十兵衛と語ろう

十兵衛と語ろう

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2011-08-08 12:52:46 | 月之抄
先の越す所の事
 親父殿曰く。先の越す所とは、動作や仕草の上にも生ずるのであると、云う。それは敵の気が抜けたところへ、仕掛けることを云う。その根本の教えは、自分の初めの一念を其のままに仕掛けて、先々と勝つことを云う。又、初めの一念を思い起こすや否や、「西江水」の心境に入る所が、先を越す所なのである。始まる所が先である。この先を「西江水」に入る所が越したところなのである。「百間の先迄も勝つ」というのは、この心持を云うのである。先を越してからは無心になるが故である。無心の心境になってからは、有心にはいづれも勝つのである。爺様の目録には理なし。

月之抄25

2011-08-02 12:51:22 | 月之抄
無理拍子という心持の事
親父殿曰く。これは立ち会い時に、ハタハタと途切れなく叩きかかることを云う。「打ちの中に打ちがある」の心持である事。この間を敵が勝とうとすると、それをも打ちこんでしまって勝つのである。さもなくば、叩きこんで、追い込んで敵が打ってくることならざるものなのである。たとえて言うなら大鼓、小鼓のもみだし打ちのようなものである。間へ入る所を勝つのである。間には入れないのなら、合うところを又勝つのである。目の前にあることであるけれども、一つの心持がなければそれもかなわない。
一習いの事
 爺様の目録に、三個の拍子の習いについて、三重の大事で真の位は上詰の方法であると呼んでいる、と書いている。理論は書いていない。この教えは徳川家康公の御稽古の目録に爺様が書いたものである。親父殿曰く。「一つ」と言って、一の字を動作でも、心でも筆を取って書いて体得しなさい。「一」というところから何事も出てくるのである。兵法話の例えに、一の裏は六というように、一と十が一つになる心持のことである。一を二つすれば、二になる。一を縦横にすれば十になるのである。十となって又、一に帰るのである。至極になっては初心に帰る心持である。初心に帰った芸は、名人の芸である。初めて始まる所は一つである。修まって又一つである。これが「一つの習い」の教えである。格を修めてから、格を離れる心持である。
いずれも相構えの心持のこと
 親父殿曰く。昔、飯篠(天真正伝香取神道流宗家)が、敵が陰の構えならば、自分も陰の構え、敵が陽の構えであるなら、自分も陽の構えが良い、と云ったと伝え聞いている。この考えは面白い。敵のように構えを用いる時、敵に勝つことは難しくないだろう。自分が試合する心持に「ゆきたつ?}と云う。爺様の目録には別に意味を書いていない。又曰く。構えるならば相構えが良い。所作の道はいずれにしてもこの心持がいい。
先々の事
 親父殿曰く。是は勝つところの極めつけの要点である。兵法の至極である。数々の教えもこれに至らんためのものである。ここに至れば、教えはいずれも不要だよ。悪いお話となる。悪いと知りながら、高望みをするよりは、悪い教えである。捨てるに捨てられぬ教えである。教えなくして、自然に教えに出逢う。自覚のないまま至極に至る、この極意が「先々の心」である。自分の心を敵にして試合をすれば、この先々のことを早く思い掛けた方が勝つ。無理に仕掛けて、無理に勝ち、これも非も入らずに初めの思い一念に早く至った方が先々の勝ち口なのである。善悪は一つである。この心構えは、たるんでくるものである。うっかりするものである。うっかりしないでおこうとすると、居固まる(固まってしまう)のである。これをよくしようとするには、「指目西江水」の教えである。心は、それ一本である。初めの一念の起こり始まる元は心である。この心を「西江水」において是は、初めの一念の起こる所は、先々と勝つところなのだ。起こる初めの一念を「指目」と云うのである。心は考えの元であるので、心が先である。初めの一念は、技の先である。故に、先々なのである。是が極意である。初め一念は、技の元なのである。初め一念に間のなき(間髪いれない)打ちを茂拍子というのである。心を先にする教えに「先性」という心境がある。是が心の至極と知るべし。「空」が先であると云うのも心である。平常心のことである。爺様の目録には理は書いていない。公方様が御普請の時に、「待」と「懸」とは同じ先であるのか?と親父殿に尋ねられた。親父殿曰く。「待」の心は「先」にとっては誤りです。良くないことです。しかし、敵の先を取って待つのは、「待」ではありません。この心境が得られたなら、「待」も「懸」も先々なのです。又、先々だよと思っていればそれが動作に現れるものです。この心境を得るには以心伝心の所業です、と。公方様が沢庵和尚へ尋ねられた。立上がりの段階から先を取って、このまま行くと思っていても、先をしくじる事があるのは何故なのか?と。沢庵和尚は答えられた。思い始めた心は、変わらないのだけれど、途中で物事に囚われたのです。一本の木が末の先まで、一本であっても、枝葉で分かれているようなものです。教えからまれであるほどです?と言われた。たとえば、まっすぐに歩いている人の後ろから、左を見るな、右を見るな、まっすぐに行け、というのに囚われて、まっすぐに行けないようなものである。蠅は明かりのあるところへ出よう出ようとして、障子などにぶつかります。障子に当たったのなら、後ろへ帰ったならば、明りの方へ出られるのを知らないのです。仏法の上でも、是が本文であるとばかり思いつめるのは、その蠅のたとえの云うのです、等々と言われた。

月之抄24

2011-07-31 15:22:24 | 月之抄
一尺八寸の目付の事
 親父殿曰く。片手太刀や身を離れた構え(雷刀や車の構え等)はどちらも、手裏剣よりも上の一尺八寸の動きが重要である。これは極めつけの教えである。その動き一つに心を付けていれば、全ての技は一つになるのである。無刀では、上段の構えなど大きな構えに対しては、そのことを注意して「分ける心持ち」に気を付けなさい。爺様の目「録には、「一尺八寸の教え」は片手太刀に有効であると書かれている。また曰く。一尺八寸とは肩先から拳までが一尺八寸である。「分ける」というのは、片手にて打つために、両手を分けるので分けるというのである。片手太刀は浅く打つのは良くない。深く打つと思いこんで、一尺八寸を十字に絡みかけて打つ心持であること。
西江水の事
 引き歌に
 中々に 里近くこそ 成りにけり あまりに山の 奥を訪ねて
親父殿曰く。心を修めるのに、腰より下に注意をしなさい。この考え一つが重要だ。油断のないこと。疲れてしまったその先に、「捧心」全てに心を付けさせるための教えである。そこに油断の気持ちがあれば、成るものではない。その心持が重要なのである。そのことを忘れない事を「心の下作り」というのである。三重五重にも油断なく、勝てると思うべからず。打てると思うべからず。それに随って油断なくすることが重要だ。上泉武蔵守親もそうであるし、爺様も、これ以外の教えは無いのである。この心の受用を得たならば、もう師匠は不要である。受用を得て、敵の動きを伺い、駆引き、表裏の仕掛けを新しく取りなすこと以外は他に必要な事は無いのである。これは上の無い、至極の極意なのである。爺様の目録には、西江水について心の在り方である、と書いている。心の置きどころ、占める所は一段の大事であり、口伝であると書いてある。引き歌はま一のままである。また曰く。この西江水の教えに、爺様と親父殿で使い方に違いがある。爺様の使い方は、尻をすぼめるのである。親父殿の使い方は、尻を張るのである。尻をすぼめるよりは、張ったほうが身体も手もくつろいで自由になるという。しかし、これはいずれにしても、人によって使いやすい方を使えばいい。詩は替っても、その心の置きどころは一つである。心を定めて静かにすると「捧心」がよく見えてくるのである。これは秘事、至極である。爺様が歳老いて足腰が自由ならざる状態で、冬の寒空に山中で雪隠へ通う途中、滑って倒れそうになった時、この道を得道して悟り西江水と秘した。上なき至極の極意と呼ぶ。ここに至れば万事は一つの心となり、その心は西江水一つに寄せる所となる。
真の活人剣の事
 親父殿曰く。これは新陰流の「タテハ?」である。「おっとって?」ひっさげる構えである。太刀の中にもこれはある。新当流では下段の太刀を殺人刀として、殺して用いない。陰之流では活人剣であるとして、生かして用いるのである。心は構えを要しないからである。下段の活人剣は構えでなく、敵の動きに随って構えとするので、殺人刀を陰流では活人剣として使うのである。上段・中段・下段・長い武器・短い武器何れも構えなき所を構えとする心持ちを真の活人剣とするのである。構えなくして、敵の動きに随って構えをなすところ、新陰流の「タテハ」これである。切らず、取らず、勝たず、負けない流派である。これが根源である。爺様の目録には、真の活人剣について、構えなき心持ちが一段の大事の根本である。切らず、負けざるの口伝は重々秘すべきものである、と書いてある。また曰く。当流には動作を捨て、心に有る本当の理を構えとするのである。構えの事は知らない、と言っている。

月之抄23

2011-07-30 12:51:05 | 月之抄
太刀拍子持つ所のこと
 親父殿曰く。この教えは、太刀先五寸の所のところに心を付けて、拍子によって五寸よりも早く当たるような感覚で打つ心持が大事なのである。爺様の目録には理は書いていない。
拍子敵味方取ることを知ること
 爺様の目録によると、おおよそ人の拍子というのは、息合い(呼吸)である。その感じをつかむには、足、刀、手によって知るべきである。敵のつく呼吸をヤッと取るのである。自分は呼吸をとめるのである。親父殿によると、これに替る心持ちはない。細やかな心であると言っている。
留まるという心持の事
 親父殿曰く。心が一方へ偏って留まることを嫌がるのである。執着する心の事である。歩みや所作、心持ちの何れも偏らない事が大事なのである。進み行く内にも、心が留まりそうだと思えば、心を取換え、心新たになってやり直す心持ちを習慣とするのである。引き歌に
 いづくにも 心止まらば 住み替えよ 長らえば また元の故郷
歩みにも、打つにも、仕掛けるにも、この心を留めぬという教えを専らの大事とすること。爺様の目録には別に意味を書いていない。
没滋味手段の事
 爺様の目録には、没滋味手段というのは「西江水」の事であり、「越す」所の事であると書いてある。また目録には、没滋味手段について、第一に目付の事。第二に口伝の事。第三に拍子の事。第四に身の懸かりの事。第五に「左足」のこと。と、書いてある。親父殿曰く。これは手の内の心持を言っているのである、とのこと。敵を打つにつれて、小指からその上の二つの指を締め合わせよ、という教えである。打って行く最中にも「捧心」の心掛けが大事だ。「打ちの中にも打ち有り」というのもこの心持の事である。これは没滋味といって「コソク?」の事である。味のないところに味を付ける感覚の事だ。「無味」である所が大事なのである。至極の教えである。一つの考案でも無ければ、その感覚も知ることができない。また、没滋味手段(てだん)と読むのは良くない。手段(しゅだん)と読むべきだと沢庵和尚は言っておられた。
打ち之打ちの事
 親父殿曰く、これは打つ打ちに今一つ心を添えた打ちの事である。「捧心」をよくよく見定める為の打ちである。没滋味手段のところで心得よ。爺様の目録には別に意味を書いていない。
手の内は猿が木を取るごとくの事
 爺様の目録には、「手の内、猿が木を取るごとく」については強からず、弱からずの心持で口伝であると書いてある。親父殿曰く。この教えは、手の内が強すぎることを嫌う事を言っているのである。強さは親指の又に力を込めよ、強くである。握りしめてしまうのを嫌うのである。猿が木を取る感覚を知りなさい。強からず、弱からず、敵が打ってくるのに合わせて締める感覚である。また小指より二つの指は打つに随って締める事が大事であると書いてあるものもある。
茂拍子の事
 親父殿曰く。打つ間に見懸かかり、懸かる間に見る。いずれも見るに見る、これである。敵から心を外さないで仕掛ける、こちら側の動作を言う。敵がこちらの動きに心を付け始めた所を打つのである。気前にありながら、動きはどのようにも対処できること。爺様の目録にはこれに替るような詳細は延べらていない。また曰く。打つという萌しを見せないうちの打ち、これである。また曰く。見るのも拍子だよという意味である、とも言われている。また曰く。目付をキッと見つめるところ、気が浮き立って軽い。見ると同時に打つとも言われている。また曰く。茂拍子は無拍子である。茂の字を無の字だと心得なさい。拍子のない所の心に有る拍子とも言われている。根本は自分の方から仕掛けて打つ心持である。前に書いた理どおりである。

月之抄22

2011-01-15 23:04:46 | 月之抄
 おとり拍子の事
親父殿曰く。これは弾んで、二度目の拍子を以て居る心持ちである。技をしようと思う前にこの心持を専らである。爺様の目録にはこの意味は書いていない。拍子の事について乱れる心のことであり、口伝である、と書いてある。親父殿曰く。これ以上の物は無いという心持である。無上である。乱れた拍子は、取り定められない拍子である。定められない事によって勝つところなのである。拍子を乱してみれば、拍子が合わないので、追う所を乱拍子という。乱れるとは、乱して見なさいという心持である。拍子は無いのである。拍子は無くて拍子に合う。これを乱拍子という。無拍子である。無拍子は、心にある拍子である。平常の拍子ではない。平常の拍子は乱拍子である。乱れて合わないのである。拍子が合わないで合うところの拍子は根本的に無拍子なのである。無拍子、心拍子であると云々。爺様の目録には、乱拍子は乱れる心持ちであり、無拍子の口伝は重々これあり、と書いてある。
 拍子のあるところを知ること
爺様の目録に書いてある。その理は何にも書いていない。親父殿曰く。拍子のあるところとは、心のつけどころの事である。例えば、見ても聞いても起こる心の事である。起こる心を西江水に入れば、その西江水の中から拍子は出るのである。これを拍子のあるところというのである。
 迎え拍子の事
爺様の目録に書いてある。理は何とも書いていない。親父殿曰く。敵と同じようにする心である。相手の真似をして仕掛ければ、敵が勝つべきやり方がなくなるのである。色々な事に用いる心持ちである。至極に等しくなる心持である。
 行間の拍子の事
これは初拍子に乗って、息を詰めて、弾んで打つ拍子なのである。打ち初めと、打ち終わりとの間へ打ち入る拍子なのである。唱歌の心持ちで打つのが良いと爺様がおっしゃられたと、弥三が話をしていた。親父殿はそれは知らないと言った。これは呼吸の仕方によって、打ち味わい、云うに云えない心を以て、呼吸の間に有る拍子という心を筆者の誤りでこのように言えるのか、但し、行く内の事なのか心得ることができない。古流では、心に覚えている所を言い分けかねて、拍子、調子間に乗り弾む等という事にて、手には違っている事が時々多い。心が余って、言葉が足らない心持ちが何れも教えにもある。但し又、わざとこのようにするのは、人が見ても、習わないと理は得難い心もあるのである。おおよそ、目録には、書かないと教えの通りである。であるが、親父殿が教えは伝えないで、一心を伝心を直伝として、習う心持を言い述べられたのである。親父殿のやり方なのである。
 定め拍子の事
親父殿曰く。これは初めの一念の事である。拍子は息合いにある。慎むによって、後拍子乗る弾むなどと云う拍子合いあるのである。打ちつけて来るところをほどという。心に思い立ち居る所の拍子である。根本は無拍子である。それゆえ、当流には兵法に拍子というものはない。今に知らない、定まった所に勝つのはただ一拍子である。先先と打つところ、敵も一打、自分も一打ならではならない。これは定まった拍子である。爺様の目録にはその他の意味は無い。曰く。上記のように、この教えも定まった勝ちというべきで、拍子と書かれている。このような心持をよくよく吟味しなければ心得難い。
 位を定めると云う心持の事
親父殿曰く。先を取った心が定まった所を「位を定める」と云う。例えば間合に立ち懸かる所を勝つのである。これからは、敵をくつろげも、開かせも、発させもしないのも、思う心は位が定まるのである。敵を伺う心の内を位と云う。伺う心が止んだ時が定まった心持ちである。爺様の目録には別の意味は書いていない。