扇風機の羽の真ん中をおさえるひねくれ者の日記

思うままに....
感じるままに....
JW1.5世の自分が生きてるのを不思議に思う、ひねくれ者の日記です。

文具の魅力 No.116 2015.07.15

2015-07-15 23:55:55 | Stationery & Supply
久しぶりに文具に関して書こうと思います......................

現在、目下「書道」にハマり中です。
正直なところを書くとこれほどハマるとは思っていなかったのですが、以前から関心のあった書道の書道たる由縁を良く考えてきました。
Stationeryの意味するところは結局の所で「何かしらを表現する」ということであり、それ以上でもそれ以下でも無いというのも良くわかります。
そして文字の意味するところは結論として絵であり、風景であり、想像上のイメージであるということです。
特に日本人が用いる文字にはその表現の豊かさが奔流から迸り溢れ出る水の如く湧き出てくるほどの文字の量があります。
わたしは実のところ英語のAlphabetの文字作成を考えていました。
よってMacのApplicationである「Glyphs」というのを価格改定で高くなる前に無理をして購入して自分が作ったAlphabetでPosterや葉書、栞などを作成しようと考えていたのです。
ところが書道関連の作品を見る機会が最近多くなり、自分もいつか書いてみたいと考えるようになってきました。

しかし書道の基礎は「臨書」がベースであり、その臨書を本として購入することぐらいでしか資料を取り寄せることが難しい実態があります。
Typographyに関しては何とかしようと考えていたのですが、まさかここで書道関連の書籍の購入を考えるようになるとは想定さえしていませんでした。

ところで最近、「パフォーマンス書道」というのが持て囃され高校生の中では書道の甲子園であることを知りました。
わたしが住んでいる四国が発祥のようで、平成20年から始まったようです。
わたしはこのパフォーマンス書道というのがどうも苦手のようです。
わたしは純粋に文字やArtを楽しみたいと感じるTypeの人間です。
人に媚びたり、印象を強くしようとしてあからさまな表現手段に対しては非常に強い嫌悪感を感じます。
また如何にも「自分の世界に入っているんだよ、わたしは。」的な雰囲気も大嫌いです。
つまりはわたしの感受性というのはこのような「如何わたしは書道を遣っています」というようなアピールというのは大嫌いなのです。

これは書道に限ったことではありません。
専門的な知識や知恵、作業、動作、Routineであからさまなモノが嫌いなのです。
自分がさも「このことを知っているんだよ」というようなアピールというのは嫌悪感しか湧いてきませんモノね。
そこはNaturalにいこうよ......と感じてしまうのです。

わたしは燻し銀の渋さが大好きで自己主張してこない、自分で自分の手の業を納得し現状の自分の実力を満足するTypeの人間が大好きなのです。
逆説的に書くとアピールしてくる人間というのは他の人の是認や認めて貰いたいという依存的な考え方をしていることを示しています。
よって物事を行う際にはその目的は他の人にアピールすることが目的で技術の向上も手段でしか無い訳です。
目的と手段が入れ替わっている人間の向上心というのは知れていますよね。
それに対して自分の手の業を喜べる人間というのは目的が明確で手段を適切に行使する人間です。
その目的へのアプローチは外堀から埋め、基礎を強固に固め、その上に強大で確固とした世界的な名建築を立てるようなモノです。
目的が確りしている故にブレる事はありません。
確かに人間ですから多少なりとも方向の修正は必要になるでしょう。
ただし、それはその時々による想定の範囲内に必ず収まります。

また適当な人間をわたしは理解できません。
書家は多く居ようとも、その中でもBackboneが確りしている人間しか解らないと思うのです。
確かに書道の普及にパフォーマンス書道は大きな役割を果たしているのでしょう。
それは理解しています。

ここから少し差別と取られてもおかしくは無いことを書こうと思います。

わたしは女性が女性による女性のための行動を行う時、女性が中心として物事を行う際に

「現時点で完璧と言っても良いほどの完成度の物事を行った」

という確信を抱いた記憶が全くありません。
理由は多くの場合に、女性は「見たまま」でしか理解の深度が無いことに起因している論理力しか無いからです。
よってパフォーマンス書道に関しても見た印象が全てで書道の本質である文字の価値をそのパフォーマンスで半減させているとしか受け取れないんですね。
今日はYouTubeで見た動画は吐き気さえもよおさせるほどの媚び方でした。

確かにある程度のパフォーマンスは大事だとは思います。

それが書道パフォーマンス甲子園の「目的」だからです。
しかし過剰なリミッターの飛んでいる嫌悪さえ抱かせるパフォーマンスに如何ほどの価値があるでしょうか。
「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし」という言葉を知らないのでしょうか。
書道というのは物事の本質を書くことが多いはずです。
であれば、この言葉は知っていてもおかしくは無いでしょう。

またパフォーマンス書道を行っている人間達の中でも如何にも「自分の世界に入っていますよ、わたしは。」という人間も大嫌いなのです。
人間というのは有りの儘を受け入れ、いま持てるモノの中から最善を捧げることでしか表現できません。
ならば普通に勿体ぶった態度では無く素直に書けば良いだけの話なのです。

以前に禅僧が文字を書かれている動画も見たことがあります。
人によってはあれも「パフォーマンス書道」だと言うのかも知れません。
人の前で書くのですから「パフォーマンス書道」なのでしょう。
ただわたしは彼の書への姿勢こそ書道なのだと確信しました。
宗教は違い、考え方の違いや隔たりは大きくとも感性やSenseの点では彼の書道のあり方に大きなRespectを感じたのです。

徐々にですが、わたしの中でも書道という日本人として培っておかねばならない教養へのPassionが強まってきています。
まずは書道の歴史から学び始める必要性を感じていますね。
どこから手を付ければ良いか全く理解できていません。
よって書店や図書館などで書道について書かれた本を取り敢えず読んでみて借りたり、必要なら購入したりしようと考えています。

英語のカッパープレート体を書けるように練習しようとも考えています。

自分のFontを作り、それで聖書の言葉を格好良くレイアウトしようと目論んでいたのですが、書道によっても表現できると言うことを知り大きな喜びを感じています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今回は書道に対しての思いを書きましたが、実際にStationeryを購入する計画も立てています。
わたしは書道の道具の中でも「墨」が大好きなのです。
伝統工芸品も最近は好きでこちらは「漆」を中心に動画を見まくっています。
日本の伝統工芸品が如何に美しいモノかもまた別のCategoryで書かねばなりませんな。

墨を取り敢えず確保して、将来に備えようとも考えています。
それまでに墨を納めておく桐箱や、墨を擦る硯、墨池、墨汁、筆、文鎮、下敷き、紙、道具を納めておく箱、筆掛けなどを取り敢えず揃えられれば良いな~と考えています。

他にも透明水彩の絵画にも関心があり、こちらの道具も購入計画を立てています。

何事も、一度には揃えられないので少しずつ揃えていこうと心掛けていますが、Break Throughが来ることを願いつつ物事を慎重に計画を立てていきたいモノです。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。