安直日記

あんまむじぃこと考えず、こつこつ書いていけたらなと思います。

ヘルタースケルター(含:ネタばれ)

2012年07月16日 | Weblog

なにか書き残したいので。

 

ヘルタースケルター 講評

岡崎京子氏原作の漫画を映画化した作品。消費主義や華美過剰な風潮を揶揄しているが、この映画そのものがファッション産業や美容産業の支援なくては成立しないという、大変に気の利いた作りになっている。

画としての美の追究はとめどなく、VFXなど映像的な視覚効果も効果的に使っているもの、それ以上に静物画として一つ一つの場面が成立するようにできている、図柄の構成そのものに美が映し出されている。トイレで吐瀉物が巻き散らかされているところも遠巻きに撮ってあったし、目を刺して血が吹き出るシーンも、おぞましさより醜悪さを美しく表現できるように努めていたように見えた。


沢尻エリカ個人については、やはり圧巻としか言い様がない。昔から芝居がかった話し方が気にかかるところがあり、そこは変わっていなかったが、映えるために最も必要な一つひとつの「仕草・表情」にかけがえの無さを感じる。濡れ場も、ドスの効いた気迫ある一声もカッコいいが、美容整形の後遺症として出てくる黒いアザを見つけたシーンには、ビクビクと脈打つ鼓動が響いていくるような切迫感や戦慄があった。一回目のシーンの、どうしようもない不安感と恐怖を表すことと、二回目の最後通牒として自分で受け止めるシーンの崩れ方の対比も興味深い。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだぁれ?」で始まる冒頭のシーンの恍惚とした表情は、自意識の塊とされている沢尻本人の「世間のキャラクター」をうまく利用している(でもあそこまで悦に入った演技をされると、自意識過剰は本当じゃないかという気がしてくるが)。他にも、薬漬けになっていく様子も描かれているが、少し気にかかったのは桃井かおり演じる事務所社長も注射器を受け取っているが、アレは社長が使うんではなく、本人に渡すためのものか!(と書いていて今気づいた)。話がそれたが、薬漬けになるところもこの映画のプロモーションが本格化したあたりに、大麻使用疑惑なんて出ていたけど、根も葉もないうわさをステマしたのか、本当にやっていてリークしたのか、いずれにせよタイミングが良すぎるよなと思う。個人と役柄の絶妙なリンクで引き立てられている。
最後の歯並びのアップで終わったのはなんだったんだろう?

事務所後輩の期待の新人として入ってくる、水原希子もすでにその存在感を確立しているなと思った。「ノルウェイの森」を視聴した時にも、主役級の輝きを見せていると思ったが、本作でも同様の印象を残せている。沢尻がバリバリに化粧を重ねている姿と対照的に、ナチュラルメイク、素直さで好印象を持たせるキャラクターとして登場するが、そこは流石ということで、一面的な扱いでは終わらない。「所詮、私たちは欲望処理装置」という言葉を水原が言うが、そう扱われている当人たちが演じている(沢尻や水原)というのが、冒頭で述べた美容産業やファッション産業による犠牲者を身をもって体現させていて、これまた興味深い。
「モデルなんてみんな吐いているから」とか、一言挿入で入ってきたり、実際、自分自身で花やしきのトイレで吐いた後、なぜかポッキーを咥えている姿は、この映画がとりあげる各種の「矛盾」で成り立つ現状の安定(結果としての雑誌モデル、映画、ドラマなどの娯楽産業)を象徴している。

しかし、なんでか桃井かおりさんのキャラクターは立ってるんだろうね。この映画の場合は、リリコも梢もママも、沢尻・水原・桃井の「世間で知られているキャラクターそのもの」で演じられていて、配役の妙に感心してしまう。対して男性陣のなんとなく無個性な感じも対比的であった。抑制的な演技と「棒読み」っていうのは非常に難しい関係があって、検事役の男性はどうしてもそこがうまくいかなかったのかなと思う。「タイガー・リリー」ってのは原作に何か象徴的に使われている単語なのかもしれないと思ったけど、唐突過ぎたのと「冒険者」と他にも評しているところについて、整合性が取れていない感じがある。虎の獰猛さや恐怖心を引き起こす感じと、冒険者という単語の勇気や前向きさがなんともマッチしない気がする。他にメイクアーティト役の男性と、恋人役の窪塚がでてくるが存在感の無さが半端ない。アレだけせりふあるのに、あんなに無個性なのは逆にそれだけの力をみせてくれたということなのかな?

漫画原作だからか早い時間だったからか、会場には20歳前後ほどの女性が非常に多かったが、多くの人たちはこの作品に何の感想も持たなかったのではないか。もしくは、「誰しもが分かっていることだけど友達にすら言い辛い」と思うような感想をもってしまうとか?まぁ、気兼ねなく話せる人と見たのだったら良いけども。
少なくとも、娯楽映画やファッション性に引かれてこの映画を見た人にはなんの琴線にも触れなかったことは間違いないだろう。「ヘルタースケルター」と題字が出てくるまでのインパクトは、日本にも大作としての芸術映画が生まれる余地があるのかと感動を覚えさせてくれた。ちょうど真後ろに座っていた二人組みの女性は映画終幕後に明かりがついた瞬間、「つまんなかった、まじ眠たかった」と言い放ってたけど、そういうのが大半なんだろうなぁ~と。

監督がちょこちょこ出てくるのは、ありゃなんだろうね。自意識過剰なんかな(笑)


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