それからの三宅島 普通に復興の日々

2005年2月1日、4年5カ月ぶりに避難指示解除になった三宅島に住んでいる、みゃるの日々の独り言です。

とりあえず

2005-10-31 22:56:48 | Weblog
島に帰ってきました。ただいま。

はあーーーーーーーーーーーー。
疲れた。本当に疲れた。

島に帰ってくる前、東海汽船に乗って、自分の席のカーペットに座ったとき、
「あー。ようやく帰れる。」と思ってしまった。

噴火前、東海汽船のカーペットに座ると、
自分の家に帰ってきたような気になったけれど、
あの時と全く同じ感覚なのが不思議。
一時帰宅の時や、IDカードを持っての入島の時は、全く感じたことがなかったのに。

めちゃくちゃ具合が悪くて、東海汽船の券売り場の人に訳を話したら、
静かそうな船室の、はじっこの席にしてもらえた。
そうしてもらえなかったら、本気で倒れちゃってたかもしれない。
もしくは、暴れちゃったかもしれない。

はぁ。
やっぱり島は良いよ。
ガスが出ているところは臭いけれど、空気がきれいなんだと思う。
深呼吸するのに抵抗がないし、鼻の穴も黒くなったりしない。
最近は、水もそんなに悪くない気がする。
魚おいしいし。
自分で料理してまでも、そう思うんだから、やっぱりカツオのたたきはおいしい。

東京は、気分転換には良いけれど、休みにはならないみたい。
若い頃は、気分転換=休みになったけれど、もう今はダメなのね。

週末のお客様を見送って、客間を掃除しながら、
本当に久しぶりに、客間でゴロゴロしてみた。
窓いっぱいに空。島の冬の空。

今度は、自分の家の客間ひとつひとつに、
1泊づつ泊まる休暇を計画してみよう。
全部で8部屋なので、8日間。
開店してから10年経ったけれど、今まで一度も客間で寝たことがない。
そんなのが、案外いい休暇になるのかもしれない。




休み?

2005-10-14 21:01:52 | Weblog
明日、予定を少し繰り上げて上京することに。
台風がこっちに来そうなので。

上京はいいけれど、なんにも準備ができていないよ。。。

とっとと準備すればいいんだけど、治療で飲み始めた薬の副作用がきつくて、
38℃の発熱と失神するような傾眠症状。頭回りません。

避難団地の部屋がないから、ジプシー生活で用をこなしていかなきゃならないので、準備の怠りと忘れ物は命取り。
しかも、例の一大イベント、同窓会があるので、ふだんの生活から考えたら、
まるで仮装大会のためのような荷物が加わっている。

海が大荒れで、週末のお客様にはキャンセルを勧めて、了承いただいた。
今後一生、どうしてもその日しかないというのなら、いざしらず、
今日時点の三宅の海は、お金を払って潜る海じゃないと思う。
伊ヶ谷がダイビングポイントとして、ほとんど使えなくなってしまったのは痛い。

そんなわけで、休みが増えたわけだが。
この状況で、東京に行くっていってもなぁ。
かといって、横になっているのも辛い時間帯があったりするので、
何もしないで寝ているのも辛いわけで。

休みたいとか、東京に行ったら何をしたいとか、
そういう気持ちはもうとっくの昔に、摩耗しきって消えてしまったので、
自分の気持ちを休みモードに切り替えることができない。
こういうのを、ワーカーホリックっていうの?ちがうか。

うーーん。だめだ。荷造りしよう。。。

やられ(てい)た。

2005-10-07 00:36:09 | Weblog
たった今。停電から復活。

正確には停電じゃなくて、客間、フロア、事務室、厨房の主要部のブレーカーが
落ちたまま戻せなくなっていた。
停電には慣れているので、いつもと同じように、非常灯がついている間に対処しようとしたら、
自宅側と別棟側は電気がついている。
ということは、主要部のどこかの漏電だ。

配電盤と格闘。1つ1つ切ったり入れたりして、どこがダメなのかを調べたが、
根本的にダメ。
三宅の東電に電話したが、当然人はいない。仕方がない。もう22時をすぎている。

電気が来ないことの対応は、自宅側の電源が使えるので、問題はない。
ドラムリールコードも持ってきた。
問題は、原因だ。
漏電。一番怖いのは、火災。

東京の東電に電話をしてみた。
まず、自分で何ができるか尋ねてみる。けれど、状況は絶望的。
すると、人をこれから来させてくれるという。
もうすぐ23時だというのに。。。

来てくれたのは、神着の電気屋さん。浅沼電気商会さんだった。
避難中、ずっと三宅の浅沼電気商会として、カレンダーを島民に配り続けてくれた人。

9月からの東京の避難生活。
街がクリスマスだ正月だと浮かれるのに反比例して、暗くなる気持ち。
そんな時に、同じ島の人が、自分の会社の名前を入れて作ったカレンダー。
自営業の精一杯の心意気だ。
そして、それが、どんなに励みになったか。
恨めしい思いの『来年』が、三宅島の名前が入った、このカレンダーのおかげで、
がんばって乗り越える『来年』になった。

離ればなれの団地に暮らす島民の部屋には、
いかにも銀行らしい、実用本位の七島信組のカレンダーと、
美しい千代紙のような模様の浅沼電気さんのカレンダーがあって、
三宅島のカレンダーを見ながら避難生活を送ってきたのだ。


さて、どうにもこうにもブレーカーは上がらない。

この先、私は、現場を見ていない・・・。

配電盤を開けた。そうだ。
裏にネズミのフレッシュな死体があったそうだ。
そんなモノが配線に引っかかっていたら、絶対にブレーカーは上がらない。

23:40分。復旧作業終了。
別のことをやっていた私は、顛末をきいた。
さすがに写真は撮らないし、UPもしないけれど、
ネズミを見た。しっぽまで8cmくらい。
普通にしていたらブローチサイズ。普通だったら、まあまあかわいい。
けど、感電のせいか、変に腹がふくらんでいる。それに臭い。
以前、行きがかり上、素手で握りつぶしてしまったネズミは
もう少し大きかったけれど、こんなに臭くなかった。

電気復旧。
炊飯器&ジャーの大移動も、冷蔵庫の電源変更もしないで済んだ。
電気ってありがたい、そうじゃなくて、
こんな夜中に助けに来てくれる地元の電気屋さんがありがたい。
それに、手配をしてくれる東電って、やっぱりすごい。

無理矢理ブレーカーを何度も上げたせいか、
小さなネズミの身体には、通電でできたであろう、
火傷の爛れのハゲがいくつもできていた。
今夜、来てもらえなかったら、まかり間違ったら、
火事だったかもしれない。
しかも事務室に配電盤があるので、家屋の真ん中から、
一番燃えやすいモノばかりの所が火元となったかもしれない。

それにしても。
やっぱり、ネズミが入っているんだな。
時々、厨房の流しの上、天井のあたりから、
臭うような気がすることがあった。
ちょうどトイレの配水管が通っているので、
それが漏れているのかと思ったけれど、水漏れの痕跡がないので、
気のせいだと片づけられていた。
あれは、ネズミの糞尿だ。

人が生活する部屋の内法部分にはネズミはいないが、
天井裏や、噴火の時の地震で、壁と壁の間の断熱材が落ちて空洞になっている所を
伝わって移動しているのだろう。
どこから入ってきているのかはわからないが。。。

10年前に新築で建てたとき、詐欺といってもいい、とんでもない施工をされてしまった家なので、
あらゆる所に手抜き、材料浮かせがあるから、小さなネズミが入ることなどたやすいだろう。
ましてや、今は、人の出入りもあるのだから。

一度ネズミが入ると、もう、ほとんどダメなんだよなー。
まいった。
また、あのネズミとの戦いの日々が始まるんだろうか。

そうそう、このとんでもない家を設計した設計士と建設会社は、
まだ東京で、のうのうと営業を続けているのですよ。
防火戸の開閉部と階段の1段がぶつかって、結局防火戸が使えないとか、
ドアノブを持ったままドアを開けると、変な所に立っている柱に手がぶつかったり挟んだりするとか。
材料のピンハネで、6畳の部屋が、面積的には普通の家の4畳半くらいしかないとか。
それで、引き渡しの時、変な所を指摘したら、ヤクザ顔負けの脅し。
これが、私が小さい頃から家に出入りしていて知っている、
親の代からずっとつきあいのある会社、社長かと思ったら、泣けました。
リフォーム程度のつきあいじゃなかったのに。

なんで、こんな奴らが、幸せに営業を続けていられるんだろうな。
こいつらがはびこっていられるなら、
東電の社員さんとか、浅沼電気商会さんとか、まじめにちゃんと相手のことを思って、
誇りを持って仕事をしている人達が、もっともっと評価されて、大事にされなきゃいけないんじゃないだろうか。
社会がね、もっと善悪の判断をちゃんとしなきゃ。と思ったのでした。

つくってみました。

2005-10-05 22:13:45 | Weblog
西野さんの畑で穫れた島唐辛子を頂きました。

島唐辛子は、三宅では、カツオのお刺身などの時に使います。
輪切りにしたり、細かく刻んだモノをしょうゆに入れて、それで食べます。
激辛です。
気候的にわさびができないところなので、薬味として使われてきたのでしょう。
たぶん、島の気候、島で獲れる魚に、味覚的にも、薬効的にも、
一番合う薬味なのだと思います。

で、この島唐辛子を、もっと身近にできる用途はないかと考えてみました。
そう、島で収穫できる農産物を、島の中だけの限られた消費だけにしておかないで、
たくさんの人に欲しがられるような、製品化、商品化できないかな、ってことです。

島唐辛子そのままでは、食品として勝負するのは、一般的には、辛すぎるので、
厳しいモノがあります。
刺身の薬味として使うにしても、チューブのわさびとか、他の調味料・スパイス類には、
手軽さの面で負けてしまうので、食卓に置いて使えるものを考えました。
といっても、最近の東京のご家庭には、
食卓に調味料がおかれていない家が多いそうですね。うーーん。

で、写真の一番左、沖縄地方のコーレーグースにインスパイアされて、
(うわ!やばいぞ。この言い方。)
こんなモノを作ってみました。

ちなみに、我が家で今使っているコーレーグースは、
久米島産で泡盛につけたモノです。
見た目の美しさ、かわいらしさ、最高ですよね。
私は、仕事柄、極端な刺激物やスパイス類はとれないので、味を知りませんが、
これは、お客様に出すと1ビン1日でなくなります。
朝ご飯から使っている人もいました。よほどおいしいのでしょう。
でも、その消費ペースには、とてもついていけないし、美しさを愛でる人もいないので、
今は自分達だけで使っています。

今日作ってみたのは、3種類。
神津島の焼酎、盛若漬け。しょうゆ漬け。酢漬け。
明日、オリーブオイルを買ってきて、オリーブオイル漬けも作ってみます。
コーレーグースに比べて、かなり辛いモノができあがりそうです。ちょっと不安。

呆れるほどささやかだけど、三宅島の新しいお土産になればいいな、
農業をやる人が島唐辛子を作って、それをビンに詰める人がいて、売る人がいて、
そんな風に、新しい産業になればいいな、なんて夢が広がります。

なーんて、夢の世界に行っちゃってたら、
悪いことには異常に知恵の働くヤツが、
「年寄りに作ってもらうことになるんだから、
名前は、コーレーグースじゃなくて、『三宅島こーれーでーす(高齢でーす)』で決まりだな。」
だって。

はぁーーーーーーーーーーーー。

明日、辛くなっているであろう酢漬けを一ビン飲ませるか。

今。

2005-10-04 22:50:06 | Weblog
今、久しぶりに、警報が出た。
坪田高濃度地区に5ppm以上。

夏場は、高濃度地区以外にも出ていることがあった。
阿古や坪田で5ppmということがあった。

家の周辺、家は地図上では、伊豆・神着地区。
警報は出たことがないが、その時によって、高感受性者注意報レベルの0.2ppm程度でも、
高感受性者ではない私が咳き込んだりしたこともあった。
かといって、0.2ppmでいつもそうなるわけでは、当然なくて、
そうなったのは、今までに2回だけだ。
いずれも窓全開だったので、窓を閉めれば、すぐに何事もなくなるのだが。

その2回については、なんとなく、二酸化硫黄じゃなくて、
違うガスだったんじゃないのかなぁ、と思う。
二酸化硫黄が2ppm出ているところでも普通は、「臭い。」ぐらい。
けれど、その2回は、「臭い。」より先に咳が出る。
で、臭いも全然違うと思う。少なくとも私は違うと感じた。


それにしてもこんな夜中に、坪田高濃度地区には、
人がいちゃ、いけないことになっているんじゃなかったっけ。
お決まりのテープ放送だから、仕方ないけれど、
「伊豆避難施設へ避難してください。」っていうせりふは、どうなのかなぁ。
なんか、気が抜けちゃう。
で、つい、前述の、意地悪なつっこみをしたくなっちゃうわけだ。
「こんな夜中に、元の住人がいない地区をうろつく不審者なんか、ガス吸って倒れろ!」とかね。
(実際は、二酸化硫黄を吸って倒れるのは、三宅島では、ほぼ不可能だという話だから言えること。)

でも、最近は、元の住人がいることもあるのかもしれない。
それだったら必要な放送だし。
あとは、通過する人だけど、それは、車の窓を閉めればいいことだし。

『原則、人がいない高濃度地区の放送はいちいちするな!』という声も
一時期あがったけれど、
私は、それはそれで、どうかなぁ、と思う。
自分が三池地区にいたから、ということもあるかもしれないけれど、
ガスが出ている現実をもってして、高濃度地区は、三宅村の構成地区のひとつだし、
自宅の補修や、作業で、その地区にいる人もいるわけだし。
夜中の放送を、逐一することはないとは思うけれど、昼間の間は、ちゃんと放送はすべきだと思う。
放送をすることが、高濃度地区を村全体で見捨てていない、ということに
繋がるような気がするから。
ま、最近は、高濃度地区で作業をしなくてはならない島民が多くなったのか、
「高濃度地区の放送をやめろ」という声は聞かれなくなったけれど。


避難解除前には、一切なかったガスの放送。
この放送が始まったおかげで、私は、島内のどの地区にどんな様子で
ガスが出るのかを知ることができた。
つまり、解除前の1年間は、自分でガス検知器を持ってはいたけれど、
島全体のガスの排出については、全く知らなかったのだ。

だから今年の2月、正直、こんなにガスが出ているんだー。と思った。
すぐにうんざりしちゃって、放送に対する注意力も落ちてしまったが。

で、最近では、島の人達は、地区別の、機械的な分け方で出されるガスの放送よりも、
もう、自分の感覚や体調、経験で、ガスへの対処をはじめているので、
せめて、地区をもう少し細分化するとか、何かいい方法がないかなぁ、と思う。
放送が現実とずれていることが、ままあるように思う。
放送も、回数が多すぎて、白状してしまえば、私自身、もう、高感受性者の放送など、聞こえていない。
もちろん、お客様に、高感受性者がいないからなのだが。

ところで、環七とか、環八とか、熊野町交差点とか、連休の高速道路とか、
そういう、渋滞の有名な所の二酸化硫黄濃度って、いくつぐらいなのかな。
どうせ本当の事は、公表されないだろうから、
ガス検知器を持っていって測ってみたい。

10月1日

2005-10-01 23:54:33 | Weblog
今日は、本当にいろんな事があったなぁ。
ここのところ、すっかり普通の生活になってしまって、
あまり目新しいことがなかったような気がしていた。
いや、私があまり外に出なかっただけかも。


1,今日からヘリコミ定期空路復活!の村内放送が入った。
私はヘリコミに乗ることはないけれど、噴火前にあったモノが復活したんだもの、
へーー、っと思いながら、聞いていた。


2,三宅小中合同運動会!
小学校中学校の運動会だけど、地区の競い合いもあるし、
なぜか、支庁とか警察とか役場とかの、大人の出番があるということらしい。
朝9時に村内放送が入った。大人の招集がかかっている。気合い入っている。
私も、参加はできないけれど、実は、内緒でほんのちょっとだけ、
参加、というより、本当に少しだけ関わることができた。
それが嬉しくて嬉しくてしょうがない。

11時前に、運動会会場に行ってみた。
校庭では盛り上がっている、かなり真剣に盛り上がっている。
随分人も来ている。観戦なのか参加なのかはわからないけれど。。。
なんだか、良いな、こういうの。けど、どこにも車を停められない。
ウロウロして、誘導の先生に案内されて、進むと。。。

ところどころで、大人が倒れているぞ!
コンクリが打ってある外階段や、地面に寝ている人が・・・。
なんか一緒に黒猫まで寝ている所もあるぞ。
車で進むと頭だけ上げてこっちを見たりして。

大変だ。大人たちは、この5年間で完全に身体が鈍ってしまったのだろうか。
午前中に、ばてているんじゃ、新たな人員が投入されないと、
午後まで持ちそうにない。。。

って、ただ、休んでいるだけなのかなぁ。
今日は、なんだか暑いし。
良いお天気でよいけれど。

噴火後初の合同運動会。噴火前と同じように、島の人だけでの運動会。
いつか、私も参加できるかなぁ。一度、パン食い競争というモノをやってみたい。


3,運動会の帰り、都道のど真ん中に、変なメジロが。
脚が、アスファルトに張り付いたみたいに、不自然に動かない。
一度は通り過ぎたけれど、気になったので、バックして見た。
やはり変。細い脚で立っているけれど、動かない。

とにかく、このままでは、1台車が来たら、確実に轢かれるので、
移動させようと車を降りて近づいた。

轢かれたのか?と思ったけれど、そんな様子もない。
口が激しく開けっ放しで、赤いものが見える。血かな?
内臓をやられていたら、ちょっとダメかも。。。と思いつつ、
今日は、お客様の中に鳥に詳しい方がいるので、その人を当てにして、連れて帰ることにした。

手を差し出したら、フラフラ乗ってきた。手乗りか?こいつは?
でもなんだか変なので、そのまま急いで、車へ。
運良くこの間、1台も車は来なかった。
助手席に置いたとたん、脱糞。
おい。ずっと道路にいたんだから、先にしておいてよー。

家に着いたら、なんだか少し様子が、普通の鳥になっていた。
お客様に聞いたところ、脳震盪だということ。
すぐによくなる、ということで暗いところで休ませることにした。

箱に入れようと見たら、大きな赤い実の塊が、助手席にボテッとあった。
メジロの口は閉じていて、元気になっていた。
主人が、「何、変なモノあげたの?」と聞く。
死にそうな鳥に餌なんかやるわけないでしょ!
赤い実の塊、メジロが吐いたんだ!
フンの次は吐瀉物か。。。

脳震盪じゃなくて、本当は、がっついて食べたこの実で、窒息しそうだったんじゃないの?と、ちょっと疑った。
心配した口の中の赤いモノは、この実だった。

いったん箱に入れたけれど、眼が正気に戻ってきて、飛ぼうとしたので、放した。
ちゃんと飛んでいった。
それなら、こんな所に連れてこないで、さっきいた場所で様子を見ればよかったなぁ。
きっと自分がどこにいるかわからなくて困っているに違いない。


4,国勢調査だ!
4年前、東京に出てすぐに行われた国勢調査。
あの時は、三宅村はどうなるんだろう、という話で持ちきりだった。
結局特例的な措置が執られて、三宅村は、在ることになって
三宅村として国勢調査をやった。
今は、めんどくせーとか言っているけれど、
前回の時は、本当に不安だった。

三宅村の村民として、自分が生活をしているところで、自分の本来の生活で、
ありのまま国勢調査に参加できるということ。
それは、当たり前だけど、当たり前でなくなるときもあるものなのだ。

でも、まだ記入していない。すみません。
こんなブログ打っている暇があるんなら、記入しろって。


5,交通安全運動が終わった!
毎日放送が入っていた、交通安全運動。
別に、始まったから、終わったから、といっても、何も関係ないけれど。。。
放送の中で『~各種取り締まりを実施しております。』というフレーズがあって、
どうもそこが、スーパーかなんかの売り場の放送みたいで、ちょっと笑っちゃってた。
三宅の取り締まりって、『各種』っていうほど種類あるのか。。。


6,リーフチェック。
皆様、お疲れさまでした。


7,村道ナダード線の草刈り。
とうとうはじまりました。
もう、草木が生い茂りすぎて、道幅が3分の1ぐらいになっていたから、ありがたい。
あのままじゃ絶対に車の正面衝突が起きる、それぐらい見通し悪かったし。

けど、きっと、鳥たちが激減するんだろうな。。。
神着よりの方も、ジャングルだった所が、開墾されて、明るい日差しが降り注ぐ農地になっている。
しかも一瞬でそうなった。
おまけに、観光ホテルの後ろ側が取り壊されて更地になろうとしている。
最近、カラスバト全然見かけなくなった。
代わりにカラスが来るようになってしまった。
来年は、どうなっているんだろう。。。


他にも、あったかな。
忘れちゃった。
忘れてしまうような細かいことが積み重なって、
それが、普通になるのだろう。