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黛信彦の時事ブログ

浜矩子語録(112) 社会不安の原因は孤立

2011年03月16日 | 浜矩子語録

3月4日、財団法人全労済協会が主催するシンポジウムが東京・代々木の全労済ホール・スペースゼロで開催され、社会不安の正体と未来への展望が語られた。(以下、敬称略)

第一部で基調講演者した妖艶なエコノミスト・浜矩子は第二部のパネルディスカッションに臨んだ。

本編はその前編である。

 

出席者は以下のとおり。

≪コーディネーター≫

宮元太郎(北海道大学院法学研究科教授、菅内閣の新成長戦略実現会議委員)

≪パネリスト≫

浜矩子:同志社大学大学院ビジネス研究課教授

辻本清美:参院議員

湯浅誠:内閣府参与、反貧困ネットワーク事務局長

濱口桂一郎:(独)労働政策研究機構統括研究委員

 

以上のパネリストの特徴は、

辻本清美は3月11日発生した東北地方太平洋沖地震の災害ボランティア担当総理補佐官を菅内閣から13日任命され

湯浅誠は現内閣府参与

濱口桂一郎は09年、蓮方の厳しい仕分けから生き抜いた良い意味で世渡上手、

しかも、コーディネーターの宮元太郎は、あの日本共産党:宮元顕治氏が実父で、しっかりそのDNAを受け継いでいる上に、現委員長:志位和夫が家庭教師を務めたほどの人物、

このように、ア菅内閣に揉み手する面々に対峙する格好で浜矩子が登場したことが興味深い。

その浜矩子自身、民主党政権誕生直後、その経済政策の守護者的役割を演じたこともあったがトーンは下がり、時の経過につれて「まだ、期待は捨てていない」と、在るいは「民主党は存在価値なし」と、完全に冷え切った。

だから面白い。 

 

以下、Qは宮元太郎、Aは浜矩子の語録である。 

~・~ 浜先生、どうでしょう? 現状認識については先ほど(基調講演で)伺ったのですが、お三方(濱口、湯浅、辻本)の議論をお聞きになって。

A~・~ 先ほど宮本さんが言われました「人生には不安があって当たり前だろう」ということについてどう反応しますか?という事を濱口さんに仰ってましたが、それは違うのだろうと思います。

人生は、不安定いっぱいであって、不安いっぱいとは限らない。

今、社会不安の状態は何かと言えば、これは間違いなく孤立ですよね。

分かち合えば辛さは半減、分かち合えば喜びは倍増でございます。分かち合うことが出来なくなれば不安になるのは当たり前のことであって、その孤立というのをもたらしているのが自己責任主義であって、投下主義であって、要するにグローバルジャングルとの付き合い方を完全に、21世紀に足を踏み込むところで日本の経済社会が誤解した。

「その中は、一人で生き抜いて行かなければならない場所である」と考えたところに最大の問題があると思います。

 

ところがジャングルというのは決して淘汰の世界ではない、そこは共生の世界なのであって、ぶつかり合っていればジャングルもジャングルではなくなるということで、孤立が排除をもたらし、排除の論理が孤立をもたらすということでお互いに不安を煽って行くという事だと思います。

 

分かち合っていれば、不安定の中でも不安にならないわけで、どんな不安定さの中でも仲間がいれば乗り越えて行けるのだと思います。

 

それとの関わりでもう一言申し上げれば、先ほど宮元さんが“実に、歯に絹を着せた形で”批判をされておられました「減税が全てよ」とか言って自分を売り込もうとする輩ですね、ああいう奴等の存在が不安感というのをまた一段と煽る面がある、ああいう人たちに民主主義市民の社会をハイジャックされることは物凄く危険なことだと思います。

その辺についても我々は感受性鋭く身構えていないといけないなと、思う次第でございます。

 

Q~・~ 社会不安を脱却する処方箋は?

A~・~ (私が先ほど)後半の方で「ああいうけしからん奴等に騙されてはいけない」と申し上げたことが結構ポイントになってくると思います。

非常に広い意味で、そして視野の広い意味での市民社会がきちんと形成されてくるということが基礎中の基礎ではないかと思います。

正に不安定が不安につながらない基盤、誰もが誰のためにでも悩み・痛みを受け止めることができる、個人個人の努力はさりながら、制度・システム・体制というものが出来上がってゆく、それが(湯浅氏が言う)新しい普通なのではないかという気が致します。

 

引っ越したり環境が変わったりということでも大きな不安を抱くことが多い、そういう事がよりストレスになる世の中でありますけれども、そういうことにならないで済む、場所が替わっても状況が変わっても、支えるものがそこにあるという、それが当たり前になる、どこに行ってもそれが普通のこととして期待することが出来る、そういった状況をどうやって作り出して行くかということだと思います。

そういう流れに対して「現在こそ全てよ。お金返せ」という発想は、全く逆行する展開だと思います。

先ほど辻本さんのお話の中に“信頼”というテーマが出て参りました。高速鉄道の売り込み(の自慢話)は実にけしからんことでございますけれども、“信頼”というテーマをちゃんと打ち出して下さったところは、「さすが、辻本さんだな」と思います。

 

人が人を信用する、人が人を信頼できる状態を保証してゆく、これはまともな大人社会であり、資本主義が民主主義によってきちんと管理されていると言いますか、裏打ちされている中であるかどうか、ということが人が人を信用して行くかということと表裏一体の関係にあると思います。

 

人が人を信用するという言葉をそのまま金融の世界に当てはめれば、信用創造とか信用供与という風に使われます。英語のクレジット(credit)というのが信用供与或いは信用創造ですけれども、このクレジットの語源を辿ってゆくと“クレーデレ(credere)”というラテン語で“信じる”という言葉に到達するわけでございます。

 

この一連を見ても、人が人を信用しないところにカネの貸し借りなど起きるはずがないという基礎があるわけで、そういう意味では「辻本さんの信用度が高いから(高速鉄道の)売り込みにも成功することになるんかいな?」と思ったりする致しますけれども、そういう意味でも人が人を当たり前のように信用することがどこに行っても出来る環境を保証するためには、例えば行政は・政策は何をすれば良いかというようなことを一生懸命考えてゆく。

また言ってしまいますけれども、それこそ成長戦略を考えている暇があったら、そういう事を考えて行けば、皆で成長力も作り出してゆくことが出来るのではないかと思います。

そんな意味で“新しい当たり前”をどう作り出してゆくかというあたりが(社会不安脱却の)鍵になってゆくのではないでしょうか


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