よしなしごと

ふとした旅を記録します

青春18切符4枚目

2006年04月23日 | Weblog
 中国地方周遊の最終日、大田市で目覚め、9時前のバスで石見銀山へ。今日は12時半の列車で次の出雲まで出て、そこから岡山までは特急やくもに乗るつもりである。ホテルから駅まで歩き、バスに乗車すると、何とホテル近くで停まるではないか。哀しい。ま、あまり下調べもせず行きあたりばったりだからこういうことになる。石見銀山は、次のユネスコの会議で世界遺産に登録されそうなところだと聞いたので寄ってみた。江戸時代の代官所跡が遺跡の入り口。そこからミニバスで銀山まで向かい、坑道を歩き抜け、川沿いの遊歩道を下る。時間がないので、バスを使ってでも代官所跡まで戻り、銀山資料館を見るべきか、町並みをゆっくり歩き、そば屋で一杯すべきか考えながら歩く。平日だが春休み。けれども店を閉めているところも多い。観光客はちらほら。『世界遺産』のイメージではない。ま、観光地でない遺産があってもよいのだが、かなり寂しい。坑道も、長野は松代の大本営跡ほどの迫力はない。ただし、遊歩道から見え隠れする坑道跡に、シルバーラッシュの当時を忍ばせる。個人の坑道には明かりなども少なかったであろうに。結局、御前そばで割り子を5枚ほどいただき、バス停まで歩き下った。マイカーで来て、直に銀山坑道の龍源寺間歩だけ歩き、そのまま他へ向かったら、世界遺産は味わえない。わざわざ大田まで来る価値もないだろう。できればじっくり一日費やせば、もっと大きな収穫があったに違いない。後ろ髪を引かれつつ、帰りのバスに揺られ駅へ。駅前で、もう一杯そばをいただき、出雲→米子から伯備線を経由して岡山に向かった。もうすぐ四月だというのに雪が舞っていた。もちろん、岡山からは、普通で帰ってきました。18切符をフルに使わなければね。今回の旅は湯田温泉の東京屋のそばが○でした。

中国周遊中日

2006年04月20日 | Weblog
 湯田温泉の朝は雨模様。朝湯を浴びて湯田の町を散策、中原中也記念館の開館を待って入る(実は入口を捜してうろうろした)。ゆっくり見ていたら列車の時間が迫りあわてて駅へ。本日は、津和野。SL山口号はあいにく今日だけ運休。鈍行にゆられて津和野へ。駅前には安野光雅美術館が大きくそびえ、ガイドマップにも見所が一杯。どう取捨選択して回るか考えながら、殿町付近へ。津和野の歴史のほんの一部分であるだろうカトリック教会で釘付けに。じっくりその歴史を学び、津和野の味の鯉定食をいただく。洗いはいついただいてもおいしく感じられないが、鯉こくは美味。山里ならではの味覚を楽しむ。津和野が際だっているが、山陰には赤い屋根瓦が多い。関西ではもっぱら瓦と言えば黒い炭瓦なのだが、なぜだろう。後で調べてみると、石州瓦というそうで、耐熱に優れているのだそうだ。安野光雅美術館を見終え、残り20分で乙女峠に向かう。先ほどの教会で紹介していた場所である。案内所でもらったガイドマップには駅近く8分とあったように思う。雨の中を歩き出したがなかなかつかない。ようやく着いたと思ったら、そこが車止めで、そこからほぼ8分の山登り。次の列車を逃せば1時間半は無駄にするので駆け足で山を登り、駆け足で駅に。こんなところで走るとは思いもよらなかった。津和野は見るべきものが多く、半日では厳しいところだ。その後、益田まで出て、スーパーまつかぜなる特急で大田市へ。明日の銀山に向けて本日はここで宿を探す。

青春18切符3枚目

2006年04月17日 | Weblog
 3枚目は、また始発に乗って今度は大阪から姫路、姫路から相生。相生から岡山経由、尾道まできた。山陽線は連絡がよく、思ったよりもスムーズに乗り継ぎができる。尾道は「男たちの大和」のロケセットがあるとかで結構にぎわっていた。時間が余りないので、バスに乗り長江口まで。尾道ラーメンをかき込み、ロープーウェイに乗り、文学の小道を下りながら駅に向かう。尾道は聞いていたとおり坂の町で風情がある。あまり一人歩きするところではないが仕方がない。尾道から新山口へ。この列車は岡山から下関までの六時間半ほどを結ぶもので、結構18切符らしい人が乗っている。瀬戸内を眺めながら、防府を過ぎて新山口へ。今日の宿は山口の手前、湯田温泉で下車。宿を探す。安宿に入り、少々たばこ臭いが我慢する。東京庵というそば屋で夕食。思えば18切符で山口までこれたのだ。天晴れ。

青春18切符2枚目

2006年04月15日 | Weblog
 金沢からは、生きている間に行けるどうかと危惧していた奥能登へ。本当はランプの宿に向かいたいが、今回は我慢して輪島へ。市内循環バスでのんびりと海コースを巡る。日本海の肴に舌鼓を打ち、翌朝朝市へ。「買うてかんけ」というかけ声が嬉しく、懐かしい。優しく声をかけられながら歩いていると、干物を積みながら「兄ちゃん、これとこれ3ッつに、さらにこれとこれも足して千円」びっくりしてしまう。荷物にならなければ是非買いたいものだ。干物ってそんなに安かったっけ。この近くにすんでいれば、1週間千円で干物で暮らせる。観光地にありがちなインフレとは縁遠い。輪島といえば、古くから開けた観光地だが、そのよき伝統を引き継いで、バブルに走らずに今も息づいている。嬉しい優良観光地だ。これならまだまだランプの宿はあきらめきれない。金沢に向かうバスを待つターミナルは以前輪島駅のあったところ。輪島から先はシベリア行きとなっていた。金沢から福井までは鈍行。しかし、そこから先京都までは、18切符利用者に軽蔑されそうなサンダーバードに。福井ー京都間、禁煙席が指定・自由共になくデッキで立ったままで過ごした。喫煙席は空いているようだが、デッキに出てきて煙草を吸うやつがいる。臭いじゃないの。喫煙場所なんていい加減廃止すればいいのにと思った。

青春18切符

2006年04月12日 | Weblog
 青春18切符を買ってみた。ひょんなコトから話題になり、週末を利用して旅に出た。始発に乗り、大阪経由で金沢に向かう。途中、連絡のために、交通の要所でもある米原で下車。米原は新幹線の駅があり、北陸への分岐点だから、途中で降りても何とかなるだろうと思ったのがいけなかった。彦根か、せめて長浜にすべきだった。琵琶湖一周のときにダウンした長浜をもっと見ておくべきだった。米原から敦賀までの連絡が悪く、無為ともいえる時間を過ごし、始発に乗った意味もなくなった。昼前に敦賀、福井と列車を換える。敦賀に着いた時は三月下旬だというのに雪景色。「国境の長いトンネルを・・・」である。福井から更に金沢に向かう途中、小松で「松井秀喜記念館」に立ち寄ることにした。地図上で、小松の次の明峰という駅あたりと見当をつけ下車。タクシーもないので、ミゾレ混じりの雪の中、歩き出す。途中で道を失い、近くの人に尋ねると、親切にも送っていただいた。「歩くと大変ですからね」といいつつ、悪天候を気遣ってくれたので大変助かった。ありがとうございました。記念館からは、更に北の寺井という駅まで無料の路線バスがでていた。軽く5分は遅れてきたけど、無料だから文句は言わない。乗客のおばさんにガムまでもらって、心に残る小松だった。金沢は、敦賀よりもずっと北なのに、雪はなかった。画像は金沢大学(四高)記念室。

竜王スキー場

2006年04月02日 | Weblog
 スキーといえば、自分たちでツアーを組んだりバスを雇ったりしたものだが、地元のバス会社からもバスがでていた。車中泊、旅館1泊、リフト券付きで2万そこそこ。何も考えずに近くの停留所まで行き、ビールを飲みつつ一眠りすればもう北志賀。お気楽である。ゲレンデで必要なお金は、昼食代とビール代のみ。そういえば昔リュックに缶ビールを詰め込んでスキーをしたこともあった。重いのでコースそばの雪中に埋めておいて、取り出しては飲んだものである。スキーに来ているのか、スキー場にビールを飲みに来ているのかはわからないが(実はわかっている。禁酒のゲレンデがあれば、今頃スキーなど見向きもしないだろう)。 ともあれ、奥滋賀と違い、ボーダー最盛期である。基本的にスキーより易しいと聞いたことはあるが、よくわからない。でもボードで削られた急斜面はエッジが聞かずに苦労した。中にはズ、ズーと雪面を引っ掻いて降りていく人もいるので、あわてふためいてしまった。