政治家「又市征治」という男

元政治記者の私が最も興味を持った政治家、それが又市征治だった。その知られざる人物像に迫る。

空襲、終戦、そして母の死

2007年06月08日 | Weblog
 昭和20年8月。
 又市征治が1歳になって間もなく、富山市街は空襲に見舞われた。
 父親の久治はその1年前に軍用車による事故で片脚を失い、その治療のため入院していたが、病院にも空襲があるかもしれないということで、義足もないまま自宅へ戻された。その矢先のことだった。
 母親の操《写真》は幼い征治を抱え、征治の兄や姉とともに、歩くことのできない夫を支えて逃げ惑ったという。どうにか家族はことなきを得たものの又市の家は焼失していた。この2週間後、日本は終戦を迎えた。

 戦中戦後の混乱期、あの事故以来、又市家のほとんどが、操の肩にのしかかっていた。
 農作業、家事、夫の看病、そして未熟児として生まれ病弱だった征治の世話、そこへ焼失した家の再建という大仕事が加わった。

 それまで住んできた国道沿いの土地を離れ、少し奥まった操の実家の前の土地を借りて一家は暮らし始めた。自宅前で起こった夫の事故が忘れられなかった操は、少しでも静かなところで暮らしたいと思ったという。

 未熟児として生まれ体の弱かった征治だったが、7歳頃になってようやく人並みに学校へ通えるようになった。しかし皮肉にもその頃、これまで無理を重ねてきた操は病に倒れ、この世を去る。享年39歳、早過ぎる死だった。
(敬称略)


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