと大人にならなきゃいけないなって思うことはたくさんあるんだけど。

というわけで、以上が、「あなたの心の大人の割合はどれくらい?」という、自己意識の調査でした。

今回はあくまでも自己意識なので、周囲の人から実際にどう思われているのかはわかりません。
すごーく幼いと思われている人が自分では100%大人だと思っているかもしれないし、大人だなあと友だちから一目置かれている人が自分は10%くらいしかないと考えているかもしれません。

大人の割合が高いからいいとか、低いからいいとか、そういうことではないのですよね。
だって、どういう大人を「大人」とイメージしているのかも、人それぞれで、他の人からはみえないことですから。

まとめとしては。

みんな、それぞれに、大人像を持っていて、何歳だから何パーセントくらい、と年齢で一概にあらわれるものではないんだろうということです。
個人差がとても大きい。

そこが、人の心の面白いところだと思います。
そして、大人ってなんだろうって、人生のときどきに考えながら、もっと大人にならなくちゃとか、がちがちの大人のままじゃいけないなとか、自分を見つめていくのかもしれないなと思いました。

このへんてこな調査にご協力してくださったみなさま、ありがとうございました。

素人の調査なので大ざっぱですが、参考資料になればと思い公開します。

 その1にもどる

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発達性読み書き障害のマンガ『うちの子は字が書けない』と、読字障害のマンガ『ぼくの素晴らしき人生』

2017年07月08日 | 生存記録2017

ポプラ社のwebで連載していた発達性読み書き障害の子を持つ親のエッセイマンガ『うちの子は字が書けない』(千葉リョウコ)が単行本になってたー。書下ろしの部分がとても充実した内容なのでwebで読んでいた方は紙の本でご購入ください。
こちらは宇野彰氏が監修している。

講談社のBeLoveで連載中の、ディスレクシア(読字障害)の青年が主人公の創作のマンガ『ぼくの素晴らしき人生』(愛本みずほ)も、第一巻が単行本になっている。
こちらはNPO法人エッジ等が取材協力をしている。

『うちの子は字が書けない』のほうはweb連載が始まった頃に教えていただいて、少し読みました。その時は、はじめのほうが当事者の母の視点で描かれているので、母は頑張りましたという話かという印象を受けて、少々複雑な気持ちになってしまった。
でも単行本で読んでみたら、当事者の気持ちについても母の思い以上に大切に描いてあると感じました。



このコマ。わたしも中学の時に言われた。
小学生の時のテストはひらがなで書いても丸を貰えていたので、歴史が嫌いとは思っていませんでした。
中学からは漢字で書けないと×にされ、家で何度練習していってもテストで漢字が書けないので、日本史が大嫌いになりました。ただでさえ年表が覚えられないし、人の繋がりに興味がないのに、読み方と違う人名漢字を覚えるなんて無理。社会科は国語以上に漢字が多い! 
わたしは国語の授業も大嫌いでした。
小学生のころは、漢字の練習をかなり一生懸命やりました。何度も書かないと覚えられないので。女は勉強しなくていいという差別的な家庭だったので、小学生のころのわたしが家で、宿題以外で自主的に勉強したのは漢字ぐらいです。豆テストで居残りにされたくないから。ちなみに親に勉強を見てもらった記憶はない。
さて、
『うちの子は字が書けない』のフユくんは、特別扱いされたくないと合理的配慮を拒みます。
そうだろうな。
でも、漢字が書けないことで、他の学習の機会までが失われてしまうのが現実。
だって、成績が悪いと、進路が限られてしまうもの。
わたしは、高校生になってすぐ、勉強しても学力を上げることは無理だとわかっていたので、実技の推薦で行けそうな音楽の方面に進学することにしました。親が考えていた事務職の越し掛けOLになるのも無理だろうし、そういう仕事にすごく苦しさを感じていたので。今思うと、一人でこの判断ができたのは偉かったと思います。(笑。結局、音楽も向いてなかったけど、死なないでいられた)
わたしには、フユくんのお母さんや家族のような人はいなかった。大人は命令と罵倒と脅しで人を動かすものだと思っていた。
『うちの子は字が書けない』を読んだ人が、フユくんのお母さんや家族のように理解者となってくださいますように。

ところで、
わたしは字が下手であります。本を読むのも遅いのですが、手書きで書くのが苦手です。字は読めますが、知っているはずの漢字が自分でも恥ずかしいほど書けません。よく書き間違えるし、書くのが追いつかずに、全部ひらがなになって、ぐちゃぐちゃになって、書いているつもりなのに字ではなくなってて、自分でもあとで読めないノートが出来上がります。(まったく書けないわけではありません。ごくまれに普段書けない漢字が書けてしまう謎の日があります)
パソコンでは漢字を間違えません。どういう字か目の前に出れば、正しいか間違っているかがわかるからです。読めるし、正誤はわかる。ただ、手書きで書くときに、なんも出てこない。漢字で書こうとすると、思い出すまで数秒の時間がかかり、音が似ている全く違う字を書いてしまい途中でこれは違うとわかるとか、へんとつくりや熟語の前後を入れ違うとか。
そういう話をすると、「自分も字が下手で」(っていうやつたいていキレイだ! )とか「パソコンばかりだからつい漢字を忘れる」とか話を合わせてもらえるんだけど、自分の場合、その限度を超えているような気がするのです。
漢字の理解ができていないのであれば、読めないだろうし比較してもわからないはず。わたしの場合、ただ、手書きになると書けない。字をバカにされてきた心理的な要因もあるかもしれないんだけど、手書きで意見などを書かねばならないときに、低学年の漢字しかすぐに書けないので、ひらがなだらけの違和感のないように単語を選んで回避しつつ文をつくるので、思うように書きたいことを書くことができず、ものすごくつらい。辞書を引いて確かめたそばからすぐ忘れて、書き写すのに二度も三度も辞書を見るということはよくあった。パソコンがあれば小説が一冊書けるのに。
漢字が書けないのは、漠然と、大人になったら治ると思っていたんだ……たぶん。自分なりに練習もしてみた(続かなかったけど)。
これはふつうに字が下手、漢字が苦手、なのではないかもしれない、と思うようになって、去年、大人の発達障害の検査を受けるときに書字障害があるか調べたいということを医師に伝えました。結果としては、IQの高さに比べたら書字の障害があると考えられる、というもの。きちんとした病院の正式な診断ですが、書字障害の専門家にみてもらったわけではないので、ズバッとは言われてないけれど。

実は、2010年の朝日新聞のオーサービジットを受けたとき、中学校で授業をするのに黒板を使わなければならなかったことがありました。
そのとき、わたしは書字障害という言葉を知らなかったし、合理的配慮と言う概念も法律になってなかったし、字が下手という以前に漢字が書けない人と知られることを怖れていたし、大人として作家として失格と思われたくない気持ちが強く、仕事がなくなるかもしれないという恐怖もあり、書くのが苦手とは担当者に伝えましたけど、それ以上はだれにも言わなかった……というか言えなかったのでした。特に作家の人は字が上手いものだ、と大誤解されることが多く、でなければ個性的な字で難しい漢字をさらさらと書いていくような……。もう、泣きべそです。
どうしたかと言うと、事前に提出された子どもたちの課題の作文と字を見られたので、字がうまい、かつ飛び抜けて賢い子が何人かわかっていたので、当日の受講者の中学生に頼みました。その子はすらすらと見事に誤字もなく書いていってくれました。(それに比べてわたしは一体何なんだ、と思いました、本当に。)
こうやって、切り抜けていた感じ。
わたしの無駄に高いIQは、こういう部分で発揮されてきました。

2009年から某所で非常勤講師をしていますが、やはり授業中、黒板に字が書けない。
書く字を印刷して手元に持っていても、もたもたしてなかなか書けない。(過度に緊張する。メンタル弱っ)
その場で言われたことを漢字で黒板に書くのは絶対無理。
だから、わたしはいつも、授業の内容をパワーポイントで作っていきますし、オーバーヘッド(書画カメラ)も使います。使えるものを使えば授業の質は確保できます。その代り厖大な時間をかけて事前の準備をしています。
学生は、字が書かれていく時間を待たないでいいので、授業が進みます。
どうしても書かなくてはならない時は「わざと下手に書く」という方法で、書く。これは書字障害ではなく、メンタル対策。

『ぼくの素晴らしき人生』のほう、読字障害と気づかれないまま義務教育を修了し、生活のために働いているけど読めないために職を転々としている状況から始まります。
読めないことを人に言えず、本人なりにあれこれ工夫しているところ、とても共感できました。
本人がまず障害のことを知り、自分で認めることができないと、周囲も手を貸せないんだとおもう。忍くんが実はこれこれって話せていたら、それまでの職場でも理解を示してくれた人はいたかもしれない。逆に、それを理由に差別する人もいるかもしれなくて、そっちの方が怖いよね。そりゃねー。

勉強や努力をしてない人の言い訳と思われるのは、つらい。
苦手で、練習してもできなくて、まわりにからかわれたら、ますますやりたくないんだから。
子どものころにしっかり検査できる体制が整って欲しい。

これまでに悩んで隠してきた大人のかたも、たくさんいるんだと思う。
読み書きに関わらなくても発揮できる仕事に就けていたら、それは自信になると思う。でも、「できないこと」に直面させられることは、人生の中に色々とあるので、「普通」と思っている人たちに理解が広がるといいなとおもう。
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大勢の人の日常の中で生活している大人の発達障害の人の姿とは

2017年07月07日 | 生存記録2017
テレビで取り上げられる発達障害の人は二種類にわけられるように感じている。
知的障害を伴う発達障害の人か、とび抜けた才能のある発達障害の人。
このどちらかに偏ってしまうのは、映像特有のわかりやすさを求めて制作されているためなんだろう。文章表現であれば密度の濃い細やかな情報を伝えることができるけれど、映像の場合は数秒見て違いがわかるものが求められる。わかりにくいものは排除……というか、そぎ落とされてしまう。
でも、見る人は、映像で見ることのできないそぎ落ちた部分に思いを向けられるだろうか。番組で見た範囲の違いだけを見て、発達障害はこういうものなんだ、という認識が生まれてしまう。その理解が、かえって困ったことにもなることもある。

だって、知的障害を伴わず、取り立てて目立った才能があるわけでなく、福祉の支援も受けてない大人の発達障害の人は、大人の発達障害の人の中の大多数ではないのか。これは私の印象なんだけど。
現在成人している人は、発達障害があったとしても発達障害かどうかの診断を受けていない人のほうが大多数。就職している人も親になっている人もたくさんいるだろう。高学歴の人もいれば高校を卒業できなかった人もいるだろう。発達障害という言葉を知らずに成人している当事者は、自分が発達障害とは思ってないと思う。ただ、なんで他の人のように自分はうまくできないんだろうと悩んだり、不本意な扱いや批判を受けていると悲しくなったり腹を立てたり、苦手なことをうまく避けたり隠したり工夫したり、変人のレッテルを我慢したり逆に自称したりして、どうにかして生活しているんだと思う。
発達障害の当事者ってなんなんでしょうね。

大人の発達障害の人は、昔からずっと日常の社会の中で生きている。
でも、困っているのだ。
だって、発達障害なんだから。
困っていることに無自覚な人も多いだろう。なにかができないのは自分が悪いと思いこまされているから。これまで普通にやってきたというプライドもあるだろうから、実は困っているようなことも、認められないかもしれない。自分に発達障害があることを受け入れることは、人によっては困難でつらいことになる。
逆に、長い間原因不明だった自分の生きにくさが発達障害に由来していたとわかることで、すっきりできる人もいる。
私の場合、すっきり系のタイプなんだけど、完全にすっきりしているわけではない。
支援が必要なほどではない大人が、大人の発達障害とわかったからと言って、すぐに周囲から理解してもらえるわけではないし、配慮を受けられるわけではない。自分が変われるわけでもない。
そうか発達障害だったんだ、とわかっても、未だに自分を責めるのがやめられません。
「自分の目標がいつも高すぎるから」と言われたけど、それって認知のゆがみがあって「自分のことがわかってない」と言うことなのか。


大人の発達障害でした、と人に話してみて、私が感じたもの。

1、「そんなふうに見えない」「そんなはずがない」の壁。
2、対応に困って離れていく、の壁。
3、また言い訳してる、ズルしようとしてる、やっぱり変な人だったね、の壁。
4、「えっ、怖~い」の壁
5、それがなにか? だからなに? 甘えんな、だれだってつらいことはある、の壁。
6、自分が天才だと思ってるの? 冷笑 の壁。
7、障害者を騙る詐欺だろ、俺の税金が の壁
8、コロッと態度を変えて、「配慮が必要なことはございませんか」 の壁

「発達障害の人はこういう人」というイメージができているために、「あんたは違う!」という拒絶反応が出るのではないかと思いました。

別に、発達障害の診断を受けたからって、お金がもらえるわけではないです。もらってないですよ。
公的な支援が必要な人は、厳格な審査があって、障害者の手帳を発行されなくてはなりません。(役所の福祉課にお問い合わせください。支援の必要がある方が、批判されずに受けられるものであってほしい。)
発達障害の人のすべてがいわゆる障害者なのではありません。なにをもって「障害者」とするかは法律で決まっています。

「えっ、怖~い」
って、本当に言われたよ。それだけ言ってその人はぴゅーっと離れて行ったよ。怖くないよって言えなかった。
その件で、伝える相手を見極めなくてはいけないと学びました。

大勢の人の日常の中で生活している大人の発達障害の人の姿が、もっと見えるようになればいいのに。
それは自然な社会のありようなのだ。
いろんな人がいるのが当たり前なのに、同じようになることでしか、いまの社会では認められない。
いつか発達障害という枠を作らなくてもよい世の中になれたらいいね。

もう一回書いておく。
そうか発達障害だったんだ、とわかっても、未だに自分を責めるのがやめられません。


さて、
発達障害という言葉を多くの人に知ってもらうことはとても大切なことだと思う。だから、(二極化を愁いていますが)差別的な扱いでなければ、知ってもらうためにテレビなど何らかの形で取り上げる意義があると思う。
子どもの発達障害にかんしては、法律も整備されているし、早期に見つけて周囲が対応することで、その子の将来の生きづらさを減らすことができる。大人になるまでに本人が自分の特徴を知って、対処方法を身につけていれば、困難に直面した時にパニックにならず自分で解決、回避できるようになれる。だから、子どもの発達障害については悲観しないで、明るい未来を描いてほしいです。

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外出前に2時間も着替え続けてしまう突発的な不調が、たまにある

2017年07月06日 | 生存記録2017
少し遠くに出掛けなければならない日、着ていく服が決まらないことがある。
前日のうちに決めておけばいいよ、と言われるのだけど、決めていても、着た途端に違和感がでて、胸が重苦しくなって、どうしても着ていられなくなることがある。だから、準備ができていないせいではない。何度かそのコーディネートで着て出かけている服の組み合わせでも、突然、変な気がして着ていられなくなるのだ。時間がないからとそれでも出かけようとすると、玄関で足が止まる。動けなくなる。外に出て鍵をかけてから動けなくなり、またもどって着替えることも。
予定と違う服を着ることになる。一回着替えるだけですむのなら、だれにでもあることかもしれない。しかしわたしの場合、そのスイッチが入ってしまうと、最低でも3,4回は着替えることになる。着替え続けるのが20分程度ですむときもあれば、最長で2時間も着替え続けたことがある。わたしってバカみたいって泣きながら。
2時間もかかっていたら当然、遅刻になる。いつも早めに家を出る設定で準備しているし、着替え地獄にはまった時は家を出る前に遅刻決定になるので、事前に予定変更できればして、先方に連絡を入れられる。乗り換えがある遠い場所に行くときは最低でも3、40分前には着いてどこかでコーヒーを飲む時間を作るようにしているので、重大な用事で大遅刻をすることはあまりない(はず)。だから、遅刻魔にはなってないと思う。だから、この不調は伝わってない。
「服が決められなくて、家を出るまで大変でした」というと、「そういうことってありますよね」と言ってもらえる。まさか1時間ちかく4、5着の服を苦しみながらぐるぐる着替え続けていたとは相手は思わないし、言っても信じない。迷うほど服を一杯持っているわけじゃないのに、「たくさんお持ちだから迷うんですよ」っておあいそで言われてしまうと、それ以上言えない。わたしとしては、苦しかったことと困っていること、それでも頑張って来れた喜び(苦笑)をなんとなく伝えたかったんだけど、相手にしてみたら「精神病院行ったらどうですか」と言うわけにいかないから、そう言うしかないんだな。(毎日スイッチが入るわけでないから、強迫神経症の治療対象にならない気がする。)
ワンピースばかり着ていた時期がある。組み合わせを考えなくていいから。でもワンピースの時でも、ジャケットやカーディガンのはおりものの組み合わせで違和感が出てしまうと、どれにしても安心できなくなり、何度も着替え続けて、結局ワンピースを着替えて、疲れはてて収まる。これで良しというわけではなく、どうにもならなくて、疲れて、不安なままだけど一番心が苦しくない服で我慢する感じ。着替えの途中で何度か着た服にまたもどることが多い。
合わせる服の数が多い季節は、組み合わせも掛け算になるため、スイッチが入ってしまうと部屋に服の山ができる。片付けながら着替えている余裕がなくなってくるし、いったんクローゼットにしまってもまた出して着て、脱いで、となる。女性にはわかると思うけど、服によっては下着から着替えなくてはいけないものがある。そういう日は一人裸祭状態である。
おしゃれさん♪ なわけではない。苦しいのだ。
時間もなくなっていくから、どんどんパニックが大きくなる。
家を出る時には、くたびれ果てている。

突発的に起きる「着替え続ける状態」を自覚したのは、この数年だった。それまでは自分がだらしないせいだと思っていた。
だらしなさとは違うらしいと気づいてからは、「わあ、スイッチが入ってしまった!」と思いながら着替え続ける。苦しいが、苦しさが少し変わった。
どういうときにスイッチが入りやすいかは、まだよくわからない。

もう20年以上毎日外出しなくてもいい生活と仕事をしているので、厳格な生活リズムの中にいる学生や会社勤めの人にはこのパニックぶりはわかりにくいかもしれない。
本人は苦しいのだけど、命にかかわることではない。
苦しさを口にしたところで、だらしないとか無計画とかわがままとかおおげさとか社会性がないとか自分に甘いと思われるだけのことである。
出掛ける直前に突然胸が苦しくなって二時間着替え続けてみないと、このバカバカしく情けない苦しさはわからない。


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久里浜少年院に参観してきた

2017年07月05日 | 少年院に参観して、印象を俳句にする

久里浜少年院を参観してきました。
関東医療少年院、京都医療少年院、愛光女子学園、愛知少年院、豊ケ岡学園に続き
わたしにとって6か所目の少年院参観、。先月の鑑別所を含めると少年関係7か所目です。

少年院は、収容する少年の傾向のほか、地域色を出していること、立地や建物の制約などの環境の違いがあること、(よく異動するけど)院長の方針が反映されることなどにより、少年院法にのっとって運営されていますが、参観してみると印象が様々。

入口の錨は、戦前、海軍関係の施設や船を使った刑務所があったという歴史をあらわしているのかなと思います。


久里浜少年院は、三方が海に面していて、一般の住宅街からは離れた場所にあり、敷地も広く逃走や侵入を極端に警戒する必要がないためか、なかに入ると開放的。少年用の建物は低層で、広いグラウンドがありました。塀はありますが防潮堤のようなもので、圧迫感はありません。海は見えませんが、周囲に民間の建物もなく、空は広々と、海風も心地好く、グラウンドには芝やクローバーがふかふか。
建物はかなり古いのですが、外壁が白くぬられているので(潮風の劣化はあちこちに見られます)、まるで南の島にある古びた研修所みたい。
ただ、内部の、現在は使っていないという個室を見たら、ここには泊まりたくないというほど狭かった。部屋の大きさは法律で定められていると思うので、特別狭いわけではないのかもしれませんが、これまで参観して見せていただいた施設の中では特に狭く、床もはがれていて、わたしの印象では、苦痛な部屋でした。使ってないからボロボロのままなのかもしれない。

図書室は見せていただけなかったのですが、市の図書館からも集団貸し出しを受けていて、新しい本も購入しているとのこと。自己啓発や体を鍛える本が人気のよう。
犯罪傾向が進んだ年齢の高い少年が入る施設なので、マッチョな体を目指したい人が多いようです。
体育のクラスの掛け声が豪快でした。
それから、日本語のわからない外国籍の少年も収容していて、それは国際科として、日本の生活に慣れさせる教育が中心になっているそうです。が、外国語の本も置いているとのこと。サザエさんのDVDを見せて日本の暮らしを学ばせているとのこと。あれが今の日本か、わたしはちょっと疑問がありますが、言葉が丁寧だから良いのだそうです。
職業指導用のパソコン室がありました。

で、今回、よそでは見せてもらってなかった部屋を見ることができました。
保護室と静護室(この字でいいのかな?)です。
何もない部屋に、和式トイレの大きさの窪みと、角に手を洗う窪みが床にぼこっとあるだけ。本当に「窪み」なんです。蛇口とかもない。自分で水は流せない。外部から教官がボタンを押して流す。
自殺や破壊活動をさせないために余分なものなし。
保護室に入れるルールも法律で細かく決まってますし、懲罰を理由に入れてはいけない部屋です。
はじめ「うわあ……」と思ったのですが、実は、見ているうちにわたしは妙にその部屋に安心感を持ちました。とても静かで、なにもなくて、この部屋なら入っていもいいなあ。なんだろうこのかんじ……。
後で職員さんの話を聞いたら、少年の入る個室は壁が薄いため隣の部屋の音がよく聞こえるそうで、感覚過敏な自閉症傾向のある少年が耐えられなくて、保護室に入りたがるということでした。
ああ、だよね、入りたくなる気持ち、わかります。わたし納得しました。(自分の傾向も再確認した)
入りたいと言われても、決まりがあるので入れるわけにはいかない。→入りたいから夜中に大声で歌って騒ぐ。→入れる。→落ち着く。ということがあったって。

院長さんがお話上手な方で、楽しかった。ほかの職員さんもこころ穏やかな感じだったので、職場の雰囲気がいいのだろうなと思いました。

久里浜少年院は、二種。2度、3度も少年院に入っている少年を収容しているので、最後の砦として教育しているとのこと。ここで社会生活が身につかないと、次は刑務所になってしまうぞ、と。熱い思いの大人の方々ばかりでした。

実の親か両親が同居しているかよりも、安心できる家庭があるかのほうが重要で、両親がいても家庭が壊れていく過程を見ているほうが子どもにとってはつらいので、不倫相手を連れ込んだりDVしたりする親なら家にいないほうがいいって、話されていました。

依存症問題などで有名な精神科医の松本俊彦さんが非常勤の医師としていらしているそう。



さて、参観俳句。(推敲足りてないかも)


海風に研がれて茂るソテツかな アリエ

入口のソテツが見事なので。ヤシだと思ってヤシで俳句を考えていたら、写真見た夫に、ソテツじゃないのって言われて慌てた。


涼しさや地上の錨どっしりと アリエ

入口の錨をどう詠んだらいいものか。駅の方は暑かったけど、海のそばは風が涼しかった。
太平洋戦争の引き上げ船のなかでコレラが発生して多くの死者がでて、沖に係留していたという歴史がある場所でもある。戦争は悲しいことがたくさん起きる。


塀が切る水平線の梅雨曇り アリエ

海のそばまで行ったのに海をみないで帰ってきた。


浦賀駅の、折り返し電車がホームに入ってくるときの音楽がオルゴール音のゴジラだった。

みなさんも参観の機会があれば、ぜひ。

 

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だれでも参加OKの読書会「YA*cafe」7月30日午前~池袋にて。テーマ『なりたて中学生 初級編』

2017年06月30日 | YA*cafeのお知らせ

YA作品を読む人、YA作品を知りたい人のための読書会「YA*cafe」。

* 2017年7月30日(日)午前9:45~11:45 

 会場 

*東京芸術劇場 5階 ミーティングルーム2
 東京都豊島区西池袋1-8-1 
 JR・東京メトロ・東武東上線・西武池袋線 池袋駅西口より徒歩2分。
 駅地下通路2b出口と直結

 今回のテーマの本

*『なりたて中学生 初級編』 ひこ・田中著 (講談社)
※中級編・上級編もあります。日本児童文学者協会賞受賞作。
事前に読んでおいてください。

 持ち物

*おすすめのYA作品をご紹介ください(任意)。


参加方法  

メールにて、お名前(ハンドル可)と学年または年齢、当日の連絡先をお知らせください。担当者からの返信を持って受付完了となります。締切7/28  配慮が必要な方は申し込み時にお知らせください。残席の状況により締め切り後も受け付ける場合があります。初参加の方は「YA*cafeの会」の仮入会となります。

 参加費

* 会場費・諸経費として300円。 (未成年半額・中高生対象「読書奨学金」指定読書会)
 お釣りのないようお願いいたします。
ドリンクお菓子持ち込み可。ゴミはお持ち帰りください。


詳しくは、

http://www13.plala.or.jp/aririn/yacafe/




YA(ワイエー)とは、Young Adult(ヤングアダルト)の略称で、「若い大人」という意味です。十代からの、若い大人に向けて書かれた本を、YAと呼びます。

第7期もよろしくお願いします。新規メンバー随時募集中。
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