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めめん と もり

しあわせにしろ不幸にしろ
この日常がいつまでもつづくとおもっているひとは
楽観的な幻覚じみた妄想主義者だと考えます

大切なひとも あしたにでも死んでしまうかもしれない
事故や天災 なにがあるかわからないこのご時世

 自分自身もまた おなじ

もしかしたらこんや目をとじたまま
あしたのあさ 目をさまさないかもしれない

だれもが



わたしは一日一日を
 きょう がさいごになるかもしれないと
悔いが残らないように生きてきた

たいせつなひとに会えるのも
きょうがさいごになるかもしれないと
一期一会のきもちで接したい

ひとはみな
この世に生を受けたそのしゅんかんに
死ぬことが決まる

 だれもが一歩一歩あゆんでいる
死へのいっぽんみち



たいせつなひとをなくして
ながすそのなみだは なんのため?
後悔だとしたなら 
そのなみだに 価値はほとんどないでしょう

どうしてそのひとが生きているあいだに
後悔がないように接しなかったのですか?



わたしは過去でもなく未来でもなく
いま この瞬間瞬間の刹那に生きている

 だからこのいまが いちばん

あぁ
もう死んでもいい

 やりのこしたことはない
これこそ 大往生


人生にさぶらう
 にほん の さむらい


むかしはよかったという
かわいそうな懐古主義者
将来にしあわせがまっているといった
根拠のない夢想 には興味がありません



やりたいことがある?

それならどうしてこのいまから
行動しないのですか


親孝行したいなら
どうしていますぐ言わない?

ありがとう と



わたしのこの文章を
おもい だとか
つめたい とおもうひとは
きっと

 自分自身の人生と真っ正面から
 むきあっていないとおもいます


まぁ
真っ正面からむきあう必要もないのかもしれませんが  わはは



わたしは
ニヒリストでもペシミストでもない


ただ
まいにちを一生懸命いきるだけ

悔いのないよう
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Lana Del Rey - Video Games

Lana Del Rey - Video Games


ノスタルジックで
美しく
退廃的


はじめてあったひとのよこで
ねるまえにきいた曲




とても2012年の作品とはおもえません。
ときおりはいるスケートシーンが効果的ですね。
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フランスからのベトナム、カンボジア、ラオス解放 明号作戦

明号作戦(めいごうさくせん)は、
第二次世界大戦末期の1945年3月9日、
フランス領インドシナにおいて日本軍がフランス軍を攻撃し制圧した作戦。

一夜にしてフランス軍を撃破した日本軍。
ベトナムは80年間フランスと何度戦っても勝てなかった。
そのうちベトナム人たちの驚きは

喜びに変わっていきました。

どこでどうして作ったのか、まちのなかには
早くも十数本の日の丸やベトナム独立の旗が乱立し、
黒山のような民衆であふれかえっていました。
その中から一老人が二宮隊長の前に来て一本の竹竿を差し出しました。
竹の先には一通の書状が挟んでありました。

−−−
献、日本軍部隊長閣下

 フランスの虐政下、

 ベトナムの民、塗炭の苦に喘ぐ、暦歳八十年、日月暗し。


民志破れ、天意動かず。

自由の夢、遙かに遠し。

このとき、独立の曙光、皇軍となりて東方より来る。

すなわち、今朝、たちまち仏軍を追放し、
長恨の民を解放し、独立の気概を与う。


 日本軍の真姿、今ぞ眼前に見たり、まさに皇軍。


安南の黎明、今此処に明けんとす、
 人民歓喜、
決起して之を迎う。

 一九四五年三月十日 越南復国同盟サイゴン市民連合会


グエン王朝の保大帝は
武力処理を伝える日本の特殊工作員に  涙を流して感謝し、
「戦争終了後は友邦日本とともに苦難を越えて共同してゆきたい」
と答えられました。


 10日、日本軍布告

「日本軍はインドシナ全住民の熱望する独立を実現するために、
いかなる努力も惜しまないであろう」


 3月15日、フエの街で独立祝賀隊のデモ隊が王城に殺到しました。


  人々の顔は喜びであふれていました。


  保大帝はフエの王城で独立を宣言しました。




   日本がフランスを打ち破ったことで
   カンボジアも13日に独立を宣言。
   ラオスも4月8日に独立を宣言しています。



日本がフランスの植民地を解放したのです



http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/20120309/1331299922
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SHINGO☆西成 こどもの里 「諸先輩方からのお言葉」

日本のghetto 西成出身

おれはきいたこと なかったから
おもいましたよ
子どもの前でラップ?だいじょうぶ?

でも
すこしきいただけで、なみだがとまらなかった



おれがちいさいころ
じぶんのこどもでなくても、
じぶんのこどものように面倒をみてくれる大人たちがたくさんいた

母親の帰りが遅くて さみしくてどうしようもなかったとき
となりのいえのおばちゃんは あたたかいスープをつくってくれた

親の職場のおじさんが じぶんのこどもでもないのに
たんじょうびをおいわいしてくれた
プレゼント パトカーのおもちゃ うれしかったな


 なつかしいな

でも それはもう
 むかしのはなし


 このなみだはきっと
すばらしいうた を つくるひとに であえたから


いまの世の中では
こういうひとたちが 
いまのこどもたちの 「おっちゃん」になっていくんだとおもうと

 日本の未来も たのしみだね




1.20秒あたりからはじまります
SHINGO☆西成@2008.12.25 こどもの里 クリスマス 諸先輩方からのお言葉♪XmasLIVE

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資本主義下の幸福について。自己満足の観点から。


他人と比較して、
ひとから理解されたり、認められたり、必要とされたりすることが大切だというのは、
いまの人間が信じ込まされている誤った信仰である。


上品なひと
根本的に自分自身で満ち足りている。
なんにも意味のあることをしていなくても、
ほかの誰にも認めてもらわなくてもただ存在しているだけで満ち足りている。
たとえば、ただ穴を掘るだけで満足しているひと。

下品なひと
なにか意味のあることをしたり、
ほかのだれかに認めてもらわなくては満たされないひと。
たとえば、穴を掘るだけでは満足できず、他人にほめられたりしないと満足できないひと。



いま世に広く認められている人々は
おそらく上品なひとびとばかりなのではないでしょうか。
つまり、たとえ他のだれかに認められずとも、根本的に満ち足りている。
その行動、仕事がすきで自己完結している。ただあとから評価がついてきただけ。

表面状、結果だけをみると、
認められるために行動、仕事をしていたようにみえるかもしれない。
でもその根底には満ち足りた自己がかくれています。

とくに、日本ではその傾向がつよいようにかんじます。
すきでつづけてやっていたら、認められたひとびと。
古くは、芸術家は生きているうちには認められないとか、
金持ちの芸術家はだめだとか言われていた時代がありました。

西洋では、どんな手をつかってでも認められたい、
結果を出したいというハングリーな気持ちがよく見られるように思います。




自己満足は、そんなにわるいことでしょうか?
他人の評価はそんなに気にすることでしょうか?



いまの世の中は、結果、つまり他人の評価、貨幣価値に重点をおいている。
芸術家なら作品がいくらで売れたか、
営業マンならどのくらい商品を売ったか、
遊園地ならどのくらいたくさんのお客さんが訪れたか、
研究者ならどれだけ多くの研究が論文として認められたか、
などに重点が置かれていて、
その個人が仕事に対してどのくらい満足しているかについてはほとんど問題外である。

自分がまったく欲しくもない商品を売り、
自分がまったく作りたくない作品をつくり、他人を一時的に満足させるためだけに行動している。
そしてそのような行為が評価されている。


なぜなら
資本主義下では、貨幣しか価値基準をもたず、ものごとの価値をそれでしか判断できないのだから。


そのような状況下では、
貨幣換算で価値を持たない行動をするものは、人格、存在価値までも否定されてしまう。
貨幣のような相対的な基準においては、
相対的に多くをもつものと、少なきをもつものがあらわれ、
かならず幸と不幸の二極化があらわれます。


そんな相対的な基準で得た幸福も不幸もどちらにしろ、あぶくのようなものですが。



もちろん貨幣をかせぐことは大事ですし、
他人を満足させることができればそれはとてもすばらしいことです。
ただ、たとえまわりに認められなくとも、
本人がその行動、仕事それ自身に満足することが前提にあるべきです。
ぎゃくにいえば、貨幣など得ることができなくとも、
じぶんがその行動で満ち足りていれば、それでひとまず充分なのではないでしょうか。


 ボランティアなどは、直接の貨幣価値はなくとも、とても意義のあるものです。


自己満足にすぎないともいえるでしょう。
しかし自己満足なくして、他人をいくら満足させようと、
いつまでたっても自分は満足できないでしょう。

 自分が満ち足りていないことにきづかなければ。


自分がみちたりることを最優先すれば、自殺や精神疾患もへるでしょうし、
もっとみながしあわせになれるのではないでしょうか。
満足度は現在のところ計測する方法がないため、
すべてのひとが満足し幸福になれる可能性を秘めています。
計れないものは比べられませんからね。



 他と比較しないとはなんと幸せなことでしょう!


お金には換算できないものがそこにはあります。
きづくだけで、かわるものもあります。



他人の評価や、貨幣換算の価値に左右される人生など
 くそくらえだとあなたはおもいませんか?
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