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西方寺 松倉豊後守重政之墓碑

2017-09-24 22:11:57 | 日記
真言宗の寺で、本堂の横には五條新町を興した松倉重政の頌徳碑が建てられている。
松倉重政は、関ヶ原の合戦での功績が認められ、一万石の大名として慶長13年(1608年)に二見城に入城した。
そして五條新町をつくったのだが、その際、まちに商人が集まりやすいようにと、「諸役免許」の政策をとった。
つまり、税金を免除する特権を与えることで、まちに集まった商人が定住するように図ったのだ。
この政策は見事に成功し、その後の五條新町の発展の礎となった。
松倉重政はその後、島原藩(長崎県)へと移り領民に対して非常に厳しい政治を行った。
それが後の島原の乱につながったことは有名である。
しかしここ五條では、五條新町が大きく発展する基盤を作った名君として、地域一帯の人々に崇められていたのだ。

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