ハラキリ女の生きる道

左腎臓癌全摘手術の3ヶ月後、肝臓に再発…。
スーテントによる治療をはじめます。

治る心

2009-04-08 03:08:40 | 闘病記
今日兄が「今あるガンが消えていく食事」という食事療養の本を買ってきた。
休薬期間にやってみようと思う。

ガン治療に前向き取り組みながらも、どうしても不安で死を意識してしまう時がある。
そんな時は生きる、死なない、治ると心の中で唱える。

死を考えてしまった分の倍以上唱える事にしている。何十回も。
治ると一回唱えるたび一つ癌細胞が消えるイメージをもつ。
単純だが唱えるうちその気になってくる。
ポジティブな心に戻ってくる。

いよいよ

2009-04-08 02:47:06 | 闘病記
明日がⅠクール目最後のスーテントになる。
副作用はいろいろあった。
手の湿疹
血小板の減少
高血圧
吐き気
浮腫
今は顔がむくんでどうしようもなく不細工。

1番悩まされるのが、オキソコンチンの副作用、便秘だ。
四六時中ウンコの事を考えているのは辛い。

病気の経緯④

2009-04-05 04:16:25 | 闘病記
2008/10/27
紹介状とCTやらMRIやらの画像をにぎりしめ、東京T病院K医師の外来へ。
初対面の感想は以外に普通のおじちゃん。
だが物言いは厳しい。
いきなり
「手術できるかわからない」
と。
母と二人、ガツーンときたが、そこはくいさがるしかない。
「先生しかいませんので…」
と、か細く言ってきた。
そんなこんなで翌日から入院が決まりました。

2008/10/28~
もろもろ検査。
すっ飛ばします。
ちなみに一番痛かった検査は動脈採血です。

副作用

2009-04-01 04:50:03 | 闘病記
本人にはまったく記憶がないのだが、それが副作用であることがわかった。
つまり入院生活をふりかえっての家族との会話。
母「そういえば〇〇ちゃんきてくれてたね」
私「えっ?知らない」
とか
私「〇〇がきてこんなこと言ってたよ~」
母「それ私も一緒にいて聞いてたじゃない」
とか。
つまり記憶が曖昧なのだ。
ほんのⅠ週間前の出来事がちゃんと思い出せない。
スーテント4粒だったころの話だ。
本人の自覚ないままに朦朧としていたのかもしれない。

病気の経緯③

2009-03-26 00:55:03 | 闘病記
2008/10/23
第一発見者T医師の病院で、CT、MRIなど一通りの検査を済ます。
病気の全貌が明らかになっていくにつれ、もう一刻の猶予もないと言う現実も明らかになった。
T医師の病院は私の住む埼玉でも有数の大病院なのだが、当初からこの病院では手術できないと言われていた。
「この先生ならやってくれるという先生を見つけました。」
と、T医師から連絡をもらった。