涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

僕たちは赤ちゃんができる過程をいつ知ったか

2016-10-13 23:44:01 | チラシの裏
出産。生命の誕生。
自分の身体から出た細胞が相手の細胞を混ざり合う事で、新たな生命が誕生する。
そしてその命を作るには、男性の局部を女性の局部に挿し込んで精子をぶちまけなければならない。
これがなければどんなに逆立ちをしたって子供は出来ない。
処女受胎とかいうのなんて、絶対「意識高い僕・アタシはあいつらとは違う」みたいな同族嫌悪的なアレなんやろ?そうなんやろ?
素直になれって。ヤったんだろ?俺知ってるんだから。

では、俺はこの行為によって子供ができるという事をいつ知ったのか。
ここにぶちまけておく。

子供がどうやってできるか。
3歳くらいから意識し始めたと思うが、その頃の俺は「男の人と女の人が結婚して一緒に暮らしていれば、自然とポコッとできる」と考えていた。
マジで考えていた。
身近に「結婚した後に子供が出来た」という話だけを切り取って、その思考になったんだろう。
結婚した後の初夜とか、あまつさえ結婚前にだって作ろうと思えば作れるなんて考えには無縁だ。
そんなもんだから、子供は勝手に出来ていくものだから、作るためにセックスなんて過程があったなんてことは思ってもいなかった。

では、子供ができるためのセックスについて。
今でこそ当たり前に考えているが、上述のように幼いころの俺はセックスとは何たるかを全く理解していなかった。
セックスという言葉を聴いたのは、おそらく5歳~6歳くらいの時だ。
何で聴いたのかまでは覚えてない。
だが、この年頃は覚えたての物事は使ってみたい心持ち。
早速次の日その言葉を保育所で発した。
友達だった園内でトップレベルの美少女で通っていた由美ちゃんはマジで引いていた。
由美ちゃん君はもう当時から女だったんだねこのムッツリ野郎。孕め!

しかし、それは大きな経験だった。
俺の中でセックスという言葉はそこかしこに発していい言葉じゃないことを知る。
当時はインターネットも何もない時代だ。
親や先生が教えてくれなきゃ、そのコミュニティにある場の空気で覚えていかなきゃならない事なんて沢山あった。
とにかく、「セックスは恥ずかしいもの」という認識を教えてくれたのは由美ちゃんだった。

時は経ち、小学5年生くらいに上がった時、俺は俺の中に精子というものを飼っていることを知る。
元々そういうものがあるのは小3~小4くらいで知っていた。
国語の教科書に「鮭の一生」というテーマで、鮭は川で生まれ、海に出て、また川に戻り、激流に抗いながらも登って行き、また卵を作って死んでいくという内容だ。
そこで卵を作る際に、オスは何だか白いモヤモヤしたものを出すのだが、それが精子だった。
オスは精子を出すという事を初めて知った。
だがその頃はそれが自分にもあるという事実までには至らない。

それに気づいたのは先程言ったように、小学校5年生。
少年誌を読んでいたら、よくあるちょっとしたお色気シーンに欲情してしまった俺が存在していた。
欲情が進むにつれ大きくなるチンコが不思議で仕方ない。
触ってみるとより脈打つチンコ。しかも気持ちいい。
そのまま触り続けていると、股間が今までにないムズムズと開放感に包まれた。
その直後に、白いべたつくものが俺の手についていた。
俺は精子の存在と、自慰の快楽を知った。知ってしまった。
頭がエロに支配される始まりだった。

そして小6。
このころ、『幕張』という漫画がジャンプに存在していた。

この漫画、控えめに言ってもお下劣極まりなかった。
夜這いだのオナペットだのパイパンだの、少年誌にウンコを塗ってその上に精子をぶちまけるかのような作品だった。
だが、その衝撃は俺の中では凄い面白く、また、まだ知らなかったシモな言葉をいくつも教えてくれた。
そして、ここで俺はセックスの本当の意味に辿り着く。

この作品では登場する野郎どもが、やたらと女に何かを挿しこもうとする。
なんでまたそんなに女性にチンコを挿し込みたがるのか。
そして、俺は読んでいくうちに、「まさか、、チンコを女性の局部に挿すことをセックスっていうのか!?」という結論に辿り着く。
俺は次の日、クラスでエロに明るい知人にそれを聴く。
セックスが俺に扉を開いた瞬間だった。

そして、そこからセックスをする意味を考えた。
セックスをすることはチンコが気持ちがいい事は幕張から理解できた。
チンコが気持ちがよくなるという事は、精子が出るという事。
精子がメスの周りを覆う事で、鮭は卵を産むことが出来る。
めしべに花粉がつけば、受粉となる。
卵子に精子がくっつけば、受精となる。
まさか、セックスか。。子供を産むためにはセックスが必要なのか。。。
俺は、真実に至った。


そこから先は転げ落ちるかのようだった。
セックスの方法論を学ぶべく、様々なエロ本、エロビデオに触れた。
最初は『ふたりエッチ』のようなエッチを考える本からはじまり、セックスにはいろいろな方法があることを知る。
途中からそれだけじゃ飽き足らず、何故か凌辱系やら調教系やらにも手を出した気がする。
その後今のカミさんに出会い、まあそういう体験を経ながら、性の知識を貪欲に取り入れた。
今じゃ「エロマンガで中出し・種付けシーンには膣内断面図と卵子に精子のオタマジャクシが群がっている描写を入れるとより興奮する」という嗜好に至った。
これ思いついた人本当にエライ。俺の中じゃノーベル賞もんの発明だよ。
というか、出産は偉大だとかいつセックスに目覚めたかとか自分語りしてきたが、この日記を書こうと思った本当の理由は、これが言いたかっただけだ。
世のエロマンガ家よ、断面図と受精描写をもっと用いるのだ。

このように、赤ちゃんができるという尊いはずの認識は、俺の中では精子と同じようにベタベタでイカ臭いものになってしまった。
それが俺の人生におけるセックスへの認識だ。
掃いて捨てるほどの愛の歌は、子供ができるまでの過程は教えちゃくれない。
だが、人はいつか必ず人が生まれる過程を知る。
そして、その知り方は人それぞれだ。
その多様性は、下ネタとしても、一つの人生譚としても非常に面白いと思うのだ。

貴方がセックスという存在を知ったのは、いつですか?

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