妻の乳がん闘病記

妻の乳がんがリンパ節に再発し、その後脳に転移した。妻と家族の闘病・看護にご意見や情報をいただきたく、記録を公開する。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

6月2日(土)晴れ〜妻の最後、家族のこと、そして初七日を迎える

2007年06月02日 | Weblog
今日はもう初七日、なんとも早いものだ。
先週の今頃は、何をしていたのだろう。
そうだ、自分の病院の待合室で義母から妻が酸素マスクをつけたという電話を貰ったのだった。
あの時もっと早く病院に行って、いろいろ話をすればよかった。
あの晩、病室に泊まれればよかったのに・・・。
いろいろ考えてしまう。

先週の土曜日、酸素マスクをしている妻に「大丈夫?呼吸は苦しくない?」と聞いたら
「大丈夫、苦しくない」と囁くように応えてくれた。
夕飯も、マスクを外して少しは口にしたのに・・・。
8時の面会終了時間になり、後ろ髪引かれる思いで義妹と病室を後にした。
そのあと、段々肺の機能が低下したようで、翌朝は相当息が苦しかったようだ。
あの晩、妻は一人で何を考え、何を感じていたのだろう。
多分不安で不安で仕方がなかったに違いない。
その時に傍にいてやれなかったことは、今でも心残りだ。

翌日の日曜日、息子たちは部活やバイトで朝から出かけていた。
10時過ぎに病院から電話があり、肺の機能が夕べから相当落ちており酸素の濃度を上げているという。
少し前に夏のスーツを買って、その直しが出来るため、スーツを受け取ってから病院に行くつもりでいた。
ところがその後またすぐに当直の医師から電話があり
すぐにでも人工呼吸器を付けた方が良い状況なので、至急来て欲しいとのこと。
とにかく取る物も取り敢えず病院に駆けつけた。

病院に到着したのが午後1時。
妻は大きく荒い息をしながら、目を見開いている。
「大丈夫?お父さん来たよ!Mちゃん(義妹)もいるよ!」と手を握って声を掛けると、頷いて手を握り返してきた。
その後先生の説明を聞きに別室へ入ったが、肺の機能がどんどん低下し酸素を作ることが出来ない状況とのこと。
人工呼吸器を装着すると、意識レベルを下げるので話は出来なくなるというので
息子や親を呼ぶために2〜3時間待てないかと聞いた。
先生と看護師は顔を見合わせ、「厳しいですがもう少し様子を見ましょう」と言ってくれた。
息子たちと義母、それと私の実家の両親に連絡をした。
息子は1時間ちょっとで来れるという。義母は所用があって出かけており連絡がつかない。
実家の両親は、取り敢えず新幹線に乗ると言っている。

病室に戻り、妻に声を掛ける。
実は前の日に引き出しを整理していたら、7〜8年前までしていた私の結婚指輪が出てきた。
太ってきつくなったので外していたものだ。
でもこれからは無理にでも着けよう思い、嵌めてきていた。
「お母さん、見える?ほら指輪をしてきたよ。また一緒だね!」
確かに妻は私の手を見上げた。でもどこまで理解したのだろうか。

2時過ぎになって、肺の状況はますます悪くなってきた。
先生から「もう限界です。すぐ人工呼吸器を装着するか、それをやらずにこのままでゆくか決断をお願いします」と言われた。
息子も義母もまだ到着していないが、一刻を争うので器具の装着をお願いした。
せめて意識をなくす前に息子や母親に会わせたかったが、それも叶わなかった。
器具装着には随分時間がかかった。
最中に息子が相次いで駆けつけた。でも処置中なので病室には入れない。
長男は病室の外に座り込んで泣きじゃくっている。
次男は駆けつけるなり、「どうなってるんだよ!」とイスを蹴りつけた。
「二人とも取り乱すんじゃないよ!お母さんが苦しんで頑張っているんだから!」
そう言うのが精一杯だった。
程なく義母にも連絡が取れて駆けつけてきた。
しかしまだ病室には入れない。

5時近くなって、漸く面会が許された。
妻は、機能が多少は残っている右肺を上にするように横向きで寝ている。
口には太い管が入り、点滴が何本もぶら下がり各種計測のカラーモニターが枕元に
置かれている。
機械のリズムと呼応するように胸を大きく動かしている。
目は半開きで無表情。麻酔はしていないが意識はないという。
暫くして、主治医のS先生が駆けつけてくれた。
妻の体が大きく揺れているのは、機械の動きとは別に自分で呼吸をしようとしているからということだ。
なんか見ていて痛々しい。
その後、妻の体の動きが静かになった。
機械に呼吸を委ねたほうが体が楽なので、自然と自分で呼吸をしなくなるらしい。
S先生は、「こうなると人それぞれですが、それほど長くは持ちません。
でも家族みんなで付き添うと家族全員で倒れてしまうので、順番に交代で看たほうがいいですよ」と言う。

そんなことを話しているうちに、モニターの心拍数が徐々に下がってきた。
先生の顔つきが変わり、「仰向けにしましょう」と言い看護師とともに妻を仰向けにした。
S先生の「家族の体が持ちません」との言葉が聞こえて、自ら幕を引くことにしたように
どんどん心拍数が下がってゆく。
S先生が心臓マッサージを始めた。
マッサージをすると、モニターの数字が上がり、波形が動き出す。
しかしマッサージを止めると、また数字は戻り波形が直線に近くなる。
看護師さんと交代で30分ぐらい、マッサージを続けてくれた。
しかし止めると、妻の心臓は「もういいよ」と言うように動かなくなる。
一定の間隔で波線が動くが、これは電気的な刺激によるもので自力で心臓が動いているものではないと言う。
「先生、もう結構です、十分です。おばあちゃんもYもWも、これでいいよな」
息子たちは、泣きながら頷いた。
「残念です。午後6時25分でした」
思わず私も自分の腕時計を見てしまった。間違いなく6時25分。

長男「もうすぐ20歳の誕生日なのに!その前に逝っちゃうなんて!」
次男「俺、頑張って勉強して絶対大学受かるからな!!」
義母「もうゆっくり休んで!心配することないよ!」
義妹「辛かったね、もういいよ、大丈夫だよ」
私はなんと声を掛けたのか覚えていない。
でも「頑張ったね!辛かったね!もう安心して休んで!」というようなことを言ったような気がする。

その後は淡々と時が過ぎたような気がする。
器具を外す間、家族は病室の外に出された。
デイルーム(面会室)で待っている間、入院中のことやこれからのことを淡々と話していた。
両親の新幹線が到着する時間なので、電話を入れた。
「だめだったよ、急に心臓が弱っちゃって・・・」
暫くしてまた病室に呼ばれ、家族みんなで暖かい濡れタオルで妻の体を清拭した。
今まで一切見せなかった胸の手術痕も拭いてやった。
全然どうと言うことない。なんで拘って見せなかったのだろう。
夫から自分が女として見られなくなるのが嫌だ、いうようなことを言っていたことがある。
家族なのに、なんでそんなに気にしなくちゃいけないのか・・・。
拭きながら、また涙が出てきた。
着替えさせ、義母が薄化粧をしてあげた。
口は器具を装着していたので半開きになっている。
ガーゼであごを縛ってやった。
このときに漸く実家の両親が病院に到着した。

病院の地下2階の霊安室には、お世話になったS先生、看護師さん、そして脳外科のI先生まで駆けつけてくれた。
今日は日曜日、S先生もI先生も休みだったのに。
車を手配し、息子と両親と一緒に妻を家に連れ帰った。
引っ越して漸く2年のマンションだ。
妻を寝かせた和室の畳みもまだ新しく青々としている。
良かったね、帰ってこられて。
先生方は一度自宅に帰してあげたいと仰っていただいたけど、今漸く帰れたね。
家であごに掛けたガーゼを外してやった。
義母が軽くファンデーションを当て、口紅を引いただけなのに、顔全体が血の通った肌色をしている。
口元は微笑んでさえいる。
ここ半年近く、眉間に皺を寄せることが多かった。
特に一月前に入院してからは、ほとんど笑うことさえなかった。
でも今は、本当に安らかな寝顔をしている。
そんなに安心したのだろうか、そんなに楽になったのだろうか。
その寝顔を見ていたら、家族みんなも心安らかになったような気がする。


告別式も終わり、今妻が寝ていた和室には簡易祭壇を設え、遺骨と遺影が飾られている。
遺影は少し迷ったが、あまり昔の若い頃の写真より、極力最近のものを選んだ。
昔の写真は確かに若くて綺麗かもしれない。
でも私の中では、こんなに病気で苦労するようになる少し前の妻のほうが、妻らしい気がしたものだから。
今日は初七日。
このあと義母と義妹がやってくる。
妻は、私にとって最近の妻らしい表情で、笑って母や妹を迎えるに違いない。



長々とすみません。
妻の最後の様子についてできるだけ正確に記録を残したく、長文になってしまいました。
まだ妻が亡くなったという実感が沸きませんが、多分これからいろいろなところで感じて、そして寂しくなるのでしょう。
妻には、これからの家族のことを逐次報告してゆきたいと思っています。
それは、私のもう一つのブログの中で行ってゆきます。
こちらにお越しいただいている方で、もしご興味がありましたら下記のブログもご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/ippoyomo1956/

もともと「オチャラケ」的に始めたものでしたが、妻の病状悪化につれて内容を変えてきました。
今後はどういう展開にするか決めていませんが、よろしければ時々覗いていただければと思います。
こちらのブログは、取り敢えず終了させていただきます。
短い間でしたが本当にありがとうございました。


コメント (7)
この記事をはてなブックマークに追加

5月29日(火)快晴〜ご報告

2007年05月29日 | Weblog
ご報告です。
5月27日(日)、妻の様態が急変し、午後6時25分に急逝いたしました。
朝のうちは呼吸困難で少し苦しそうでしたが、その後は人工呼吸器を付け意識もほとんどなかったため
あまり苦しまなかったと思います。

今、妻の隣でこのブログを書いています。
妻はとても穏やかな、微笑んでいるような表情です。
入院中の辛そうな、眉間にしわを寄せた表情とは比べものになりません。
「死」とは、人間をこんなにも全てのものから解放するものなのでしょうか。
悲しいけれど、妻の安らかな顔を見ていると「良かったね」と声を掛けたくなります。

ごめんなさい、今声を上げて泣いてしまいました。
涙を拭いながらこの文章を打っています。
今日お通夜、明日告別式です。
今朝は5時前に目が覚めてしまいました。
今、6時ちょうど。
妻が逝った一昨日も、昨日も、今日も、全くの快晴。
気温もそれほど高くなく、葬式日和?です。
周りに、遣いすぎるほど気を遣った妻の最後らしい気遣いです。
もうすぐ本当にお別れです。
妻の寝顔に朝日が当たり、本当にまだ眠っているようです。
いい夢を見てうっすら笑っているようです。
今にも起きてきそうです。

短い間でしたが、このブログを読んでくださった方々、励ましや情報を頂いた方々、大変ありがとうございました。
これからもこのブログを続けていくかどうか分かりませんが
もう少し落ち着いたら妻の最後の様子についてもご報告いたします。

本当に朝日がまぶしいです。
いい天気です。
この五月晴れの中を妻と散歩したかった。
残念です。

みなさん、ありがとう。
今日と明日、家族で妻を見送ります。
コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

5月26日(土)晴れ〜呼吸困難

2007年05月27日 | Weblog
昨日と打って変わって快晴。
夕べは久しぶりに飲みすぎて、今朝は二日酔い気味だ。
でもあまりに天気が良いので、洗濯機を回す。

今日はぜひ妻を五月の風に当てさせてやりたいと思った。
午前中、自分の定期検診(2カ月に1度通院している)のため
近所の内科で順番待ちをしていたら義母から電話が入った。
妻が発熱し、軽い呼吸困難を起こしているという。
午後病院に行ってみると、酸素マスクをしていた。
ファルモルビシンの副作用で呼吸が苦しくなることもあるとは聞いていたが
本人も辛そうで、可哀想になる。
コンサートを聴いて、爽やかな5月の光と風を浴びる計画は取り敢えず延期せざるを得ない。
夕方病室担当の先生が巡回に来て話を聞いたら
リンパ節の腫瘍が大きくなり肺を圧迫している可能性があると言う。
そうなると厄介、心配だ。

夕方になってずいぶん落ち着いたようだ。
呼吸は深く荒いが、妻は苦しくはないと言っている。
夕食前に義妹が来てくれた。
先週に引き続き遠方から来てくれて、大変ありがたい。
妻は熱が下がらず座薬を使った。
こっちの話は聞こえているようだが、反応は鈍い。
熱で朦朧として、酸素マスクをしながら荒い呼吸をしている妻が不憫でならない。
コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

5月25日(金)雨〜病院の後、飲み会

2007年05月26日 | Weblog
今日は朝から本格的な雨。久しぶりの雨だ。
会社は6時10分ごろ出た。
そろそろ仕事が詰まってきた。
妻がこういう状況であることは職場のメンバーには伝えて、協力をもらう事になっている。
しかしみんな自分の仕事で目一杯、とても私の仕事を引き受けてくれる余裕はない。
両手一杯に抱えた爆弾が、落っこちそうだ。
そのうち爆発する・・・。
毎日6時に退社したツケが貯まってきた。
今週末は休日出勤をしようか・・・。

病院のある駅を出ても、まだ小雨が降っている。
なんか憂鬱な夕暮れだ。
7時過ぎに病室に行くと、義母がまだいてくれた。
夜の薬がまだ届いていないと言う。
少ししたら看護師さんが飲み薬と口内炎の薬を持ってきてくれた。
口の中が痛いらしい。
一瞬、口の中にまでがんが進行したかと思ったが、まさかそういうことではないらしい。
明日は1階のロビーでミニコンサートがあり、一応申し込んだとのこと。
少しでもそういうところに出て行く気になってくれたのが嬉しい。
休日出勤しようと思ったが取りやめて、妻の車椅子を押してコンサートを聞こうと思う。
できれば外の風にも当ててやりたい。

8時の面会最終時間までいて、病院を出た。
今日は昔からの仲間が激励会をやってくれることになっている。
気を利かして、病院からそれほど離れていないイタリアンレストランに集合した。
いろいろメールなどで激励してくれたが、やはり直接会って話しをするのはいいものだ。
あまり妻の病気には触れず、相変わらずのバカ話ばかりだが、それが嬉しい。
結局何軒かハシゴして、家に帰ったのは3時近かった。
やはり友達はありがたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月24日(木)晴れ〜一家勢揃い

2007年05月25日 | Weblog
脳外科の先生より、先日のMRIの結果について説明したいという連絡を貰っていたため
5時のチャイムとともに会社を出た。
本当は1時間ほど早退したいと思ったが、いくら職場に事情を話してあるとはいえ
月曜も半休を取ったので気が引ける。
それでも病院に6時前に着いた。
病室には両方の母と長男がいた。
さっきまで次男がいたというから、今日は勢揃いだ。

先生の話では「概ね順調」とのこと。
要は大きな変化はないということだ。
全脳照射により、小さな腫瘍はほとんど消えている。
小脳の厄介な腫瘍も幾分小さくなっているので、当面水頭症の心配はない。
大脳は変わっておらず、水を抜ければいいのだが、リンパ節の方が落ち着くのを待った方が良い。

取りあえずは一安心というところだ。
妻にもこの話をしたのだが、本人の表情はあまり冴えない。
相変わらず首の傷は痛むjし、気分も優れないようだ。
最近口数が少なくなって来たようで気になる。
後から義母に聞いたら、同室の患者さんが近々退院するらしい。
自分より後に入ってきた者が自分より先に出てゆく。
確かに憂鬱になるだろう。
でもまだ一カ月じゃないか、まだ落ち込むには早いぞ!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月22日(火)晴れ〜肋骨骨折

2007年05月22日 | Weblog
外科でレントゲンを撮ったら、なんと肋骨が4本も折れているという。
なんということだ。一体なにをやっているんだろう。
妻は「健康に気をつけてね。お父さんまで倒れたら子供が可哀想だから」と
自分が具合が悪いのに、私のことを常に気にしている。
それなのに、妻を心配させることばっかりしている。
ここ2カ月以上休肝日を作っていない。
仕事の帰りは遅く土日も出勤。
飲んでは午前さま…。
挙句の果てに肋骨骨折だ。
馬鹿じゃないのか!

7時過ぎに病室に着いた。
さっきまで義母がいて、食事も歯磨きも済ましてくれたとのこと。
顔色も良く眼つきもしっかりしているが、表情が冴えない。
今にも泣きだしそうにも見える。
なにを考えているんだろう。
同室の女性は、4カ月の入院を経て快方に向かっている。
そういうこともあるのだから、頑張ってほしい。

自分の馬鹿さ加減にうんざりする。
昨日妻には転んだことを話してある。
案の定今日行ったら「大丈夫?」と心配していた。
「大丈夫だよ、ちょっと打ち身だって」としか言いようがなかった。
コメント (3)
この記事をはてなブックマークに追加

5月21日(月)晴れ〜午後、半休

2007年05月22日 | Weblog
午後は半休を取ってしまった。
以前から平日に済ませたい用もあったため予定はしていたのだが
実はどうしてもの用事はなくなっていたので、普通に仕事するべきであった。
でも最近仕事に身が入らない。
結局午後はズル休み。というか、これも正式な「半休」

ところがバチが当たったのか、駅に向かう路上でつまずき、思いっきり転んでしまった。
右脇腹を痛打し大の字に倒れてしまった。
なにをやっているのか…、みじめもいいところだ。

いくつかの用事を済ませたが、妻の病院に行くにはまだ早すぎる。
ふと思いついて、駅近くのシネコンで映画を見ることにした。
本当は元気と勇気を貰いたくて「ロッキー」を観ようと思ったが、時間が合わない。
結局「スパイダーマン3」にした。
単純な勧善懲悪ものではなく「愛と憎悪」がテーマとなっており、なかなか面白かった。
このシネコンは家の近所で、去年の秋にオープンしたばかりだ。
「夫婦のうちどちらかが50歳になれば、二人で2,000円で観れるんだぞ」
「へぇ〜、じゃぁもう少し体調が良くなったら行こうね」
こんな会話を交わしたのが去年の年末だ。
一人で映画を観ながらそんなことを思いだしたら、あまり集中できなくなった。

病室に着いたら息子が二人とも来ていた。
平日はなかなか立ち会えない夕飯の世話もすることができた。
妻の介助は、やはりまだ息子では無理だ。
ベッドを起こし、エプロンをつけてやり、テーブルを胸元まで引き寄せる。
今日はクリームシチューに野菜サラダ、おかゆ、果物の缶詰。
おかゆを少し残したが、後はほとんど平らげた。
偉いよ、かあさん!
このところ魚が続いたので、鶏肉の入ったシチューは美味しかったと言う。
今は仕事より、こういう時間が大切だ。

家に帰ってきたら、脇腹が益々痛くなってきた。
肋骨にひびぐらい入っているかもしれない。
でも「痛たたた…」という泣きごとに「大丈夫?」と声を掛けてくれる身内はありがたいものだ。
今日は実家の母がいる。ありがたい。
妻は病院でだれに泣きごとを言うのだろう。
1時間でも長くそばに居てやりたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月20日(日)晴れ〜五月晴れの一日

2007年05月20日 | Weblog
昼間、我が家のベランダの窓は全開。
清清しく気持ちのよい五月晴れだ。
ベランダからは近所の小学校の運動会の歓声と音楽が聞こえてくる。
私は新聞を読み、息子たちはそれぞれ部活やバイトに行って留守だ。
廊下では掃除機をかける音。
いつもの平凡な日曜日・・・。
でも掃除機をかけているのは妻ではなく、実家の母だ。
なぜ我が家からは平凡な日曜日が消えてしまったのかと、ちょっと気分が落ち込む。

夕方母と妻の病院へ。
次男がバイト帰りに来ていた。
昼から来てくれた義母と暫くおしゃべりをして、義母には先に帰ってもらった。
妻は、今日は顔色も良い。
でもさっき傷の処置が終わったばかりということで、ちょっと疲れた表情。
左腕にメドマーを掛け過ぎると、傷から出血やリンパ液の浸潤に繋がるので
当面はやめたほうが良いと担当医から言われたそうだ。
義母は、手でマッサージをしてやると気持ち良さそうに居眠りをしていたと言う。
私も妻のパンパンにむくんだ左腕をマッサージしてやった。
その後、母もやってくれたが、やはり気持ちが良いらしい。
食事もほとんど食べたが、味の濃いものや脂っこいものは欲しくないらしい。
ブリの照焼きは半分残した。
傷のせいか、左頬がむくんできて、左目がほとんど開いていないようだ。
いろいろ少しずつ弱っているようにも見える。
でも傷や背中の腫れ物は良くなっているようだと義母が言うので
木曜日に投与したファルモルビシンが効いているのだろうか。
それならありがたい。

明日は義母は来れないので、昼間は寂しいだろう。
夕方次男が寄ることと、私も夜来るからと伝えて病室を後にした。
妻は、夜必ず来てねと、念を押した。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月18日(土)雨のち晴れ〜実家の母、再訪

2007年05月20日 | Weblog
実家の母がまた来てくれた。
今度は男所帯の整理整頓をメインにということだ。
木曜まで居てくれるという。
母も77歳、実家にはもうすぐ81歳になる父がいる。
父は人工透析を週3回受けているが、そのお陰で(?)元気そのものだ。
相変わらず車は運転するし、家のことも一人でやれる。
見た目は70歳前半ぐらいにしか見えない。
だからこそ母も何日もこっちにいられるのだが、それにしてもありがたいことだ。

母が家に着いて一休みしてから、妻の病院に向かった。
妻は母の顔を見るなり、「お母さん、ありがとう。いろいろすみません!」と涙を流す。
妻も、最近はすっかり涙もろくなっている。
母も「元気そうで安心したわ」と励ましてくれた。
義妹が今日も来てくれていて、昼から話し相手になってくれていた。
昨日から首筋の傷から出血が多くなってきたらしい。
私たちがいる間にも看護師さんがガーゼを替えてくれたが、相当の出血のため当直の医師を呼んできた。
結局簡単な縫合を行って止血したようだが、処置に小一時間掛かってしまった。
終わったあと、妻はぐったりした様子。
処置の疲れと、精神的にもショックを受けたのだろう。
このまま傷口が悪化したら一体どうなるのだろう。
家族の不安も尽きない。

程なく夕飯の時間。
傷の処置後、大して時間も経っていないし、むかつきがあると言うので食べられないかと思ったが
吐き気止めを飲んで少し経ったら、食べてみると言い出した。
今日は煮魚と肉じゃが(肉なし?)、白菜の煮びたし、お吸い物、ご飯(おかゆ)。
さかなとジャガイモは半分、おかゆはフリカケで全部食べた。
母も来ているので多少無理したのかもしれないが、食べられることはいいことだ。
義妹に後を頼み、少し早めに病室を出た。
夕飯は次男が塾で遅れて帰ってきたものの、母がいて、いつもよりは少し賑やかな食卓だった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月18日(金)晴れ〜給料日

2007年05月19日 | Weblog
今日は給料日だった。
妻名義の口座から公共料金等が引き落とされるので、入金しておいた。
妻が入院する時、通帳とキャッシュカードを預かった。
都銀2つと郵便局の通帳1つ。
それぞれが結構の残高だ。
がん保険の診断給付金とか義母からの治療費の援助など
まとまった金額が入っていることは分かっていたが、それよりもはるかに多い金額だ。

「随分貯めているじゃない」
「そうよ、教育費とか心配だし、買いたいシャツ1枚も買わずにケチって貯めたよ」
「たまには欲しいもの買うようにボーナスの時なんかお金渡したじゃない」
「貧乏性だから・・・」
「頑張ったね!」

仕事柄、手元に自由になるお金が必要で、結婚以来決まった生活費を手渡していた。
決して多い金額ではないので、遣り繰りは大変だったと思う。
残りの金額は結局自分の好きなように遣っていた。
車も営業協力と称して3年ごとに乗り換え、財形も貯まると引き出し飲み代に遣っていた。
その間妻は欲しいものも買わず、それこそパンツ1枚だってケチって小銭を貯めた結果がこの通帳だ。
なんということだろう!
私は今まで一体何をしてきたんだろう!
何を気取ってコンサートだ、グルメだ、温泉だ、なんて遊び呆けていたのか!
出不精で、あまり物欲のない妻であることをいい事に勝手放題じゃないか!
悔やんでも悔やみ切れない。胸が張り裂けそうだ。
それでも、これからはたまには飯を食いに行ったり
手術の痕を見られたくないというから、部屋に露天風呂がある温泉に連れて行こうだとか、いろいろ考えていたのに。
それも不可能なのだろうか。
あまりにも可愛そうだ。


そんなことを書いておきながら、今日は会社の友人が激励してくれると言うので集まることにした。
久しぶりに外で飲む。
Oは妻の病気のことには触れず、仕事について面白おかしく話す。
相変わらず元気だ。
いい仲間だ。本当にありがたい。
私や息子たちは、それなりに気晴らしが出来る。
妻の気晴らしはどうしてやればいいのだろう。
そのことが毎日気がかりだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月17日(木)雨〜電車がストップ

2007年05月17日 | Weblog
今朝は雨だったが、洗濯機をまわした。
こんなときは乾燥機付きの洗濯機が欲しくなる。
少しでも手間を省くために買い替えようかと、本気で考える。

JRの駅で人身事故が発生し、電車が全部止まってしまった。
しばらく復旧しそうもないので、私鉄経由で会社に向かおうと思った。
そうしたら私鉄も点検で遅れ、そこにJRの利用者が殺到したものだから、全然動けなくなった。
連絡通路は進まないので外を回ったが、雨は本降りだし朝からいいことがない。

いつもの通り7時過ぎに病院に着く。
長男がまだ病室にいた。
朝メモを残してきたが、ちゃんと洗濯物を干し米も研いでタイマーをセットしてくれたようだ。
そのせいで来たのが6時になったとか。
でも、まあありがたく頼もしいことだ。
今日の点滴の副作用は、今のところあまり出ていないようだ。
おかゆは長男に持たせたフリカケでほとんど食べたらしい。
それならあまり心配はいらないだろうか。
でも多少の副作用に苦しんでも、体に確実に効く薬であって欲しい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月16日(水)晴れ〜病院に行く前に

2007年05月17日 | Weblog
夕方、社内メールで先輩のUさんが「ちょっとだけお茶でも飲まない?」と言ってきた。
彼女は昔の職場の先輩で、さんざん飲み歩いた仲だ。
この前「飲もうよ!」と言ってきたので、実は…と妻のことを話していた。
彼女は一人で両親を看病し、看取った経験を持っている。
母親のときは、1年間介護休暇をとって最後まで面度を見ていた。
「いつでも話を聞いてあげるからさぁ」と言われていたので
「じゃぁ、
ビール一杯だけ飲みましょうか」と返信し、会社そばのアイリッシュパブで会うことにした。
いろいろな経験談を聞き、「あなたが無理をして倒れたら、どうしようもないからね」と励まされる。
本当に生ビール一杯で別れたが、今はこういう仲間がありがたい。

妻は昨日よりしっかりしている。
普通のご飯は食べにくいので、昨日からおかゆにしてもらったらしい。
おかゆだと沢山食べられるとのこと。
今日は向かいのベッドの患者さんから貰ったフリカケをかけたら、とても美味しく食べられたと言う。
明日はフリカケを買っていくことにする。
明日から新しい点滴。
副作用のきつさは、本人にも伝わっている。
明日のことを考えると憂鬱らしい。
しばらく手を握ってやる。
少しは安らぐらしい。

夜、義妹からメールがあり、金曜の夜は病院に来るという。
夜は会社の仲間が激励会をやってくれることになっているので病院には来れない。
妻も喜ぶだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月15日(火)晴れ一時雨〜元気なし

2007年05月16日 | Weblog
病院の下で義母にあった。
今日は珍しく夕食が終わるまで居てくれと言われたらしい。
病室に行ってみると、ベッドでうとうとしている。
明日で放射線治療も終了、疲れが出ているのかもしれない。
しかし、放射線が終了すると当面脳外科ではやることがない。
外科病棟に移るのだろうか。

ベッドを寝る態勢にしてやり、メドマーをかけてやる。
メドマーは本当に気持ちよさそうだ。
ラジオを無理して聴いているようだ。
何とか普通の生活をしようと頑張っている姿がいじらしい。
眠たそうなので早めに帰ることにした。
「もう帰るの?」と寂しそう。
「ゆっくり休んだ方がいいよ、眠いときは眠りな」
今日は私の手に頬ずりする元気がないみたいだ。
後ろ髪を惹かれながら病室を後にした。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

5月14日(月)うす曇り〜点滴変更

2007年05月15日 | Weblog
今日も6時に会社を出て病院に向かった。
6時といえばまだまだ宵の口、仕事も佳境に入る時間だ。
この時間に毎日会社を出るのは結構きつい。

病室は、夕食も終わり就寝前の一段落の状況だ。
妻も相変わらず落ち着いている。
「今週からまた薬換えるって。副作用が強いらしいから嫌だなぁ」
「仕方ないよ、強めの薬を集中的に入れるんだから」
「そうだね、頑張らないとね」
今日、S先生から携帯に電話をもらった。
傷を見たところあまり効果が現れていないので、前に話した通りファルモルビシンに換えると言う。
もしそれも効かなかったら?という質問に先生は、最初に結構効いた薬をもう1回やってみるしかないとのこと。
なかなか厳しい状態ではあるが、妻には頑張ってもらうしかない。

帰り際、今日は一日だれも来なかったので寂しかったと言う。
やっぱりお父さんが来ないと寂しいとも言う。
昨日から手を握ってやると、その手に頬ずりするようになった。
不憫で抱きしめてやりたくなった。

家に帰って夕食の用意をするが、手際が悪くて出来たのが10時半になってしまった。
いろいろなことにいらだってしまう。
コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

5月13日(日)うす曇り〜母の日

2007年05月13日 | Weblog
今日は母の日。
相変わらず病院に行く時間は5時になろうとしている。
病院の近くの花屋で、カーネーションのバスケットを買った。
鉢植えは「病気が根付く」と言うので、バスケットに切花を指したものにした。
妻は最初義母に買ってきたものと勘違いしていた。
義母に「なに言ってんの、あんたに買ってきたんでしょ!」と言われて
「えぇ〜、結婚して初めてだね。入院もしてみるもんだね」と嬉しそうだった。
長男に礼を言ったら「俺、金出していないよ」
おいおい、もうちょっと気遣いしろよ。

今まで本当に何もしてやらなかった。
こんな状態になってからいろいろ気づいても遅いよね。
そんなことないと慰めてくれる方もいるだろう。
でも悔やまれて仕方がない。

7時半ごろ帰ることにした。
「もうj帰る時間?」と寂しそうだ。
いつも握手をして病室を後にするが、今日は名残惜しいらしくいつまでも手を離さない。
出来ることならいつまでも手を握っていてやりたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加