民進党代表選挙に向けて

 
 国政選挙4連敗(2012年衆議院、13年参議院、14年衆議院、16年参議院)の後を受けた今回の代表選挙こそが、「選挙対策の政治」から、「政権戦略を実行する政治」へと大きく舵を切る最後のチャンスだと考え、自ら立候補するべく約一か月、仲間の議員たちと推薦人集めに奔走してまいりました。

 その際に掲げた方針の第一は、あたかも共産党票に依存するような「選挙対策の政治」から脱却し、民進党が自らを磨き、自らが輝く理念と政策の旗印を掲げ、失った国民の信頼と期待を取り戻し再び政権を担える国民政党に生まれ変わらせることでした。そのために、執行部の人心を一新し、思い切って世代交代して、自他ともに認める新たなスタートを切るべきだと訴えました。

 しかし、自らの力不足はもとよりあまりにも鮮明な主張を貫いたためか、結局は党内において十分に支持を拡大することができず、出馬断念のやむなきに至りました。この間、熱烈な期待を寄せ、盛んに激励をいただき、支援拡大に向け共に汗を流してくださった同志や支援者、後援会の皆さまに改めて感謝申し上げますとともに、自らも更なる精進に努め研鑽を重ね、他日を期すことと致しました。

 そのような中で、私は、このたびの代表選挙にあたり、前原誠司衆議院議員を推薦し支援することと致しました。

 政治家としての思想信条が最も近いということ、与野党の別なく政権担当のはるか以前から現実的な外交・安全保障政策を共につくり共に実践して来たこと、などに加えて、今回は、前原誠司代議士が唯一人、民進党の目指すべき国家像や社会像を政策理念のレベルまで高めて具体的かつ詳細に明らかにしたことを以て、推薦人に名を連ねることを決断したものです。

 その考え方は、大きく3つの柱から成っています。第一に、「格差是正」から「尊厳保障」へ。これまでのように「格差是正」を声高に叫び、お金持ちの足を引っ張って貧しい人々へバラマキを行うことは、負担を強いられる人々との間に分断を生むのみならず、受益者の皆さんの尊厳をも傷つけるのではないか、という問題意識に端を発したものです。これに対して「尊厳保障」の考え方は、あらゆる人々のベーシック・ニーズ(生活における基本的な必要性)を満たすために、すべての国民に応分の負担をお願いしよう。そのための財源や税負担の議論から逃げない、というものです。

 第二の問題意識は、アベノミクスのように成長(神話)に依存しすぎると、成長の行き詰まりがそのまま生活の行き詰まりに直結してしまう。現に、デフレ脱却から成長軌道へ乗せようと「異次元の金融緩和」を断行しましたが、大幅に円安に振れて実質賃金が減り続けたために、成長どころか消費不況に陥ってしまいました。そうではなくて、子育てから教育、介護まで生活者に共通したニーズを満たすことによって個々人(延いては国家全体)の(潜在)成長力を引き出す政策が必要であるという考え方です。過度な「成長依存」の考え方を改め、生産年齢人口が毎年1%ずつ減少する我が国のような成熟社会にふさわしい成長を喚起・誘導する経済財政政策を明らかにしていきます。

 第三は、地域包括ケアや子育てインフラの充実、ソーシャルワーカーの拡充によって、「公」「共」「私」の三位一体で人々の生活ニーズを保障できる地域の仕組みづくりに全力を挙げるということです。その他、財政規律の回復や規制改革、現実的な外交安保政策、立憲主義に立脚した憲法改正論議を積極的に行うなど「11の挑戦」を掲げて代表選挙に臨んでいます。
前原誠司候補の詳しい政見についてはこちらをご覧ください。


 私としては、自公政権に代わる現実的な政権の受け皿を準備する上で、政権時代の失敗を深く反省し、選挙目当ての「野党共闘ありき」で進んできた党の方針を根本から転換して、独立自尊の精神に立脚した党の再生に全力で取り組む決意を示してくれた前原誠司さんとともに最後まで戦い抜くことをここに宣言いたします。どうぞ、党員サポーターの皆さんはじめ、国民の皆さんのご理解とご協力をよろしくお願い申し上げます。

衆議院議員 長島昭久


その他、民進党代表選に関する情報は党特設サイトをご参照ください。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


参院選の総括―今こそ「万年野党」からの脱却を!

 今夏の参院選は、自民党が27年ぶりの単独過半数を確保し、いわゆる「改憲勢力」が議席数の2/3を超え、野党惨敗の結果となりました。もちろん、この「改憲勢力」という言葉は、最初から意味不明でした。与党である自公議員と憲法改正を標榜するその他の議員を足した数字ということらしいのですが、そうであれば、野党・民進党の中にも憲法改正が必要だと考える議員は少なくありません。しかも、出来の悪い自民党の改憲草案をそのまま公明党が支持しているとも思えませんし、自民党内にも異論がくすぶっていると聞きます。ですから、単純に民進・共産・社民・生活の党以外の議員たちを「改憲勢力」とひとくくりにして攻撃する手法は、有権者を惑わすものだったと考えますし、野党共闘の旗印にこのスローガンを選び、「2/3阻止」と大書したポスターやプラカードまで作成して有権者を煽った民進党執行部には大いに反省を求めます。

今の民進党は「政権を任せられる政党」なのか?


 同時に、私たちは、今回の参院選を通じて示された民進党に対する民意とはどういうものであったのか、真摯に向き合わねばなりません。岡田代表も枝野幹事長も「6年前に獲得した改選議席を大幅に下回ったものの、3年前に比べれば議席は倍増した」としきりに主張しています。しかし、今必要なことは、獲得議席数が6年前と比べてどうか、下野した直後のドン底だった3年前と比べてどうか、などという数合わせの議論ではなく、今の民進党が再び政権を奪還する可能性を感じさせる野党第一党となっているのか否かについて徹底的な議論だと考えます。私は率直に言って、民進党は、今や共産党の支援なしには自公勢力とまともに闘えないレベルにまで衰弱してしまったのではないかと深く憂慮するものです。それは、得票面のみならず政策面でも、国民の抱くイメージが「政権を任せられる政党」からかけ離れつつあることを意味します。

得票面でも政策面でも、国民の支持や信頼を回復できていない

 得票面では、北海道や東北の一人区での健闘が言われていますが、実態は、自民党が公約違反ともいえるTPP推進に舵を切ったことで巻き起こった農村部の怨嗟の声をテコにして、共産党との共闘を推し進めたことによる辛勝なのです。裏を返せば、まさしく共産党の支援なしには勝利は覚束なかったことを意味します。じっさい、これまで一貫して自民支持で来た東北5県の農業団体は、今回自主投票を決めました。一方、西日本エリアでは大分選挙区以外は、共産党の手厚い支援を受けながらことごとく惨敗しています。複数区でも、大阪や兵庫といった都市部で獲得議席はゼロでした。

民進党の最重点政策は、こども・子育て・女性・若者の応援だ!

 一方、政策面では、本来民進党が重視してきた若い世代の支持が低迷したことに、私は大きなショックを受けています。報道機関の出口調査によれば、新たに有権者となった18歳、19歳の約4割が与党に投票し、民進党へは2割程度にとどまりました。「人への投資、未来への責任」を訴えた民進党が最も力を入れた政策が「こども・子育て・女性・若者」だったにもかかわらずです。同じ出口調査では、与党に投票した有権者が重視した政策で最も多かったのが「景気・雇用」(36%)、民進党の場合は「憲法改正」(23%)でした。結局、消費税率引き上げを先送りし(おまけに、必要な財源を次世代にツケ回す国債に頼り)、選挙戦で「憲法改正阻止」を中心に訴えた民進党に、将来不安を抱える若い世代からの支持は集まらなかったのです。逆に、「2/3阻止」などという実態も怪しげなスローガンに惑わされてしまった有権者の投票先を共産党と分け合ったということです。

このままでは「万年野党」に陥ってしまう!

 このことは、近年「こどもの貧困」問題に真剣に取り組み、女性の働き方や若者の雇用など日本社会の在り方を根本的に見直す必要性を痛感し、選挙戦を通じて重点的に訴えてきた私にとって、本当に悔しい事実でしたし、それはそのまま民進党の将来に対する抜き差しならない危機感につながって行くのです。すなわち、今の民進党の路線は、「眼前の敵である安倍政権に打撃を与える」ことに汲々とするあまり、その先にある、政党としてより本質的な問題―たとえば、こども達や若者や女性の輝く未来をどのように実現していくか―に関する国民への大事な政策メッセージを、憲法や安保批判を前面に押し出すことによって自らかき消してしまったのではないか。それは、この3年半で限界に突き当たったアベノミクスのその先にある経済政策や社会政策を国民の前に明らかにする努力と直結しています。ここに明確な方向性を示せなければ、それは政府に対する単なる批判や揚げ足取りに過ぎず、それでは、永遠に国民の支持や信頼を獲得することは難しく、したがって「万年野党への道」に他ならないと考えます。国民は、数多の批判よりも、「民進党ならこうする」というポジティヴな一言を待っているのだと、私は全国各地の候補者応援を通して確信しています。

野党を立て直し、国民にふたたび政権交代を予感させる政治を!

 今世紀に入って、国民が野党に期待し続けてきたことは、政府批判を繰り返す「万年野党」ではなく、与野党が政策で切磋琢磨し、いつでも政権交代が可能な「政権準備政党」だったはずではないでしょうか。そのために私は、平成12年当時、与党自民党ではなく、現実的に政権を担いうる野党第一党の民主党に参画し、国政に初挑戦したのです。今あらためて「政治は絶望との闘いだ」との言葉を噛みしめ、ふたたび政権を担い得る現実的な野党勢力を結集するため、全力で立ち向かって行くことを心に誓うものです。そこでは、「何でも反対」の万年野党勢力に気兼ねすることなく、自由闊達に憲法や安全保障を論議し、自公政権では踏み込めない経済構造改革や子育て支援強化策、それに伴う日本的な長時間労働の抜本改革などに果敢に取り組む「政権準備政党」としての真のリーダーシップが求められます。私、長島昭久はその先頭に立つ覚悟です。どうか、皆さんの倍旧のご支援をよろしくお願いします。

衆議院議員 長島昭久拝

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


都知事選挙について


衆議院議員 長島昭久

 本日、東京都知事選挙にあたり、私に出馬を要請してくださった都議団の皆様に対し、「出馬しない」という判断に至ったことを私からご報告させていただきました。この間、都議会民進党議員14名全員ならびに来年の都議会選挙をめざしている前職議員の皆さんからも出馬要請を受けるなど、多くの皆さんにご期待いただいたことを重く受け止め、出馬について真剣に考えてまいりました。

 国政に身を置く者として、これまではもっぱら外交・安全保障政策に取り組んでまいりましたが、超党派の「子どもの貧困」対策推進議連の幹事長や衆議院文部科学委員会の筆頭理事を務めるなど、最近では「子どもの貧困」問題はじめ子ども・子育て・教育の問題について真剣に考えてまいりました。オリンピック・パラリンピックの準備、直下型地震やテロへの備え、高齢者対策等、東京が抱える課題は多岐にわたりますが、待機児童や児童虐待、子どもの貧困は、最も深刻な「東京プロブレム」です。そして、東京の子ども・子育て問題を解決できれば、それが全国に波及し、政策的にも国を動かし得る。そうであるなら、都知事という選択もあると思い、出馬の可能性を検討して参りました。

 しかし、ついに民進党執行部は、「四党の枠組みを受け入れない限り、党の推薦候補とは認められない」という頑なな姿勢を崩すことはありませんでした。私は、率直に、国政選挙においても共産党との共闘路線には強烈な違和感を抱いてまいりましたが、何よりも都政に国政の枠組みを持ち込むことは適切ではないと考えました。この点については、都議会の皆さんも同様のお考えでありました。

 したがって、私の出馬は大変難しい状況にはありましたが、参議院選挙が終わるまでは明らかにしないというお約束でしたので、選挙中は自らの意思を表明することは差し控えてまいりました。しかし、参議院選挙が終わった今なお、党本部において「四党の枠組み」からの方針転換がなされない以上、残念ながら本日この時点を以って、都知事選出馬を断念せざるを得ないと判断いたしました。

 これまでご期待を寄せていただいた全ての皆さんに心から感謝を申し上げるとともに、引き続き国会議員として外交・安全保障政策、そして子どもの問題に取り組んでいくことをお誓い申し上げます。

(写真は都議会民進党への報告を終え、都庁で受けたぶら下がり会見の様子です。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


「集団的自衛権の行使を容認した政府解釈の変更」再考



(4/24、文章を一部加筆・修正して再掲載します。)
 参院選挙を前にして、相変わらず、党内にも、世間にも、憲法学者の間にも、集団的自衛権の限定的行使を容認した一昨年の閣議決定や昨年9月成立し今年3月施行された安保関連法制に対し、戦争法だ、憲法違反だ、立憲主義の蹂躙だ、という声が鳴り止みません。そこで、大学時代に憲法学を専門的に学んだ立場から、改めて、政府が閣議決定して修正した憲法解釈について私自身の考え方を整理しておきたいと思います。(法的な概念の正確性を期する余り、多少くどい文章になっていることをご容赦ください。)

 まず、多くの憲法学者や国際法学者も指摘しているように、集団的自衛権の本質は「他衛」です。じっさい、過去の集団的自衛権の行使事例を振り返っても、自国の存立が直接脅かされるというよりも、密接な関係を持つ同盟国などに向けられた武力攻撃に対しその国を守る、あるいはその国に加勢すること(すなわち、他衛)を通じて自国の安全や生存を図ろうとするケースが殆どでした。したがって、従来の政府の定義(最終的に昭和56年に確立)も「他衛」としての集団的自衛権でした。 たとえば、「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国 に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている」(昭和56年5月29日の政府答弁書) が、典型的な政府による集団的自衛権の定義です。

 この定義からは、想定されている武力攻撃が我が国に対し直接向けられたものでないことは明らかであるものの、その攻撃により我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利がどのような影響を受けるかについては定かではありません。つまり、自衛権の行使といっても、自国に直接向けられた武力攻撃に対し反撃するしか選択肢が残されていないような差し迫ったケースというより、能動的に(自国と密接な関係にある)外国まで出かけて行って、そこへ加えられている攻撃を実力で阻止するような態様を想定しており、受動的な自衛というより「他衛」というべき概念です。集団的自衛権をそのような概念で捉えて、そのような自衛権の行使は我が国の憲法上認められるものではないと結論付けたのです。

 すなわち、そのような集団的自衛権の定義を前提とすれば、憲法13 条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については・・・国政の上で、最大の尊重を必要とする」との規定に根拠をおいて自衛権の行使を合憲と解してきた政府が、前述のようにわざわざ攻撃を受けた国にまで出かけて(あるいは攻撃国にまで迫って)行ってその攻撃を阻止する「他衛」を正当化できないことは火を見るよりも明らかです。 これが、「昭和47年見解」で示された政府の「いわゆる集団的自衛権」を違憲とした基本的論理なのです。以来、この基本的論理は40年以上も踏襲されました。

 ところが、今回、国際情勢の変化や軍事技術の進歩に鑑み「自衛」の視点(我が国に対する脅威の近接性、切迫性、および武力攻撃波及の蓋然性等)から改めて集団的自衛権の概念(定義)を見直してみたところ、たとえば(集団的自衛権の行使そのものには否定的な)木村草太首都大学東京教授がかろうじて憲法上許容し得るとした 「集団的自衛権と個別的自衛権が重なる部分」(つまり、外形的には我が国に対する直接の武力攻撃が発生していないにも拘らず反撃するという意味で「他衛」と見なされるものの、当該武力攻撃によってもたらされる我が国の国民の生命、自由、幸福追求の権利への侵害に切迫性があり近接性があり、しかも攻撃が直接我が国に及ぶ蓋然性が高いと判断されることから、それへの反撃が「自衛」と解される十分な根拠がある場合)などについて、武力行使の新三要件に基づく限りで(これまで集団的自衛権とされてきた行為の一部を)合憲と判断し得るのではないかという結論に至り、閣議決定を通じて政府解釈をアップデート(修正)した、ということだと思うのです。

 したがって、私は、一昨年7月の閣議決定をもって昭和47年見解の基本的論理を維持しているとの政府の説明も十分成り立つのではないかと考えるのです。すなわち、「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置」としてならば、そのような自衛の措置は、たとえ我が国に直接武力攻撃が加えられない(つまり、当該武力攻撃に対する反撃行為は個別的自衛権では説明し切れない)ような場合であったとしても、憲法上「容認されるものである」とされたのです。換言すれば、この「47年見解」で違憲と断定された「いわゆる集団的自衛権」とは、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする」従来の定義に基づく「他衛」のことを指すのであって、それはすなわち、我が国に対する脅威の切迫性や近接性、武力攻撃が我が国へ直接波及する蓋然性が存在しないにも拘らず、我が国が反撃を加えることができる権利と解されるのです。

 ところで、たとえ従来の定義に基づく「いわゆる集団的自衛権」のごく一部を認めるような政府解釈の修正であったとしても、本来国家権力を縛るためにつくられた憲法の解釈を国家権力たる政府が自ら変更するのは立憲主義の蹂躙だ、という主張について一言触れておきたいと思います。政府はいかなる理由があろうとも過去の解釈を自らの手で変更してはならないのでしょうか。そんなわけがありません。憲法81条には、国家行為の憲法適合性を判断する終審裁判所は最高裁であると明記されており、最高裁が判断するまでの間は、政治部門(行政府と立法府)が憲法の有権解釈権を有しています。問題は、政治部門が、法規範論理(憲法規範の枠内に収まる論理)に基づいて、過去に積み重ねられた解釈と整合性のある解釈変更の根拠を示せるか否かということです。それをはみ出すようであれば、憲法を改正するしかないことは論を待ちません。

 また、政府が従来の解釈を変更することをもって「解釈改憲だ」とする些か乱暴な議論もありますが、政府は、例えば、1954年の自衛隊発足にあたり、憲法9条2項で保有を禁じられた「戦力」の定義を大幅に変更し、自衛隊を合憲としています。これこそ解釈改憲といえ、当時、憲法学者の殆どが自衛隊を違憲と断じました。しかし、今日に至ってもなお自衛隊を違憲とする学者は少数といえます。なぜでしょうか。要は、自衛隊が、憲法の要請する法規範論理の枠内に収まるとの国民のコンセンサスが確立したからなのです。(この現実自体を拒否する方々の議論は、そもそも本論の範疇の外にあるものといわざるを得ません。)

 以上要するに、最高裁において、自衛隊を合憲とした政府解釈や自衛隊法が違憲と判断されない限り、また、今回の集団的自衛権をめぐる政府解釈の変更および安保法制が違憲と判断されない限り、少なくともそれらは合憲の推定を受け国家統治の上では有効だということです。これらのプロセス全体を立憲主義というのであって、自分たちの気に入らない政府解釈の変更を捉えて「立憲主義の蹂躙だ」と叫ぶのは、法規範論理というより感情論といわざるを得ません。もっとも、今回憲法違反あるいは立憲主義の蹂躙と主張している学者の多くは、現憲法が認める自衛権の行使は「47年見解」でギリギリ許されると解している節がありますので、それを1ミリでも超える解釈は受け入れがたいのかもしれません。しかし、この点でも、繰り返しになりますが、憲法が要請する法規範論理に基づいて検証、立論していただかねば、議論は最後まで噛み合いません。

 もちろん、だとしても、このたびの安保法制の立法過程において、なぜそういった新規立法が必要なのかを示す立法事実を十分に説明し切れなかったり、国際情勢変化や軍事技術の進歩などについて説得力ある説明ができず、国民多数が未だ十分に理解していない段階で、数の力で押し切った政府の責任は重いと考えます。その意味での反発や批判は正当なものといえます。ただし、それを以って「戦争法」だとか、「集団的自衛権は違憲」だとか、「立憲主義を蹂躙するもの」などと批判するのは感情論以外の何物でもなく、いかに憲法学の大家や熱心な政治家や気鋭の学生さんたちが論陣を張ろうとも、それらは学問的にも政策的にも誠実な議論とは言えないのではないかと感じています。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


こども・子育て「非常事態宣言」


 「保育園落ちた、日本死ね!!!」・・・たった一人の母親の叫んだたった一言が、日本全国に共感のうねりを起こし、永田町を揺るがしています。「日本死ね」というギョッとするような表現をめぐっては、常軌を逸しているのではとの批判が巻き起こりました。それでも、認可保育園をいくつも落ちて仕事を続けられず、孤独な育児と日々格闘している女性の悲痛な叫びは、SNSを通じて瞬く間に全国に広がり、日本全体が改めて少子化問題に正面から向き合うことになりました。そして、ついに国会をも動かすことになったのです。


保育や幼児教育を担う人材確保は、ほんの第一歩


 3月24日、民進党は他の野党と共同で「保育人材の確保法案」を衆議院に提出、保育士や幼稚園教諭の給与を5万円引き上げることにより、保育園という「箱モノ」ではなく、保育や幼児教育の「担い手」を確保することを通じて効果的な待機児童対策を講ずる方向性を鮮明に打ち出しました。政府与党も、緊急対策本部を立ち上げ、対応に追われています。

 しかし、保育や幼児教育を担う人材の確保は、我が国のこども・子育てを取り巻く環境を改善するためのほんの一歩に過ぎません。私は、昨年の川崎市で起こった中学一年生の少年殺害事件にショックを受けて以来、日本の子供たちにいったい何が起こっているのかを知るために、関連する書籍を読みあさり、専門家の話を聞き、現場に足を運び、私なりに真剣に取り組んできました。


こどもの貧困が招く悲劇をこれ以上許さない!

 その結果、こどもの貧困(16.3%)、それもひとり親家庭のこどもの貧困の深刻さ(54.6%は、先進国中最悪!)、にもかかわらず現行制度の綻びや社会の対応の遅れが、あまりにひどい状況であることに愕然とさせられました。「少子化」が叫ばれて約20年。すでに10年前から人口減少が始まった日本で、さらに深刻なのは、「貧困の連鎖」によってせっかく生まれてきた子供たちを家庭が、社会が育て切れていないという現実です。幼児虐待が年8万件(15年前の8倍!)を超え、虐待死が3日に一人。子供の自殺は1日に1.4人に上ります。最近も神奈川県相模原市で、児童養護施設への入所を訴えていた中学1年の男児の声を児童相談所が取り合わず、自ら尊い命を断ってしまう悲しい事件が起きました。


「学ぶ機会の保障」こそ、国を挙げて取り組むべき国家百年の大計

 就学前の幼児期における保育や教育の在り方が、その後の人生や社会全体にとり決定的に重要であることは、国連をはじめ世界の識者が認めるところです。したがって、先進国では、家庭の経済事情に左右されないよう、幼児教育の無償化が必然の流れとなっています。加えて、ますます知識(情報)集約型の産業構造にシフトして行く中で、高等(専門)教育の重要性が認識される時代にあって、欧州では高等教育の無償化や米国をはじめ奨学金制度の拡充が図られ世帯収入の多寡に関係なく、子供たちが自らの能力を磨き、開花させ、社会により大きな貢献を果たす充実した人生を自由に選択できるよう国を挙げて取り組んでいます。

 しかし、翻って我が国の現状はどうでしょうか。義務教育となっている小中学校は約9割を公的支出で賄っていますが、就学前の幼児教育段階では約半分が家計負担、高等教育段階では家計に2/3もの負担が重くのしかかっているのです。「資源のない日本は、人材こそ最大の資源」などと言われながら、GDPに占める教育費は5.1%に過ぎず、これは先進34カ国中27位で、公財政支出3.6%は最下位という不名誉な実態なのです。


「過去との闘い」から、「未来をつくる闘い」へ!


 そのため、親の年収によって大学進学率に30%以上も差がついてしまっています。私は、すでに民主党政権下で実現させた「高校の無償化」に加えて、幼児教育の無償化、大学や専門学校における給付型奨学金の拡大などをベースに、「こども・子育て・教育」環境の劇的な改善をもたらす包括的な政策を策定し実現することを、改めて誓う所存です。7年前の年金記録の回復を目指した私たちの取り組みは、いわば「過去との闘い」でした。これに対して、私が全身全霊全力で取り組む課題は、「未来をつくる闘い」です。皆さん、一緒に「未来に誇れる日本」をつくって参りましょう!

衆議院議員 長島昭久
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ