それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

『沈黙の声』第30号(88年8月25日発行)「死刑廃止運動第1回全国合宿」 (その2)

2017-01-24 02:59:59 | 会報『沈黙の声』(その2)

(その1)から続く

 夕食後は全国救交流会のフリータイムに合わせた。三々五々、飲食物を囲んで話に興じる者、階下でビデオを観賞する者・…ビデオは「死刑台のメロディー」「宣告」「魔性」が用意された翌21日午前は、テーマをしばった問題提起。まず、獄中死刑囚との共同訴訟について。なにを獲得するのか。またどのようにすすめるのか、について、当事者を中心に話合われた。

そして、勝訴・敗訴という結果よりも、その過程でどれだけ闘いに有利な状況を、獄中の仲間とともにつくり出していくのかが大切であること、各個人が創意工夫をこらして、確定囚との面会やさし入れの不許可に対し自らの場所で訴訟をおこしていくこと、 (処分取消しなどの行政訴訟は東京か施設所在地の裁判所でおこさねばならないが損害賠償請求は提訴人の居住地の裁判所でおこせる)但し、単に個人の熱意や決意のみあって、獄中者のおかれている状況に無知、あるいは配慮せぬまま行動することが獄中への様々な圧迫、活動の制限となってはね返ることを充分胆に銘じ、無とん着にバラバラにやるのでなく状況を集約する必要かおること、などが話合われた。(また、具体的な提起は出されていないが確定後の交通権をめぐって死刑囚同士で共同訴訟を行ないたいという意志があることも討論の中で話された。) 

そのあたりから、死刑囚仲間との共闘のおり方についての討論に。まず木村修治氏との関わりからの問題提起が千葉のE氏よりなされた。86年末の、最高裁をめぐる弁論、・判決阻止の闘いのむかで、木村修治氏の文章に接し、差別の中で 「自分自身を限り無く疎外して生きてきた]修治氏の自己切開、自己変革の苦闘に共感し、この間の弁論、・判決攻撃、確定後の交通権はく奪との闘いを共に担ってきたこと、「死刑制度l人間に対する最も根本的な差別―を自らうけいれる生き方を絶対に拒否し、一日一日抵抗して生きぬく」修治氏のたたかいを、うけとめ、共に生きぬくことをめざす闘いの経緯が語られた。 

対監獄闘争分科会より時間を割いて出席したTさんより、安島(小山)幸雄氏の養父母との面会要求訴訟についての報告と、今国会に上程の可能性が濃厚な拘禁二法案阻止の提起がなされたあと、更に討論を継続。赤堀中闘委の〇さんより、赤堀政夫氏の現況と、〝死刑囚との関わりは、死刑囚がいえない、言わないところをどれ丈感じとれるか〟との提起がなされた。 

昼食で討議を中断。午後は全国救のしめくくりの全体会議であるが、「全国合宿」としてはフリータイム、全体会議に参加しない人は、ケーブル(写真)で中腹の下宮までの散策をたのしんだ。 午後七時半からの夜の討論は、解散後の全国救からの参加者も加え、顔ぶれが入れ替ったため再び自己紹介を行なったのち、死刑囚との共闘の問題について討論をつづけた。まず今年一月に確定した平田直人氏と、上告中の金川一氏(二人とも福岡拘)との関わり、また反日・大道寺氏、連赤・永田さんの現況と、それぞれ支援共闘の経過と問題点が提起された。

全国に分散拘留される死刑囚仲間との共闘は、地元の獄外者との連携がぜひとも必要であるが、それらの連携が少数の個人の力量にゆだねられていては時間とエネルギーが分散され、財政的にも大変である。そこで、執行停止署名とも結びついた形での大きな協力体制がつくっていけないか、との提起が出された。 

「全国ネットワーク」のイメージをより明確にさせる方向で討論がすすめられた。各地の情報の集中とその共有化の体制づくりが話されたが、その基本にあるのは、獄中の死刑囚に向き合い、共に闘うところから、それを媒介とした獄外の我々の生きたネットワークがつくられていく事であろうという事が、確認された。

(その3)へ続く


 

管理人のどうでもいいつぶやき

>全国に分散拘留される死刑囚仲間との共闘は、地元の獄外者との連携がぜひとも必要であるが、それらの連携が少数の個人の力量にゆだねられていては時間とエネルギーが分散され、財政的にも大変である。

たまに、個人で数人の囚人の支援をしている方にネット上で会うのですが…相当、生活にゆとりがある人なのかな…とか思ってしまったりする。「それぞれの囚人が、援助を一斉に求めてきたら、この方1人で全部応じてるの?身柄引受人とかどうするのだろう?」とか、思ったりする。



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