妻の乳がん闘病記

妻の乳がんがリンパ節に再発し、その後脳に転移した。妻と家族の闘病・看護にご意見や情報をいただきたく、記録を公開する。

4月30日(月) 快晴~今朝5時過ぎに妻から電話が入る

2007年04月30日 | Weblog
☆あまり前向きなことは書けません。それでもよろしかったらご覧ください。


昨日は次男と、やはり5時過ぎに病院に行った。
妻の妹が地方から来てくれて、妻の爪を切ってくれていた。
妹に会えてよかった。
話しをしようと思いながら、電話もなかなか出来なかったので。
妹のところも商売上の問題があって、いろいろ大変なところだ。
あまり気を遣わせたくないが、実の姉の大病だから多少無理しても時々来て欲しい。
妹は子供との待ち合わせがあるので6時には帰っていった。
エレベーターの前で、妻の状況について少し話をし、今後密に連絡を取り合うことにした。
夕食を摂る手伝いをして、結局7時には病院を出た。
妻は翌日の放射線治療がちゃんとできるか不安で仕方がないようだ。
でも気丈に振舞っている。
できればずっと一緒に居てやりたい。息子と交代で泊り込めればいいのに。
夜寝ながら手を握っていてやりたい。
少しでも不安が解消するなら。

今朝は4時過ぎに目が覚めた。
今日は仕事に行かなければならない。このところの休暇や早帰りで一杯溜まっている。
仕事も気になり、妻のことも気になりで、まどろんでいたら、5時過ぎに妻から電話が来た。
「私のキャッシュカード、持ってるよね」
「入院の時、預かったじゃない。大丈夫だよ」
「退院の時、キャッシュカードがなくてお金が払えない夢を見ちゃって」
「眠れないの?」
「今日の放射線のことが気になって、早くに目が覚めちゃった。不安で不安で」
この辺から涙声になる。
「今日も行くからさ。大丈夫だよ、先生に任せれば」
「ゴメンね、朝早くに。子供にも心配掛けちゃうよね・・・・」

こちらの話しをほとんど聞いていない。頭の中がパニックになっているようだ。
「おかあさん、○○子、聴こえる?お父さんの話を聞いて!おかあさん!!」
「なに、聴こえるよ・・・」

今日は仕事に行き、帰りに病院に行くつもりだったが、やはり午前中に寄ろうと思う。
場合によっては出社をキャンセルして付き添っていよう。

連休初日

2007年04月29日 | Weblog
☆あまり前向きなことは書けません。それでもよろしかったらご覧ください。


今年は連休どころではない。
もっとも息子たちも大きくなって勝手に行動しているから別に予定もなかった。
それでも妻が元気であれば、買い物に行ったりちょっとしたドライブぐらいは行きたかったのだがそれも無理になってしまった。

連休初日は長男と家の片づけやら洗濯やらを済ませ、妻に持っていくものなどを買い物して病院に向かった。
次男は部活だ。
夕方行くつもりが、すっかり遅くなってしまった。
今日の妻は割と元気そうだ。
昨日は次男が病院に寄ってくれた。
次男から、放射線治療が首の傷が痛くて途中で受けられなくなった、と聞いていたので心配していたが、妻は淡々としているように見えた。
病室を出て、面会ルームで話しをしながら病院食の夕飯をそれなりの量を食べていたが
「これで放射線が受けられなかったら、もう仕方がないね」と言う。
「先生も楽な方法を見つけると言っているんだから、頑張れよ」としか返せなかった。
妻の心の中を想像すると、胸が張り裂けそうだ。
今も書いていて涙が出てくる。
何でこんなに妻だけが苦しまなくてはならないのだろう。
妻は入院前に「私って、なんか悪いことしたかなぁ」とポツリと洩らしたことがあった。
何もしてないよ。誰が悪い訳じゃないよ!
息子たちには、母親が「予断を許さない状況」であることを伝えた。
次男は受験生、気をしっかり持って勉強に励んで欲しい。
どんなことがあってもめげてはいられない。

妻の入院(2)

2007年04月29日 | Weblog
12月に脳のMRIを撮って全く正常だったのに、なんでこんなに一気に進んでしまったのだろう。
ネットでいろいろ調べてみると、転移性の脳腫瘍は数週間で広がることもあるらしい。
全くがんという病魔はなんて奴なんだ!と怒りがこみ上げる。
主治医のS先生に対しては、なんで毎週診察していて気づかないのかと、文句も言いたくなる。
でも抗がん剤治療中だし、そうしょっちゅうレントゲンを撮るわけにもいかないので仕方がないのだろうか。
それと妻が、髪の抜ける抗がん剤に変えましょうと言われるのが怖くて、調子の悪さを言い出せなかったらしい。
なんなんだよ、それは!と言いたくなる。
髪の毛と命とどっちが大切なんだ?と男の私は思うが、女性にとってはそうではないらしい。

火曜日の朝、私が付き添って妻を入院させた。
こんな時に限って雨模様で、タクシーを呼んでもなかなか来ない。
結局病院で義母を30分以上待たせてしまった。
午後はどうしても仕事があるため、義母を残して出社した。
後から聞いたら、その日の午後にいろいろな検査をしたらしい。
特に説明もないまま検査が続いたので、妻も不安になったようだ。
夕方私の携帯に蚊の鳴くような声で留守電の伝言が入っていた。
「木曜の午後に説明があるから来てね」
会社の外でその伝言を聞いて、涙が出てきた。
さぞかし不安で寂しいのだろう。何とかしてやりたい。
息子が夕方病院に行くと言っていたので「ちゃんと木曜に行くよ」と伝えるよう頼んだ。
翌朝、会社に出勤しようとしたら妻から涙声で電話がかかってきた。
長男が明日の説明を一緒に聞くと言っているが、不安にさせたくないのでなんとかうまく断ってくれ、とのこと。
分かったから、あんまり気にしないで休んでいるように諭して電話を切った。
朝から重苦しさが胸の中を覆う。
息子には夕方は自分と義母が代わるから、早い時間に行ってやってくれてと頼んだ。
少しでも長い時間、誰かが一緒に居たほうが良いから。

木曜の説明は、火曜日に聞いた内容とほぼ同じだった。
要は小脳の腫瘍をなんとかしないと、相当危険な状況であること。
ただし今のままでは、リンパ節の状況があまりよくなく、手術に耐えられないと思われること。
よって今後は「全脳照射」+「抗がん剤」+「ステロイド服用」で治療を進めたいということだ。
状況の厳しさは理解しており、この段階まで来ているものを今更セカンドオピニオンでもないと思い、その方針で進めることをお願いした。
義母と一緒に話しを聞いたが、妻は不安になって部屋の外まで様子を見に来ていた。
「骨に転移していた?」
「大丈夫だよ、肺もきれいだって。火曜日に聞いたように放射線と抗がん剤で治療するって」
転移がないことに、妻は少しは安心したようだ。
しかし今回の検査でリンパ節のがんが反対側に広がっているのが見つかった。
これが小さくならないとシャント(バイパス)も他の手術も無理ということだ。
新しい抗がん剤が劇的に効くことを念じている。



妻の入院(1)

2007年04月29日 | Weblog
前回の分にアクセスいただいた方が37名いらっしゃいました。
急に増えてビックリです。
やっぱり「脳転移」という話題に、関心が高いということでしょうか。
大変ありがたいことで、私としても今後の事に多くの方のアドバイスを頂きたい気持ちです。
でも、今後このブログは私と妻、息子達の、心や体の苦痛を吐露する場になりそうな気がします。
妻の病気を前向きに捉えて、明るく元気に治療しよう!という状況ではないからです。
そんなブログでもよろしければ、ぜひ多くの方に見ていただき、いろいろなアドバイス、励ましなどを頂きたいと思います。
ぜひ宜しくお願いいたします。

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月曜日は妻の母親が来てくれた。
私は明日休むため、どうしても仕事に行かざるを得ない。
もちろん私が家にいたからといって、妻に何をしてやれる訳でもないが
今は少しでもそばにいてやりたい気持ちだ。
明日の休みに備え遅くまで残業して家に帰ってきたら
妻と義母が、明日の入院の準備をしていた。
「明日そのまま入院になるかもしれないから」
妻は気丈に準備を進めている。
私は「そうだね、準備して行ったほうがいいよね」としか言いようがなかった。

翌日火曜日、朝早めに車で病院に向かう。
こういうときに年寄りでも一緒に居てくれると心強い。
脳外科(腫瘍専門の先生)の診察は、初診扱いとなるため1時間以上待たされた。
脳外科のI先生は、先週のCTの写真を見ながら難しい顔をしている。
「ざっと見ただけで7~8個ありますね。」
「大脳の大きな腫瘍に水が溜まって、これが足を不自由にしていると思います」
「それよりも、小脳の腫瘍が怖いです。急性水頭症になる危険性を持っています」
「放射線照射と、それに手術ができるか主治医のS先生と相談します」
「至急入院して欲しいんですが、ベッドの空きがなくて・・・」
「何とかしますので今日は一旦お帰りいただいて、明日には入院できるよう手配します」

妻と義母が入院の説明を受ける間、私だけがI先生に呼ばれた。
その時の話しは以下の通り。
・小脳の腫瘍が非常に危険な状況。水頭症に繋がりかねない。
・しかし肩のリンパがんがこのままでは、手術をするといろいろな影響が出てむずかしい。
・全脳照射をして他の腫瘍を消し、抗がん剤でリンパがんを小さくし手術するか、判断する
・いずれにしても厳しい状況

明日から入院し、MRIなどの検査および放射線照射にすぐにでも入りたいとのことだ。
それから木曜日に主治医のS先生と今後の治療方法を相談した結果をご説明したいとのこと。

妻は脳転移を正式に伝えられ、相当ショックを受けたようだ。
でもあまりそれを表に出さないだけに、不憫でならない。
義母と一緒に家に戻った。
義母はどうしても外せない用があるので、一旦帰ってまた明日入院に立ち会うと言う。
夕飯は私が作った。
息子たちに「お母さんの入院は明日に延びた。一緒に飯を食べるから早く帰って来い」とメールを入れた。
私と息子たちで妻を励ましながらの夕食。
まさかこれが我が家で家族が揃う最後の夕食にならないことを、私は心から願っていた。




急変ー脳転移

2007年04月28日 | Weblog
妻の乳がんが脳に転移した。

4月20日の定例外来に付き添った。
S先生に「最近足を引きずるんですが・・・」と言ったら、先生の顔つきが変わった。
「今日すぐにCTを撮りましょう。ちょっと時間がかかりますがよろしいですか?」
暫く待って脳のCT撮影を行った。
写真が出来上がって再び診察室へ。
S先生によれば脳に複数の腫瘍が見られるとのこと。
「脳外科の先生と相談しますので、もう少しお待ちください」

我々には「寝耳に水」だ。
しかし思い当たることは結構あった。
このところ極端に足を引きずるようになり、近所への買い物も行けなくなっていた。
家の中でも壁を伝わないとまともに歩けない。
その後、再々診察。
S先生「来週の火曜日に脳外科の先生の診察を受けてください。場合によってはそのまま入院になるかもしれません。今後放射線治療また手術もありえます」

妻と二人で呆然として診察室を出た。
私はある程度予想はしていたが、妻にとっては大変なショックだったようだ。
最近、体力をつけようと無理して食事もし、足も極力動かそうとしていた。
そんな矢先だったのに。
昨日は妻の50歳の誕生日だったが「こんな状態での誕生日なんて嬉しくない」と言うのでお祝いもしなかった。
でも明日の土曜日は家族みんなでケーキぐらいは食べようと思っていたのに。

この診察の前に私の母が様子を見に来ることが決まっていた。
母親は土曜日にやってきた。
最近の状況があまり良くないことは伝えてあったので見に来たのだが
転移の話しを聞いてビックリしていた。
もっともそこは年の功、冷静に妻を励ましていた。
ありがたいことだ。
私も冷静に妻を励ましたい。
私はほとんど物に動じないノー天気な性格だ。
でも最初に妻に乳がんが見つかった時と、今回だけは相当落ち込んだ。
夜も良く眠れないし、さすがに食欲もない。
このところ心配していたことが、現実として目の前に突きつけられた感じがして、どうしていいかわからない。
もう仕事も何もかも放り投げて、妻と一緒にいたい気持ちになる。
そんな愛妻家ではなかったのに今頃になって・・・と、また悩む。


どこで寝るのが楽?

2007年04月08日 | Weblog
最近、夜中に目が覚めて隣のベッドを見ると、妻がいないことがある。
最初のうちは、リビングに様子を見に行ったりしたが、最近はあまり気にしないことにしている。
妻も、横になっているとむかむかしたり、考え事をしたりするので
却ってリビングのソファーに座り込んでいるほうが楽なときもあると言う。
左腕にメドマーを掛けながらソファーでウトウトしているようだ。
あまり神経質にベッドで寝ろと言うのも、どんなものかと思うようになった。
昼間も寝れるので、夜中でも一番楽な姿勢でいたほうが良いだろう。

今朝も3時過ぎに目が覚めたら、隣に妻はいなかった。
でもそのまま寝てしまい、7時前に起きてリビングに行ったら、ソファーに横になって寝ていた。
タオルケットを掛けているし、もう寒い季節でもないので大丈夫のようだ。
日曜だが、夕べ早く寝てしまったので、そのまま起きることにした。
妻は「ベッドで寝てみる」といって、寝室に引っ込んだが
息子が出かけるために起きてきたりして、やっぱり気になって眠れないようだ。
一昨日病院で貰った安定剤は、あまり効いていないのだろうか。
それに、夜中に目が覚めて妻がいないのにまた寝てしまう私は、冷たいだろうか。

久しぶりに先生と面会する

2007年04月08日 | Weblog
会社を午前中で半休し、妻の病院に付き合った。
もう歩くのも大変そうなので、車で会社まで行き、そのまま病院へ。
午後一番の予約だったが、やはり仕事が押してしまい、1時を少し過ぎてしまった。
診察室の前まで行ったら、もう妻は中に入っていた。
ノックして私が入ってい行くと、診察は終わったとのこと。
でも改めて先生は状況を説明してくれた。

・首筋の傷からのリンパ液浸潤が少なくなっているので、カンプトが効いている考えられる。
・体力が落ちて大変そうだが、効いているのならもう少し我慢してカンプトを続けたい。
・来週もう1回カンプトを投与して、次週はハーセプチンのみ、その時MRIなどの検査をする。
・夜眠れないと言うので、安定剤を処方した。効かないようなら増やすこともできる。

このS先生は、楽天的で深刻ぶったところが全くない。
却ってそういうタイプで、患者も家族も助かるところがある。
ちょっと物足りない感じを受けることもあるが、それも含め「良し」とするべきなのだろう。

帰りは、結局途中のスーパーで海鮮ちらしを買って帰ることにした。
やはり点滴の後はだるいようで、とても夕飯の用意をする気力がないとのこと。
安くて美味しいと評判の鮨屋の出店がスーパーに入っていて、そこのちらし寿司だ。
妻も「朝食べたきりなのでお腹がすいた」と言うので4人前を買った。
夜子供も揃い、いざ食べようとなったら、妻はやっぱりむかむかして食べられないと言う。
結局、次男が二人前食べることになった。