それからの三宅島 普通に復興の日々

2005年2月1日、4年5カ月ぶりに避難指示解除になった三宅島に住んでいる、みゃるの日々の独り言です。

被災者ハラスメント/被災地ハラスメント

2005-05-29 22:43:10 | Weblog
どなたか。

災害・被災に興味があり、人権問題に明るくて、正義を大切に思っていて、
三宅の被災者の相談に乗ってくれる、
そんな、法律に詳しい人や、相談窓口を教えてくださいませんか?

「支援」という言葉の下に、煮え湯を飲まされても、
笑って「ありがとう」「感謝します。」と言わなければならない、
被災者を、被災地を助けてください。

電話番号を無断で流用されたことを指摘して、
「人員の配置、仕事のやり方を考えて欲しい。」とお願いしたら、
帰島後はじめてできたタウン&ハローページから、名前も電話番号も、全て削除されました。
噴火前は、広告も出して、番号も有料分まで出していたのに。
電話帳を作っている部署は、避難中、島民連絡帳を支援団体の要請で作ったところと同じとこ。

もちろん言い訳はもっともらしいことを言われました。
だけど、電話帳に載せるかどうかの聞き取り調査なんてなかった。
広報に織り込んだというチラシは、単なる調査票。
既に電話を島内で使っていた我が家には関係ないことにしか見えなかった。
家は、1年以上前から島内で電話を使っていて、ADSLもなかったから、
それはそれは、莫大な電話料金を払っていたのに。

島内で、一斉帰島に1年も先駆けて営業再開しているのに、電話帳に名前も番号もない。
これがどういう意味にとられるか。
三宅島を捨てたと思われるんだよ。店を閉めたと思われるんだよ。
電話帳に番号を載せないことの意味は、東京のそれとは全く違う。
それを熟知して、の、やり口?

でも、こんな事は序の口。
もっと知りたいことはたくさんある。

なんで高濃度地区に、選挙対策のポスターがべたべた張ってある?
もちろん許可は取っているのだろう、張ってある家の許可も。だから、違法じゃない。
でも、家の顔である看板に張ってある家の、支持政党はそこじゃない。

住人でさえ、立入禁止区域なのに、選挙活動はしていいの?
変じゃない?なんで?住民の気持ちは、どうでもいいの?
それとも、ボランティアを独占で送り込んで、「支援」したから、当然歓迎すべき?

まるで、領地占領成功の証のように、ぶしつけに立てられる赤いのぼり旗と同じで、
島の人はみんな不快に思っている。
だけど、「支援」されているから、我慢しなくちゃいけない。

けど、その「支援」だって、誰が要請した?
新宿の高い塔のどこかで、被災地・被災者不在の席で決められたことじゃないか?
しかも、その塔の中の人達でさえ、多くの人が、
三宅島の灰取りは、行政主導で事業としてやるべき、と、三宅のことに心を尽くして、考えてきたというのに。

力で黙らされて、踏み込んできた者達の言いなりになるしかない。
嫌だ、と言えば、仕返しが待っている。
黙ってうつむけば「やって欲しいと言ったからやったんだ。」「やることに意義がある。」
「やらない善より、やる偽善」。
ふざけるな。偽善は、やる側の隠れ蓑の言葉。
やられる側にとっては偽善なんてものはない。それは悪だ。

強姦と同じだ。強姦する者は、皆「相手にその気があった、無理矢理じゃない。」という。
強姦される側は、自分の尊厳を捨て、可能性を捨て、未来を捨て、
何事もなかったかのように口をつぐむ。

レイプオブミヤケ。ヘルプミー。ダレカタスケテ。コノママデハ、コワサレル。

壊されるのは、三宅だけじゃない。
日本の善意も良心も、あらゆる被災から立ち上がろうとするための意志も、
立ち直りを手伝うための努力も研究も、全てが踏みにじられ破壊される。

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4 コメント

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やって「あげている」・・・ (あかきょん)
2005-05-30 11:51:28
ボランティア、支援、それに携わる人の無意識の「驕り」なのでしょうか。

「やって『あげている』んだから、口出ししないで」とか…? 拝読していてせつなくなりました。



資金、援助、権限。そういうものを持っている人(団体)が優越的な立場にいて、持てない人が虐げられる(失礼な表現でしたらお許しください)のは、昔からの社会構造でもあるけれど、理不尽で解せない部分もあります。



まるで「資金」「援助」をチラつかせ、言うなりにされている感じ…。



被災者・被災地への人権問題ケアに関しての窓口は、ごめんなさい。わからないです。

でも、過去に罹災した地域(阪神・福岡・奥尻島・山古志村)などのボランティア団体窓口や市町村窓口で、何か参考になる情報は得られないでしょうか?



あまりお役に立てないコメントですみません…。
される側の論理の不在 (みゃる)
2005-05-30 22:15:02
あかきょんさん、コメントありがとうございます。



まず、日本の災害ボラは、「ボランティアをする側の論理」だけで、押し進められてきていて、

「ボランティアをされる側の声」が、全く無視されている点が、問題なのだと思います。



また、ボランティアが、「相手の立場に立って、考えてみる。」という、

人間として当たり前のことが欠落している事もあると思います。



被災していない人が、自分が被災したらどうだろうか、ということを考えるのは、

いくら真剣に考えても限界があります。

ならば、相手の声を聞かなければならない。

それは、本音で言えば言うほど、耳障りなことの方が多いかもしれないけれど、

普通の生活で、人間同士深くつきあうときには、相手の話を聞くのは当然のことのはずですよね・・・。



でも、今の「災害ボランティ屋」たちは、自分達のボラ活動の成果を謳うことばかりに必死になって、

被災者が自分達と対等な人間であること、被災地がひとつのコミュニティであることを、無視して、

自分達のプロジェクトを推し進めることに躍起になっているのです。

今では、元々の島民を、おとりというか、誘導役にして、島の人を誘うという事をしています。

誘われたり、頼み込まれたりした人達は、断れません・・・。

自分は必要なくとも、支援が必要と思われる仲間がいるから・・・。



実は、私も避難中ボラ関係にいたとき、ベテラン災害ボラ屋の人に、

台の上に置いたコートを床に落とされ、汚い靴でさんざん踏まれてぐちゃぐちゃにされたり、

個人のパソコンを持ってこいと言われたので持って行ったら、

中から勝手にデータを出されて悪用されたり、

同じフロアの都の関係機関の人達に驚くほどの誹謗中傷をながされたり、と、

いろいろありましたが、

支援が必要な三宅の人達を人質に取られていたので、泣き寝入りしました。



こういったことの相談窓口は、ボランティアに関係しているところは、ダメですね・・・。

ボラ屋のバックからお金が出ていて、実績の分け前もあるわけですし。

ボランティア側からの見方しかできないので、

被害を訴える=ボランティアの悪口を言って活動を妨害している、

と取られ、余計に陰湿な仕返しをされることでしょう。



今の日本では、「支援」「ボランティア」と謳えば、人殺しをしても許されますね。

一人一人が考えていないから、ボランティアが被災者を殺しても、

「よくやった」とか言うんでしょう。

それで、被災者側は、「ありがとう、感謝します。」っていわなきゃいけないんだろうな。



今、島では、行政主導の信頼できる事業としての灰取りがなくなってしまったから、

ボランティアにお願いするより他がありません。

そういうことに、してしまったことが問題です。



実際に手伝ってくれるボランティアの人達には、心からのありがとうという気持ちです。

中には、どうしてこんな人を?という人もいます。

けれども、この人達だって、自分達と同じ被害者です。

被災という貴重な機会の、業績の積み上げ、権力抗争に利用されているだけです。



こんな社会で、みんな、いいのかな。

悲しいお話ですね (ピクルス)
2005-05-31 19:27:42
新参ものですが、いつも拝見させていただいてます。おじゃまします。



本当に、切ない話だなと思いました。

人情深さや、感情に敏感なとこが日本人の良い所なのに。



ひとり一人の思いやりは、団体や組織になると本質を見失うのでしょうか?



全然別の話になりますが、以前障害者の介護現状についての本を読んだ時、介護を受けている障害者の方が、

「表情でも声も出せないが、やっぱり見ず知らずの人に体を拭かれるのは、恥ずかしいし、屈辱的な時もある」

と言われていたのを思い出しました。



一番に考えなければいけない、相手の「幸せ」や「心地よさ」、がどの場所にあるのか、どんなものなのか、

ポイントを外されると逆効果ですよね。



本当は、第三者が気づかなければならないのに。



全くの意見でお役に立てず、すみません。

どうにかして、こんな声を世間に知らせたいですね。
Unknown (みゃる)
2005-06-01 21:53:35
ピクルスさん、こんにちは



私も、以前、視覚障害のある方に、

「どうしてみんな肘を持って誘導しようとするんだろう。

それって、目が見える人の都合で、見える人が、やりやすいようにそういっているだけ。

目が見えないけれど、(どうして欲しいか)人によって違うのは、見える人達と同じなのに。」

といわれ、自分が凍り付くほど恥ずかしかった覚えがあります。



支援する側とされる側が、まるで、施しをする者とされる者の関係のように、

力の上下関係になってしまっているのが、いけないのだと思います。

この時点では、どちらの側が悪い、というのではなく、

日本のボランティアの推進の方法が間違っているのだと思います。



阪神大震災で、災害ボランティアというのは、

大変なうまみがあるということに気が付いた人達が、

この、間違ったボランティアのやり方をうまく利用して、

組織を作り、政治に介入する方法にしてしまったことが、

もっと広く知られなくてはいけないと思います。



私は、「災害ボランティ屋」という造語を使いますが、

もはや、「屋」なんてかわいいものではなく、

その組織は、まるで大犯罪を起こす直前の

オウム真理教のような様相を呈しています。

純粋にボランティアをしたいという人の気持ちを利用して

成り立っているのだと思います。

ですから、個人の気持ちが集団になって変成するというよりも、

個々の良心を組織のの中枢が自分達の利得に使うために、

本末転倒な結果を招くことがあるのだと思います。



どうしたらいいのか。。。といえば、

とにかく、公の機関で、ボランティアに関する被害相談を受ける窓口を作ること、それにつきるかもしれません。

今のままでは、悲惨な災害ほど、災害ボランティ屋のビックチャンスとなり、

被災者は蹂躙され続け、被災地はコミュニティ機能を奪われて食い散らかされて終わり、ということになるでしょう。