国際情勢について考えよう

日常生活に関係ないようで、実はかなり関係ある国際政治・経済の動きについて考えます。

政策決定の基準とは

2007-09-17 | 一般
100人の生命と、1人の生命が、それぞれ別の場所で危機に晒されていて、どちらかを助ければ、別の方の命が助からないという状況があるとします。ふつうの人は、どちらを救えばよいか迷って考え込んでしまい、身動きが取れなくなるのではないかと思います。どちらかの生命を切り捨てなければならないことに抵抗があるからです。しかし、政治家(代議士だけでなく、広義の意味で行政官僚を含む)というのは、1人の生命を犠牲にして、100人の命を助けることができる精神力(?)を持った人なのではないかという気がします。

たとえば、北朝鮮問題を例に取ると、拉致問題は、特に日本人の多くにとって、はらわたの煮えくり返るような問題です。しかし、世界の政策担当者の多くは、拉致問題にあまりにこだわりすぎると、北朝鮮政府が態度を硬化させて、核問題の解決が手遅れになってしまうと懸念しています。ですから、アメリカや中国は、北朝鮮問題において、ほかの問題を犠牲にしてでも、核問題を解決しようとする姿勢を隠そうとしません。数名の生命よりも、潜在的に数十~数百万人の生命を優先するということです。

しかし、日本の国益をも左右するアメリカの外交政策の最優先課題は、実は北朝鮮でもイラクでもなく、イランではないかという気がします。核問題の状況が、北朝鮮よりも遥かに切迫しているからです。また通常兵器の戦争が展開されているイラクよりも、潜在的脅威が遥かに高いからです。またイランは、アメリカの盟友イスラエルの最大の脅威でもあります。というわけで、アメリカは、状況によっては、北朝鮮の核問題を一時的に犠牲にしてでも、イランの核問題を解決しようとする可能性があります。

このように、無数の人命が懸かっているシリアスな問題に、テキパキと優先順位をつけられるのは、政策担当者としては必須の資質かもしれません。しかし、人間としてどうかということは別問題です。ただし、こうした冷徹(冷酷?)な計算ができる政策担当者のことを批判することは簡単ですが、無責任でもあります。なぜなら、私たちの生命もこうした政策担当者の冷徹な決断の庇護の下にある側面もあるからです。世の中は、複雑です。