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ジンバブエといえば、ヴィクトリアの滝や大ジンバブエ遺跡など見どころが多く、私がアフリカで訪問した国々の中で最も素晴らしかった国のひとつである。
私が旅をしたのは2000年で、その頃は政情・経済ともそれなりに安定していた感があるが、その年のムガベ大統領による白人農場の強制収用に端を発して食糧危機やインフレが起こり、また長期政権・一党支配に対する不満とあいまって治安の悪化も問題となっている。
従って恐らく世の中の一般的なジンバブエのイメージはムカベ大統領とハイパーインフレということになってしまうだろう。

ジンバブエ・ドル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%96%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AB

ジンバブエドル(ZWD)のハイパーインフレは21世紀初頭からはじまり、2004年初期は624%だったが、2006年12月には1,281.1%を記録した。
2007年にインフレーションは激しさを増し、インフレ率は4月3,714%、7月7634.8%、そして12月は66,212.3%だった。(いずれも前年比) また、その時点での非公式レートは1USドル710万ZWDだった。

2008年に入るとさらに加速し、1月100,580.2%、2月164,900.3%、3月355,000%、そして、7月は2億3100万%だった。(いずれも前年比)
年率換算のインフレ率(非公式)率は年率6.5×(10の108乗)%であると報じた。この数字は24.7時間ごとに価格が2倍になっている計算とのことだ。

そうなると気になるのは紙幣だ。ジンバブエの紙幣の特徴としては他の多くの国家とは違い、歴史上の偉人や国家元首などといった特定の人物が登場していないが、そのかわり表面にバランスロックスという奇岩が必ず登場している。

最初にジンバブエドルが導入された1980年に2・5・10・20ZWD紙幣が発行された。対米ドル換算レートは1983年頃は1:1、1997年頃は1:10、2000年頃は1:100であった。
その後2003年までに1000ZWDまでの紙幣が発行された。2003~2006年にはインフレが激しくなった為に紙幣に代わって小切手が発行されるようになった。2006年7月の対米ドル換算レートは1:50万以上である。
ここまでがジンバブエドルの第1世代である。

2006年8月に3桁のデノミが行われ、新しく1セントから200,000ZWDまでの紙幣が発行された。その時点での米ドル換算レートは1:650だったが、2007年6月に1:40万、2008年1月に1:600万、4月に1:1億、7月に1:7200億となった。
ここまでが第2世代である。

2008年8月に再び10桁のデノミが行われ、第3世代ジンバブエドルとなった。新しく発行されたのは1ZWDから、最終的に100兆ZWD紙幣だ。
以下がその紙幣で、0が14個並んでいる。これは歴史上最も0の多い紙幣である。米ドル換算レートは2008年10月で1:12兆だったので、この紙幣の価値はその時点で8USD程度ということになる。



そして2009年2月2日、1兆ジンバブエ・ドルが新1ジンバブエ・ドルになる12桁のデノミネーションが実施され、1・5・10・20・50・100・500ドル紙幣が発行された。これが第4世代である。
しかし2009年初頭からジンバブエ国内での米ドルおよび南アフリカランドでの国内決済が可能となり、また公務員への給与が米ドルで支払われることになるなどジンバブエ・ドルは公式には流通しなくなった。そしてジンバブエドルは2009年4月に発行が停止された。

このジンバブエドルのハイパーインフレもすごいのだが、歴史上最も激しいインフレを記録したのは第2次世界大戦直後のハンガリーで、その通貨はペンゲーだ。

ペンゲー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%BC


第二次世界大戦の後、ペンゲーは、歴史で記録されたなかで最高率のハイパーインフレに見舞われ価値を失った。かつてない高額面の通貨が導入され、その額面は、最高10垓 (10の21乗) ペンゲーにまで達した。この10垓ペンゲー紙幣は、印刷されたが発行されなかった。実際に発行された最高の額面紙幣は、1垓ペンゲー紙幣(10の20乗)であった。この紙幣は1946年に発行され、0.20USドル相当だった。

この印刷はされたが発行されなかったという10垓ペンゲー紙幣は以下のようなものだ。



残念なことにジンバブエドルと違って0の表記されていないのだが、書くと1,000,000,000,000,000,000,000となり、0が21個並ぶことになる。それでも2米ドルだったことなる。

そして経済を安定させるため新たな通貨であるフォリントが1946年8月1日に導入された。1フォリントは対米ドル換算レートがほぼ1:1だったようだが、ペンゲーに対しては1:40穣ペンゲー (4×10の29乗) というレートだった。(フォリントはハンガリーの現行通貨である)
フォリントへの切り替えが行われると、ペンゲーはもはや紙屑となり至るところで廃棄された。確かにお金は価値があると思うから丁重に扱うのであって、その価値が失われたら紙屑同然かもしれない。しかし恐らくペンゲーを大事に保管しておけば、少なくても当時以上の価値にはなっただろう。例えば発行された最高額面の1垓ペンゲー紙幣は0.2米ドル以上の価値はあるはずだ。ペンゲーはとても上質な紙が用いられていたとのことで、機会があれば是非入手してみたいものである。


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