それからの三宅島 普通に復興の日々

2005年2月1日、4年5カ月ぶりに避難指示解除になった三宅島に住んでいる、みゃるの日々の独り言です。

物干し竿1本分の・・・。

2005-09-30 22:14:47 | Weblog
地色が赤いタオルです。
白いのは、何だと思いますか?

台風が行った後、1週間近く、ナライが吹き続けた。
普通、台風や低気圧が三宅を越えていくと、強い西に変わるのに、
なぜか今回は、ナライ一辺倒。
しかも天気が悪い・・・。

今日になって、ようやく、天気が良くなった。
天気自体は昨日もよかったけれど、昨日は、風が強すぎて。
そう。たまりまくって小山になっているシーツの洗濯をしなくてはならない。

噴火前、本当にお世話になったクリーニングやさんは閉店してしまった。
(家は、このクリーニング屋さんがいなかったら、店をやるどころか、家を造ることもできなかった。)
シーツの洗濯は、正直、辛い仕事。
水質のせいで、洗剤がなかなか溶けない。水を吸ったシーツは重い。
その重いシーツを糊付けして、手で絞った後、脱水機にかけ、
ぴっちり伸ばして干す。
鳥が糞をかけたらやり直し。

ざっと書くと何でもないことだけど、実際にやってみると時間はとられるし、本当に辛い。
辛さを倍増させるのは、天気がよい日でないと、できないということ。
つまり、いつでもできるわけではないので、洗濯日和に集中して、何回も洗濯機を回すことになる。
その洗濯日和が、どんなにたくさんのお客様がいても、どんなに大量の納品があっても、だ。
ちなみに、今日、私は、診療所で予約診療があった、それでも、だ。

久しぶりに、物干し竿を拭いた。
嫌な感触がする。
普通の物干し竿のままでは、数日で錆びきってしまうので、
特別な塗料を塗ってある。
それが、じゃりじゃり、という音と共にはげて雑巾にこびりつく。
『錆が来たのか。。。』と思ったものの、雑巾を見て、
じゃりじゃりするモノが白いことに気が付いた。
そして、まだ拭いていない竿をよく見ると、錆が噴いてゴツゴツしているのではなく、
物干し竿の下側に、鍾乳石のできはじめのような白っぽいブツブツが並んでいた。

塩だった。ベタベタするし、ちょっとなら死なないだろうと思って、
竿に付いている塩を指にとって、なめてみた。
普通の塩のようにしょっぱかった。

全部塩か・・・。錆よりはいいけれど、これって。塩田じゃないんだから。
一番塩が付いている竿は、1本分集めると、相当な量になった。
集まると「塩」らしく、白い。粗塩の風情。大さじ1杯って感じ。

潮が飛ぶ、とはいうけれど、こんなのは初めてだ。
化学的には、どうなんだろう。
潮と火山ガスが一緒になると、何が起こるのだろう?




やってしまった。

2005-09-28 22:34:27 | Weblog
ここのところ、ボケッとしているのか、なんなのか、
ケガに繋がる、ちょっとした『あぶない』を連発していた。

食器を洗いながら、なぜか滑らせて落としてみたり、
包丁が鈍っているのに、無理矢理力で切ろうとして、
もう少しで指の先が真っ平らになりそうになったり。

すごく疲れたとか、眠いとか、一時期のような、強烈な自覚症状はないのに、
常に半分寝ているみたいな。
こういうのが一番いけないのにね。

で、とうとう、やってしまった。
限界まで熱した油の中に、レンコン投入。
右手でやると、角度的に自分の方に跳ね返ってくることが多い、わかっていたのに。

顔の左半分で、跳ね返りをキャッチしてしまった。
まぶたと目は、眼鏡が犠牲に。若干で済んだ。
が、顎から頬にかけて。もろにやってしまった。

元々、異常に皮膚が強くて、ケガの治りも異常に早い。
だけど、これはちょっとまずい感じ。
ふき取ってから冷凍ハンバーグを押し当てて冷やしたけれど、
くっきり、あとがついている。

普通の人なら水ぶくれになって大事になるけれど、私の場合は、大丈夫。
だけど、茶色く変色はしちゃうだろうな。

あーあ。よりによって、同窓会があるっていうのに。
萎えるなぁ。

イタチの主張

2005-09-27 23:04:17 | Weblog
家には、いくつか玄関などの入り口がある。
その中のいくつかは、ほとんど出入りしない箇所もある。

数週間に1度とか、そこに出入りすると、
翌日、必ず、イタチがなわばり宣言をしてある。

このブロックはねー、君のトイレじゃなくて、物置にしてある部屋に
入りにくいから、1段の踏み台として置いてあるんだよ。
どうして、こういうことするかなぁ。踏んだら、どうするんだよ。

だいたい、避難中の一時帰宅の時もそうだったよね。
初日、数カ月ぶりの我が家に入るときには、
枯れ葉や砂の吹き溜まりになっていることはあっても、普通の玄関なのに。
避難施設に泊まって翌日来ると、玄関に、とうとうと、なわばり宣言。
なんでなんだ?
フンで歓迎しているつもりか?まさかね。

私が聞きたいのは、最初はないのに、なんで、どうして、2回目に行くと、
してあるの?ってこと。

わかっているよ。
君たちがいるから、いてくれたから、家は、避難中、ネズミの被害が全くなかった。
この物置だって、本当は、ネズミにやられていたって、全然不思議じゃないのに、
君たちが見回ってくれているから、戸を閉め忘れても、中のお米や漬け物に被害がない。
ありがたいと思っているよ。
でも、いてくれるだけで充分なのよ。
私にまで、なわばり主張しなくていいんだけどなぁ。
きっちり、私の足が踏み込むところにしてあるのは、なんで?
どっかで見ているんだよね。
もしかして、私がうっかり踏んだら、草むらで笑っていたりして。

東京のペットショップに、仲間がいたよ。1匹で数万円もしていたよ。
でもね、絶対に、君たちの方がかわいい。
うにうに歩くキャラメル色。今の時期の金色の光の夕方には、とてもきれい。

おねがい。
君たちがいることは、よくわかっているから、
君たちがいてくれるから、ネズミにやられなくて済むことも感謝しているから、
踏み込むところに、なわばり宣言はやめてよ。ちょっと横にずらしてよ。
それから、小鳥も捕らないで。

一番のお願いは、車に気をつけて。都道に出ないでよ。
最近、たくさん轢かれている。そういう時期なんだってね。
君たちが横たわっている姿を見ると、
8月29日の、あの日のあれを思い出す。


春の猟犬

2005-09-26 00:03:09 | Weblog
アルフレッド・リード氏が亡くなった。

と、ネットのニュースサイトで知った。

吹奏楽の偉大なる父だと思う。

中学の時は、自分の学校のクラブだけでは、人数の少なさから、
リードの曲を演奏することはできなかった。
大学に入ってから、あこがれ続けた曲を演奏することができた。

吹奏楽から遠ざかって、三宅に来て、噴火で避難。
その時、なぜか持って出たトロンボーン。
避難して、2年後、大阪の淀工の丸谷先生の指揮で演奏できるチャンスを知って、
なりふり構わず参加した、そのことがきっかけで、
リード氏が振る演奏会に参加することができた。

最初、電話で誘われたときは、何がなんだか、わからなかった。
丸谷先生流に言えば、さぶいぼ、けど、寒いというより、沸きたって鳥肌が立つような気がした。
この年で、中高生対象のミュージックキャンプに参加する、
冷静に考えたら、絶対にできないことだけど、避難中という特殊な状況が、
常識的な判断能力をを吹き飛ばした。

選曲は、学生の時にやったことがある『春の猟犬』。
10年以上のブランクの上に、基礎練習がほとんどできない中で、
まともな音など出るわけもない。
基礎練習の場を探して提供してくれた八王子市の職員の人。
たくさんの人に支えられて、リード氏が指揮台に立つ姿を、楽団側から見ることができた。
しかも、自分の楽器を持って、構えて、音を出すことが許されて。
1分1秒、私は、もうこんなチャンスはないだろう。
そう思うと、涙で、タクトの先が見えなくなる。
他の楽器、特に、メロディーラインを受け持つ木管楽器群に嫉妬をする。
こっちを見て欲しい。いい音を出せと要求して欲しい。

どうもトロンボーンは、本人たちは目立ちたがりやで寂しがりやなのに、
あまり目立つ出番がなかったりする。
どうかすると、100数小節休符で、最後に1音プ!で終わったりする曲もある。

『春の猟犬』は、リズム形を保つのがむずかしい。
変調、変拍子の嵐で、その上、ところどころにまとまった休符。
時々、唐突に下支えの1音。それは1st、2nd、3rdの完全な和音を要求される。
そして、最後、271小節目のG。
現役の時、私は、この音を1度もちゃんと出せたことがなかった。

満足な音が出ないまま、あこがれと夢見心地のままで本番。
ゲネプロの時のライトの熱や、スライドを7ポジまで伸ばせないほどの席の狭さ、
自分のあらゆる感覚まで、全部感じなくなる本番の空気が好きだ。

264小節目、自分のリズムを保つより、周囲に併せて刻んでゆく。
そして271小節目。
タクトの先が、こちらに向かって空気を押す。
他の楽器が疲れ切った中で、宙に抜ける音を要求される。
指揮者と目が合う。
押さず、潰れず、鋭利になりすぎない春の空気のような、
それでいて高らかに響く音。
出せと、はじめて要求される。

あとの曲目を考えれば、そして、あとの私の人生を考えれば、
きっと、要求されるのは、これが最初で最後だ。

一度も満足に出たことがないGがあたった。客席の中二階のあたりに飛ばすことができた。
この4小節、8音。
私の方を見てくれたリード氏の眼に応えることができたと思った。

この演奏会の翌年にも、ミュージックキャンプに参加した。
このときは、英語の得意な隣のパートの高校生に教わって、
自分のことを少し話すことができた。
「三宅は良い所なんだね。きっと帰れるよ。でも、アメリカも良いところだよ。」といった返事を返してくれた。

不謹慎だけど、避難したおかげで、
こんな信じられないような夢のようなことを体験できたのだと思った。
ラッキーだと思った。

アルフレッド・リード様。
あなたの曲にずっとあこがれて、あなたの曲を演奏していた頃、私は本当に幸せでした。
そして、あなたの指揮で音を出せるなんて、出したなんて、今考えても、夢のようなことです。

最初に誘いの電話をもらったとき、「え?リードってまだ生きている人なの?」と、
事務局の学生さんに聞いてしまったことは内緒です。
だって、私、とっくに歴史上の人物だと思っていたので。
音楽室のベートーベンやモーツアルトより、少し現代に近い人だと思っていたので。

本当に歴史上の人になってしまわれたんですね。
ありがとう。
これからも、あなたの曲を追い続ける子供たちを見守っていてください。

虹の橋

2005-09-24 00:56:36 | Weblog
『虹の橋』というお話がある。

blogやmixiの日記にありがちな、無断転載、違法コピー、
果ては、異なる情報をごちゃ混ぜにした結果、
事実とかけ離れた文章を事実のように垂れ流すことは嫌いなので、
文章の引用はしません。

それに、いろいろな訳があるので、それぞれにしっくりくるものに巡り会って欲しいので。



虹の橋。

私がそこに行ったとき、みーちゃんはいないだろう。
みーちゃんは、おそらく私より先に逝く誰かと一緒に、先に行ってしまったあとだろう。

考えても考えても、わからないことがある。

どうしていたら、私は、みーちゃんを愛していたことになったのだろう。

噴火の時、あの時、先に島から出さずにいればよかったのか。
結果的に、動物たちは、島外避難できた。
けれど、私が決断したときは、そんなこと、思いも寄らなかった。
島に取り残さなければならない恐怖だけしか浮かばなかった。
あるいは、噴火で命を落とすか。

5年間、動物病院に預けていればよかったのか。
三宅の動物のために設立されたペットシェルターに預ければよかったのか。

全てを敵に回して、あてがわれた避難先の団地で一緒に暮らせばよかったのか。
単身者用の狭い団地の部屋。風呂場やトイレまで入れても、三宅で猫達が自由にしていた部屋の面積の半分もない。
閉めきりの夏場はどこまで温度が上がるかわからない、地面も鳥も見えない、9階の部屋。

なぜ、人間同士の信頼はさておき、猫については、一応大丈夫と判断できる、実の父母に預けることが、
猫達を見捨て、見殺しにした、ということになったのか。
愛するということの対極にあたる行為になったのか。

避難解除前に島に入ったのは、再び猫達と一緒に暮らすために、生活の基盤を作るためだった。
けれど、それは、自由に上京して、猫達に会うことはできなくなる2年間と引き替えが条件だった。
これは、端から見たら、猫達を親に押しつけたまま、一般帰島に先駆けて、
南の島で、おもしろおかしく楽をして生きていることになっていた。

自分の意志通りにはいかない島での暮らし。当然、定められた日程以外の休みは取れない。
自由気ままに上京などとんでもない。
2人で営業再開することで多大な便宜を図ってもらっている。
これ以上、迷惑などかけられない。
自分の家で民宿業をやっていても、身分は都の1作業員。
自分の家に郵便や荷物を送るにも、「災害対策部気付け」が必要。
店名は一応あるものの、観光協会104号というラベリング。

それでも、そんな生活の中でも、強引に連れ戻せばよかったのか。
人でさえ、限界ギリギリの生活の中、何が起きても、それが猫達の命に関わることでも、
三宅に入った時点で、一緒に生活を再開すればよかったのか。

その生活の8ヶ月目の、みーちゃんの発病。
もはや、獣医がいない島では1日生きられない状況だった。

けれど、その時、連れ戻せばよかったのか。
結局獣医がいる、いないなど、なんの関係もなかったではないか。

どれが私のエゴで、どれを選んでいれば愛情になったのか、私には、わからない。

5月。
みーちゃんは逝ってしまった。
死に目にもあえなかった。姿を見ることもできぬまま、荼毘に付された。
そして、約束はないがしろにされて、三宅ではない地に埋められてしまった。

妹が連れてきた猫に対しては、必死だった母だが、私が預けた猫に対して同じだったかどうかはわからない。

子供の頃、妹のことについては必死だった母だが、私に対しては、「トイレばかり行くから」という理由で、
水や食べ物を、他人が見てわからないように、与えられなかったことがある。
「吐くのに体力を使うから」という、他人が見たらもっともに見える理由で、
みーちゃんも、私と同じように食べ物を与えられずにいたのではないか。

妹の骨折で医療費がかかったばかり、という理由で、「大したけがじゃない、病院なんか行かせない。」と言われた
中2の時のケガ。

学校の先生が心配して、病院に行くように言われたけれど、保険証を貸してもらえなかった。
1週間経って、しぶしぶ貸してもらって1人で病院に行った。
もうその時は、歩くのもやっと、見た目が人の脚ではなくなっていた。
医者に怒鳴られ、即手術。ふくらはぎの中味がほとんど腐っていた。
その後脚の形にする形成手術をしたけれど、脚の変形は残ったし、神経も戻らなかった。
獣医がいるという理由で、東京に残してお願いしていたけれど、妹の猫の時のように、
必要なときに必要なだけ獣医に連れて行ってもらえたかどうかはわからない。
親自体が、動きがとれない状況なのだから。

けれど、私がされたことを、少しは知っているはずの叔母が、「よくめんどう見ていたよ。」などという。
唯一、私の味方にはならなくとも、話ぐらいは通ると思っていた人間が敵に回った。

まあ、今更、事実など、意味のないことだ。
はっきりしたのは、私は、みーちゃんを愛していなかったということらしい。

私が虹の橋に行っても、そこには、みーちゃんはいないし、
私を待っている子はいない。誰もいない。

私は、誰も愛さないから、誰にも愛されない。
自分では、愛されなかったから、愛することができないと思いたいけれど。
もう、どっちでもいいや。

愛を振りかざして見せびらかして、劣悪な生活環境を強いたり、命を大幅に縮める事になろうとも、
誰にも託すことなくいたら、あるいは、強引に連れ戻して、私が自分の手でみーちゃんを殺していたら、
みーちゃんは、虹の橋で私を待っていてくれたのだろうか。
他の誰かと橋を渡って行ってしまうことなく、私だけを待っていてくれたのだろうか。

虹の橋になんか行きたくないな。
自分が愛していたと思っていたことが違うなんて、思い知らされたくない。
自分には愛のカケラもなかったなんて、死んでまで思い知らされたくない。


そうだ。地獄に行けばいいんだ。
私は、最初から、地獄に行けばいいんだ。

9月の連休の掟

2005-09-23 22:25:18 | Weblog
先週の今頃は、「やっぱり、もう、噴火前とは違うんだなぁ。」なんて思っていたのに。

突然できた台風。連休の三宅島を直撃しそう。
昨日の晩の船はOKだけど、それに乗って今朝着いてしまったら、
今度はいつ島から出られるかわからない。
結局、昨日、最終的には、竹芝桟橋にお客様達が着いた段階で、全員にキャンセルをしてもらった。
この場合、当然キャンセル料などもらえない。
安心して、楽しい三宅島で、いい海を見てもらうため、いつか来て下さいね、と、お願いするだけ。

噴火前の9月の連休もそうだった。いつも、いつも、こうだった。
前の連休か、後の連休か、ひどいときは両方とも、台風で潰れる。
店で誰かに会うと、「どっちが潰れるかなぁ」とか、「やっぱりダメかな。」とか、予想で盛り上がる。

食材を買うかやめるかの駆け引きもある。
島を訪れる人の人数が多いから、来てしまってから食材を確保するのは、かなり賭け。
けれど、もし来なかったら、夏と違って、他の平日の入りが多いわけではないから、
大量の食材のだぶつきに悩むことになる。

予想が外れて、船は順調で、自分の所だけお客0ということもあった。
家は、どうしても安全策に傾いているので、キャンセルを勧めてしまいがちだった。
台風がそれて、何事もなかったりすると、とても惨めだった。

そんなこんなで、台風の予想は死活問題だから、真剣になるし、うまくなる。
利八屋さんの社長や奥さん、同業者、利八屋さんに集まるお客さん達、
みんなで予想するのが楽しかった。
内緒話のように、予想材料を教えてくれる人たちに会うのが楽しみで、
もう、客は来ない、ダメだとわかっていても、利八屋さんに行った。

が、避難解除前の1年、ダイビング客はいなかったので、海の善し悪しを考える必要はなかったのだが、
船の欠航の予想は、滅茶苦茶に外れた。はずれまくった。

それは、噴火の影響で、三宅の港が沈んで、嵩上げ工事をしてもなお、以前より波に弱くなっていることや、
5年の間に東海汽船の操船者が交代して、力量が変わっていることなど、
噴火前と違う項目が生じたこともあった。
けれど、台風自体が、なにか変わった気もしていた。

そして、昨年、9月の連休に、お決まりの大きな台風は来なかった。
あんなに台風ばかりの年だったのに。

今年も来ないんだな、と思っていた。
来ないことは良いことだけど、噴火前と変わったこと、しかもそれが、
人知の及ばない、大きな大きな、地球レベルの気象のことだから、
なんだか、寂しかった。
三宅島が、知らない三宅になってしまったような気がしていた。
文章に書くと大げさだけれど、正直、そう思っていた。

それが、来た。
噴火前のように、来た。

やったぞ!
家は、元々、前の連休は人が多かったが、後の連休の入り込みはそうでもなかった。
正大さんで、みんな言っていたように、今夜の船から欠航になった。
予想、大当たりだった。
お客様達、残念だったけれど、キャンセルしてもらってよかった。

大打撃なはずだけど、どこか嬉しいのはなんでだろう。

予想が当たったこと。お客様をひどい目に遭わせずに済んだこと。
噴火前と同じ、お決まりの事が戻ったこと。

一番は、島の人達と、笑いながら、台風の予想をしあって、台風の準備の話をして、
痛いけれど、笑いながら一緒に乗り越えていけること。

台風17号、連休に来てくれて、噴火前の恒例行事を再現してくれてありがとう。
歓迎するから、被害は出さないでね。

がっくり

2005-09-15 16:42:49 | Weblog
皆様。申し訳ございませんでした。
本当に、ごめんなさい。

あれだけ偉そうな事を、さんざん書いておいて、今朝の番組、あれ、何?って
思った方も多いでしょう。
本当にその通りです。

自分で自分が嫌になりました。とことん。
三宅に帰ってきて、ダイビング業を続ける、その選択さえ間違っていたのかもしれない。

番組が悪いんじゃない。それは重要な点。
番組や放送内容には、全く落ち度がない。

問題は、なぜ、ああいった内容だということを承知で、受けてしまったか。
(私は、打ち合わせ内容を知らなかったけれど、それじゃ済まされない問題だ)
確かに、被災者・被災地としての「生活ホッとモーニング」卒業記念番組だと思った部分もある。
けれど、撮影クルーや機材が、これまでとは違って、ものすごく豪華だったことからしても、
これまでとは、別番組だということはわかっていた。

家は、ダイビングショップだよね?
ダイビングのダの字も出ないし。

海の中の映像、イルカばっかり。イルカは、御蔵島だってば。
長太郎池って、あんなもんだと思われてしまうなら、いっそ何も映らない方がいいかも。
三宅の海の映像が、なぜ、たったあれだけなのだろう。
もっと、たくさん撮れていたじゃない!
機材だって、かなりすごかったのに。


どこの観光地に、数十kmも離れた、全く別の自治体に生息している生物を、
まるで自分の所のモノのように観光の目玉としているところがある?
三宅には、三宅の特有の生物がいる。
多少の努力が必要だが、観光の目玉となる観光資源がある。
それを放り出して見向きもしないで、お余所にいる動物で食っていく。
情けないし、みっともないと思う。

御蔵のイルカを、三宅の観光資源にすることについて、
多少は、仕方ないし、許してもらいたい部分もある。
けれど、それは、三宅が三宅で出来る努力をした上で、
その観光資源が御蔵島にも貢献するモノをつくって、
ギブアンドテイクを成り立たたせれば、の話。
もしくは、今すぐは無理でも、将来そうなるように、の、努力があっての話。

なんて。
いくら、ほざいたって、自分(の店)がやっていることが、これじゃあね。
せめてもの救いは、番組構成上、前座的な位置だった事かな。
でも、こんなの言い訳にもならない。

本当に恥ずかしい。
もう店も仕事も全部やめて、全部無かったことにしたいぐらい。
申し訳ございませんでした。

明日テレビに・・・。

2005-09-14 12:49:03 | Weblog
さっき気が付いた。もう、明日だ。

明日朝8:30からNHKの番組『生活ほっとモーニング』。
三宅島と御蔵のイルカのことやります。

4年間の避難中、何回もこの番組にお世話になりました。
毎回、若いスタッフの方たちが変わりました。担当お疲れさまでした。

自分が立っている位置が見えない避難生活の中で、
自分の生活が収録されたこの番組を通して、
自分が見えて、しっかり立ちなおして、見えた方向に歩んでくることが出来ました。

今回の収録内容は、避難民、被災者、としてではありません。
三宅島の紹介です。
被災地三宅島ではあるけれど、観光地三宅島にフォーカスが移っているのです。

毎回、私はほとんど映りませんでしたが、今回は、内容についても全くノンタッチです。

そんなわけで、気になることもあります。

内容が、イルカに偏って、視聴者の方々にとられないか、という点。

イルカの映像が出ると、どうしても、ヒステリックに、イルカだけに集中してしまうことは、
もういい加減に収まらないものだろうか。

イルカは、御蔵島周辺に住んでいます。
テレビに映るイルカたちは、御蔵島のイルカです。

以前、避難中に、ある場所でこう言ったら、
噴火前にイルカ狙いで島に移り住んだ女性に、食い付かれたことがありました。
「じゃあ、絶対にイルカは三宅にいないって言うの?絶対に?
私は、三宅にもイルカはいるって信じているし、あのイルカたちは、
私のことを待っているのよ。」
半狂乱の涙目で。

しかも、彼女、その調子で、三宅島情報とか言いながら、
ボランティアの宣伝が主だったコーナーでも、なぜか、半泣きでそう主張していたっけ。

そりゃぁ、御蔵と三宅は近いし、イルカは野生動物で、移動するわけだし、
何たって海は繋がっているから、絶対に三宅にいない、とは言わない。
実際、家の2階から、(たぶん)イルカが泳いでいく姿を見たこともある。

だけど、その論法でいったら、海は北極とだって繋がっているんだから、
北極熊だっている、といえば、いることになっちゃう。ペンギンだって。

なんかね。
どうしてイルカだけ特別なんでしょう。
どうして、イルカ、というと、人々は、常識とか節度とか、自分の泳力までも見えなくなっちゃうんでしょう。

イルカが人を癒してくれる?
野生のイルカは、人間のストレスを吸収するための道具かい?
っていうか、人間同士の間で与えたり与えられたりしたストレスや摩擦を、
どうして、人間同士の間で解決しようとしない?
平日、人間同士で際限なく汚物を作り出して、
週末その汚物を、野生のイルカに処理させるって構図。

そんな、今の社会の脆弱さ、人の心の弱みにつけ込んだ、イルカ商売が、噴火前はありました。
噴火後、今のところ、以前のような『異常さ』は見られないような気がします。
先述の彼女たち、避難中に「ボの字(まる暴じゃないよ)」をつかってこしらえた、「虎の皮」で、
三宅や御蔵の業者を全部潰して、独占のイルカ商売を狙っていたけれど、
あの話は立ち消えになったのか、それとも地下で淡々と進められているのか・・・。

普通で行きましょうよ。普通で。
冷静に考えてみてください。
海の中でのイルカと人間の力関係を、一度考えてみるだけでもいい。
イルカの表情をちゃんと見てみるのもいい。
口角が上がっているから笑っているように見えるだけ。
イルカが笑っているんだったら、カツオも鯖も本当に愛らしいスマイル。
焼いちゃうとわからないけど。
イルカの目にはちゃんと白目もある。あの眼、本当にフレンドリーに見える?
あまり明るくない所の蛇の眼だって、あんなもんよ。

そして、なぜ、イルカだけが、他の野生動物に比べ、別格扱いなのか。
なぜ、そういった情報が溢れているのか。
そのあたりを考えてみると、もっと別の、大切なモノがいくつも見えてくると思います。
もちろん、イルカとあなたとの間についてもね。もっとよい関係が出来ると思う。
その上での「癒し」だったり、「お楽しみ」であれば、それはいいと思うんです。
きっと、その人達には、イルカだけではなくて、御蔵の自然や、海のこと、
そして普段の自分自身のことも目に入っているはずだから。

そして、たくさんの『冷静な』イルカファンが増えることが、
御蔵島と三宅島の健全な発展、復興に繋がるのです。

さて、明日の番組は、イルカだけではないので、他にも注目してください。
出来れば、三宅の部分。
お願いします。

さといも

2005-09-13 22:14:33 | Weblog
避難解除後、はじめて、「島で穫れたサトイモ」を見た。

正大で、大きなかごの中に、残りがたった一袋だけだった。

島のサトイモは、ヌルヌルしない。

切りながら、避難解除後すぐに、清漁さんから、清漁家の女衆らが作った
「島おじや」をもらったことを思い出した。
ほくほくのサトイモが入っている。島あさりも入っている。
ハンバのりも入っている。アシタバも入っている。
島の美味しいものだけを全部集めて、島おじや。
おいしかったな。
自分は1年以上前から島にいたのに、その時、はじめて島に戻ってきた気持ちになった。

避難解除後のサトイモ。
私は、はじめて見たけれど、
島の中ではきっと違う。

自分の家で作っているサトイモ。
避難中、一時帰宅の度に世話をしていた家もあるから、
家は、遅いほうだろう。

初サトイモ、万歳!!

最近、島の生活に、だんだん当たり前のことが多くなってきた。
たくさんもらった白い島のカボチャで、お月見の日におまんじゅうを作ろう。
そんな、6年以上、思うことさえ出来なかった日常が、
なんのてらいもなく、あたりまえに、流れていく。

あとは、尾赤ムロだけ。
尾赤ムロを食べたい。
さば子が釣れているから、きっと、もうすぐ。

そして、お正月には、さつまの、芋餅だ。

2005年9月12日

2005-09-12 11:49:25 | Weblog
かくして、今日から『戦前』となる。

いや、『戦』などという、古い概念通りのことは起きないだろう。
今の私には、それが何なのか、想像もつかない『事』へのフラグがたった。

今日から?
ちがう。
昨日、選択肢がなかったという事実。

いつの間に、選択肢が無くなってしまったのだろう。
ちがう。
無くなったのではなく、『無くした』のだ。

それはいつ?
わからない。

『無くした』?
ちがう。
私達は、選択肢を『捨てて』きたのだ。

マスコミが、急に小泉賛辞一色になったのは、なぜ。
日本国中、一致団結、郵政民営化大賛成になったのは、なぜ。
それなら最初から、解散も選挙もいらなかったのでは?

なぜ、1晩明けたら、敵対していた政治家から、団地住まいの主婦まで
『小泉万歳!!』になっているんだ?

それらを、私以外の誰1人、不思議に思わないのはなぜ?

何年前から、母子の会話に「日本に生まれてきてよかったね。」という会話が無くなった?
何年後から、「日本に生まれてこなければよかった。」というひとりごとが呟かれるようになる?

避難したばかりの頃、密かに、一瞬だけ、
けれど、心から思った「子供がいなくてよかった。」。
いつの日か、また、私の人生の中で、そんな思いがよぎる日が来るのだろうか。

いや。
国のための(兵)力になる子供を生まなかった反逆者として、
ある日突然処刑されるまで、
何も気が付かずに、何の思いもよぎることなく、過ごしているのだろう。
これまでと同じように。