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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(113) くたばれ!成長戦略

2011年03月16日 | 浜矩子語録

浜矩子語録(113) くたばれ!成長戦略

3月4日、財団法人全労済協会が主催するシンポジウムが東京・代々木の全労済ホール・スペースゼロで開催され、社会不安の正体と未来への展望が語られた。(以下、敬称略)

第一部で基調講演者した妖艶なエコノミスト・浜矩子は第二部のパネルディスカッションに臨んだ。

出席者は以下のとおり。

≪コーディネーター≫

宮元太郎(北海道大学院法学研究科教授、菅内閣の新成長戦略実現会議委員)

≪パネリスト≫

浜矩子:同志社大学大学院ビジネス研究課教授

辻本清美:参院議員

湯浅誠:内閣府参与、反貧困ネットワーク事務局長

濱口桂一郎:(独)労働政策研究機構統括研究委員

 

本編はその後編で、以下、Qは宮元太郎、Aは浜矩子の語録。

 Q~・~ 企業や労働組合が“新しい当たり前”を目指すとき、成長をどのように言い換えればいいのでしょうか?

 A~・~ 今の段階で日本に当てはめてそれを言えば、“成熟”という事だと思います。

如何に成熟してゆくか。経済・社会の実態は成熟しているわけですけれども、高齢化ということも含めて、資本主義社会・経済の発達度と言う意味でも、その発達度がもたらす、その高速鉄道なども含めた、発達度、成熟度が高い経済になっている、にも関わらずその中に貧困問題がある。湯浅さんが活躍をされなければいけないというようなところがある、そういう実態があることは考えてみれば物凄くおかしいですよね。

これだけ完成度が高い、大きな経済社会モデルの中に貧困スポットが存在している、これは「やっぱり成熟か」というテーマに対して制度や割り振り、組織というものがきちんと対応していない。

 

湯浅さんから先ほど、昔の普通を追及せざるを得ないというお話がありましたけれども、それがよく分かるのは、最近ことのほか政策や行政に関わっている、そして企業経営者もそうですけれども昨日の夢を追っている、昨日の戦いを闘っている、昨日の言葉で語っているという感じがとても強く致します。

 

そんな中で、成長へのこだわりというのはやはり“昨日の夢”の典型的な表れではないかと思います。

如何にして、ここまで完成度が高まってきた経済社会の中で、富が上手く○○(分配?)してゆくことを追求してゆくか、という事が大きなテーマだと思います。

我々の前には誰もいません。日本が初めてグローバルジャングルの中でこれだけの成熟度をもってこの一歩を踏み出すところに今いるわけです。

しかもお手本となるものは何もない。我々が世界に対してお手本にならなければいけない“成熟のマネジメント”とでも言いましょうか、と思います。

 

「言葉は世につれ、世は言葉に連れ」ですから、多少、鵜になっても、今後、本日以降、宮本さんは絶対に“成長”という言葉は使わずにすべてを語っていただくことを工夫していただくと自ずと回答が出てくるものと思います。

 

 Q~・~ 拍手まで起きておりますけれども、私はともかく(成長戦略ではなく)『成熟戦略実現会議』にして欲しいと菅さん(菅直人首相)にお願いしてみようと思いますけれども、多分駄目だと思いますけれども。

浜さんからは「成長とか言うな」と言われて動揺したんですけれども、湯浅さんからは「質の高い成長」と、濱口さんが「生活保障を組み込んだ成長」と言ってくださって、(成長という言葉を)使い続けることができるなと思ったんですが、使っていいですか?

 A~・~ そうですね、そもそも濱口さんの今の(発言の)どこが成長戦略だったか分からなかったのですけれども、今のご指摘の中身はよく分かりますし、それと大いにかかわりのある、湯浅さんが仰った「成長することは簡単だ」ということも全くそのとおりでして、

ということは安易に簡単に成長だけを求めていれば何とかなるという話ではないという事ですし、更に言えば、どうすれば成長を目標にすればするほど皆んな不幸に、格差が拡大するということになって行きかねない状態になってゆく、それがグローバルジャングルなるもののカラクリの怖さであると思うし、一見すれば成長を求めて頑張ることが求められている論理だなと思ってしまう世界ですけれども、ある企業が、自分が成長するために必死で生産性を上げる、そのために労働者を○○○○(解雇し?)或いは正社員を派遣社員意切り替えると、その人たちの不幸が結局企業経営の存続不能という形で自分達に振り返ってくるという落とし穴があるというのがグローバルジャングルの怖さなのであって、そこん所に皆で気が付かないと、次々と、自分だけが助かろうと思って孤立して一人づつ落とし穴に落ちてゆく、そして、誰もいなくなった、と言うふうになってゆく仕掛けがある場所、それがグローバルジャングルなのです。

 

ですから、その落とし穴に落ちないためにこそ、やっぱり、成長という言葉を使わないで如何にその(グローバルジャングル)中を歩んで行くかという事をびびらずにやってみる事を(宮本さん始め皆さんに)お願いしたいと思います。

 

 Q~・~ 湯浅さんから、「前期高齢者よ、決起せよ!」という話が出て、それに引き続いて辻本さんからは集合場所まで「地方議会に結集(傍聴)せよ」と出て参りましたが、最後に浜さんよろしく

 A~・~ それでは前期高齢者に関する湯浅さんと辻本さんのお話に刺激を受けて申し上げた上で別のことを申し上げたいと思います。

いみじくも昨日、ある意味で前期高齢者達と大量飲酒をする場面がありまして、ま、ちょっと(酒が)不足でしたのですけれども、そういう場面がありまして、そこで、皆さんから出ていた話は正に湯浅さんが言われていたような形で「自分達もビールどころの話じゃないだろう」ということで、「英語教えます」とか「自分達がやってきたことでお手伝いします」というので「寺子屋的なことをやる」というので看板を掲げるということをやろうとしている或いはやってらっしゃる方々が結構いたんですね。

そっちの方向に(前期高齢者達が)向かってゆくことは、なかなか結構なことだな、と思って、「やはり繫がりを持たないとだめだよ」「自分の地域の集会には、お前出た方がいいよ」と言い合ってやっておいででした。

そこに皆さんの思いが向いているんだな!と思っていて、今日ここで(湯浅さんや辻本さんの)お話を伺ったのでうんうんと思ったのですが、

ただし、おかしかったのは、皆さん「寺子屋やります、と言って掲げても、誰も来てくれない」という、この辺に“上から目線”問題ががあるのではないかなという気がしてですね、そこがあと一息“ナチュラル目線”になって行けばいいのかな!という思いを持った次第でございました。

 

それを、それも踏まえまして“希望を持てる社会実現のために、今最もやられるべきこと”というところで、「誰に何をやらせてはいけないか」という、宮本さんの非常に重要な切り込みに答えたところで、最終的にどうするという方向に行ってみたいと思いますが、「誰に何をやらせてはいけないか」というところが、先ほど歯に絹着せる派っぽかった、ああいう人たちにああいう事をやらせてはいけないという事だと思います。

 

それは、辻本さんも言われていた。2大政党という体制になったのに結局、連立を組む相手も市井に引っ張り回されるということで、『みんなの党』色に染まってしまうということで、こういうのは、一種の数の暴力で、数と言っても(極)少数の暴力です。

 

少数のものが多数のものを振り回すというもので、これは基本的に民主主義の原則に反するものであって、民主党がそういう風なことをやっているとは申しませんけれども、ですけれども、数の小さいものがキャスティング・ボートを握るというかたちで、大きなものの方向性を振り回すということは絶対にやらせてはいけないと思います。

 

こういうことがまかり通ることになれば、希望ある社会というのは出来て行かないで内側から崩壊して行くというように思いますので、少数の蜂起というものに気をつけなくてはいけない。

政治の世界はそういう格好で動いて行くという事に対しては気を付けなければならない、それを許してはいけない、ということだと思います。

 

揉み手で連立相手に(出向いて)行って御用聞きをするというような態度を取るのは、そういう事を求めて政権後退を後押し、投票行動としてそれを示したわけではないと思いますので、とても気がかりな(菅内閣には)やらせてはいけないことだと思います。

 

じゃあ、何をやるべきか?というところでございますが、先程来“成長戦略会議”或いは、それは駄目だから“成熟戦略会議”ということでお話をして参りましたが、私はその“希望のための陰謀会議”というのを作ったらいいんじゃないかと思っております。

 

もうちょっときちんと言えば“希望のための市民陰謀会議”ですね。

まさに前期高齢者の皆様が、希望のための市民陰謀会議の推進のために全霊を挙げて頂くという風になって行くというのではないかと思います。

 

“戦略”という言葉もあまり良い言葉ではないですよね?非常にきな臭い、(宮元氏「陰謀のほうが問題ですよ」)、

あのう、陰謀も問題があると言えば問題ありますが、陰謀って結構楽しいじゃないですか?「皆んで何か、企んでやってやるか^?」という感じで、でも陰謀は一人では出来ませんから。孤立している社会では陰謀はあり得ない。

だけれども、そこで仲間が一緒になって企みを実現すると、これは非常に希望に満ちている社会ではないかと思うのでございます。

 

いみじくも、私もボランティア活動でアムネスティ・インターナショナルという団体に所属しておりますけれども。そこで“希望のための陰謀”という言い方で政治犯の釈放のための一つの企画を展開したことがありますた。

やっぱり、陰謀というのは、何か、エキサイティングな感じですので、戦略はきな臭いですが、陰謀は楽しいし皆んなでできるので、これをやる事によって、希望の持てる社会に向かって市民達が蜂起してゆくというのが今必要なことなのではないかと思います。

 

そしてこの“希望のための市民陰謀会議”に、どのようなスローガンを設定するかというと、“くたばれ成長戦略”という風になるわけでございます。


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